おび
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「ナチスのタイガー戦車を手懐ける猛獣使い」

欧州でD-デイが過ぎた頃、ALCOは戦時下で最も困難な任務の一つを請け負った―—数百輌のM10A1戦車駆逐車を、米軍最強のタンクキラーへと大急ぎで改修する作業である。

この任務、すなわちM36戦車駆逐車(戦車兵達は「スラッガー」と呼んだ)の生産は1944年半ばに割り込んできた。当時、ALCOは政府の要請を受け、既に設備を転換し、戦時下で急務だった機関車の生産に大きく乗り出していた。連合軍は既にフランス沿岸に上陸していた。サン=ロー突破は目前に迫っていた。ジークフリート線への進撃が迫っていた。
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お昼に食いすぎた
沼津 あやみ屋
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これは輪が横向きなのでMB
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前席の転落防止ベルトをかける「輪」がインパネに付いていますが、輪が横向きがMB、上向きがGPW
これが一番わかり易いです
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M36への改修作業のため、マッセイ・ハリスのラシーン工場に鉄道輸送されたM10A1。写真の6輌はいずれも車体と砲塔の側面にボスが付いており、砲塔後部に楔形のカウンターウェイトを装備していることから、フォード製M10A1であることが判ります。

ラシーン工場でのM10A1やM36の写真は数枚が公開されています。撮影時期は不明ですが、被写体の車輛の大部分はフォード製車体のようです。新しいフィッシャー製M10A1は早期に同社製T71/M36やライマ戦車補給廠でのM35への改修に回されたため、マッセイ・ハリスやALCOに供給されたM10A1は中古のフォード製車体が多数を占めていたものと推察します。
https://masseycollectors.com/CMSPages/GetForumAttachment.aspx?fileguid=92ca676b-8f52-41db-890a-ede4c8a5f606
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ジープはリアパネルに「Ford」の文字がプレスされたGPW
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チュニジアの首都チュニスの城壁と門。奥に見えるサンドカラーのトラックはフォードだろうか? 
旧市街はローマの属州に始まりイスラムの都として繁栄、14世紀に遡る古い街並みが今に残る。(現在は城壁が取り壊されている)

取材陣が乗るサンドカラーのジープの脇を通り過ぎるOD色のM3ハーフトラックとM 4A1(デフカバーはワンピース型)
沿岸部は地中海性気候で比較的温暖。冬場の雨季は平均気温15度、月降雨量は50mm程度であるため、チュニジアで戦闘が行われた11月〜5月頃はいわゆる砂漠のイメージとは違って草地が広がる。アメリカ軍の戦車隊の塗装がオリーブドラブでもさほど支障がなさそうに見える。
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1日1ミリ。1943年4月のチュニジア。アメリカ軍のシャーマンは鋳造車体のM4A1。ドライバーズハッチのバイザーがペリスコープ式に変わった中期型だろうか。同時期に写されたフィルムから推測してデフカバーはボルトジョイントの3ピース型のタイプだろう。
塗装は砂漠用のサンドカラーが間に合わずオリーブドラブのままだが、巻き上げた砂塵で迷彩のようになっている。

Eiiot ElisofonがLIFE誌の依頼で撮影したコダクロームのオリジナルカラー。アメリカ軍では第二次大戦時の公式写真はモノクロ保存としていたが、LIFE誌など民間の報道写真では当時普及していたコダクロームのカラー写真が多数残されている。
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フィッシャー製T71/M36(同社製M10A1ベース)。戦訓からの様々な現地改修が加えられています。T51履帯に拡張エンドコネクター、砲塔上部に屋根、車体前面に増加装甲を設置。M2重機関銃の砲塔左前部への移設もM36で広範に実施された改造。
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こんにちは!この写真を見つけました。
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600輌目以降のM36には、マズルブレーキ装着に必要な改良型の平衡装置、俯仰機構、砲架トラベルロックの3点全てが備わっていたとする一方で、ネジ切り加工が施された砲身の導入時期については言及されていません。

写真は1944年9月にフランスに到着した最初の40輌のM36の一部とされています(同10月の訓練時の撮影)。主砲は先端まで同径のネジ山保護リング付き砲身です。時期や車体の仕様から、1944年4月~7月にフィッシャーで改修されたT71/M36から抽出された車輛と推察します。つまり初期の300輌の段階で、一部の砲身にはマズルブレーキ装着に対応したネジ切り加工が施されていたことを示唆しています。
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M36のマズルブレーキに関して、ハニカット氏の『SHERMAN』には以下のように記述されています。

「マズルブレーキの追加には、新型の平衡装置、強化された俯仰機構、より頑丈な砲架トラベルロックが必要となった。最初の600輌以降にはこれら3点全てが装備されたが、最初の1400輌の砲架にはマズルブレーキが装備されていなかったため、平衡装置は接続されなかった。ただし、最初の600輌以降の車輌には必要な装備が全て備わっていたため、前線でマズルブレーキを後付けすることは可能であった。しかし、実際には膨大な工数が必要となるため実施されなかった」
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1 日1ミリ。1942年11月。第二次エルアラメイン戦で放棄されてニユージーランド軍に回収されたドイツ軍のMarderIII。ロシア戦線で鹵獲した76.2mm M1936(F-22)をチェコ製の38(t)戦車シャーシに搭載した当時最強の対戦車車両だった。
そのハイブリッドな仕様は随所に現れていて、後部にチェコ製の消火器を搭載しながらフェンダーにはドイツ仕様の消火器、左フェンダーに積むバールはチェコ軍由来の革紐で固定されているが車体右側に積むジャッキやワイヤーカッターなどドイツ軍が指定する工具類はドイツ式のクランプを使う。
写真:ニュージーランド国立図書館no.DA-02730-F
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「イナーシャ回せっ」
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デフモデルのタミヤ M36用金属砲身3種類。

「初期型」はストレート砲身。主にフィッシャー製T71/M36(同社製M10A1ベース)が装備。フォード製M10A1ベースのT71試作車も使用。

「中期型1」は先端まで同径のネジ山保護リング付き砲身。フィッシャー製M10A1ベースのM36とフォード製M10A1ベースのM36が装備。

「中期型2」は先端の径が小さいネジ山保護リング付き砲身(恐らく「1」を軽量化した改良型)。主にフォード製M10A1ベースのM36とフィッシャー製M36B1が装備。フィッシャー製M10A1ベースのM36(マッセイ・ハリス又はALCOで改修された個体)でも使用例有り。
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平塚にある花菜ガーデン
秋のバラが咲いてるとのことで荒天のなか出撃
…まだ早かったみたい…
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第654戦車駆逐大隊所属のM36B1。1945年、ドイツ・テューリンゲン州タンバッハで撮影された米軍の記録映像。

登録番号40190913、フィッシャー製1944年10月生産車。全187輌中、14輌目に当たります。主砲にはハット型とも呼ばれる先端の径が小さくなったネジ山保護リング付き。M36では先端の径が異なる2種類のネジ山保護リングが確認出来ますが、M36B1は生産開始当初からハット型を装備していたようです。砲塔上部には現地製作らしき屋根が追加されています。防盾の照準孔の上には(同部隊のM36B1の有名な個体でも見られる)ハーケンクロイツのキルマークが5枚貼り付けられています。
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ここが資さんうどんになるみたいよ
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M36B1 (the variant mixing the M36 turret into the hull of the M4A3) from the 7AD entering Nordheim in April 45.
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ALCO製M4の初期生産車。
車体上部後端が傾斜しており、エアクリーナーは円筒型。車体後部吊り上げリングはパッド付きの鋳造品。プルマン製M4も後端が傾斜した車体ですが、エアクリーナーは角型で、初期生産車で既にパッドの無い吊り上げリングを使用しています。砲塔はALCOで一般的に使用したゼネラル・スチール・キャスティング・エディストーン工場製で、ピストルポートの右下に「D50878 [GSCのロゴ] E」と鋳込まれています。同仕様の砲塔がフォート・ベニングに現存するALCO製M4 1943年4月生産車に搭載されています。
https://flic.kr/s/aHskGKV3PV
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物量で勝負ぢゃー
(キャプションのA3は間違い)
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「戦闘地域」での搭載例が先のミカンセーキさんのノルマンディーのタイガーくらいで、大抵は移動中か移動のための準備中か。どうせ移動するなら空いてるデッキに燃料積んでけ、みたいな感じかも。
搭載にはよく、クレーンを使って、と思われがちですが、持ち上げるためにはクレーン側アタッチメントやドラム缶側への養生が必要になります。しょっちゅうやらない作業のために専用治具をこしらえるとも考えにくいので、やはり空を載せてからの充填ですかね。
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そうですよね、制空権持ってる東部戦線しかも行軍中ではなく、いつ何時ヤーボが降ってくるかもしれない西部戦線でこれは危険極まりない。
固定はどうしてるんでしょうかね、単純に200キロあるものを平べったいとはいえ揺れるエンジンデッキ上にポン載せは…
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mikansei9.bsky.social
マジレスするとノルマンディのティーガーがドラム缶載せてるのって空間装甲のつもりのような気がします。シュルツェンないからバズーカで後から撃たれるのを防ぐ目的もあるんじゃないかと。
ガソリン満タンのドラム缶をここに置くのは危険極まりないから、入れても水。
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マジレスするとエンジンデッキ上にドラム缶載せてる戦車はあまり見たことはありません。やはり載せるためには相当な労力が必要になるでしょうから。中身満タンのは重いし、空のを載せてから中身をポンプで入れるのも時間かかりそうです。グリルを塞ぐとエンジンの冷却効果も悪くなりそう。