佐藤竜一
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岩手県陸前高田市生まれ。宮沢賢治学会副代表理事・岩手大学特命准教授歴任後岩手大学非常勤講師。主著に『高野長英と吉田松陰』『那珂通世と夏目漱石』『建築家・葛西萬司』『原敬と新渡戸稲造』「宮澤賢治 あるサラリーマンの生と死』『盛岡藩』『それぞれの戊辰戦争』『宮沢賢治 出会いの宇宙』『宮沢賢治の詩友・黄瀛の生涯』『国際外交の舞台で活躍した岩手の男たち』『海が消えた 陸前高田と東日本大震災』『石川啄木と宮沢賢治の人間学』『変わる中国、変わらぬ中国ー紀行・三国志異聞』など。
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佐藤純彌監督の「植村直己物語」(1986年)を観ました。エベレストに日本人として初めて登頂、世界初の五大陸最高峰登頂、犬ぞり単独行で世界で初めて北極点に到達した冒険家植村直己(1941―1984)の後半生を生き生きと描き出した映画です。
一流の登山家が極地ロケに同行しただけあって、臨場感あふれる内容になっています。植村直己役の西田敏行が朴訥とした味を出し、妻役の倍賞千恵子が熱演しています。乙羽信子、山岡久乃、竹脇無我等芸達者な俳優がそろい踏みしていて心に深く刻まれました。 #佐藤純彌 #植村直己物語 #西田敏行 #倍賞千恵子 #乙羽信子 #山岡久乃 #竹脇無我 #エベレスト #北極点 #犬ぞり
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今道琢也『テレビが消える日』(新潮新書)を読み終えました。著者は元ǸHKアナウンサーで、現在はインターネット上の文章指導専門塾「ウェブ小論文塾」を主宰しています。フジテレビをめぐる問題などテレビ界は大揺れですが、広告収入はネットの半分に落ち込み、まったくテレビを見ない若本が急増中、とのことです。
本書は「メディアの覇者」だったテレビ界に未来はあるのか、を徹底的に分析。入社希望者が殺到した時代は終わりを告げ、人材が集まらなくなっているそうで、テレビ界の未来は暗い。と思いました。 #今道琢也 #テレビが消える日 #新潮新書 #メディア #ǸHKアナウンサー
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松山といえば、最大の観光地は夏目漱石がよく利用し『坊ちゃん』にも登場する「道後温泉本館」で重要文化財にも指定され、年間約80万人もの人々が利用します。また、市の中心部には天守が残る松山城(写真)があり、外国人観光客など多くの人々が訪れています。
毎年夏になると、正岡子規の出身地である松山では「俳句甲子園」が開催されます。高校生が5人一組のチームを作って対戦、互いに俳句を発表し、俳句を作る創作力、議論による鑑賞力を競います。1998年に愛媛県内の9チームで始まった大会ですが、年々規模を拡大した結果、全国の都道府県がエントリーする大会にまで発展しました。 #松山 #松山城 #夏目漱石 #正岡子規
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kenji.iwate-u.ac.jp/publication/... 私が所属している岩手大学人文社会科学部宮沢賢治いわて学センター編『賢治学+ 第5集』(杜陵高速印刷出版部 電話019―651―2110)が刊行されました。今号の特集は「賢治学+比較文学」。私が「大島高任と近代化産業遺産」という論文を寄稿しているほか、加倉井厚夫さんが「宮沢賢治の極光のことー北アルプスの星空からオーロラまで」を寄稿しています。
定価2,420円(税込み)。岩手県内の書店で販売中。県外の方は地方・小出版流通センターという取次を介して取り寄せができます。 #岩手大学 #賢治学 #大島高任 #佐藤竜一 #加倉井厚夫
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窪田新之助『対馬の海に眠る』(集英社)を読み終えました。人口3万人ほどの長崎県対馬市。2019年2月25日、営業成績が抜群なJA(総合農協)職員が海に沈み、自殺しました。著者は事件の真相を知るために、取材を開始するのですがー。『日本農業新聞』の記者だったという著者の取材は入念で、次第に農協の暗部に食い込んでゆきます。
自殺した人は販売ノルマを果たすため相当無理なことをしていて、JA自体もそのことに加担していた疑いがあることが明らかにされます。以前郵便局でも営業成績を上げるために自爆営業をしていたことが明るみに出ましたが、読後暗澹たる気持ちになりました。 #窪田新之助 #対馬の海に沈む #集英社
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2009年11月29日から2011年12月25日まで、司馬遼太郎原作『坂の上の雲』がNHKで放映されました。主人公は正岡子規、日露戦争で軍人として活躍した秋山好古・真之兄弟の三人、いずれも松山の出身でドラマの主な舞台も松山です。松山市ではこの番組に先駆けて2007年4月28日、「坂の上の雲ミュージアム」(写真)が松山城城山の南裾にオープンしました。総工費約30億円、設計を担当したのは安藤忠雄建築設計事務所です。
正岡子規はすでに全国的な知名度がありましたが、秋山兄弟はこの番組により全国的に知られるようになったと思います。 #松山 #坂の上の雲 #秋山好古 #秋山真之 #安藤忠雄 #司馬遼太郎
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原田信男『コメを選んだ日本の歴史』(文春新書)を読み終えました。令和の米騒動が話題になっていますが、古代から、日本の歴史はコメと共にありました。本書を読むと、天皇をはじめとする日本人がいかに密接にコメと共に生きて来たのか、を確認できます。
コメは日本人の生活のありかたや国家の方向性に大きな影響を与え続けてきました。コメについて語ることは日本の歴史について語ることに直結する。本書を読んで改めて、そのことを実感しました。名著です。 #原田信男 #コメを選んだ日本の歴史 #文春新書 #米騒動
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1893年7月東京帝大文学部を卒業した夏目漱石は進路に悩んだ末、1895年4月愛媛県尋常中学校(松山中学校)に英語教師として赴任しました。松山を選んだのは正岡子規の故郷だったから。途中子規が松山に帰省し52日間漱石の下宿で共に暮らします。高浜虚子等子規を師と慕う多くの人々が下宿を訪ねてきました。子規の影響で漱石は句作に励むようになり、肺病やみの子規にうなぎ等栄養価の高いものをごちそうしています。漱石は翌年熊本高等学校に転任しました。
漱石が松山での思い出を基に出世作『坊ちゃん』を発表するのは1906年のことです(写真は雑司ヶ谷霊園にある漱石の墓)。 #夏目漱石 #正岡子規 #松山 #坊ちゃん
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「チャールズ・チャップリン マスターピース1」をDVDで観ました。無名のコメディアンから喜劇王へ。この傑作集ではチャップリンが活動を開始した初期のキーストン社時代の「成功争ひ」「夕立」「チャップリンの総理大臣」「舞台裏」「男か女か」など14編(1914年)を収録しています。
山高帽、ダブダブのズボン、ドタ靴にステッキという独特のスタイルが次第に確率されてゆくようすがよくわかり、とても面白かった。サイレント(無声映画)ですが、ウェイターから総理大臣に扮したり(チャップリンの総理大臣)、女装したり(男か女か)、チャップリンの演技力にはやはり目を見張るものがあります。 #チャップリン #キーストン社
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遠野市立博物館監修『遠野物語と怪異 遠野の呪術の世界』(河出書房新社)を読み終えました。遠野市立博物館で開催され好評を博した特別展を書籍化。私も観ましたがとても興味深く、盛岡のさわや書店で本書を買い求めました。カラー図版多数が掲載され読んで楽しい本。柳田国男の『遠野物語』刊行(1910年)から115年が経過しましたが、人気は衰えません。カッパやザシキワラシなどの妖怪、オシラサマに代表される呪術など魅力あるテーマが本書にはたくさん詰まっています。
遠野を歩くと今でも『遠野物語』の世界に浸ることができます。中でもカッパ淵(写真)は本当にカッパが出そうな雰囲気でした。 #遠野 #遠野物語 #柳田国男
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門井慶喜原作、成島出監督の映画「銀河鉄道の父」(2022年)を観ました。宮沢賢治は生前原稿料を受けとったのは一度しかなく、ほぼ無名で37年の生涯を閉じました。それでも原稿を書き続けたのは妹トシ、父政次郎など家族の支えがあったからです。
この映画は父政次郎を主人公にした、賢治の家族の物語で心にしみる内容でした。さすがに政次郎を演じた役所広司の演技は真に迫っていたし、賢治を演じた菅田将暉、トシを演じた森七菜もなかなかでした。賢治(菅田)が作詞作曲した「星めぐりの歌」を歌うシーンは特に心に残りました。 #門井慶喜 #成島出 #銀河鉄道の父 #宮沢賢治 #役所広司 #菅田将暉 #森七菜 #星めぐりの歌
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片山杜秀『皇国史観』(文春新書)を読み終えました。「皇国史観」とは「天皇を中心にした国家」を思想として位置付ける役割を担うもので、江戸時代前期に水戸藩で起こった水戸学から始まりました。本書は水戸学の討幕への影響から、明治憲法を経て現代に至るまでの潮流をかみ砕いて解説しています。
水戸藩出身で江戸幕府最後の将軍となった徳川慶喜が明治天皇を担いだ新政府軍との戊辰戦争の際に、戦わずに大坂から江戸に逃げたのは天皇を尊重する尊皇思想の影響を受けている、という指摘はなるほどと思いました(写真は東京谷中霊園にある徳川慶喜の墓)。 #片山杜秀 #皇国史観 #文春新書 #水戸藩 #水戸学 #徳川慶喜 #戊辰戦争
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小和田哲男監修『地図でスッと頭に入る 豊臣一族の戦国時代』(昭文社)を読み終えました。タイトル通り地図や図版が多数掲載されていて、豊臣秀吉が活躍した戦国時代をわかりやすく解き明かしています。入門書としてよく編集されています。
秀吉は農民の生まれからのし上がった人物です。明智光秀を討ち織田信長の後継者となりましたが、上司や部下との人間関係構築に長けていることが本書で確認できました。茶人の千利休は重要なブレインでしたが、晩年に気難しくなった秀吉によって切腹を命じられています(写真は堺市大仙公園にある千利休像)。 #小和田哲男 #豊臣一族の戦国時代 #昭文社 #千利休 #堺市 #明智光秀 #織田信長
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銚子駅から歩いて15分、中央みどり公園に詩人黄瀛の詩碑(写真)が建てられています。黄の詩碑があるのは日本では銚子だけで、詩碑の建立には黄の評伝『宮沢賢治の詩友・黄瀛の生涯』(コールサック社)を出版した私が大きく関わっています。中国人を父に、日本人を母に中国重慶に生まれた黄は父を早く亡くし、母の故郷千葉県八日市場で育ちました。若い頃に萩原朔太郎(写真は前橋にある萩原朔太郎記念館)等に詩の才能を認められ、宮沢賢治や草野心平と親交を結びました。
詩碑には黄が若き日に、銚子出身の詩友・関谷祐規と共に銚子を訪れた際に書いた詩「銚子ニテ」の一部が刻まれています。 #銚子 #黄瀛 #萩原朔太郎 #宮沢賢治
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小林正樹監督のドキュメンタリー映画「東京裁判」(1983年)を観ました。アジア・太平洋戦争後の日本の針路を決定づけた極東国際軍事裁判の経緯を克明に紹介。膨大なフィルム史料を引用し4時間30分にまとめた大作で見ごたえがありました。
戦争の責任をとり東條英機等7人が絞首刑になりましたが、判決を言い渡された東條の泰然とした姿が印象に残りました。最も興味深かったのが天皇の戦争責任を巡る展開。米ソ対立により日本を西側陣営に組み入れようとした米国は当初の方針を転換して天皇を不起訴に持ち込み、天皇は象徴として温存されることになりました(写真は雑司ヶ谷霊園・東條英機の墓)。 #小林正樹 #東京裁判 #東條英樹
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宮地佐一郎『中岡慎太郎 維新の周旋家』(中公新書)を読み終えました。幕末期坂本龍馬と共に薩長連合を実現したものの、龍馬と共に京都の近江屋で暗殺された中岡慎太郎の生涯を生き生きと描いています。著者は高知出身で慎太郎に対する敬愛する気持ちが行間から伝わってきます。
坂本龍馬と中岡慎太郎といえば、黒木和雄監督の映画「龍馬暗殺」(1974年)がとても印象に残っています。龍馬を原田芳雄、慎太郎を石橋蓮司が熱演。もう一度観たい映画です(写真は京都霊山護国神社にある坂本龍馬・中岡慎太郎像)。 #宮地佐一郎 #中岡慎太郎 #中公新書 #坂本龍馬 #京都 #近江屋 #黒木和雄 #龍馬暗殺 #原田芳雄 #石橋蓮司
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盛岡のタウン誌『街もりおか』(斎藤純編集長)10月号に「立原道造と藤島亥治郎」を書きました。
盛岡市郊外にある愛宕山記念公園の近くには道造の「アダジオ」詩碑(写真)があります。道造が盛岡に立ち寄ったことを記念して建てられました。道造は詩人として有名ですが、職業は建築家で東京帝大の一学年下が都庁の設計で有名な丹下健三。一方愛宕山展望台(写真)の設計は盛岡生まれの藤島亥治郎で、東京帝大の恩師が伊東忠太でした。24歳で亡くなった立原道造、103歳まで生きた藤島亥治郎。盛岡ゆかりの二人の建築家のことをもっと知ってほしく思います。 #街もりおか #斎藤純 #立原道造 #藤島亥治郎 #丹下健三 #伊東忠太
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家近亮子『蒋介石ー『中華の復興」を実現した男』(ちくま新書)。アジア・太平洋戦争が終結した後、毛沢東をリーダーとする中国共産党との戦い(国共内戦)に敗れて、台湾で中華民国総統として君臨した国民党のリーダー蒋介石の生涯を克明にたどった力作評伝です。読み応えがありました。
1937年7月7日、日本と中国は全面的に戦争に突入します。国民党と中国共産党は協力して(国共合作)日本と戦いますが、主として日本軍と戦ったのは国民党です。蒋介石は毛沢東と比較して地味な印象ですが、本書の出版で蒋介石再評価の動きが加速するかもしれません。 #家近亮子 #蒋介石 #ちくま新書 #国民党 #台湾 #毛沢東 #中国共産党
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会田雄次 谷沢永一『歴史に学ぶライバルの研究』(PHP文庫)を読み終えました。会田雄次(歴史学者)と谷沢永一(文学研究者)が「天智天皇と天武天皇」、「豊臣秀吉と明智光秀」「田沼意次と松平定信」等8組のライバル関係について興味深く対談。
中でも関心を覚えたのが「渋沢栄一と岩崎弥太郎」。共に実業界で活躍した人ですが、育ちがよい渋沢には親分気質がないのに対し、下層階級の出身である岩崎は面倒見がよく、それが財閥の形成につながったと指摘。対比がとても面白かった(写真は東京谷中霊園にある渋沢栄一の墓)。 #会田雄次 #谷沢永一 #歴史に学ぶライバルの研究 #PHP文庫 #渋沢栄一 #岩崎弥太郎 #谷中霊園
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千葉県銚子を代表する文学者といえば国木田独歩。1871年銚子生まれで、生誕地には碑が建っています(写真)。独歩は1887年上京し翌年東京専門学校に入学。やがて徳富蘇峰を知り、文学に目覚めました。1893年には蘇峰の紹介で、大分県佐伯町の鶴谷が学館の教頭として赴任しますが、翌年退職し再上京。1894年9月国民新聞社に入社しました。独歩は日清戦争の従軍記者として戦場に向かいます。国民新聞に連載された「愛弟通信」が評判を呼び、独歩の文名は次第に高まっていきました。
1908年に神奈川県茅ケ崎で死去、36歳でした。墓(写真)は青山霊園にあります。 #国木田独歩 #銚子 #徳富蘇峰 #佐伯 #青山霊園
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黒田智子編『近代日本の作家たち 建築をめぐる空間表現』(学芸出版社)を読み終えました。村野藤吾、吉田五十八、白井晟一、前川國男、丹下健三ら建築に携わった作家たちの空間表現を克明に紹介した論考集です。
私は前川國男設計の建築物が好きで以前弘前を訪ねたことがありますが、何と言っても前川國男の代表作は新宿にある紀伊國屋ビルディング(1964年竣工、写真)。東京都が選定した歴史的建造物でもあります。人と人とが出会う待ち合いの空間を創出した素敵なスポットで、東京で友人と会う場合には、よく利用します。 #黒田智子 #建築をめぐる空間表現 #学芸出版社 #前川國男 #新宿 #紀伊國屋ビルディング #村野藤吾
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そうでしたか。確かにほのぼととしたよい映画ですね。
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荻原浩原作、和泉聖治監督の映画「HOME 愛しの座敷わらし」(2012年)を観ました。食品会社に勤める主人公(水谷豊)は盛岡支店に左遷され妻(安田成美)、母(草笛光子)、娘(橋本愛)、息子(濱田龍臣)と共に住んだのが築200年の一軒家。母は認知症、娘は学校になじめず、息子は病弱等それぞれ問題を抱えながらの新生活でしたが、福を呼び込むという座敷わらしが登場し、家族に幸せが訪れますー。
とても心温まる物語。それぞれの俳優がよい味を出していますが、ぼけた老女を演じた草笛光子の演技はさすがだと思いました。 #荻原浩 #和泉聖治 #Home #愛しの座敷わらし #草笛光子 #水谷豊 #橋本愛 #安田成美
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平尾道雄『山内容堂』(吉川弘文館)を読み終えました。「人物叢書」の一冊。幕末期の土佐藩主であり、薩摩藩の島津斉彬、宇和島藩の伊達宗城、福井藩の松平春嶽とともに名君として知られた山内容堂の生涯を活写しています。
容堂は好奇心が旺盛で、常に家臣に命じて内外の事情を巡視させ、報告を求めたということです。幕末維新期に土佐藩は多くの人材を輩出しました。坂本龍馬や中岡慎太郎、岩崎弥太郎等が活躍できたのは容堂が醸成した土佐藩の自由な土壌があったからだ、と思いました(写真は高知城)。 #平尾道雄 #山内容堂 #吉川弘文館 #土佐藩 #高知 #幕末 #島津斉彬 #伊達宗城 #松平春嶽 #中岡慎太郎 #岩崎弥太郎
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歌人として有名な石川啄木ですが、北海道で1年ほど新聞記者をしていたことがあります。1907年函館に渡り箱館日日新聞の記者になります。その後札幌・小樽と新聞記者を続け、1908年1月釧路新聞に入社。編集長格の待遇でしたが、新聞記者の仕事にあきたらなくなり、4月には会社をやめて上京します。
啄木には強い作家願望があり、そのためには東京に行かなければならない。そう思って上京しましたが、小説を書いてもほとんど売れず、作家としては大成できませんでした。釧路には啄木の足跡が多く残っていて、釧路新聞が近くにあった幣舞(ぬさまい)橋には啄木の像(写真)が建っています。 #石川啄木 #釧路 #釧路新聞 #幣舞橋