Hiroki YAMAGISHI
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Hiroki YAMAGISHI
@justkiddddding.bsky.social
関東の団体職員/関西の大学院生
雑誌の性質上、おそらくオープンアクセスには未来永劫ならないの思うので、他の記事と併せて図書館でお読みいただくか、余裕のある方は購入いただけたらうれしいです。。。
October 21, 2025 at 1:58 PM
休み始めた時が一番いろいろと明るくて、たぶんそれはさまざまな変化を感じとれたからなのだと思う。でも休んでいるうちに、改めて考えなくてはならないことが増えてしまって、そろそろ自分を復職に向けて整えていく必要も出てくる。大丈夫なふりをしていられるうちは大丈夫らしいということがわかったのは、この休職での大きな収穫だったので、ひとまずもう一度大丈夫なふりをしていられるように、なんとかやっていきたいと思っている。
October 18, 2025 at 1:17 PM
話が逸れるけど、かつてこの90日間の病気休暇はわたしを含む無期雇用の正規職員だけが有する権利で、有期雇用の職員には30日間しか与えられていなかった。2年前まで組合の執行委員をやっていた時に、同一労働同一賃金の観点から両者の待遇格差を埋めるためにかなり闘って、最後の最後に有期雇用職員の病休も90日間に変えさせた。これがなければ、今回自分を2ヶ月も休ませていいとは思えなかっただろう。でも自分の時間と体力を削ってまで、組合活動をわたしたちに押し付けた人びと(特に正規職員)のために役に立ちたいとはもう思えないし、この(少なくとも相対的には)恵まれた職場にいる時間も間違いなく長くないだろう。疲れたから。
October 18, 2025 at 1:17 PM
わたしの職場は自治体の外郭団体なので、制度だけはだいぶ整っていて、年休とは別に有給の病気休暇が90日間使える。7月に受けた目の手術や、その前後の診察と体調不良ですでに結構使っていたので、10月いっぱい休んだら少しだけ不足する(その分は普通の年休を使う)。欠勤にして行政から傷病手当を受けて休み続ける手もあるけど、さすがに職場に戻れなくなる気がするので11月には復帰したいとかかりつけ医には話している。たぶん反対されるし、わたし自身もすごく不安ではあるけど、まぁ仕方ない。休んだ収穫はたしかにあったので、あとはまた自分を大丈夫にさせてやっていくしかない。いつのまにか、10月ももうすぐ下旬。
October 18, 2025 at 1:17 PM
といつか→というか
「救い」なるものへ→「救い」なるものへの
October 1, 2025 at 1:29 PM
最近はサカナクションの山口一郎さんの配信に結構救われているといつか、ちょっとの元気をもらえているような気がしている。かれのインターネットへの認識とか「救い」なるものへ考え方などは、わたしにはかなり心配に思えてしまう(気づかぬうちに自分を傷つける方向へ向かっている)ところもあるのだけど、そんなのは当然踏まえたうえで、わたしはかれの行動や言動を論評したり考察したりするのではなく、不調と付き合って(かれの言い方を引けば「乗りこなして」)音楽を作って生きていく様子にただ触れていたいと思っている。この辺はなんか別の機会に………
October 1, 2025 at 9:43 AM
でも、落ち込みが強い時期より回復に向かう時期の方が、つまり心が動き始めたり大きく揺れたりする時期の方が危ないというのはほんとうにそうで、実のところ、「ここ数年動いていなかった心のある部分」の中には希死念慮的なものも含まれる(もっとポジディブなものもある中で、です)。「日常」なるものはそういうものを抑え込んで麻痺させることで、自己を生存させようとする性質を含んでいるようだ。でもそうしていると歪みはどんどん大きくなって、地震のように抑え込めなくなるので、わたしみたいにそういうものから逃れづらい人間には、適度に棚卸できる時期が本来は必要なのだろう。この社会はそんなことを易易と許してはくれないのだけど
October 1, 2025 at 9:43 AM
診断名は適応障害であっても、わたしの場合は直近の環境変化が影響しているわけではないと思われるので、休んだって結局何も変わらないかもしれないという不安はかなり大きい。それでも、ここ数年動いてなかった心のある部分が急速に動いたり(だからこそ不安定さも増したけど)、目の前のこと以外に脳のリソースが向いたりと、永遠に死んでいたかもしれない自分の一部分の存在に気づけたり取り戻せたりしたのは、休みをもらったおかげだと思っている。あとは、他人への迷惑を気にするんじゃなくて、自分のために回復するのだ、自分のために選択するのだ、という考え方になれたら、他人が何を言おうとちゃんと休んだ甲斐があったと思えるはず…。
October 1, 2025 at 9:43 AM
たしかジャンパー作品
September 19, 2025 at 1:43 PM
それにしても、30代になってから不調に苦しんでいる友人がほんとうに多い。もちろんそれぞれの個人的な出来事や加齢によるバイオリズムの変化も背景にあるだろうけど、コロナ禍以降の社会もほんとうによくないと思う。このままでは、生きていけるひととそうでないひとの二極化が、あらゆるところで進んでいってしまうのではないか、という焦りを強く感じている。
September 8, 2025 at 11:19 PM
あと、久しぶりにちゃんとものを考えられるようになったらしい、という他人事っぽい感想。8月末に投稿論文の締め切りがあって、原稿自体は昨年の学会報告の焼き直しなので手元にあったけれど、構成の見直しだったり先輩や指導教員からのコメントだったりは反映すべきだったのに、完全に1ミリも手をつけられずやっつけで出してしまった(あんな状態なら出すべきじゃなかったと今さら後悔している。そんな判断もできなかった)。でもここ数日で本や論文が読めるようになったりして、そうか、やっぱりこれまでちょっとおかしかったんだな、と改めて思うなどした。自分で把握できてる異常もあるけれど、それがすべてとは限らないのだという学び。
September 8, 2025 at 11:10 PM
1つ目のポスト文章がおかしいですね、、、ごめんなさい。。。
September 5, 2025 at 2:36 PM
そしてつねに取り残されているのは、その社会のマイノリティの尊厳、ニーズ、生存。
September 5, 2025 at 12:09 PM
わたしはラディカル・デモクラシー論には批判的で、感情的動員はマイノリティの利害や尊厳に関心を持たなくても成立するし、あっという間に大政翼賛会的な全体主義にも転化しうる(これは分かりやすいように極端に表現してます)と考えていた。もっと政治学的には、ラディカル・デモクラシー論は動員を重視するあまり規範への関心がなくても成立してしまうことを危惧する研究者もいた。あの頃から10年くらい経ってほんとうにその通りだったとわたしは感じているけれど、本来こうした批判が向けられるひとたちは、たぶんいまでもなんのことかわかってないし、当然責任も感じないだろうと思う。ある意味それが、この立場の利点なのだろう
September 5, 2025 at 12:08 PM
政治的動員のあり方としては、利害関係(昔の自民党の○○族だったり、革新系政党と労働組合のつながりだったり…支持者の生活や社会的地位に直結するので基盤としては強固)とか、思想的なもの(共産党はここを核としなければ意味がないし、だからこそ共産党支持者はれいわ支持者と違って排外主義的な言説にはほぼ結びつかないはず)とか、地域的なもの(維新の会や昔の沖縄社大党)などが考えられる。世界的なこととして、感情的動員は極右だけでなく既存政党に嫌気が差したリベラル側にも70〜80年代から提唱者がおり(いわゆるラディカル・デモクラシー論)、日本でもれいわをはじめ2010年代から改めて注目されていたところだった。
September 5, 2025 at 12:08 PM
神奈川も同じです…ほんとうに苦渋の決断です…(突然のリプライすみません)
July 17, 2025 at 3:36 PM