佐藤竜一
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佐藤竜一
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岩手県陸前高田市生まれ。宮沢賢治学会副代表理事・岩手大学特命准教授歴任後岩手大学非常勤講師。主著に『高野長英と吉田松陰』『那珂通世と夏目漱石』『建築家・葛西萬司』『原敬と新渡戸稲造』「宮澤賢治 あるサラリーマンの生と死』『盛岡藩』『それぞれの戊辰戦争』『宮沢賢治 出会いの宇宙』『宮沢賢治の詩友・黄瀛の生涯』『国際外交の舞台で活躍した岩手の男たち』『海が消えた 陸前高田と東日本大震災』『石川啄木と宮沢賢治の人間学』『変わる中国、変わらぬ中国ー紀行・三国志異聞』など。
鶴岡市は歴史的建造物が多いのですが、中でも見所があるのが鶴岡公園内の旧西田川郡役所(重要文化財)です。1881(明治14)年創建の建造物で、1972(昭和47)年に移築。擬洋風のスタイルをとっていて、棟梁は西洋建築を学んだ鶴岡出身の高橋兼吉と石井竹次郎であり、ルネサンス様式の模倣が随所に見受けられます。
旧西田川郡役所は建物自体素敵ですが、展示内容も充実しています。庄内地方の考古資料、庄内藩の戊辰戦争関連資料、明治時代の暮らしと文化等が詳しく紹介されています。とりわけ詳しく紹介されているのが、幕末期から明治時代初期にかけでです(写真は旧西田川郡役所内部)。 #鶴岡 #旧西田川郡役所 #庄内藩
November 10, 2025 at 8:39 AM
石田繁之介『ジョサイア・コンドルの綱町三井倶楽部」(相模書房)を読み終えました。著者は鹿島建設や三井不動産で働いた経験を持つ建築評論家。本書はイギリスからやって来たお雇い外国人、ジョサイア・コンドル晩年の名作綱町三井倶楽部建築の背景に関して克明に紹介しています。
興味深いのはやはりコンドルが設計した旧古河虎之助邸(写真)に関しても詳細に触れていることです。私はこの建造物が好きで、何度も訪ねています。まるでおとぎの国にいるような、そんな雰囲気を漂わせている名建築です。 #石田繁之介 #ジョサイア・コンドル #綱町三井倶楽部 #イギリス #旧古河虎之助邸 #鹿島建設 #三井不動産 #相模書房
November 9, 2025 at 9:16 PM
山形県鶴岡市は江戸時代、庄内藩14万石の城下町として栄えました。庄内藩の息吹を伝えるのが藩校「致道館」(写真)です。東北で現存する唯一の藩校で、聖廟、講堂、御入間などがほぼ当時の姿のまま残っており、国指定史跡となっています。1805年庄内藩主9代忠徳(ただあり)が創設したもので、1816年、現在地に移されました。1873年に廃校になるまで、地域の教育に貢献してきました。致道とは論語の一節「君子学んで以て其の道を致す」が出典です。
致道館は岡山藩のいしずえを築いた池田光政が創設した、藩士や庶民の子弟向けの学校=郷学閑谷学校を参考にして創設されたそうです。 #山形県 #鶴岡市 #庄内藩 #致道館
November 9, 2025 at 6:51 AM
新村拓『老いと介護の日本史 「認知症」への眼差し』(吉川弘文館)を読み終えました。古くから日本では老化に伴う病や認知症が認識されてきていて、『源氏物語』「徒然草」などの文学作品や歴史書などに記載されてきました。本書はそういった歴史を概観するとともに、日本人が老いとどのように向き合ってきたのか、を興味深く紹介しています。
たとえば、蘭方医として名高い杉田玄白は当時としては長命で85歳まで生きましたが、老いによる衰えを嘆く随筆を執筆したそうです。 #新村拓 #老いと介護の日本史 #「認知症」への眼差し #吉川弘文館 #杉田玄白 #源氏物語 #徒然草
November 8, 2025 at 10:00 PM
新潟は古くから海や川に囲まれており、港町として発展してきました。1672年には、河村瑞賢が幕府の命令で西廻り航路を開設しましたが、新潟はその寄港地となりました。松前から瀬戸内を経て、大坂、江戸を結ぶ、商品流通の重要な拠点港となったのです。
幕末の1858年には、日米修好通商条約の締結により、開港する五港の一つに指定され、1868年正式に開港しています。
その後も新潟は国際港として発展を遂げ、現在新潟港(写真)は東南アジア各国を結ぶ、北東アジアの物流の拠点となっています。その歩みは、新潟港近くにある新潟市立博物館が詳しく紹介しています。 #新潟 #河村瑞賢 #日米修好通商条約 #新潟市立博物館
November 8, 2025 at 7:53 AM
「チャールズ・チャップリン マスターピース6」を観ました。ミューチュアル社時代の「チャップリンの道具方」「チャップリンのスケート」(1916年)、「チャップリンの勇敢」「チャップリンの霊泉」「チャップリンの移民」「チャップリンの冒険」(1917年)の6編を収録した傑作集。
中でもチャップリンが好意を寄せたエドナ・バーヴィエンスと共演した「勇敢」「移民」「冒険」の3編が面白いです。とりわけ貧しい移民が希望の国アメリカに到着したものの厳しい現実を描いた「移民」は出色で現代にも通じるテーマだと思いました。コメディアンとして躍動するチャップリンはやはり魅力があります。 #チャップリン #ミューチュアル
November 7, 2025 at 9:49 PM
三浦英之『1945 最後の秘密』(集英社)を読み終えました。著者は優れたルポを発表し続けている朝日新聞記者で現在は盛岡総局勤務。私は2度会ったことがあり、拙著『宮沢賢治の詩友・黄瀛の生涯』(コールサック社)を紙面で紹介して頂いた事があります。本書は太平洋戦争にまつわる体験者に取材した貴重な記録です。
中でも興味を引いたのが「園井恵子の青春」の章です。岩手出身で宝塚で活躍した園井恵子は俳優として活躍中に広島で原爆にあい、32歳で亡くなりました。ゆかりの地岩手町にはブロンズ像が建てられています(写真)。 #三浦英之 #最後の秘密 #朝日新聞 #盛岡総局 #園井恵子 #宝塚 #岩手町 #広島 #原爆
November 7, 2025 at 9:36 PM
坂口安吾に次ぐ新潟の文学者といえば、会津八一です。1881年新潟市古町通五番町(現中央区古町通)に生まれました。八一が生まれた家は江戸時代から続く料亭「會津屋」を営んでいました。安吾と同様、新潟県尋常中学校(現新潟高校)を卒業後に上京。東京専門学校(現早稲田大学)に入学。中学校での英語教師などを経て1926年から早稲田大学で美術史を教えました。八一の才能は多岐にわたり、歌人、書家等としても優れた業績を遺しました。
八一が晩年を過ごした家は現在「北方文化博物館新潟分舘」(写真)として公開されていて、八一の歌書や良寛の書等が展示されています。 #新潟 #会津八一 #坂口安吾 #北方文化博物館
November 7, 2025 at 6:25 AM
東秀紀『アガサ・クリスティーの大英帝国 名作ミステリと「観光」の時代』(筑摩書房)を読み終えました。イギリスを代表する推理作家アガサ・クリスティー(1890ー1976)が活躍した1920年代から1970年代の主要作品を読み解いています。キーワードは観光と田園。植民地を手放した大英帝国は、観光に力点を置くようになります。そうしたイギリスの衰えを鮮やかに描いていて、とても面白かった。
私が『オリエント急行殺人事件』など、クリスティーを愛読したのは高校生の頃ですが、作品をまた読みたくなりました。 #東秀紀 #アガサ・クリスティーの大英帝国 #筑摩書房 #ミステリ #イギリス #オリエント急行殺人事件
November 6, 2025 at 9:37 PM
アンドレ―・タルコフスキー監督の「僕の村は戦場だった」(1962年)を観ました。第二次世界下ドイツと戦っていたソ連の農村。両親と妹をドイツ軍に殺された少年イワンは復讐心からソビエト赤軍の偵察員として活動を続けましたが、捕らえられ絞首刑になります。
挿入されるイワンの回想シーンが印象的。愛していた母親や妹との甘美な思い出と戦争の残酷な現実がくっきりと対比的に描かれています。愛する人を奪った戦争のむごさ、敵と戦うことに情熱を燃やすイワンの必死さが痛いほど伝わってきました。「映像の詩人」といわれ亡命先のパリで54歳で亡くなったタルコフスキーの傑作です。 #タルコフスキー #僕の村は戦場だった #ソ連
November 5, 2025 at 10:14 PM
筑摩書房編集部『オードリー・ヘップバーン 世界に愛された銀幕のスター』(筑摩書房)を読み終えました。ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉の一冊。青少年向けの本ですが、大人が読んでも十分に楽しめます。「ローマの休日」「マイ・フェア・レディ」「ティファニーで朝食を」などで知られるヘップバーンの生涯を生き生きと描いています。
若い頃に貧困や飢えに苦しみましたが、努力を続け、トップスターになったヘップバーンは晩年、飢えた子供たちを救おうとユニセフ親善大使を務めました。とても優しい人柄だったことが、本書からうかがえました。 #筑摩書房 #オードリー・ヘップバーン #ポルトレ #ユニセフ親善大使 #ローマの休日
November 5, 2025 at 9:59 PM
新潟生まれの作家として有名なのが坂口安吾です。安吾は1881年、新津大安寺の素封家で、新潟の西大畑に移り住んでいた坂口仁一郎の五男として誕生しました。仁一郎は新潟日報社長・衆議院議員を務めた人です。安吾は13人きょうだいの12番目の子供で、本名は炳五。安吾はペンネームです。
安吾は幼年時代から大変なやんちゃで、喧嘩っ早く母にいつも叱られていたそうです。そういった手に負えない暴れん坊な反面、立川文庫を愛読する一面もありました。安吾は『石の思い』と題する文章で「私のふるさとの家は空と、海と、松林であった」と書いています(写真は新潟大神宮にある坂口安吾生誕碑)。 #新潟 #坂口安吾 #坂口仁一郎
November 5, 2025 at 7:24 AM
平尾道雄『中岡慎太郎 陸援隊始末記』(中公文庫)を読み終えました。以前読んだ『坂本龍馬 海援隊始末記』の姉妹篇。幕末期京都の近江屋で坂本龍馬と共に殺された中岡慎太郎の生涯を活写。龍馬と比べ地味な印象の慎太郎ですが、なかなかの人物だったと本書は伝えています。
尊皇攘夷による討幕を目指した慎太郎は長州藩と近く、薩摩藩と近かった龍馬と協力して薩長同盟を実現しました。30歳で亡くなるには惜しい人物でした。年譜が詳しく巻末の松浦玲による解説が秀逸です(写真は京都霊山護国神社にある坂本龍馬・中岡慎太郎像)。 #平尾道雄 #中岡慎太郎 #陸援隊始末記 #中公文庫 #坂本龍馬 #京都 #霊山護国神社 #松浦玲
November 4, 2025 at 9:50 PM
今日は盛岡中央劇場の「午前十時の映画祭」。黒澤明監督の傑作「七人の侍」(1954年)を久しぶりに観ました。戦国時代の農村。毎年やって来る野武士の集団に怯えながら暮らしていますが、長老は新たな襲撃に備え食い詰めた浪人たちを雇うことを決意します。腹いっぱい飯を食べられるだけの報酬に浪人探しは難航しますが、勘兵衛(志村喬)をリーダーに七人の侍が集まり、野武士の集団と対峙することにー。
七人それぞれが個性的。中でも異彩を放っているのが菊千代(三船敏郎)で存在感が際立っていました。加東大介、木村功、千秋実、左卜全ら芸達者が揃っていて楽しめました。 #盛岡中央劇場 #午前十時の映画祭 #黒澤明 #七人の侍
November 4, 2025 at 6:52 AM
東京駅丸の内南口改札口の近く「原首相遭難現場」の銘板があります。104年前の1921年11月4日原敬が暗殺されたと伝えています。
原敬は1856年2月9日盛岡藩で家老を務めた直記の孫として盛岡に誕生。新聞記者等を経て、1918年9月29日内閣総理大臣に就任しました。原は皇太子(後の昭和天皇)外遊を実現しますが、右翼が反対し暗殺を予告する脅迫状が原の元に送られました。右翼青年中岡艮一に刺され落命した原は65歳(佐藤竜一『原敬と新渡戸稲造』、現代書館)。
東京駅の設計者辰野金吾と葛西萬司で萬司の義父葛西重雄は原と親しく、萬司は原への恩義から初孫に敬子と名付けました。 #原敬 #東京駅 #葛西萬司
November 3, 2025 at 9:49 PM
高芝麻子『漢文世界のいきものたち』(大修館書店)を読み終えました。「あじあブックス)の一冊。著者は古典文学の研究者(横浜国立大学教授)。本書は漢文や漢詩に登場するいきものたち(狐、虎、猫、犬、鳥など)を興味深く紹介していて、とっつきにくいと思われがちな漢文学の魅力的な入門書となっています。
中でも興味を覚えたのが「虎」の章。私は中島敦「山月記」が好きで大学の講義でも取り上げましたが、中国の東北部から東南部は虎が生息していたため、漢文学でも掲載されたとし、「山月記」のように人が虎になる話も多いとのことです。 #高芝麻子 #漢文世界のいきものたち #大修館書店 #中島敦 #山月記 #あじあブックス
November 3, 2025 at 9:33 PM
94年前の1931年11月3日、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が書かれました(推定)。賢治が入信した国柱会の創設が1914年11月3日で、その日にちなんで書かれたようです。私は『宮澤賢治 あるサラリーマンの生と死』(集英社新書)で東北砕石工場でのセールスマン時代を紹介しましたが、「雨ニモマケズ」が書かれたのは病気でその仕事ができなくなってまもなくのことでした。
紙の本は品切れ(重版未定)ですが、電子書籍は販売中です。よかったらお読みください。 #宮沢賢治 #雨ニモマケズ #集英社新書 #電子書籍 #国柱会 #東北砕石工場 #サラリーマン
November 3, 2025 at 4:36 AM
「チャールズ・チャップリン マスターピース5」を観ました。エッサネイ社から離れたチャップリンはミューチュアル社から破格の待遇で迎えられました。ミューチュアル社時代の傑作集で「チャップリンの替玉」「チャップリンの消防夫」「チャップリンの放浪者」「午前一時」「チャップリンの伯爵」「チャップリンの番頭」(1916年)の6編を収録。
サイレントなのに笑わせるのはさすがで、演技が円熟味を増しているのがわかります。特に「午前十時」は冒頭以外登場人物はチャップリンしかいないのに、引き付けられます。コメディアンとして才能を発揮したチャップリンは長編に挑戦するようになります。 #チャップリン #ミューチュアル社
November 2, 2025 at 9:51 PM
岡崎久彦『陸奥宗光とその時代』(PHP研究所)を読み終えました。幕末期和歌山藩の重役の家に生まれ、不平等条約の改正、日清戦争での下関条約、三国干渉の際に辣腕を発揮した政治家陸奥宗光の生涯を生き生きと描いています。
宗光は若い頃に坂本龍馬に出会いました。亀山社中(写真は長崎:亀山社中記念館)に属し、海援隊に入隊しています。龍馬に強い影響を受けたそうです。宗光は志半ばに亡くなりましたが、政党内閣を日本に定着させようとしました。盛岡生まれの原敬を宗光は抜擢し、原は後年政党内閣を実現しました。原は宗光に恩を感じ、晩年泊りがけで宗光の世話をしました。 #岡崎久彦 #陸奥宗光とその時代 #坂本龍馬 #原敬
November 2, 2025 at 9:40 PM
私は新刊『高野長英と吉田松陰』(日本地域社会研究所)で高野長英について紹介しました。長英は奥州市で1804年5月5日に生まれています。17歳に江戸に出てオランダ医学を学んだ長英は長崎に行き、シーボルトの鳴滝塾で医学・蘭学を学びました。
1837年に幕府が異国船打払令に基づき浦賀に来航したアメリカ船「モリソン豪」に砲撃を加えると、長英が幕府を批判した著作「夢物語」を出版した結果、幕府より終身刑に処せられました。長英は1844年の火災に乗じて脱獄し、宇和島や鹿児島等各地を転々としながら、医学や兵学などの著作を発表し続けました(写真は奥州市にある高野長英の碑)。 #高野長英 #奥州市 #シーボルト
November 2, 2025 at 7:13 AM
今井正監督の「ここに泉あり」(1955年)を観ました。以前観たことがあるのですが、川本三郎さんが『キネマ旬報』11月号で解説していて、久しぶりに鑑賞。群馬交響楽団の草創期を描いています。
地方に音楽を根付かせようとマネージャーの井田(小林桂樹)が奮闘しますが経済的に行き詰まる等、苦難の連続。楽団員の速水(岡田英次)と佐川(岸惠子)は、才能の限界や生活の苦しさに悩みながら音楽の道を歩み続けますー。山田耕筰が出演。音楽を愛する人々を描く傑作(写真は川本三郎さんとのツーショット、盛岡町屋物語館にて)。 #今井正 #ここに泉あり #岸惠子 #岡田英次 #小林桂樹 #群馬交響楽団 #山田耕筰 #川本三郎
November 2, 2025 at 12:18 AM
今井むつみ『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策』(日経BP)を読み終えました。著者は認知科学、言語心理学の研究者です。私たちの思考には無意識に使われる「枠組み(スキーマ)」があり、スキーマが違うため、なかなか自分が意図した通りには物事が伝わらない。ことを解説。相手の思い込みと自分の思い込みに気が付くことが大切だ、と説いています。
コミュニケーションを円滑にするにはどうすればよいか、本書は指針を提供していて、なるほどと思いました。わかりやすく実践的な良書です。 #今井むつみ #日経BP #認知科学 #コミュニケーション #言語心理学
November 1, 2025 at 11:59 PM
政治家として活躍した後藤新平は、元々は医師です。1857年岩手県奥州市生まれ。福島県須賀川医学校卒業後は名古屋市の愛知病院に勤め、オーストリア人のローレンツ博士から西洋医術と衛生学を学びました。優れた才能が認められ、24歳で愛知病院長と医学校長に任命されています。新平はその後内務省衛生局の仕事をし、ドイツへの留学により衛生制度や社会政策を学び、帰国後衛生局長に就任しました。
1895年3月日清戦争で勝利した日本に23万人もの帰還兵が船で上陸しようとした際コレラ大流行の危険がありましたが、空前の大検疫を実施、日本での蔓延を未然に防ぎました(写真は奥州市:後藤新平旧宅)。 #後藤新平 #奥州市
November 1, 2025 at 8:04 AM
相川司『龍馬を殺したのは誰か 幕末最大の謎を解く』(河出文庫)を読み終えました。慶応3年(1867)11月15日、京都の近江屋で中岡慎太郎と共に殺された坂本龍馬。著者は歴史、ミステリー評論家。本書は龍馬暗殺の背景や犯人像について、ミステリー仕立てで興味深く迫っています。
龍馬暗殺に関しては多くの本が書かれていますが、本書はその中でも白眉といえましょう。事実を丹念に積み重ねて真実に迫っていて、読ませます(写真は京都霊山護国神社にある坂本龍馬・中岡慎太郎像)。 #相川司 #超間を殺したのは誰か #河出文庫 #坂本龍馬 #中岡慎太郎 #京都 #近江屋 #霊山護国神社 #幕末最大の謎を解く #龍馬暗殺
October 31, 2025 at 9:06 PM
朝ドラ「ばけばけ」のモデル小泉八雲が愛した松江の歴史を詳細に展示しているのが松江歴史館(写真)です。島根が生んだ内閣総理大臣若槻礼次郎に関し展示しています。若槻は1866年松江藩士の家に生まれ東京帝大卒業後大蔵省に入省、主税局長、大蔵次官を経て貴族院議員に。1926年1月加藤高明の急死を受けて内閣総理大臣に就任、2度目の内閣総理大臣就任も浜口雄幸の急死を受けてのものでした。ロンドン軍縮会議では全権の役割を果たしました。
昭和恐慌という荒波の中で若槻内閣は満州事変(1931年)の不拡大方針を発表しましたが失敗し、日本は軍国主義化してゆきます。 #ばけばけ #小泉八雲 #松江歴史館 #若槻礼次郎
October 31, 2025 at 6:02 AM