イカノボシ
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AFV模型/M4シャーマン戦車 Posfie https://posfie.com/@ikanoboshi https://m4sherman.ari-jigoku.com/index.htm
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1日1ミリ。Bundesarchiv_Bild 101I-420-2033-24
1943年3月、チュニジアのエル・ジェム(El Jem)に残るローマ属州時代の円形闘技場(3世紀頃)の遺跡。ローマ時代の闘技場の遺跡は各地に残るが、エル・ジェムのものは収容人員35,000人とローマのコロセウム(45,000人)に次ぐ大きさ。オリーブの栽培と交易で栄えたという。
PKカメラマンがフレームの端に引っ掛けて撮ったティーガーIは第504重戦車大隊の724号車。砲身には6本のキルマーク、マズルブレーキのカバーは砲身の形にぴったぴたの縫製。フェルト地なのだろうか。
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前記の冊子はALCOが大戦後間もない時期に発行したもののようです。面白いのはM36のことを「スラッガー」と呼んでいることです。この愛称はアバディーンでも使用されています。

当時のALCOの状況も窺えます。同社のスケネクタディ工場は1943年12月にM4コンポジットの生産を終了したため、本業の機関車生産への転換を進めていたところへ急遽、M36への改修作業(413輌)を要請されたということのようです。それを1944年末に完了すると、機関車生産に再転換。さらに1945年5月から大戦終結までの間にM36B2への改修作業(672輌)を行うという目まぐるしい動きをしています。
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1枚目は1983年にアバディーン試験場で撮影されたM36です。当時の看板(2枚目)には「GUN CARRIER SLUGGER M36 1943」と記載されています。

「スラッガー」という愛称はアバディーンの兵器学校が発行した『The Ordnance Sergeant Feb.1945』にも記されており、「ジャクソン」同様、大戦中に付けられた愛称であることが確認出来ます(3枚目)。しかも「今後益々広く使用されるだろう」とまで予言されています。

「スラッガー」は野球の強打者、所謂大砲を意味する用語で、M36に似つかわしい気はしますが、残念ながら執筆者の期待ほどには定着しなかったようです。
https://preservedtanks.com/Profile.aspx?UniqueID=743
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実際、ALCOは「スラッガー」の生産が完了し、スペースが空くとすぐに機関車生産に再転換した。そして1944年末にはM36のさらに大規模な改修計画を請け負うこととなる——だがそれはまた別の話である。

『American Locomotive Went to War』より
usautoindustryworldwartwo.com/alco.htm
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米英の戦車対ナチスのタイガー戦車の戦いが始まった。「スラッガー」が必要だった!

ALCOは「スラッガー」をクリスマス・イブまでに生産するだけでなく、大規模な機関車計画を完遂するという任務も請け負った。

1944年12月は連合軍にとって長く記憶に残る月となった。それはフォン・ルントシュテットが攻勢を仕掛けた、ドイツ軍の大反撃の月だった。それは天下分け目の「バルジ」の月だった。そしてALCOが最後の「スラッガー」を納品した月でもあった―—期日通りに。

写真はALCO製M36 1944年12月生産車
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「ナチスのタイガー戦車を手懐ける猛獣使い」

欧州でD-デイが過ぎた頃、ALCOは戦時下で最も困難な任務の一つを請け負った―—数百輌のM10A1戦車駆逐車を、米軍最強のタンクキラーへと大急ぎで改修する作業である。

この任務、すなわちM36戦車駆逐車(戦車兵達は「スラッガー」と呼んだ)の生産は1944年半ばに割り込んできた。当時、ALCOは政府の要請を受け、既に設備を転換し、戦時下で急務だった機関車の生産に大きく乗り出していた。連合軍は既にフランス沿岸に上陸していた。サン=ロー突破は目前に迫っていた。ジークフリート線への進撃が迫っていた。
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ライマ・ロコモーティブ製M4A1。
後部ライトガードは3本の板材を組んだライマ特有の仕様。左フェンダー上のサイレンは大径のマーズ型(メッシュ型)。フィッシャーがM4A2やM10で使用したタイプですが、M4A1ではライマのみに見られます。砲塔は側面にシリアル番号が鋳込まれたユニオン・スチール・キャスティング製。M4A1ではライマとプレスド・スチール・カーが共に使用。砂煙で隠れていますが、車体後面下端部は角が丸くなっている筈です。
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1日1ミリ。1943年4月のチュニジア。アメリカ軍のシャーマンは鋳造車体のM4A1。ドライバーズハッチのバイザーがペリスコープ式に変わった中期型だろうか。同時期に写されたフィルムから推測してデフカバーはボルトジョイントの3ピース型のタイプだろう。
塗装は砂漠用のサンドカラーが間に合わずオリーブドラブのままだが、巻き上げた砂塵で迷彩のようになっている。

Eiiot ElisofonがLIFE誌の依頼で撮影したコダクロームのオリジナルカラー。アメリカ軍では第二次大戦時の公式写真はモノクロ保存としていたが、LIFE誌など民間の報道写真では当時普及していたコダクロームのカラー写真が多数残されている。
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M36への改修作業のため、マッセイ・ハリスのラシーン工場に鉄道輸送されたM10A1。写真の6輌はいずれも車体と砲塔の側面にボスが付いており、砲塔後部に楔形のカウンターウェイトを装備していることから、フォード製M10A1であることが判ります。

ラシーン工場でのM10A1やM36の写真は数枚が公開されています。撮影時期は不明ですが、被写体の車輛の大部分はフォード製車体のようです。新しいフィッシャー製M10A1は早期に同社製T71/M36やライマ戦車補給廠でのM35への改修に回されたため、マッセイ・ハリスやALCOに供給されたM10A1は中古のフォード製車体が多数を占めていたものと推察します。
https://masseycollectors.com/CMSPages/GetForumAttachment.aspx?fileguid=92ca676b-8f52-41db-890a-ede4c8a5f606
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フィッシャー製T71/M36(同社製M10A1ベース)。戦訓からの様々な現地改修が加えられています。T51履帯に拡張エンドコネクター、砲塔上部に屋根、車体前面に増加装甲を設置。M2重機関銃の砲塔左前部への移設もM36で広範に実施された改造。
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こんにちは!この写真を見つけました。
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M36のシリアル番号は以下のように割り当てられています。

1~300:フィッシャー (1944年4月~7月)
301~600:マッセイ・ハリス (1944年6月~11月)
601~787:フィッシャー M36B1 (1944年10月~12月)
788~987:マッセイ・ハリス (1944年11月~12月)
988~1400:ALCO (1944年10月~12月)
2073~2272:モントリオール・ロコモーティブ (1945年5月~7月)

シリアル番号は下記サイトを参照。
usautoindustryworldwartwo.com/Serial%20Num...
M10-M10A1-M36 Tank Destroyer Production Records
usautoindustryworldwartwo.com
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600輌目以降のM36には、マズルブレーキ装着に必要な改良型の平衡装置、俯仰機構、砲架トラベルロックの3点全てが備わっていたとする一方で、ネジ切り加工が施された砲身の導入時期については言及されていません。

写真は1944年9月にフランスに到着した最初の40輌のM36の一部とされています(同10月の訓練時の撮影)。主砲は先端まで同径のネジ山保護リング付き砲身です。時期や車体の仕様から、1944年4月~7月にフィッシャーで改修されたT71/M36から抽出された車輛と推察します。つまり初期の300輌の段階で、一部の砲身にはマズルブレーキ装着に対応したネジ切り加工が施されていたことを示唆しています。
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M36のマズルブレーキに関して、ハニカット氏の『SHERMAN』には以下のように記述されています。

「マズルブレーキの追加には、新型の平衡装置、強化された俯仰機構、より頑丈な砲架トラベルロックが必要となった。最初の600輌以降にはこれら3点全てが装備されたが、最初の1400輌の砲架にはマズルブレーキが装備されていなかったため、平衡装置は接続されなかった。ただし、最初の600輌以降の車輌には必要な装備が全て備わっていたため、前線でマズルブレーキを後付けすることは可能であった。しかし、実際には膨大な工数が必要となるため実施されなかった」
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デフモデルのタミヤ M36用金属砲身3種類。

「初期型」はストレート砲身。主にフィッシャー製T71/M36(同社製M10A1ベース)が装備。フォード製M10A1ベースのT71試作車も使用。

「中期型1」は先端まで同径のネジ山保護リング付き砲身。フィッシャー製M10A1ベースのM36とフォード製M10A1ベースのM36が装備。

「中期型2」は先端の径が小さいネジ山保護リング付き砲身(恐らく「1」を軽量化した改良型)。主にフォード製M10A1ベースのM36とフィッシャー製M36B1が装備。フィッシャー製M10A1ベースのM36(マッセイ・ハリス又はALCOで改修された個体)でも使用例有り。
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M36系の制式な装甲屋根は上部ドアが前方に向けて開きますが、映像のM36B1の屋根は後方に向けて開いています。又、前方や側方の庇が無い簡素な構造で、左前部に機銃を追加しているため、その部分は覆われていないようです。

大戦中のM36は1944年12月生産車でも未だ屋根が付いていないので、制式な装甲屋根は1945年5月以降に生産されたM36/M36B2から(E9仕様のスペースドVVSSやマズルブレーキと共に)導入されたようです。それ以前に生産されたE9仕様では無いM36やM36B1にも設置されている例が有りますが、それらは恐らく大戦後に後付けされたものと推察します。
https://flic.kr/s/aHsmkCdPhJ
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1日1ミリ。1942年5月。LRDG(R-パトロール隊)のティータイム。ニュージーランドはイギリスの植民地であったことから紅茶文化があり、ニュージーランド英語で”tea”は軽食を伴うお茶の時間という意味があるそうだ。
10時半のモーニングティー休憩だろうか。Chevrolet 1533X2のテールゲートが即席の食卓となりイギリス軍と同じ白いホーローカップが隊員の人数分並んで紅茶が淹れられる。背後にちらりと見える焼けこげた4ガロン缶(一斗缶)をストーブにしてお湯を沸かしたのだろう。
写真:IWM (E 12406)
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第654戦車駆逐大隊所属のM36B1。1945年、ドイツ・テューリンゲン州タンバッハで撮影された米軍の記録映像。

登録番号40190913、フィッシャー製1944年10月生産車。全187輌中、14輌目に当たります。主砲にはハット型とも呼ばれる先端の径が小さくなったネジ山保護リング付き。M36では先端の径が異なる2種類のネジ山保護リングが確認出来ますが、M36B1は生産開始当初からハット型を装備していたようです。砲塔上部には現地製作らしき屋根が追加されています。防盾の照準孔の上には(同部隊のM36B1の有名な個体でも見られる)ハーケンクロイツのキルマークが5枚貼り付けられています。
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アバディーン試験場でのT71。車体側面に書かれた数字が「395」と読めるので、登録番号40177395、フィッシャー製1944年5月生産車と推察。側面ボスが廃止された車体、円筒型の前照灯ソケット、垂直に設置された前照灯プラグホルダー、大径のマーズ型サイレン、車体前面右上部に設置されたアンテナブラケットといったフィッシャー製T71/M36の特徴がよく判ります。

この個体のリターンローラーアームは水平型と斜め持ち上げ型が混在しています。元のM10A1車体は1944年1月にフィッシャーでT71用として(砲塔無しで)生産されているので、恐らくその頃に斜め持ち上げ型アームが導入されたものと推察します。
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1日1ミリ。1941年1月。アフリカのリビア砂漠にて自由フランス軍の兵士との記念撮影するLRDG(Long Range Desert Group)の隊員。
LRDGは砂漠地帯の長距離パトロールと諜報を任務として、当初は一部の将校を除き100%ニュージーランド人で構成されていた。肉体的な強靭さと人里離れた場所での孤独にも強い資質がニュージーランドの農民(牧畜?)にあるとして中東に展開していた第2ニュージーランド師団から隊員の志願を募った。後のトラックは砂漠迷彩を施し、サンドチャンネルをカーゴに積んだシボレーWB(30CWT)
写真:ニュージーランド国立図書館アーカイブno.DA-00877-F
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『The Pacific』に登場したM4A2のレプリカに似ている気がするので、製造元が同じなのかも知れませんね。M4A2(76)W VVSSはソ連軍のみに供与されたので、10年ほど前にバレンツ海から引き揚げられた車輛以外は現存が確認されていない状態です。
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デフカバーが変な形ですし、車体下部がリベット接合になっているのも奇妙です。VVSSも妙に腰高。実車では無く、レプリカですね。
youtu.be/d3tWFDCz3TY
Sherman on a Full Monty, that’s a first. The September Full Monty Day
YouTube video by Tanks-alot
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1日1ミリ。モンテ・カッシーノ修道院の廃墟に立ちつくす聖ベネディクトゥス。
1943年、イタリアのサレルノに上陸した連合軍に対してドイツ軍はローマの南方を防御する要塞線をカッシーノ周辺に配置する。カッシーノの街を見下ろす丘の頂上には中世以来の修道院があり、険しい斜面と城壁がさながら天然の要害となっていたため、連合軍はここがドイツ軍に利用されることを懸念した。偵察機から修道院の中庭にドイツ軍の制服が干してあるのが見えたという情報もあり、(実際にはドイツ兵士はいなかったのだが)遅かれ早かれ修道院の建物はドイツ軍が占拠して麓の街の監視や砲撃に使用される恐れがあるとして、未然に破壊することに踏み切る。
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同じ場所での写真。手前のM36はフィッシャー製M10A1からの改修車。2番目はM36B1。3番目と4番目のM36はフォード製M10A1からの改修車(起動輪もフォード型?)。履帯は鋼製のT54E1が主体で、4番目のM36のみ平坦ラバーのT51を装着しています。
https://flic.kr/p/fqrXoD https://flic.kr/p/fqGd2f
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第771戦車駆逐大隊所属のM36B1。1945年、ドイツ・バイエルン州オルテンブルクのマルクト広場で撮影。

M36B1の記録写真は少なく、戦地に送られた車輛で登録番号が読み取れるものはかなり貴重だと思います。登録番号40190927、フィッシャー製1944年10月生産車。全187輌中、28番目に当たる初期生産車。履帯は拡張エンドコネクター付きで、転輪は大径ハブの溶接スポーク型(クローズドスポーク型)。同時期のフィッシャー製シャーマンで、大径ハブのディッシュ型と共に一般的に使用された転輪です。前から5番目の転輪は小径ハブのプレススポーク型に交換されているようです。
https://www.flickr.com/photos/scdike/9465654399/
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塗装図では直視バイザー付き車体になっていますが、ALCOはM4A2からM4へ生産を移行した際に直視バイザーを廃止したようです。C-14はタミヤM4のマーキング例にもなっている個体ですね。
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ALCO製M4の初期生産車。
車体上部後端が傾斜しており、エアクリーナーは円筒型。車体後部吊り上げリングはパッド付きの鋳造品。プルマン製M4も後端が傾斜した車体ですが、エアクリーナーは角型で、初期生産車で既にパッドの無い吊り上げリングを使用しています。砲塔はALCOで一般的に使用したゼネラル・スチール・キャスティング・エディストーン工場製で、ピストルポートの右下に「D50878 [GSCのロゴ] E」と鋳込まれています。同仕様の砲塔がフォート・ベニングに現存するALCO製M4 1943年4月生産車に搭載されています。
https://flic.kr/s/aHskGKV3PV