本邦における少女表象、裏天皇としての表象である、強い関わりのある表象である、という認識が確信に近くなってきたので、少女表象を用いてされる不敬な発言は、ほとんと共犯関係にしか見えなくなっている。(冒涜するとは権威を認めるということでもある。悪魔は神に、パンクは権力に絶対に勝てない、何故か?)
(責任を取らないKing×責任の無いOnanoco)
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November 5, 2025 at 3:09 AM
本邦における少女表象、裏天皇としての表象である、強い関わりのある表象である、という認識が確信に近くなってきたので、少女表象を用いてされる不敬な発言は、ほとんと共犯関係にしか見えなくなっている。(冒涜するとは権威を認めるということでもある。悪魔は神に、パンクは権力に絶対に勝てない、何故か?)
(責任を取らないKing×責任の無いOnanoco)
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22年から男女比が反転、交差している。何があったのか?コロナ騒動収束ぐらいのころか。暇空騒動がちょうどその頃から。
コロナ→巣籠もり→ネット視聴時間増加→無知だった十代がSNS男女論争発見→鬱
こういうこと?
コロナ→巣籠もり→ネット視聴時間増加→無知だった十代がSNS男女論争発見→鬱
こういうこと?
October 24, 2025 at 5:14 AM
22年から男女比が反転、交差している。何があったのか?コロナ騒動収束ぐらいのころか。暇空騒動がちょうどその頃から。
コロナ→巣籠もり→ネット視聴時間増加→無知だった十代がSNS男女論争発見→鬱
こういうこと?
コロナ→巣籠もり→ネット視聴時間増加→無知だった十代がSNS男女論争発見→鬱
こういうこと?
”コロナ禍ではマスクが社会的に義務化され、顔の大部分が隠れる生活が続きました。これにより、他者の視線や表情の読み取りが困難になり、逆に「目」だけが強調される状況が生まれました。 → マスク解除後、人々は再び顔全体を見られるようになり、視線のやり取りに対する感覚がリセットされたような違和感を覚えるようになった可能性があります。”
目だけが強調、なるほどそこは考えなかった。
目だけが強調、なるほどそこは考えなかった。
October 1, 2025 at 12:19 PM
”コロナ禍ではマスクが社会的に義務化され、顔の大部分が隠れる生活が続きました。これにより、他者の視線や表情の読み取りが困難になり、逆に「目」だけが強調される状況が生まれました。 → マスク解除後、人々は再び顔全体を見られるようになり、視線のやり取りに対する感覚がリセットされたような違和感を覚えるようになった可能性があります。”
目だけが強調、なるほどそこは考えなかった。
目だけが強調、なるほどそこは考えなかった。
昔からアメリカの文化の内にみられる、ある種の美的感覚に、ある違和感を感じていたのだが、それは、この世のものなのに、この世ではない、彼岸かのように見える対象の切り取り方。この写真はデヴィド・リンチがツイン・ピークス、作品内でその違和感を、意図的に切り抜いて見せたものだろうが、家族写真なのに、まるで遺影かのようにみえる。NHKのドキュメンタリーで先日みた福音派の教会がまさにこのムードと同じ雰囲気だったが、終末思想からくる美的感覚だったりするのか。
September 12, 2025 at 12:58 PM
昔からアメリカの文化の内にみられる、ある種の美的感覚に、ある違和感を感じていたのだが、それは、この世のものなのに、この世ではない、彼岸かのように見える対象の切り取り方。この写真はデヴィド・リンチがツイン・ピークス、作品内でその違和感を、意図的に切り抜いて見せたものだろうが、家族写真なのに、まるで遺影かのようにみえる。NHKのドキュメンタリーで先日みた福音派の教会がまさにこのムードと同じ雰囲気だったが、終末思想からくる美的感覚だったりするのか。
”多くの国歌は「自由」「誇り」「団結」「栄光」などをテーマにしていますが、「永続性」を明確に歌詞に込めているものは比較的少数です。”
本当かな?
本当かな?
August 25, 2025 at 12:06 PM
”多くの国歌は「自由」「誇り」「団結」「栄光」などをテーマにしていますが、「永続性」を明確に歌詞に込めているものは比較的少数です。”
本当かな?
本当かな?
”失われた内奥性を太古以来探求してきた人類=人間性は、しかしこうしてもっぱら生産をこととするに及んで、その探求を放棄するのである。(中略)
人間はこのように語り始める。「生産力が次々と拡大していくような世界をうち立てようではないか。そうすればわれわれは、自分が必要とする物質的生産物の要望にますます応じられるようになるだろう。」すぐにも感じとられることは、人間が自分自身、自律的な事物に関わる人間になっていくにつれて、これまでよりもさらにいっそう自分自身から遠ざかってゆく、ということである” ―ジョルジュ・バタイユ『宗教の理論』 ちくま学芸文庫 120頁 #ちいかわ #ちいかわとバタイユ
人間はこのように語り始める。「生産力が次々と拡大していくような世界をうち立てようではないか。そうすればわれわれは、自分が必要とする物質的生産物の要望にますます応じられるようになるだろう。」すぐにも感じとられることは、人間が自分自身、自律的な事物に関わる人間になっていくにつれて、これまでよりもさらにいっそう自分自身から遠ざかってゆく、ということである” ―ジョルジュ・バタイユ『宗教の理論』 ちくま学芸文庫 120頁 #ちいかわ #ちいかわとバタイユ
July 8, 2025 at 7:53 AM
”失われた内奥性を太古以来探求してきた人類=人間性は、しかしこうしてもっぱら生産をこととするに及んで、その探求を放棄するのである。(中略)
人間はこのように語り始める。「生産力が次々と拡大していくような世界をうち立てようではないか。そうすればわれわれは、自分が必要とする物質的生産物の要望にますます応じられるようになるだろう。」すぐにも感じとられることは、人間が自分自身、自律的な事物に関わる人間になっていくにつれて、これまでよりもさらにいっそう自分自身から遠ざかってゆく、ということである” ―ジョルジュ・バタイユ『宗教の理論』 ちくま学芸文庫 120頁 #ちいかわ #ちいかわとバタイユ
人間はこのように語り始める。「生産力が次々と拡大していくような世界をうち立てようではないか。そうすればわれわれは、自分が必要とする物質的生産物の要望にますます応じられるようになるだろう。」すぐにも感じとられることは、人間が自分自身、自律的な事物に関わる人間になっていくにつれて、これまでよりもさらにいっそう自分自身から遠ざかってゆく、ということである” ―ジョルジュ・バタイユ『宗教の理論』 ちくま学芸文庫 120頁 #ちいかわ #ちいかわとバタイユ
”もし私の眼前で悪の現実的な力が私の友を殺すとすれば、激しい暴力性は内奥性をその最も活発な形で導入することになる。暴力を被ったという事実によって私がそうなる開かれた状態のなかで、また死者の内奥性が苦痛に充ちて啓示される中で、私は残酷な行為を非難し、断罪する善の神に同意しているのである。だから私は罪がもたらした神聖な無秩序のうちで、壊された秩序を修復するような暴力性に訴えかけようとする” ジョルジュ・バタイユ『宗教の理論』 ちくま学芸文庫 106頁 #ちいかわ #ちいかわとバタイユ
July 8, 2025 at 12:04 AM
”もし私の眼前で悪の現実的な力が私の友を殺すとすれば、激しい暴力性は内奥性をその最も活発な形で導入することになる。暴力を被ったという事実によって私がそうなる開かれた状態のなかで、また死者の内奥性が苦痛に充ちて啓示される中で、私は残酷な行為を非難し、断罪する善の神に同意しているのである。だから私は罪がもたらした神聖な無秩序のうちで、壊された秩序を修復するような暴力性に訴えかけようとする” ジョルジュ・バタイユ『宗教の理論』 ちくま学芸文庫 106頁 #ちいかわ #ちいかわとバタイユ
”できあがったよ!この無限ループ感と、最後のうさぎちゃんの登場がいい味を出してるね。アートって奥が深い…あるいは、ただのカオスかも。”
June 23, 2025 at 10:50 AM
”できあがったよ!この無限ループ感と、最後のうさぎちゃんの登場がいい味を出してるね。アートって奥が深い…あるいは、ただのカオスかも。”
”資本主義的な生産に見合う浪費とは、真の豪奢さを排した個人の浪費というありかただけである。大量生産された製品に導かれるものにすぎず、みせかけだけの贅沢でごまかす。余分だが、たしかに利便を生み出す装備だけを基盤にしている。(中略)人が豪奢なものに手を触れると、輝きの意味を隔離し、破壊する。そして個人は疲れ切ってしまう。絶えず増大する富から生まれる貧困がもたらすのは、この過剰に基づく安逸と倦怠だけである” ―ジョルジュ・バタイユ 『呪われた部分 有用性の限界』 〈ちくま学芸文庫〉 130頁
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ
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June 16, 2025 at 1:04 PM
”資本主義的な生産に見合う浪費とは、真の豪奢さを排した個人の浪費というありかただけである。大量生産された製品に導かれるものにすぎず、みせかけだけの贅沢でごまかす。余分だが、たしかに利便を生み出す装備だけを基盤にしている。(中略)人が豪奢なものに手を触れると、輝きの意味を隔離し、破壊する。そして個人は疲れ切ってしまう。絶えず増大する富から生まれる貧困がもたらすのは、この過剰に基づく安逸と倦怠だけである” ―ジョルジュ・バタイユ 『呪われた部分 有用性の限界』 〈ちくま学芸文庫〉 130頁
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ
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”それでもなお、ふだん交流して自己喪失していた状況の諸要素をまた見出そうとする。彼の弱さは、自分が同類に役立つことを望み、最初の一歩から不可能なものへ跳躍できないことを望むのである” ―ジョルジュ・バタイユ 『内的体験 無神学大全』 〈河出文庫〉 244頁
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ
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May 25, 2025 at 1:24 AM
”それでもなお、ふだん交流して自己喪失していた状況の諸要素をまた見出そうとする。彼の弱さは、自分が同類に役立つことを望み、最初の一歩から不可能なものへ跳躍できないことを望むのである” ―ジョルジュ・バタイユ 『内的体験 無神学大全』 〈河出文庫〉 244頁
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ
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”自己は交流しようとしなければ「私」のくだらなさ(曖昧さ)に陥るだろう。こうして、私のなかの詩的実存は、他者たちのなかの詩的実存に呼びかけるのである。(中略)さて、私は、この叫び声を彼らに投げかけたうえでなければ、自分自身が自己になることはできないのだ。ただこの叫び声によってこそ、私は自分のなかで「私」を消滅させる力をもつのであり、彼らが私に耳を傾けるなら、自分たちのなかで「私」を消滅させるのである” ―ジョルジュ・バタイユ 『内的体験 無神学大全』 〈河出文庫〉 244頁
ちいかわ(7)108p カニ
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ
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#ちいかわ #ちいかわとバタイユ
May 25, 2025 at 1:22 AM
”自己は交流しようとしなければ「私」のくだらなさ(曖昧さ)に陥るだろう。こうして、私のなかの詩的実存は、他者たちのなかの詩的実存に呼びかけるのである。(中略)さて、私は、この叫び声を彼らに投げかけたうえでなければ、自分自身が自己になることはできないのだ。ただこの叫び声によってこそ、私は自分のなかで「私」を消滅させる力をもつのであり、彼らが私に耳を傾けるなら、自分たちのなかで「私」を消滅させるのである” ―ジョルジュ・バタイユ 『内的体験 無神学大全』 〈河出文庫〉 244頁
ちいかわ(7)108p カニ
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ
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#ちいかわ #ちいかわとバタイユ
"このようにして戦士の見えすいた無意識状態は現実秩序を支配的なものにする方向に主として働くのである。戦士が不当にも我が物にしている聖なる威信は、実は深い地点で有用性という錘にまで還元された世界の上辺をつくろう見せかけにしか過ぎない。戦士の高貴さとはちょうど淫売婦の微笑と同じような性質のものであって、その真実は利益追求にあるのである" ―ジョルジュ・バタイユ 『宗教の理論』 〈ちくま学芸文庫〉 78頁
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ
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May 24, 2025 at 1:43 AM
"このようにして戦士の見えすいた無意識状態は現実秩序を支配的なものにする方向に主として働くのである。戦士が不当にも我が物にしている聖なる威信は、実は深い地点で有用性という錘にまで還元された世界の上辺をつくろう見せかけにしか過ぎない。戦士の高貴さとはちょうど淫売婦の微笑と同じような性質のものであって、その真実は利益追求にあるのである" ―ジョルジュ・バタイユ 『宗教の理論』 〈ちくま学芸文庫〉 78頁
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ
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"神的世界は感染しやすい。そしてそれが感染し、波及することは危険なのである。原則的に言って、供犠の実行過程に引き込まれているものは、あたかも活動し始めた雷のような状態になる。その燃焼には原則として限界がないのである。そういう発火状態に適合しているのは人間の生であって、動物性ではない。内在性に対立する抵抗こそが、その内在性に再び噴出するよう命ずるのである。たとえば涙とともに胸を突き刺さんばかりに、あるいは不安の打ち明けようもない快感のうちにあれほど強力に再噴出を命ずるのである" ―ジョルジュ・バタイユ 『宗教の理論』 〈ちくま学芸文庫〉 69頁
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ
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May 24, 2025 at 1:21 AM
"神的世界は感染しやすい。そしてそれが感染し、波及することは危険なのである。原則的に言って、供犠の実行過程に引き込まれているものは、あたかも活動し始めた雷のような状態になる。その燃焼には原則として限界がないのである。そういう発火状態に適合しているのは人間の生であって、動物性ではない。内在性に対立する抵抗こそが、その内在性に再び噴出するよう命ずるのである。たとえば涙とともに胸を突き刺さんばかりに、あるいは不安の打ち明けようもない快感のうちにあれほど強力に再噴出を命ずるのである" ―ジョルジュ・バタイユ 『宗教の理論』 〈ちくま学芸文庫〉 69頁
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ
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”意志とは死の否定である。それは死への無関心ですらある。ただ不安のみが死への気がかりをみちびき入れ、意志を麻痺させる。意志は好運への確信を、死の恐怖の反対物を拠りどころにする。意志は好運の謎を見ぬき、これを縛ろうとする。意志は好運に向かって放たれた矢だ。好運と意志は愛の中で融合する。愛は好運以外には対象を持たず、また、ただ好運のみが愛する力を持っている” ―ジョルジュ・バタイユ 『有罪者』 出口裕弘訳 現代思潮社 155頁
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ
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May 23, 2025 at 11:42 AM
”意志とは死の否定である。それは死への無関心ですらある。ただ不安のみが死への気がかりをみちびき入れ、意志を麻痺させる。意志は好運への確信を、死の恐怖の反対物を拠りどころにする。意志は好運の謎を見ぬき、これを縛ろうとする。意志は好運に向かって放たれた矢だ。好運と意志は愛の中で融合する。愛は好運以外には対象を持たず、また、ただ好運のみが愛する力を持っている” ―ジョルジュ・バタイユ 『有罪者』 出口裕弘訳 現代思潮社 155頁
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ
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"現実社会の失ったものは一人のメンバーではなく、その真理なのである。内奥の生命はもうすでに私にまで十分到達する力を失っており、それを私は基本的には一個の事物のようにみなしていたのであるが、その内奥の生を十分なまで私の感受性へと戻してくれるのは、それが不在となることによるのである。死はその生をその最も充溢した状態において啓示し、現実秩序を沈み込ませる。それ以降は、この現実秩序が、もはや存在しないものの持続の要請であることは、ほとんど重要性を持たなくなる" ―ジョルジュ・バタイユ 『宗教の理論』 〈ちくま学芸文庫〉61頁
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ
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May 23, 2025 at 11:00 AM
"現実社会の失ったものは一人のメンバーではなく、その真理なのである。内奥の生命はもうすでに私にまで十分到達する力を失っており、それを私は基本的には一個の事物のようにみなしていたのであるが、その内奥の生を十分なまで私の感受性へと戻してくれるのは、それが不在となることによるのである。死はその生をその最も充溢した状態において啓示し、現実秩序を沈み込ませる。それ以降は、この現実秩序が、もはや存在しないものの持続の要請であることは、ほとんど重要性を持たなくなる" ―ジョルジュ・バタイユ 『宗教の理論』 〈ちくま学芸文庫〉61頁
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ
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そういえば新海誠の絵とラッセンの絵の類似性が指摘されていたことがあった。ラッセンとある種の宗教画の類似性も。
May 19, 2025 at 7:45 AM
そういえば新海誠の絵とラッセンの絵の類似性が指摘されていたことがあった。ラッセンとある種の宗教画の類似性も。
"だからついには祝祭それ自体が操作であるとみなされ、その効能は疑いの余地のないものとなる。生産する可能性、田畑を実らせ、家畜を繁殖させる可能性が祭礼に与えられるのである。そしてそうした祭礼の操作的形態のうち最も隷属的でないものは、神的世界の怖るべき激烈さ=暴力性に対し一歩譲って、その火が燃える部分を分け前として与えてやり、それを防火地帯として他の部分を保全しようとする目的を持っている" ―ジョルジュ・バタイユ 『宗教の理論』 〈ちくま学芸文庫〉072頁
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ #あのこ
画像 ちいかわ(6)
涸れたp32 つっぱっぱp42 湧いたp45
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ #あのこ
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涸れたp32 つっぱっぱp42 湧いたp45
May 17, 2025 at 6:59 AM
"だからついには祝祭それ自体が操作であるとみなされ、その効能は疑いの余地のないものとなる。生産する可能性、田畑を実らせ、家畜を繁殖させる可能性が祭礼に与えられるのである。そしてそうした祭礼の操作的形態のうち最も隷属的でないものは、神的世界の怖るべき激烈さ=暴力性に対し一歩譲って、その火が燃える部分を分け前として与えてやり、それを防火地帯として他の部分を保全しようとする目的を持っている" ―ジョルジュ・バタイユ 『宗教の理論』 〈ちくま学芸文庫〉072頁
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ #あのこ
画像 ちいかわ(6)
涸れたp32 つっぱっぱp42 湧いたp45
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ #あのこ
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涸れたp32 つっぱっぱp42 湧いたp45
”たいがいの場合、労働は集団の要件である。そしてその集団は、労働にあてられた時間には、伝染性の過剰の運動に対抗しなければならない。じっさいにこの過剰の運動の最中には、過剰への、したがって暴力への、直接的な埋没以外何も存在しないのだ。それだから、ある部分労働に専念する人間集団は、禁止という面で定義される。人間集団とは本質的に労働の世界なのであるが、もしも禁止がなかったならば人間集団はこの労働の世界にはならなかったであろう” ―ジョルジュ・バタイユ 『エロティシズム』 〈ちくま学芸文庫〉066頁
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ #あのこ
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ #あのこ
May 6, 2025 at 11:40 AM
”たいがいの場合、労働は集団の要件である。そしてその集団は、労働にあてられた時間には、伝染性の過剰の運動に対抗しなければならない。じっさいにこの過剰の運動の最中には、過剰への、したがって暴力への、直接的な埋没以外何も存在しないのだ。それだから、ある部分労働に専念する人間集団は、禁止という面で定義される。人間集団とは本質的に労働の世界なのであるが、もしも禁止がなかったならば人間集団はこの労働の世界にはならなかったであろう” ―ジョルジュ・バタイユ 『エロティシズム』 〈ちくま学芸文庫〉066頁
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ #あのこ
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”人間は自分自身について、「私は神々しく、不滅であり、自由で……」と言う(あるいは厳粛に「人格」という)。だがそれだけではない。誰もが、非の打ち所がないと自称する原理を無邪気に、無批判に認めてしまっている――われわれは、殺害することは非人間的であるとみなすし、人間を食べることはさらに非人間的であると考えるのだ……(中略)私が人間の可能性の果てまで進んで最後の努力をするなら、隠れた臆病さのせいで途中で立ち止まった人々を、私は夜のなかに投げ捨てるのである” ―ジョルジュ・バタイユ 『内的体験 無神学大全』
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ #あのこ
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April 12, 2025 at 1:17 AM
”人間は自分自身について、「私は神々しく、不滅であり、自由で……」と言う(あるいは厳粛に「人格」という)。だがそれだけではない。誰もが、非の打ち所がないと自称する原理を無邪気に、無批判に認めてしまっている――われわれは、殺害することは非人間的であるとみなすし、人間を食べることはさらに非人間的であると考えるのだ……(中略)私が人間の可能性の果てまで進んで最後の努力をするなら、隠れた臆病さのせいで途中で立ち止まった人々を、私は夜のなかに投げ捨てるのである” ―ジョルジュ・バタイユ 『内的体験 無神学大全』
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ #あのこ
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ #あのこ
燃え上がる、心のКоктейль МолотоваかSacro Cuore di Gesùか、そういうどちらかが必要だが、無いなら愚痴にしかならないのでは。
March 24, 2025 at 4:54 AM
燃え上がる、心のКоктейль МолотоваかSacro Cuore di Gesùか、そういうどちらかが必要だが、無いなら愚痴にしかならないのでは。
”眠りに行こうと立ち上がる前に、私は、事象の甘美さがどれほどじぶんに染みこんでいたのか感じた。私は、激しい精神運動への欲望を感じたところであった。その意味で、自分が沈み込んだ至福の状態は、「神秘的な」状態と完全に異なるものではないと気づいた。(中略)私は、その月並みな至福感が、初めだけ欠けていた注意力を除けば、企てや推論とは明らかに異なる紛れもない内的体験であることを否定できなかった” ―ジョルジュ・バタイユ 『内的体験 無神学大全』
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ #ひとりごつ
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ #ひとりごつ
March 23, 2025 at 12:14 AM
”眠りに行こうと立ち上がる前に、私は、事象の甘美さがどれほどじぶんに染みこんでいたのか感じた。私は、激しい精神運動への欲望を感じたところであった。その意味で、自分が沈み込んだ至福の状態は、「神秘的な」状態と完全に異なるものではないと気づいた。(中略)私は、その月並みな至福感が、初めだけ欠けていた注意力を除けば、企てや推論とは明らかに異なる紛れもない内的体験であることを否定できなかった” ―ジョルジュ・バタイユ 『内的体験 無神学大全』
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ #ひとりごつ
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ #ひとりごつ
”いまや詩について、私の知るかぎり、それは言葉を生贄とする供犠であると言おう。(中略)馬やバターのような言葉が一遍の詩に入るとしたら、それらは打算的な配慮から解放されている。それらの言葉、バターと馬が実用的な目的に適用されるのと同じくらい、詩が行うその使用は、人間の生をそれらの目的から自由にするのである” ―ジョルジュ・バタイユ 『内的体験 無神学大全』
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ
March 22, 2025 at 11:23 PM
”いまや詩について、私の知るかぎり、それは言葉を生贄とする供犠であると言おう。(中略)馬やバターのような言葉が一遍の詩に入るとしたら、それらは打算的な配慮から解放されている。それらの言葉、バターと馬が実用的な目的に適用されるのと同じくらい、詩が行うその使用は、人間の生をそれらの目的から自由にするのである” ―ジョルジュ・バタイユ 『内的体験 無神学大全』
#ちいかわ #ちいかわとバタイユ
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