その上に胡座をかいて、今、声を上げる人の足を引っ張るんじゃなくてさ。
守りながらよりよくしていく方に働きかけていかないと、どんどん今、その胡座をかいてる座布団も朽ち果てていくんだ…
私より一世代二世代年長の人達がそういうスタンスなの見てると
「自分達はもう逃げ切れるから若い子達のことなんて知らないもんね」
に見えるわ。ふざけんじゃねぇよって。
その上に胡座をかいて、今、声を上げる人の足を引っ張るんじゃなくてさ。
守りながらよりよくしていく方に働きかけていかないと、どんどん今、その胡座をかいてる座布団も朽ち果てていくんだ…
私より一世代二世代年長の人達がそういうスタンスなの見てると
「自分達はもう逃げ切れるから若い子達のことなんて知らないもんね」
に見えるわ。ふざけんじゃねぇよって。
それはデルフォイの信託の巫女から能楽や散楽、宗教絵画などに至るまで、クリエイターとは「神になる」仕事です。
その「神」にケチをつけ、神の在り方とか神になれたかとか神とは何かを書き記してきたのが史家や経書であって、歴史的に別物だし、そうやって神と神にケチつける対立構造が、世界の芸能を高めていったんだ。
そういう意味で、私は「神にケチをつける」評論家として誇りを持っているし、たまに神の真似事をしてみたりもするが、本質的には「神に難癖をつける側」という誇りを持ってライターやってる。
小説とは別に誇り高い仕事なのだよ。
それはデルフォイの信託の巫女から能楽や散楽、宗教絵画などに至るまで、クリエイターとは「神になる」仕事です。
その「神」にケチをつけ、神の在り方とか神になれたかとか神とは何かを書き記してきたのが史家や経書であって、歴史的に別物だし、そうやって神と神にケチつける対立構造が、世界の芸能を高めていったんだ。
そういう意味で、私は「神にケチをつける」評論家として誇りを持っているし、たまに神の真似事をしてみたりもするが、本質的には「神に難癖をつける側」という誇りを持ってライターやってる。
小説とは別に誇り高い仕事なのだよ。
(因みに当該カードのフォイル版を横から見ると本当に目玉焼きに見えるぞ)
(因みに当該カードのフォイル版を横から見ると本当に目玉焼きに見えるぞ)