なつき
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ミリタリーヒストリーブロガー なつき戦史室 https://hikasuke333.blog.fc2.com/ なつき戦史室別館 https://ci-en.net/creator/9687 なつき製作所 https://hikasuke.booth.pm/ 『近世近代騎兵合同誌』よろしく
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明治42年の偕行社記事の論説が兵士への温食提供のための課題を炊具の運搬と編制だとしているのが興味深いと思います(14f.)

現行の炊具は駄載式で中隊ごとに分進できる編制ではないため温かいうちに提供し難いとし、炊事車の導入を提唱しているのですが、車数・行軍長径が問題だと指摘しています。

ドイツ軍は歩兵大隊に4輌の割合で戦闘行李に炊事車を付しているが、主食がパンのため炊爨は副食のみであり、複馬曳きの大型車輌なので車数を減らせるからだと分析しています。
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【本日発売】私たちの周りには確率の言葉があふれており、自然と社会の多くの問題がこの言葉で語られます。私が結婚できる確率は? ギャンブルで勝つ方法は? ツキは存在するの?──日常に潜むさまざまな確率の問いはどれも興味深く、それと同時に悩ましいものです。いまだ新しく十分に理解されていない確率という概念の意味と考え方を探究します。

原啓介『確率は悩ましい──日常身辺の確率的諸問題』☞ iwnm.jp/029738
山田尊也「スパイダーウェブ作戦の衝撃 ―現代戦におけるイノベーションと国際法秩序」
www.mod.go.jp/asdf/meguro/...

空自幹校航空研究センターの二等空佐が、ウクライナが行ったドローン作戦について解説している。時間が取れないのでとりあえず紹介だけ。
航空自衛隊幹部学校航空研究センター | JASI JASDF Air & Space Studies Institute
www.mod.go.jp
クレフェルト『戦闘力』が意外と面白かった。結論以外はデータと制度、事例なので、検証は難しいがあっさり読めてしまう。
これを読んだあと田中新一のフーコン作戦回想録を読んでると、ビルマ進攻作戦のあとの18師団は精神的に緩んでいたが自活自戦(主に食料確保)に忙しかったと書かれていた。こんなことをしていたら完全な休養もできない。再訓練の時間もなかなかないだろうなと思った。
日中戦争の本を数冊読んで
hikasuke333.blog.fc2.com/blog-entry-431…

ブログ記事更新しました。
今井武夫『近代の戦争 中国との戦い』
藤井元博「日中戦争拡大期における中国国民政府の戦争指導――武漢戦前後を中心に」
久米滋三『中支戦線を往く ある中隊長の手記』
の感想です。
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ミリタリーヒストリーブログ
https://hikasuke333.blog.fc2.com/blog-entry-431…
最近は田中新一回想録をずっと読んでいました。「陸上自衛隊2040」も熟読したいがまだだ
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以前に、twitterで少し話題にのぼった「1814年戦役で、セザンヌを経由する街道はなぜほとんど使用されなかったのか?」というお話について、論文に解答が載っていた話。Twitterで挙げていたので、こちらにも。

簡単に言えば、未完成だったから。

1789年の道路網の再現地図を見ると、破線表記で、その意味は開通および未完成(ouvertes et ébauchées)の表記になっている。
論文の方を読むと、詳しい解説が載っている。

x.com/DSSSM00/stat...
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わあ、我が魂の名著が文庫で復刊! この本がなければ『大砲とスタンプ』はありません。二ヶ月連続刊行だそうで、ということは続編『海軍めしたき総決算』も出るのでしょうか。みんな買いましょう。マスト買いましょう。ほんまに面白いんですよ。
www.chuko.co.jp/bunko/2025/0...
海軍めしたき物語 -高橋孟 著|中公文庫|中央公論新社
www.chuko.co.jp
戦史叢書のインパール作戦、史料が足りないと著者の回想で補ったりしてて、ディマプル突進問題も牟田口将軍以外に言及するものがいないので自分の記憶で補っているように見える(川辺日記はまだ翻刻されていなかったはず
宮崎繫三郎の収容所時代の回想録によれば、師団命令によって138連隊を指揮下に置いたあと「デマプールに向い急追を命令した」とある。138連隊は行動を起こすの遅いし、本道を行けというのに迂回したのですぐに前進停滞したと不満。

一方、防研の依頼で書いたと思われる回想録には、4月10日138連隊を併せ指揮してコヒマ周辺の敵を撃滅すべしと師団命令が来たから「メレマよりズブサへ向かい攻撃前進すべき」と138連隊に命令したとある。
“本道を行け”は削除されている。

宮崎将軍の回想録は話を膨らましてるものがあるので注意がいるが、もしやディマプル突進しようとしてたのか疑問がわく。
防研に行けば複写できますよ。スマホで撮ってもいい史料もあります
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四月二十日前後に日本軍の方が占領をあきらめて交代したほどであったこと。
第二に、ディマプールの危機を知ったスリム中将は、急いで英第二師団を四月五日までに送り込み(引用者注:ディマプール進攻命令は4月7日)、さらにアキャブ戦線の第五、第七師団から抜いた二個旅団を大砲、ロバもとろもに、ダコタ機の空輸でディマプールへ増援し、四月中旬までに配備を終っていた。
第三一師団はディマプールまで七〇キロの山道を三日で踏破する予定であったが、前進しても途中で二倍以上にのぼる新鋭の英印軍と遭遇し、コヒマ三叉路にのこる守備隊と挟撃されて敗退したのではなかろうか。」
「実録太平洋戦争 六大決戦なぜ日本は敗れたか」
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秦郁彦先生のディマプール進攻問題総括が大変わかりやすかったので、貼っておく
「(引用者注:バーカー中佐との通信を根拠として、ディマプールに進攻していれば勝てたとする牟田口の弁明は)
果たしてそうだったのだろうか。日、英両軍の記録を慎重に比較検討して見ると、ひいき目に見ても牟田口将軍の(引用者注:ディマプール進攻)戦略には成功の見こみはなかった、と判定するのが妥当であろう。第一に、コヒマ占領と言っても、それは旧市街だけにすぎず、英印軍が主陣地を構築していたディマプール=インパール道三叉路西南の高地一帯は、宮崎支隊の猛攻にもかかわらず、最後まで陥落せず、(続)
10月の軍事史学会の例会で、

・藤井元博(防衛省防衛研究所)
「戦争終末期の支那派遣軍―1号作戦以降における軍事態勢と作戦―」

があり、非常に行きたい。
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戦略次元や戦術次元の話が盛り上がっていたので、本棚にあった中村好寿『「作戦」とは何か』を再読した。戦争の階層構造については分かりやすく纏まっているように思うが、自分が詳しい時代については頭抱える内容なので、改めて本当にこの理解で正しいのか分からくなった。
古い時代には作戦次元の考えがないよということを、しっかり説明しているので、その点は良いのですが、近世ヨーロッパ戦史の理解がガバガバで18世紀の戦争を「“一つ”の決定的な戦闘だけで戦争の雌雄を決するため、作戦という用語は不要であった」なんて断言してくれるので、それ以外の理解にも疑義が生じてしまう。
さて、どうなんでしょう?
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アンブロージオ・スピノラによる1605年の遠征は、『La pacificación de Flandes Spínola y las campañas de Frisia』にオランダードイツ間の連絡を遮断してオランダに経済的な圧迫を与えることが戦略的な目標で、このために複数の都市の攻囲と駐屯が計画されていたとかかれていた記憶がある
この遠征構想を地図化しようと思って忘れてた
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Twitterで呟いたナポレオンのロシア遠征で使われた牛車については、この論文がお勧めです。ロシア遠征における輜重隊のお話がコンパクトに纏まっていて面白いです。
www.persee.fr/doc/rharm_00...
Le Train des équipages militaires en Russie : Une épreuve et un espoir - Persée
www.persee.fr
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このジャンル(?)、発展させられればかなり面白そうだけど軍事史でこれだけを取り上げたやつってあまり見ない気がしている
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古今東西の指揮官や戦術や兵器や戦例への評価が、それらを取り巻く言説からどのように形成されていったかを明らかにするという感じの研究はかなり好きなジャンル
具体例はグスタフ=アドルフの英語圏での評価を調査したJeremy Murray著『The English-Language Military Historiography of Gustavus
Adolphus in the Thirty Years’ War, 1900-Present』くらいしか挙げられないが…
伊藤正徳を軸として当時の文献を漁ってみないといけないですね。わたしはいま別のことを調べていますので、しばらく放置したままにすると思います。
赫赫たる勝利のない宮崎繁三郎がこんなに有名になったの謎ってのはある。高木俊朗の『イムパール』(全面改稿前の古い方)で名前が出て、それを伊藤正徳が本に採用したのが最初期じゃないかと思うんだけど検証してない。大東亜戦争全史でも名前があがってるんだろうか。
過激にやると遺族怒らせて史料引き上げとかあるかもしれないから注意が必要かも。
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豊田譲にしろ土門周平にしろ伊藤佳一にしろ、宮崎回想と58i回顧録をベースにしている関係上盛られた話もそのままアテにして、「保守派」としてインパール作戦を擁護したいが牟田口決死擁護は無理筋ゆえに宮崎を上げ→佐藤(と高木)下げ→牟田口上げに持っていこうとした結果あれになってる印象
土門周平の宮崎繁三郎推しは架空戦記で主人公にしちゃうレベルまで飛び出している(土門「重慶進攻作戦 宮崎少将、突進す」『太平洋戦争のif』)ので、豊田譲による評価と同じぐらいアテにしてはいけない