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a3dayo.bsky.social
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Early modern military history lover, tercio big lover. My blog: https://a3dayo.hatenablog.com/ Fedibird: https://fedibird.com/@a3dayo Fediverse: @[email protected]
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Reposted by あ
捕虜輸送中に被雷して沈んだ「りすぼん丸」の映像が出てきてびっくりですよ…。
護衛の97艦攻や駆逐艦「栗」が映ったり。退避のため救命胴衣を着けた日本兵のみが整列してたり…。
記事にもありますが、陸軍の将校だからこそ撮影できたようなものですね
www.asahi.com/sp/articles/...
戦時下に撃沈された貨物船りすぼん丸か 退避時とみられる動画を発見:朝日新聞
太平洋戦争中の1942年10月、東シナ海でアメリカ軍の魚雷攻撃を受けて沈没し、イギリス軍捕虜ら約850人が死亡した貨物船りすぼん丸を撮影したとされる映画フィルムが見つかった。旧陸軍将校が撮影者とみら…
www.asahi.com
「会合では最初の週の半ばまでに、実際的な意志統一がなされました。最終的に採択されないことがわかりきっている「詳細に規定する条約文案」や、そもそもの目的を果たすことにならない「最低限の内容しか盛り込まない条約文案」をつくるよりも、後日に詳細を詰めることができる簡潔かつ正確な条約文案(条約の締約国会議、いわゆるCOPで何をするかを「目次」にまとめた枠組み条約案)を作成することのほうが望ましいというものです。
それからは、落としどころを探すための「廊下外交」(国連などの多国間交渉で担当者が場外でフランクに話し合う)が激化しました。」
2か月とちょっとくらい前に海外の出版社に注文した本が届かないが、こちらのミスによる住所間違えのために届かないのか、日本郵便の不祥事が影響してるのか、それとも単に届くのが遅いだけなのか判断がつかなくて困る
これは気になる
Reposted by あ
銘仙の戦争柄着物を若い女性が着たのは鮮やかな着物が戦争柄着物しかなかったからであり、作る側も着る側も決して積極的に戦意高揚を目的としたわけではないが、しかし彼ら彼女らのその〈無邪気な〉選択は確かに社会に影響を及ぼしていた
Reposted by あ
読了したのですが、戦争柄着物はプロパガンダ“ではなく”江戸の時代からつづく面白柄の流れであり市場の需要に応えた供給であって、しかしその括弧付きでいう無邪気な戦争の〈消費〉は寧ろ戦争の実像、悲惨さ、そういったものを夢幻で覆い隠し見えなくした、戦争を受容する社会の形成に加担した、という構造で、これは現代の戦争を用いた〈感動の消費〉とも通じるのではないかな、と個人的に思いました
bsky.app/profile/neko...
『着物になった〈戦争〉』、戦中の戦争柄着物がペラペラだというおはなし、そうか銘仙か!
戦中華美な服装は忌むべきものとされたが戦争柄は許された。戦争柄を着た若い女性たちは決してハーケンクロイツや旭日旗を着たかったわけではなく鮮やかな着物が着たかったのだろう。しかしその戦争柄を受容する土壌は確かに社会に影響を与えていた…
Reposted by あ
コルベルク擲弾兵第9連隊は1808年にコルベルク防衛戦の生き残りのプロイセン軍を集めて編成された、ポンメルン歩兵第2連隊を前身としており、第9連隊に改番された後もコルベルクの名誉呼称を使用し続けました。
Reposted by あ
大正2年刊の『原則之栞』第12篇(p.65)などもドイツ軍と比較して軍団制の採用は不可としていますが、やはり日本師団の行軍長径が予想する作戦地にあっては約40kmに亘ることを理由の一つに挙げています。

一司令部が統括するには、一道路上を行軍する一日行程が理想的だとすると、二個師団をまとめて軍団とするのは難しいことになります。

もっとも、上述の2書が挙げているドイツ軍の編制は古いもので、第一次世界大戦頃になると輜重車輌が更に増加し、一軍団の行軍長径は一日行程をはるかに超えていました。
Reposted by あ
大正11年刊の佐々木吉良『輜重勤務講授録』(18f.)は、1903年のドイツ軍の軍団における輜重車輌が兵員千人につき44.4輌なのに対して、大正9年の日本の師団は123輌だとしています。

本邦における歩兵4人に対する輜重車1輌という比率は列強に類例のない多数であり、現制のままでは将来戦に必須の莫大な軍需品補給に支障をきたし軍の機動を妨害するとして、軍団編制の採用が不可であることに多言を要しないと記しています。

ここで軍団制の可否に言及しているのが面白いと思います。

当時の師団の行軍長径は約40kmにも及んだようです。

cf. ibid., 86f.
Reposted by あ
本邦では道路・地勢などの問題から一馬曳二輪の輜重車を採用していたため、主食である米の炊飯も含めた炊事車となると、車数が増え、行軍長径が伸びてしまいます。

戦闘行李に付属したほうが温食提供には有利ですが、戦闘部隊の長径が増加してしまうため、大行李に付属するしかないだろうとしています。

この輜重車輌の形態と行軍長径という問題は、他にも大きな影響を与えています。

一馬曳二輪の軽輜重車であっても、複馬曳や四輪などの大型車輌に比べて馬や車間距離を含めた占有範囲は積載重量ほどには減少しないため、部隊の行軍長径は大きくなります。
Reposted by あ
明治42年の偕行社記事の論説が兵士への温食提供のための課題を炊具の運搬と編制だとしているのが興味深いと思います(14f.)

現行の炊具は駄載式で中隊ごとに分進できる編制ではないため温かいうちに提供し難いとし、炊事車の導入を提唱しているのですが、車数・行軍長径が問題だと指摘しています。

ドイツ軍は歩兵大隊に4輌の割合で戦闘行李に炊事車を付しているが、主食がパンのため炊爨は副食のみであり、複馬曳きの大型車輌なので車数を減らせるからだと分析しています。
本職の人の注目点が見えてきて面白い
Reposted by あ
山田尊也「スパイダーウェブ作戦の衝撃 ―現代戦におけるイノベーションと国際法秩序」
www.mod.go.jp/asdf/meguro/...

空自幹校航空研究センターの二等空佐が、ウクライナが行ったドローン作戦について解説している。時間が取れないのでとりあえず紹介だけ。
航空自衛隊幹部学校航空研究センター | JASI JASDF Air & Space Studies Institute
www.mod.go.jp
ウクライナでの戦訓を直ちに日本に当てはめることはできないというのは前提として、ドローンによる敵車両の捜索・発見・攻撃・与えた損害の評価というプロセスは、山が多く車両通行可能な地形・道路が限られる日本の方がウクライナよりも効率的に働くのでは、という気が割としている
どの程度一貫性ある計画だったのか気になる話だ
「まずは地域にもとからあった弁財天信仰を自寺に取り込み、取り込んだらすぐにそれを開帳という形で短期間のうちに広めていく。ある程度認知度が高くなったら、今度はそれを12年に1回にして希少性を高める。一方、得た資金を使って所有地を増やし、経営基盤を固めていきつつ、近隣の山に桜を植えることで名所を創造してさらなる資産形成に乗り出しました。御開帳は12年に一度だけれど、桜は毎年咲くので、見物客を毎年確保できるというわけです。」
Reposted by あ
あまり考えたことのない観点だったので大変参考になりました!面白いブログをありがとうございます!