ミカンセーキ
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futagawakasara.bsky.social
昔作ろうとしたWWⅡ英軍ミリタリーカラーマグカップと自作の色見本。pixivファクトリーの印刷品質がサンプル見たら大分厳しかったのと印刷での色の再現も調整しんどそうだったので頓挫してしまった。デザートピンクとか一部色だけでも再チャレンジしたい。
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501戦車大隊の111号車だったらラクダも1/35キットになったのに。ウチワサボテンはドラゴンがDS素材で出してたかな?
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ぜんぜん違いが分かりません!この辺りの見極めにはやはりNuts-Bolt Vol.39が必要でしょうか。
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tazvlasov.bsky.social
おはようございます。
雨模様の水曜日の朝となりました。
画像の車両はSd.kfz.6 5t ハーフトラック。
様々な会社が生産していますが、この画像のモノは、特徴ある前輪フェンダーの構造からBüssing-NAG社製の1936年生産タイプと思われます。
車体後部に弾薬収納ドアが見えますので、le.FH.18榴弾砲等の砲牽引用ですね。
因みに、乗車席の多い3枚目、4枚目は兵員輸送タイプです。
1tから18tまで似たような形状のハーフトラックを製造していたドイツ軍ですが、同じt数のモノでも、生産メーカーによって更にディテールが異なってます。
この辺りの見分け・区別は時々厄介な時がありますね。
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エル・ジェムでの724号車の一連のカットでこちらの方が写真集などでよく知られている。この車両は元は第501重戦車大隊112号車で3月に504大隊に統合された際に724にナンバーを書き換えらている。1943年11月にチュニジアに送られた極初期型で縞鋼板の簡易的なフロントフェンダーと移設された前照灯の簡易ブラケットなど典型的なアフリカティーガーの仕様。砲塔の防盾左側に被弾痕を補修した跡が残る歴戦車両。
塗装色はおそらくRAL8000(tropen1)だが、砲身スリーブは明るいRAL8020(tropen2)か?
Bundesarchiv_Bild 101I-420-2033-21/-20/-23
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1日1ミリ。Bundesarchiv_Bild 101I-420-2033-24
1943年3月、チュニジアのエル・ジェム(El Jem)に残るローマ属州時代の円形闘技場(3世紀頃)の遺跡。ローマ時代の闘技場の遺跡は各地に残るが、エル・ジェムのものは収容人員35,000人とローマのコロセウム(45,000人)に次ぐ大きさ。オリーブの栽培と交易で栄えたという。
PKカメラマンがフレームの端に引っ掛けて撮ったティーガーIは第504重戦車大隊の724号車。砲身には6本のキルマーク、マズルブレーキのカバーは砲身の形にぴったぴたの縫製。フェルト地なのだろうか。
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ikanoboshi.bsky.social
前記の冊子はALCOが大戦後間もない時期に発行したもののようです。面白いのはM36のことを「スラッガー」と呼んでいることです。この愛称はアバディーンでも使用されています。

当時のALCOの状況も窺えます。同社のスケネクタディ工場は1943年12月にM4コンポジットの生産を終了したため、本業の機関車生産への転換を進めていたところへ急遽、M36への改修作業(413輌)を要請されたということのようです。それを1944年末に完了すると、機関車生産に再転換。さらに1945年5月から大戦終結までの間にM36B2への改修作業(672輌)を行うという目まぐるしい動きをしています。
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1枚目は1983年にアバディーン試験場で撮影されたM36です。当時の看板(2枚目)には「GUN CARRIER SLUGGER M36 1943」と記載されています。

「スラッガー」という愛称はアバディーンの兵器学校が発行した『The Ordnance Sergeant Feb.1945』にも記されており、「ジャクソン」同様、大戦中に付けられた愛称であることが確認出来ます(3枚目)。しかも「今後益々広く使用されるだろう」とまで予言されています。

「スラッガー」は野球の強打者、所謂大砲を意味する用語で、M36に似つかわしい気はしますが、残念ながら執筆者の期待ほどには定着しなかったようです。
https://preservedtanks.com/Profile.aspx?UniqueID=743
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ikanoboshi.bsky.social
「ナチスのタイガー戦車を手懐ける猛獣使い」

欧州でD-デイが過ぎた頃、ALCOは戦時下で最も困難な任務の一つを請け負った―—数百輌のM10A1戦車駆逐車を、米軍最強のタンクキラーへと大急ぎで改修する作業である。

この任務、すなわちM36戦車駆逐車(戦車兵達は「スラッガー」と呼んだ)の生産は1944年半ばに割り込んできた。当時、ALCOは政府の要請を受け、既に設備を転換し、戦時下で急務だった機関車の生産に大きく乗り出していた。連合軍は既にフランス沿岸に上陸していた。サン=ロー突破は目前に迫っていた。ジークフリート線への進撃が迫っていた。
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わかるな。自分の耳は音像定位ができないので地下鉄のようにあらゆる方向からトンネルの通過音が跳ねてくる環境は苦手だ。ノイキャンイヤホンで救われた。
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たしかこの辺りの歩道に段差があって結婚届を出そうとしてたらカミさんが歩道に足を取られて結婚初日からつまずいてしまって大変でしたよあの頃は、江戸川区役所前。
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チュニジアのM4A1のカラー写真、一連のカット(同一車両と限りませんが)車体後面下端部は角が丸くなってました。
inchhighguy.wordpress.com/2023/03/15/n...
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ikanoboshi.bsky.social
ライマ・ロコモーティブ製M4A1。
後部ライトガードは3本の板材を組んだライマ特有の仕様。左フェンダー上のサイレンは大径のマーズ型(メッシュ型)。フィッシャーがM4A2やM10で使用したタイプですが、M4A1ではライマのみに見られます。砲塔は側面にシリアル番号が鋳込まれたユニオン・スチール・キャスティング製。M4A1ではライマとプレスド・スチール・カーが共に使用。砂煙で隠れていますが、車体後面下端部は角が丸くなっている筈です。
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1日1ミリ。1943年4月のチュニジア。アメリカ軍のシャーマンは鋳造車体のM4A1。ドライバーズハッチのバイザーがペリスコープ式に変わった中期型だろうか。同時期に写されたフィルムから推測してデフカバーはボルトジョイントの3ピース型のタイプだろう。
塗装は砂漠用のサンドカラーが間に合わずオリーブドラブのままだが、巻き上げた砂塵で迷彩のようになっている。

Eiiot ElisofonがLIFE誌の依頼で撮影したコダクロームのオリジナルカラー。アメリカ軍では第二次大戦時の公式写真はモノクロ保存としていたが、LIFE誌など民間の報道写真では当時普及していたコダクロームのカラー写真が多数残されている。
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苫小牧は紙の街だったのか。
紙街ダイアリー
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夢の中に亀戸のリリカル・カテドラルが出てくる現象は密かに広がっているかもしれない
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tire44.bsky.social
夢の中の亀戸にそびえ立っていた、リリカル・カテドラルとかいう大聖堂。
起きてから一応調べたけど実在しなくてホッとしている。
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あざーす。これを知ってればもう大丈夫👌
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おはようございます。250/9のミスタイプではないかしら?タミヤのキットでの有名さに比べて意外に写真が少なく貴重なショットです。2cm機関砲塔は威力偵察用に38tシャーシにも載っけたり、sdkfz234でも用意してるから需要は高かったのでしょうね。
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M36への改修作業のため、マッセイ・ハリスのラシーン工場に鉄道輸送されたM10A1。写真の6輌はいずれも車体と砲塔の側面にボスが付いており、砲塔後部に楔形のカウンターウェイトを装備していることから、フォード製M10A1であることが判ります。

ラシーン工場でのM10A1やM36の写真は数枚が公開されています。撮影時期は不明ですが、被写体の車輛の大部分はフォード製車体のようです。新しいフィッシャー製M10A1は早期に同社製T71/M36やライマ戦車補給廠でのM35への改修に回されたため、マッセイ・ハリスやALCOに供給されたM10A1は中古のフォード製車体が多数を占めていたものと推察します。
https://masseycollectors.com/CMSPages/GetForumAttachment.aspx?fileguid=92ca676b-8f52-41db-890a-ede4c8a5f606
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Fordの刻印がある! うーむ。Ford GPWとWillys MBの違いがわからな〜い
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633mosquito.bsky.social
ジープはリアパネルに「Ford」の文字がプレスされたGPW
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チュニジアの首都チュニスの城壁と門。奥に見えるサンドカラーのトラックはフォードだろうか? 
旧市街はローマの属州に始まりイスラムの都として繁栄、14世紀に遡る古い街並みが今に残る。(現在は城壁が取り壊されている)

取材陣が乗るサンドカラーのジープの脇を通り過ぎるOD色のM3ハーフトラックとM 4A1(デフカバーはワンピース型)
沿岸部は地中海性気候で比較的温暖。冬場の雨季は平均気温15度、月降雨量は50mm程度であるため、チュニジアで戦闘が行われた11月〜5月頃はいわゆる砂漠のイメージとは違って草地が広がる。アメリカ軍の戦車隊の塗装がオリーブドラブでもさほど支障がなさそうに見える。
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1日1ミリ。1943年4月のチュニジア。アメリカ軍のシャーマンは鋳造車体のM4A1。ドライバーズハッチのバイザーがペリスコープ式に変わった中期型だろうか。同時期に写されたフィルムから推測してデフカバーはボルトジョイントの3ピース型のタイプだろう。
塗装は砂漠用のサンドカラーが間に合わずオリーブドラブのままだが、巻き上げた砂塵で迷彩のようになっている。

Eiiot ElisofonがLIFE誌の依頼で撮影したコダクロームのオリジナルカラー。アメリカ軍では第二次大戦時の公式写真はモノクロ保存としていたが、LIFE誌など民間の報道写真では当時普及していたコダクロームのカラー写真が多数残されている。
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藤田嗣治『ハルハ河畔の戦闘』の部分。日本兵がよじ登る戦車はソ連軍のBT-5。第一転輪のハブの形が他の転輪と違うものを使っている特徴をきちんと描いている。かなり正確で記録写真など参照して描いているのがわかる。砲塔の上部は曖昧で97式中戦車の砲塔のようでもあり実物を写生していたらこうはならない。横長の画面は記録写真のようなライブ感と異時同図法的な絵巻物語の空間が共存している。