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木内俊彦 @dsdsA(持続空間建築研究所/design studio for duration, space, and Architecture)建築と空間と経験について考えています。『物と経験のあいだ—カルロ・スカルパの建築空間から』(みすず書房)の内容紹介(宣伝)をしばらくしています。
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『物と経験のあいだ—カルロ・スカルパの建築空間から』(みすず書房)
www.msz.co.jp/book/detail/...

カルロ・スカルパ(1906-78)の作品を手がかりに、空間の魅力と危険性についてあらためて考えます。

あたりまえの「空間」を見直すには、歴史をある程度知ることが有効です。むしろ、歴史とセットで捉えなければ「常識」を疑うことは難しい、と思います。

定価7,480円(税込)とたいへん高価ですが、見方を変えると、スカルパ建築、建築史、空間論史という3冊分の概要を1冊で押さえられるおいしい本、かもしれません。
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gongozgudo.bsky.social
むかしむかし中学生だったころエアロスミスのアルバムを聞いて衝撃を受け、JKになって小遣い貯めて新アルバムを買って、その2枚しか聴けなくてネットのファンチャットで「まだこれしか聴けてなくて」と恥じたら、そこにいた古参の皆さんが「これからあの曲もあの曲も初めて聴けるの!?いいなー!!」と言ってくれたこと忘れない
20年たった今でも新規ファンや若い人に向ける言葉はずっとこれが根底にある
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brighthelmer.bsky.social
読売さんとは一緒に仕事をしているので、少し書きづらいのだけれども、この社説はないんじゃないの?首相が談話で学説的に「目新しい話」をし始めたから、そっちのほうが問題になる可能性ははるかに大きい。

あと、「研究者や専門家らによって分析し尽くされた」というのも違和感あって、もし本当にそうなんだったら、このあたりの時代について研究することは何も残ってないことになる。

でも、歴史は現代とのキャッチボールというか、こちらが変われば過去への光の当て方も変わる。だから分析し尽くされるなんてことはないと思うのだが。

www.yomiuri.co.jp/editorial/20...
戦後80年の所感 メッセージの発出に見識疑う
【読売新聞】 二度と戦争の惨禍を繰り返さない、という首相の思いは分かるが、既に多くの研究者や専門家らによって分析し尽くされた話ばかりである。 目新しさの乏しい見解を、政局が混迷する最中に、しかも退陣間近の石破首相がわざわざ発出する必
www.yomiuri.co.jp
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平井靖史著『世界は時間でできている——ベルクソン時間哲学入門』(青土社、2022)と、拙著『物と経験のあいだ——カルロ・スカルパの建築空間から』の接続を試みることから、無謀にも時間と空間について考えます。

まずは表面的な類似性についてですが、このような考察ができるのは、ベルクソン自身の言葉が世に現れてから100年以上の時間が経っていることも関係していると思います。

note.com/dsdsa/n/nec7...
ベルクソンと空間論(1)|時間と空間の類似性|dsdsA/木内俊彦
「序章 時間哲学入門——計測の時間と体験の時間」 より 平井靖史著『世界は時間でできている——ベルクソン時間哲学入門』(以下『世界は時間で』)の「序章 時間哲学入門——計測の時間と体験の時間」を読むと、時間と空間の類似性(類縁性?)を強く印象づけられる。上の「はじめに」で少し触れたように、ベルクソンの主張には「時間」と「空間」を区別するという趣旨が含まれているはずであるが、下の①〜④の引用文で引...
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tokio-suzuki.net
Tentofuでの展示、本日から始まりました。
Tentofuで展示する作家は、好きな絵本・おすすめの絵本を一冊選ぶのだそう。
私は今回、中島聖弥(せいくん)の「ぼくのしゃべる手」を選びました。たくさんの絵本の中、開かずにもこれしかないという感じがして。もちろん読んで・見てみても良い内容で、改めて絵を描くことの原点、なんでやってるんだっけに立ち返ることができた、私ももっとやらないといけないなと励まされました。 Tentofuに足を運んだ際は是非、手に取ってページをめくっていただけたらと思います。
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衝突それ自体ではなく、絶えず起こっている衝突のエネルギーを、出会いや意味と言えるものに変換するのがコミュニケーション。だから、それがうまくできないと衝突のエネルギーをまともに受けてしまう。

そのような変換の一番ベースが「時間」を使うことなのだろう、と、ベルクソンについて考えていると思う(生物以前の物質はそれを使えないからまともに受ける)。
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時間と空間とともに、コミュニケーションってなんだろう? と思う。人間にとってコミュニケーションの重要性は言い尽くせないほどだけれど、日本語でよい対応語がないなあ、と思う。意思疎通、情報交換、交流、などが一般的だと思うが、日常的なものと距離感がずれている気がする。そんなコントロールできるものではない。

意味的には「伝え合い」だと思うけれど、ちょっとかっこつけて「出会い」とか。「出会いがない」とかの意味ではなく、「常に出会っていて、それによって自分も変わっている」ような意味で。衝突に近い
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BlueskyとXの違いは興味深い(どちらもまだ1年も使っていないが)。適当に言うと、Xは権力志向(大勢の人に影響を及ぼしたい)の人が多いのに対し、Blueskyは、そうでない人たちがコミュニケーションの可能性を探っているような印象。

自分はたぶん、前者でなければならないと思っていた後者なので(なんでそうなんだろう?とも思う)、Blueskyの雰囲気はかなり新鮮でわくわくする。
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『物と経験のあいだ——カルロ・スカルパの建築空間から』(みすず書房、2024)は、実はベルクソンの影響を少なからず受けていると思います(確証がなかったので本では言及していません)。最近、平井靖史著『世界は時間でできている——ベルクソン時間哲学入門』(青土社、2022)を読んで、その思いをより強くしたため、恐れ多くも、ベルクソンの理論と空間の関係について述べてみようと思います。

note.com/dsdsa/n/n6ff...
ベルクソンと空間論(0)|dsdsA/木内俊彦
『世界は時間でできている——ベルクソン時間哲学入門』から受けた衝撃 平井靖史著『世界は時間でできている——ベルクソン時間哲学入門』(青土社、2022)を読んだ(以下『世界は時間で』と略す)。かなりの衝撃を受けた。 私は哲学は素人なので、この本の内容が学術的にどう評価されているかはわからない。そもそも、このような世界観(または宇宙観)について「これが正解だ」という確証が得られることはないようにも...
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「マイノリティの訴える困難や課題が、マジョリティの関心事にいつのまにかすり替えられ、小さく弱い声がかき消されてしまうのは、非常によくあることです。マイノリティの運動の簒奪(さんだつ)、などとも呼ばれています。しかしよりによって「共生」という言葉を簒奪するとは。」

www.asahi.com/articles/AST...
奪われた「共生」の言葉 障害者なき対話に市川沙央さんは思う:朝日新聞
■寄稿・市川沙央さん 小説家 「対話でさぐる 共生の未来」 昨年秋に東京ミッドタウン八重洲カンファレンスで開催された朝日新聞社主催の一大イベント「朝日地球会議2024」のテーマです。SNSでフォローす…
www.asahi.com
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ryokoando.bsky.social
マジョリティで占有され、居場所が用意されていなかった社会のなかに、ようやく確保できた自分たちのための居場所、戦いとってきた場所が、たとえば「共生社会」という言葉(概念)であったのではないでしょうか。

それを当の本人たち抜きの場で、しかもマジョリティのなかでも大きな力を持つ、名だたる著名人たちが集合する場に用いるということが、どれほど、非倫理的であるのか、ということに思いがいたっていないのではないでしょうか。

たんに存在を否定した、思いを至らなかった、というだけではなく、死に物狂いで確保してきた言葉・概念を奪い取って、恵まれた人間たちのアクセサリー代わりに用いた、ということです。
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moma.bsky.social
Henri Matisse, Memory of Oceania, Nice-Cimiez, Hôtel Régina, summer 1952-early 1953
https://botfrens.com/collections/14377/contents/1135084
Mrs. Simon Guggenheim Fund
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今週『さらば、わが愛 覇王別姫』(4K版再上映)を観たので(息子に『国宝』とセットで観てと言われたので)そんなことを考えてしまった。一言では「愛」と言うしかないかもしれないけれど、この「積み重ね」を何と言えばいいのかは難しい。というか、言えない。それが「苦」であっても「積み重ねたい」こともあれば、それが「愛」であっても終わりにしたいこともある、そういうもの
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アナ雪を観たことはないのだけれど、「恋愛もコミュニケーションの積み重ね」という指摘にはとても納得感がある。言い方をかえると「あるコミュニケーションの積み重ねが〈恋愛〉と言われることもある」ということで、それを何と呼ぶかはあまり重要ではないかもしれない。重要なのは「もっとコミュニケーションを積み重ねたいと思う人がいる」ということで、その形も呼び方もそれぞれだし、変わり続ける。
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unikuwasero.bsky.social
アナ雪がヒットした理由、音楽とアニメーションの質の高さもありつつ、そもそも今よりも愛の定義が恋愛至上主義の作品が多い時代に「男女の恋愛以外の愛の可視化」をした事も大きかったと思うのだけど、「恋愛もコミュニケーションの積み重ね」という事をアナとクリストフが示した事も良いんだよね 自分は恋愛至上主義では無いのだけど恋愛は単純に一歩踏み込んだ人間同士のコミュニケーション方法の一つだと捉えているので「恋愛感情を持つのは気持ち悪い」とか「同性愛者への偏見」に対しては「そうじゃないんだよ、相手を大切に思う形の一つでもあるんだよ」とは伝えたい もちろん無理に恋愛をしろとは思いませんが…苦手な人は苦手なので…
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yakumoizuru.bsky.social
品切れ久しく古書価も高騰気味のグレゴリー・ベイトソン&メアリー・キャサリン・ベイトソン『天使のおそれ』(星川淳訳、青土社、1992)が、岩波文庫から刊行予定なのですね。これはうれしい復刊です。

グレゴリー・ベイトソンが書き残した原稿を娘のメアリー・キャサリン・ベイトソンが編集、加筆して作られた本で、『精神と自然』以降に向かおうとした先を窺わせる本でした。

メアリー・キャサリンは、ベイトソンの『精神の生態学へ』の父と娘の対話(メタローグ)でも登場しておりました。

リンク先は、訳者の星川淳さんによる復刊に寄せるエッセイです。
tanemaki.iwanami.co.jp/posts/9071
【特別寄稿】星川淳 ベイトソン再訪──『天使のおそれ』復刊に寄せて
グレゴリー・ベイトソン&メアリー・キャサリン・ベイトソン/星川淳訳『天使のおそれ』を小社文庫より復刊すべく企画が進行中です。刊行に先立ち、訳者の星川淳さんよりベイトソン思想の現代的魅力を伝える特別エッセイを寄せていただきました。
tanemaki.iwanami.co.jp
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44da8810.bsky.social
歌人です
作風は文語旧仮名、幻想寄り
原稿依頼お待ちしてます

参考:第2歌集『霊体の蝶』(2023)より

霊魂(プシケエ)と称ばれてあをき鱗粉の蝶ただよへり世界の涯の

みなそこにみなもはかげをなげかけてながるる時は永遠の影

こころみだるる陽気のさなか希死の蝶うかみつ消えつ花にただよふ

目覚めとは断念の謂(いひ) 春の雪ふりつむさなか駒よいななけ

寂滅(ほろび)とはこころのすがた朝つゆは穹(そら)をやどしてきらめきやまず

雪華にも蘂はあらむかわが眼には映ぜぬ鱗翅目やすらひて

soshisha.com/book_wadai/b...
霊体の蝶 | 話題の本 | 草思社
soshisha.com
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何か(作品とか、食べものとか、人とか)と接するとき、「好きか嫌いか」「良いか悪いか」を判断するのではなく、「合うか合わないか」を感じる。「好き嫌い」や「良し悪し」は、早く決めて安心しようとしているかもしれない。早く決めるように周り(メディア、友達、先生、親など)に誘導されているかもしれない。「合うか合わないか」は状況次第で変わる。いま合わなくても後で合うかもしれない。「この部分は合わないけど、この部分は合う」ということもある。「どうして合うんだろう、合わないんだろう」と気になる。距離を気にしつつ味わうことができる世界。