稲塚は宮沢賢治が注目した稲「陸羽132号」の育種を成功させた人でもあります。この映画で日本の食糧事情をよくしようと尽力した稲塚権次郎の生涯がよくわかりました。仲代達矢が稲塚の晩年を熱演している他、妻役の野村真美の演技が光りました。 #稲塚秀孝 #稲塚損次郎物語 #農林10号 #陸羽132号 #宮沢賢治 #仲代達矢 #野村真美 #億種
美観地区の中心的な存在が大原美術館です。昭和5(1930)年に設立。地元の実業家である大原孫三郎の依頼により、洋画家の児島虎次郎が収集した西洋の名画などが展示されています。孫三郎は倉敷紡績の二代目で、企業を経営するかたわら病院や研究所など公益性の高い事業を推進したほか、虎次郎などの画家を支援しました。 #岡山県 #倉敷市 #美観地区 #大原美術館 #大原孫三郎 #児島虎次郎
古代から中世にかけては病や死をもたらす死霊でありますが、近世になると幽霊や妖怪と混淆するなど、もののけの性質は時代により変遷します。著者はもののけは、その時代に生きた人間の精神世界を映し出す鏡である、と指摘しています。とても興味深い論考でした。 #小山聡子 #もののけの日本史 #中公新書 #死霊 #幽霊 #妖怪 #宮崎駿 #もののけ姫
イギリス政府は犯人処刑と賠償金の支払いを薩摩藩に求めましたが、薩摩藩が要求を突っぱね、薩英戦争に発展。近代兵器を備えたイギリス軍が薩摩の城下町や集成館を炎上させたことで薩摩藩は日英の技術力の違いを思い知らされ、イギリスに学ぶ姿勢に転じました。 #鹿児島 #薩摩藩 #薩英戦争 #生麦事件
白眉は「なぜ寅さんは葛飾柴又に帰ってきたのか」。山田洋次監督の『男はつらいよ」は菊池寛の戯曲「父帰る」を意識してつくられたのではないか、と推理した上で葛飾柴又が東京の人には地方じみて見え、地方の人には東京らしく見える絶妙な距離感にあると指摘。なるほどと思いました(写真は奥州市水沢公園にある後藤新平像)。 #門井慶喜 #東京の謎 #文春新書 #山田洋次 #男はつらいよ #葛飾柴又 #菊池寛 #父帰る
集成館は斉彬が藩主に就任してまもなく西洋式の工場群として建造。薩摩藩では27代藩主斉興の時代からガラス製造に着手しましたが、斉彬は本格的なガラス製造に乗り出しました。ここで研究開発を繰り返しながら、製造されたのが薩摩切子と呼ばれる工芸品です。 #薩摩藩 #島津斉彬 #鹿児島 #集成館 #薩摩切子
たとえば、「日本人の微笑」に関して。「日本人の微笑は、念入りに仕上げられ、長年育まれてきた作法なのである。それはまた、沈黙の言語でもある」と。優れた日本論になっている、と改めて思いました(写真は松江にある小泉八雲旧居)。 #ラフカディオ・ハーン #小泉八雲 #池田雅之 #角川ソフィア文庫 #日本の面影 #朝ドラ #ばけばけ #松江 #日本人の微笑
観たいと思いながら観ていなかった映画、期待を裏切りませんでした。画面がみずみずしくアルフレード役のフィリップ・ノワレの味のある演技が心に残りました。映画好きには見逃せない名画です。 #盛岡中央劇場 #午前十時の映画祭 #ニュー・シネマ・パラダイス
観たいと思いながら観ていなかった映画、期待を裏切りませんでした。画面がみずみずしくアルフレード役のフィリップ・ノワレの味のある演技が心に残りました。映画好きには見逃せない名画です。 #盛岡中央劇場 #午前十時の映画祭 #ニュー・シネマ・パラダイス
1955年日本共産党は極左冒険主義を自己批判し、幅広い層から支持を得る路線に転換しました。そのことがきっかけとなって新左翼が生まれましたが、本書は暴力化していった末に大衆の支持を失っていった新左翼の歴史を天皇制と絡めながら克明に描いています。読みごたえがありました。 #井上亮 #新左翼と天皇 #ちくま新書 #日本経済新聞 #日本共産党 #極左冒険主義 #天皇制 #ゲリラ闘争
西郷軍は結果的に政府に制圧され、西郷は亡くなりました。鹿児島の人々は西郷隆盛を顕彰するために、西郷南洲顕彰館を建立。すぐ近くには西南戦争の死者が葬られた南洲墓地があります。 #鹿児島 #西郷隆盛 #西南戦争 #西郷洞窟
著者は現場で仕事を共にした職人たちから多くのことを学んだ、といいます。建築の施工に関する具体的な知識だけではない、「頭からでなく、モノから考える方法を教わった」と。刺激的な建築論であり、日本建築の今後を洞察した好著です。 #隈研吾 #日本の建築 #岩波新書 #ブルーノ・タウト #チェコ
たとえば、「逃げの小五郎」と呼ばれた桂小五郎(木戸孝允)ですが、実は剣の達人(神道無念流)で、「剣を用いない」ことを理想としていたそうです。強い故に一人も殺さなかったとは、なかなかの人物ですね。 #夏池優一
#幕末志士の大誤解 #彩図社 #桂小五郎 #坂本龍馬 #吉田松陰 #高杉晋作 #勝海舟 #西郷隆盛 #神道無念流 #木戸孝允
徳川家康は権力を強化する目的で、西国外様大名を中心に勢力削減に尽力。一国一城令を出し、多くの城が破却されました。1611年八代周辺を治めていた加藤清正が死去、翌年忠広による遺領相続が正式に決定された時、麦島(八代)城以外は破却されました。なぜ麦島城が残ったかといえば、薩摩を支配した島津氏の脅威があったためで、島津氏への牽制の意味があり存続したのです。
地震により崩壊した麦島城の対岸に1622年加藤忠広により新しい城(八代城)が築かれました(写真は八代宮、八代城)。 #八代 #八代城 #熊本 #加藤清正
マーガレット・ミッチェル原作の『風と共に去りぬ」は南部アトランタを主な舞台に奴隷制度が存在していた時代の南北戦争を生き生きと描いた傑作ですが、本書を読みその背景がよくわかりました。 #中條献 #アメリカ史とレイシズム #岩波新書 #人種 #奴隷制度 #南北戦争 #アトランタ #風と共に去りぬ #マーガレット・ミッチェル #黒人差別
マーガレット・ミッチェル原作の『風と共に去りぬ」は南部アトランタを主な舞台に奴隷制度が存在していた時代の南北戦争を生き生きと描いた傑作ですが、本書を読みその背景がよくわかりました。 #中條献 #アメリカ史とレイシズム #岩波新書 #人種 #奴隷制度 #南北戦争 #アトランタ #風と共に去りぬ #マーガレット・ミッチェル #黒人差別
元治元年(1864)6月5日、長州藩士らが池田屋に集結しているところに新選組が斬りこみました。ご褒美として新選組は幕府から五百両を拝領。羽振りが良くなった新選組隊士は、赤地に「誠」の旗、白山形の浅黄色の羽織を着て角屋に出かける等京都の街で豪遊しましたが、地元の人々は粗暴な振る舞いを嫌悪し、「壬生浪」と呼びました。 #京都 #新選組 #壬生寺 #八木邸
天武天皇や妻だった持統天皇の後継者が次々に若死にしたことから、理想の皇太子像をつくりだす必要があって聖徳太子伝説が生まれた、ということです。古代史へのロマンを掻き立てる、刺激的な本でした。 #谷沢永一 #聖徳太子はいなかった #新潮新書 #天武天皇 #持統天皇 #古代史
クマ出没続く岩手 盛岡の県立博物館で緊急生態展 生態と対策を学ぶ|岩手日報 www.iwate-np.co.jp/article/2025...
クマ出没続く岩手 盛岡の県立博物館で緊急生態展 生態と対策を学ぶ|岩手日報 www.iwate-np.co.jp/article/2025...
角屋は開設当初から連綿と建物を維持。江戸時代の饗宴を伝える揚屋建築の唯一の遺構として1952年国の重要文化財に指定されています。 #京都 #角屋 #揚屋 #島原
五高で同僚だったのが「ばけばけ」のモデル小泉八雲で、八雲は秋月を「神様のような人」と讃えました。さまざまな困難を切り抜けてきた人物ですが、周囲を明るくする好人物だったようです。本書はそんな秋月を活写した優れた評伝です(写真は小泉八雲熊本旧居)。 #松本健一 #秋月悌次郎 #老日本の面影 #中公文庫 #会津藩 #小泉八雲 #熊本 #ばけばけ
林芙美子記念館は1951年、『放浪記』『浮雲』などの著作で知られる芙美子が亡くなるまで住んでいた家で、山口文象が設計しました。約300坪の敷地に見事な数寄屋造りの建物と豊かな庭木が魅力的な心和むスポットです。 #北区立中央図書館 #赤レンガ #新宿区 #林芙美子記念館 #山口文象 #数寄屋造り
ガウディは晩年故郷のことばカタルーニャ語に固執し、スペイン語(カステーリャ語)を話さなかったということで、頑固な一面があったようです。 #田澤耕 #ガウディ伝 #バルセロナ #サグラダファミリア教会 #カサ・ミラ #カタルーニャ #スペイン