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M36の車体右側面後方のフットマンループ。M10A1からM36への改修時に追加されたもので、工場によって取付位置に違いが有ります。

1枚目はフィッシャー製T71。フィッシャーは同社製M10A1の最終生産分の300輌をT71/M36に改修しました。これらは極初期の量産車で、側面ボスが廃止されているのが特徴です。

2枚目はマッセイ・ハリス製M36。側面ボス付きのフォード製M10A1車体で、フットマンループはボスを避けて前寄りに取り付けられています。タミヤのキットはこの仕様です。マッセイ・ハリスはフィッシャー製M10A1も改修していますが、数は比較的少なかったのでは無いかと思います。
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1日1ミリ。イギリス軍の記録写真:IWM (STT 7474)
1944年夏にノルマンディで鹵獲された15cm歩兵砲搭載自走砲グリレH型。ドイツ第2装甲師団所属の車両。装甲板に描かれた3色迷彩は刷毛塗りのハードエッジパターンに小さな楔状の三角形をステンシルでスプレー描き。第21戦車師団だけでなく部隊を超えて砲兵車両にハードエッジ迷彩が採用されている。スプレー吹きも併用していることを見ると単純にコンプレッサーがなかったからという理由に帰することこともできない。
推測の域を出るものではないが、航空優勢を保てない状況で遠距離からの迷彩効果を高めるための措置だろう。
December 1, 2025 at 9:40 PM
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1日1ミリ。1944年6月のノルマンディ。ボカージュに姿を隠して応戦するドイツ軍の自走榴弾砲10.5cm leFH 18(Sf.) auf Geschützwagen 39H(f) 。フランス軍から鹵獲したオチキス軽戦車H39のシャーシに榴弾砲を搭載した改造車両で、第21戦車師団の第200突撃砲大隊はこのような改造自走砲で編成されていた。
写真が砲弾発車時の空振でブレてしまっている。ハードエッジの迷彩が描かれた車体の国籍マークの十字がダブって見えるのは射撃の振動で車体も大きくスイングしているからだろう。
November 30, 2025 at 8:38 PM
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1日1ミリ。1944年6月10日のノルマンディ。ランヴィル近郊での反撃に出るイギリス第13/18王立軽騎兵連隊本部所属のシャーマンIII(M4A2) 。車体後部には海中渡渉用の排気延長ダクト(ウェーディングキット:上部ダクトは取り外して基部が残ってる)
ジェリ缶はドイツ軍のジェリ缶をコピーしたイギリス軍のもの。サイズや仕様、プレスパターンも変えずに完コピして、戦場で敵味方同じものを使うという「汎用性」を重視したのが面白い。
牧草地にホルサグライダーの残骸が見える。一面に咲く白い小さな花はシロツメクサだろうか。
IWM (B 5345)
November 29, 2025 at 9:21 PM
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1日1ミリ。1944年6月6日のノルマンディ。ソード・ビーチに上陸したイギリス軍は当日に唯一対応できたドイツ第21装甲師団のIV号戦車隊に一時海岸近くまで押し戻されてカーン市街の奪取を断念する。詳細な日時は不明だが、迎撃に備えてボカージュに潜む第21戦車師団のIV号戦車の写真。背後の牧草地に牛が写っていることからすると空挺部隊のホルサグライダーが降下したエリアにも近い。
Bundesarchiv Bild 101I-493-3365-31
November 28, 2025 at 8:48 PM
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1日1ミリ。1944年6月6日午前8時40分頃、ノルマンディのソード地区。朝靄に霞む海岸に先行上陸したイギリス第13/18王立軽騎兵連隊のシャーマンDD戦車と第79機甲師団の特殊装甲車両が密集して展開している。写真の中央がフロートスクリーンとスクリューを備えたシャーマンDD、その右にいるのがエンジンデッキの吸排気口に延長ダクト(ウェーディングキット)をつけたシャーマン。
ノルマンディの海岸は遠浅の砂浜で揚陸艦が接岸できないため、上陸作戦に参加した車両は水深1mくらいから自力で走行できるように渡渉キットを装備している。
海岸沿いの家は別荘だろうか。内陸の素朴な石積みの農家と違って瀟洒な造り。
November 27, 2025 at 9:12 PM
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1日1ミリ。1944年6月6日のノルマンディ。「ソードビーチ」に上陸して海岸沿いの街(Rue de Riva-Bella)に展開するイギリス第13/18王立騎兵連隊B中隊のシャーマンDD(水陸両用戦車)畳まれたキャンバス製のフローティングスクリーンと車体後部のスクリューが写る。まだ朝霧が残るのか木々が白く霞んでいる。小走りのイギリス兵の様子から戦場の緊迫感が伝わってくるが、写真の粒子の荒れ”フィルムグレイン”がその雰囲気を強調している。
前日までの荒天でわずかな天候の回復の時間を狙って行われた上陸作戦の様子がよくわかる。霧が濃く光量不足の中でシャッタースピードを上げて撮ったフィルムの質感だ。
November 26, 2025 at 9:53 PM
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1日1ミリ。1944年6月10日、ノルマンディのランヴィル付近で着陸に失敗したホルサグライダー。手前はイギリス第13/18王立騎兵連隊B中隊のシャーマンDD(上陸作戦用の水陸両用戦車)、上陸時に使ったキャンバス製のフローティングスクリーンを畳んで、予備履帯や土嚢を積んで装甲強化を図っているが、渡渉時には無駄に重量を増やしたくないだろうからこれは後で積んだものか。予備のスプロケットを機銃口の穴にかけて邪魔にならないようにしたのは悪くないアイディアだ。
シャーマンDDのベースはシャーマンIII(M4A2)だろうか、車体のディテールが隠れてしまって自分の知識での解読はこれが限界。
November 25, 2025 at 8:56 PM
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昨日の東京AFVの会で単品部門1位をいただいてしまいました。写真の雪道ベースとカボチャの兵士がアイキャッチになってますね。多くの人に見ていただけて、当日の朝ギリギリまで諦めずに作り込んだ甲斐がありました。ありがとうございます。
November 22, 2025 at 11:07 PM
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1日1ミリ。1944年7月10日、ノルマンディの要衝サン=ロー (Saint-Lô)付近にてドイツ軍の戦車隊(おそらく戦車教導師団)に砲撃を加えるアメリカ軍のM10駆逐戦車。
曇天なのか夕方なのか、光量が落ちた中で砲撃の瞬間を捉えるためにシャッタースピードを上げて撮影したものをフィルム現像の際に増感処理を行ったため、フィルムの粒子が荒れた感じに写真が仕上がっている。
モノクロフィルムの増感による「フィルムグレイン」がざらりとした戦場の臨場感を伝える。フラットな粒子が写真から物質感を奪い時間感覚を与える効果は、ロバート・キャパが写したノルマンディ上陸の有名な写真でも使われている。
November 20, 2025 at 9:32 PM
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1日1ミリ。1944年8月7日、ノルマンディーのサン=ロ付近に放置されたドイツ軍IV号戦車は戦車教導師団所属のIV号戦車514号車。H型(krupp車体)の後期生産型で車体側面、砲塔シュルツェンにツィメリットコーティングを施しているせいか砂塵が付着して迷彩塗装が判然としないもののノルマンディ戦でよく見られるオリーブグリーンとロトブラウンの細吹きパターンが確認できる。砲身はダークイエローではなくグレーの耐熱塗装の上から迷彩をかけている感じか。予備転輪のゴムの内側の鋼製建具リムは錆止めペイントのままのようだ。カラーフィルムだとそうした情報が見える。
November 19, 2025 at 9:38 PM
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1日1ミリ。1944年8月ノルマンディーのサン・ランベール・シュル・ディヴ(Saint-Lambert-sur-Dive )カナダ軍のサウスアルバータ連隊のシャーマンV(M4A4)は予備履帯と転輪を積んで昨日のカラー写真の車両とほぼ同仕様(履帯はラバータイプのT48)。ドイツ軍のIV号戦車は1-SS LSSAH師団のH後期型(Krupp車体)743号車。
どちらの車両も砲塔に火災の影響があるようで塗装が判然とはしないが、シャーマンのハッチ周りのオリーブドラブがIV号戦車の車体前面のダークイエローと同じ明度に見えるところだ。カラーフィルムと違って白黒ネガでは埃と塗料の光沢で明るく写る傾向がある。
November 18, 2025 at 9:38 PM
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1日1ミリ。1944年7月28日。第4カナダ機甲師団第29偵察連隊(サウス・アルバータ連隊)のシャーマンV(M4A4)のオリジナルのカラーフィルム。コダクロームの色調だ。
鋳造のドライバーフードのエッジ部分に塗料の光沢の反射が読み取れるが、車体の傾斜部分は白く砂埃をかぶっていて、これが白黒写真なら光沢なのか砂埃かは判然としなくなるだろう。3ピースの鋳造デフカバーの表面に製造時にディスクサンダーで均した切削痕が残っている。このデフカバーの辺りの塗装には光沢の反射が顕著ではないので、一見すると艶消しのようにも見えるが、履帯の金属の地肌も特に光って見えている訳ではないので、一概には判断できない。
November 17, 2025 at 8:59 PM
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1日1ミリ。第二次大戦当時、ドイツではアグファーのカラーフィルムが個人で普段使いできるほど普及していて、前線でも個人のカメラで撮影した写真にはカラーフィルムのものが多い。しかしこれをプリントするには(ポジペーパーが普及していなかったため)カラーポジを白黒ネガにデュープしたものからプリントした白黒写真が配られたという。
そうした経緯によるカラーポジと同一カットの白黒ネガの紙焼きを比較するとフィルムによる明暗の再現力がよくわかる。ハーフトラックのRAL7021で塗装された車体はカラーポジでは黒く沈んでいるが白黒ネガではラティチュードの広さにより明暗が平均化して明るめのグレーで拾われている。
November 16, 2025 at 9:18 PM
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1日1ミリ。滝口コレクションのカラーフィルムから。1941年夏のロシア戦線。II号戦車の砲塔後部に描かれる髑髏マークの第18装甲師団。中隊ごとに白、黄色、赤と変わる縁取りは黄色だろうか(白ではない)晴天下、車体の塗装(RAL7021 DunkelGrau)は黒に近い発色に落ちている。砲塔後ろのヘルメットはブラックグリーンであろうから、これも背景に合わせた露出の関係で相対的に暗めに落ちているから、実物よりは黒く写っていると考えた方がいいかもしれない。
遠景の畑の明るい部分は収穫前(or刈取り後)の麦畑だろうか。冬小麦は7−8月下旬が収穫期になるのでその頃になると麦畑は金色に変わる。
November 15, 2025 at 9:19 PM
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1日1ミリ。滝口氏のフィルムコレクションから。1940年6月、フランスに侵攻するドイツ軍 第5戦車連隊のII号戦車C型。砲塔周りは塗装の光沢による反射が読み取れる、砂埃で白くなったフェンダー。エンジンデッキに積まれた木箱の上の迷彩布はテントの設営に使うツェルトバーンだろうか。塗装が剥がれたアルミの飯盒、キャンバス地のザック。カラーフィルムだと色と素材の情報量は飛躍的に増える。
車体側面に描かれる国籍マーク(バルケンクロイツ)がアンテナケースがあるために分割して描くところまではよくある話なのだが、ケースの角度に沿って下半分が斜めに傾いて描かれてるのが、そうなってしまった感があってちょっと面白い。
November 14, 2025 at 8:19 PM
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1日1ミリ。滝口氏が公開しているアグファのカラー写真コレクションから。1939年ポーランド戦役の1号戦車B型。RAL7021(Dunel Grau/PanzerGrey/ジャーマングレー)は現在のRALではブラックグレーと呼び替えられているので分かるようにほとんど黒に近いグレー。これが屋外の強い光の下ではミディアムグレー程度の色で見えるはずなのだが、アグファのカラーフィルムに写るRAL7021は黒に近い発色を示す。モノクロのネガフィルムに比べてラティチュードの狭いカラーポジの場合、明るい背景に露出を合わせると明度の低いRAL7021は実際の見た目よりも黒く落ちてしまうことによるものだ。
November 13, 2025 at 8:51 PM
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スケールエフェクトとは縮尺が小さくなるにつれて色の明度を上げで塗る必要があるという理論なのだが、これはオカルトだと考えている。 どこを探しても明快な筋立てで説明できる人間がいない。 定量化の試みもないわけではないが、艦船モデルのような大きな構造物を離れて眺める時に空気に霞んで白っぽく見える話くらいにしか説明ができない。 ちょっと前を見てみればすぐ分かる話だ。10メートル先で微笑む友人が明るく見えたりするとこがあっただろうか?
November 13, 2025 at 5:08 AM
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1日1ミリ。ヒューゴ イェーガーのカラーフィルムから。1940年5月15日、オランダがドイツに降伏した日の撮影。ユトレヒト郊外のレイスオールト(Rijsoord)
ドイツ軍の戦車はIII号戦車E/F型。カラーフィルムなのでマフラーの熱サビの具合などよくわかる。車体の塗装はデュンケルグラウ(RAL7021)だが、完全な艶消しではなく3分ツヤ程度。砲塔後部の傾斜面と車体後部の傾斜が塗料の光沢で明るく見えている。これがモノクロ写真だと車体後部は光沢面と認識できずに「巻き上げた砂塵でバルケンクロイツが霞んでいる」というキャプションがつくのだろう。カラーだとRAL7021は黒に近いグレーに発色する。
November 11, 2025 at 9:29 PM
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1日1ミリ。引き続きヒューゴ・イェーガーの写真から。1940年5月、ベルギー国境付近ソール=ル=シャトーで放棄されたフランス軍のB1 bis。車体側面の装甲をよく見るとオリーブグリーンとブラウンの2色迷彩が施されていることが微かに分かる。塗料は完全な艶消しではなく三分ツヤくらいだろうか。ハッチの周りには反射があり、車体側面全体が色被りしているように見えるのは塗料の反射によるものだろう。光沢のあるマフラーカバーのエッジ部分のトーンと同じだから、そのくらいのツヤがあるということだ。

カラーポジは光によるトーンの変化を拾うので写真に写る色調の変化が大きく、色の濃淡と光の反射の違いを識別しやすい。
November 10, 2025 at 9:34 PM
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1日1ミリ。昨日のカラー写真と同じオチキスH38/39 no.40824のモノクロ写真があった。道路脇にスタックした状態で時系列的にはこちらが先だろう。横の空き地に移動させた後にカラーで撮影している。
天候が違うので単純な比較はできないものの、モノクロネガフィルムのラティチュードの広さがわかる。カラーポジフィルムのように反射の強い部分が白トビせず、砲塔防盾のバッスル上面の塗装の光沢も明るい色調の中にディテールを失うことなく描写されている。砲塔のエッジの反射もグレートーンに収まっている。
AFVモデリングで支配的な「艶消し塗装」がモノクロフィルムの描写に習慣づけられたものだということに気がつく。
November 9, 2025 at 9:38 PM
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1日1ミリ。ドイツ人写真家ヒューゴ・イェーガー(Hugo Jaeger)が撮影したカラー写真。
1940年5月、フランス北部のアルデンヌ地方だろうか。オチキスH39を写したアグファのカラーポジフィルムには塗装の光沢が捉えられているが、これはカラーフィルムが記録する質感だと思う。モノクロで撮影してもこのようには光沢が写らない。ラティチュードが広いモノクロネガフィルムには明るい部分も白飛びせずにそこそこのディテールが写せる。

写真を読む意識も注意が必要だ。カラーの白トビは「反射」と認識するように習慣づけられているが、モノクロでは同じ部分も「塗装の褪色かうっすら砂埃を被った」と読み取ってしまう。
November 8, 2025 at 9:53 PM
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1日1ミリ。ドイツのノルウェイ進駐に対抗して送られた連合軍のオチキス軽戦車。イギリス兵と会話するフランス兵とポーランド軍(独立ポドハランライフル旅団)兵士。
オチキス戦車は単砲身の21口径37mm砲SA-18のH38型(タミヤのキットは長砲身33口径SA38のH39型)

フィヨルドの小さな船着場なのだろうか。水辺に続く道に並ぶ丸太小屋の屋根に草が生えている。これはノルウェイでは一般的なものだという。
写真:IWM( N 229)
November 7, 2025 at 9:12 PM
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1日1ミリ。1940年5月のフランス北部の街だろうか。放置されたフランス軍軽戦車、左はルノーR35、右はオチキスH39。フランス軍の軽戦車は2台一組で行動することが多かったのか、こうした写真をよく目にするのだが、ルノーとオチキスのバディは珍しい。迷彩パターンも全く違うことから、残存部隊で車両を寄せ集めた臨時編成なのかもしれない。
奥の建物は塗り壁に窓を白く縁どるフランスの田舎でよく見かけるスタイル。3軒それぞれ似ているようで窓周りの意匠のルールが微妙に違ってたりの三者三様で面白い。
街路の縁石はオチキス戦車の辺りに排水の溝蓋があるのか、そこに向かって路面に勾配がつけられ、雨水に濡れている。
November 6, 2025 at 9:35 PM
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1日1ミリ。1944年8月のパリ解放。17区のサントゥアン(Saint-Ouen)で自由フランス軍(FFl)に鹵獲されたドイツ軍の工兵用装甲車:Pionier Panzerwagen auf SPW S307(f)。元はフランス軍のソミュアMGCハーフトラックを1940年に接収してアルフレート・ベッカー少佐がパリの改造工場で装甲車に仕立てたもので、その多くはノルマンディ戦に投入されている。
ベッカーの改造車両のうち小数は工場に残されていたのかパリ解放時の写真でも時々見かける。左の建物にはロレーヌ十字の旗。その隣の店はレストランであろうか。そんなに繁盛はしなかったのか現在は青果店に変わっている。
November 5, 2025 at 9:17 PM
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1日1ミリ。1945年8月、パリ市内を牽引されるドイツ軍の火炎放射戦車 Pz.Kpfw.B2 (f) ( Bis 740 (f))。フランスのChar B1-bisを1940年にドイツ軍が鹵獲して火炎放射形に改造したもので後部に大きな装甲燃料タンクを装備している。
牽引する車両には自由フランス軍(Forces Françaises Libre,FFL)のロレーヌ十字が描かれている。ジャンヌ・ダルクの象徴でもあり、アルザス・ロレーヌがドイツに併合された時代にも国土回復のシンボルだった。フランス開放に参加した自由フランス軍兵士の多くは海外の植民地出身で1944年までパリを見たことのなかったという。
November 4, 2025 at 8:29 PM