寳達ベミュ
bemyuh.bsky.social
寳達ベミュ
@bemyuh.bsky.social
日常生活アカウントです。自分のことをちいかわだと思い込んでいる中年男性。女神転生とペルソナシリーズが好き。『アラサーOLハマーン様』が好きです。ユダヤ文化をちょこっと学習中(シオニズムには反対しています)。アイコンは佐倉シノブさんに描いてもらいました!
ぜひお聞かせください! 僕も何かスタイル的なものができたら良いなとは思ってます。そこまで行かずとも、「ジーンズ(アメリカ資本主義の象徴の一つ)はアリかナシか」、「スーツ(イギリスのジェントルマン階級の衣類)を着ることは敗北ではないか」等突き詰めてくと興味深いものが見えてくる気がします。まだ小説読めてなくてごめんなさい。おやすみなさい。
December 8, 2025 at 2:28 PM
母は縁者のことを「〇〇先生」と呼んでいたし、北陸の田舎では帝国軍人・陸上自衛隊高級幹部はベタに「偉い人」なんだけど、それで終わらせちゃいけないよな、というのは赤じゃなくなった今も変わっておらず、自分が社会や政治に対して何かを言う最大の原動力になっている。
December 8, 2025 at 2:18 PM
縁者は陸軍軍人だったので日米開戦の日に「世界史上永遠に記念すべき此の日一層の覚悟を新たにし、我に万難与へ給へと念ず」という言葉が出てくるのは割と自然な話なのだけど、太宰治や高村光太郎もあまり軍人と大差ない喜び方をしていて、それってどうなの? ということを昔ブログに書いたのでした。まだこの頃は赤でした。

太宰治、高村光太郎、神山茂夫:76年前の日米開戦の日の涙を振り返って
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太宰治、高村光太郎、神山茂夫:76年前の日米開戦の日の涙を振り返って - 夢現抄
今日、2017年12月8日は1941年12月8日の日米開戦から、実に76年目である。あの日本海軍の攻撃機によって星条旗が破れ、巨艦が沈んだ12月8日の朝から、一人の人間が一生を終えられるほどの時間が経ってしまった。今日は少し、このことについて振り返ることにしよう。 太宰治は日米開戦から2か月後に、妻である津島美智子氏の視点を借りて書いた小説『十二月八日』を発表している。この日より一年半ほど前に『走...
bemyuh.hatenablog.com
December 8, 2025 at 2:18 PM
僕も答えはないんですが、「何で反対しているのか」についての真剣さが上手く伝わらない、的な話はあるんじゃないでしょうかね。上辺を飾ることに汲々としがちというか。
December 8, 2025 at 2:10 PM
スペンサーやコブデンに影響されて平和主義を唱道していた徳富蘇峰が、日清戦争後の三国干渉に憤って帝国主義者に宗旨替えしてしまうのがこの事情を示しているが、眼前の帝国主義諸国間の覇権闘争を意識しつつ、蘇峰のようにはならないためにはどうしたらいいか、というのは今日にも通じる問題意識なのであった。
December 8, 2025 at 1:52 PM
資本主義社会の評価は前資本主義社会をどう評価するかに大きく依拠しているし、まだ資本主義が未成熟だった明治時代中期(1880年代)に、資本主義社会を前資本主義社会よりも平和な社会として高く評価するスペンサーが広く読まれたのは、ある程度は日本の未来への楽観があったんだろうな。後世から視れば、それは日清戦争・日露戦争で見事に裏切られる楽観であったのが切ない。
December 8, 2025 at 1:45 PM
(続き)
" 一番不思議なのは、安保反対だ何だって、あれほど政治運動をしたのに、東京オリンピックの開催や、東海道新幹線の建設とかにまったく反対運動がなかったことだよ。
 デモ隊が国会に突入したほど激しい政治運動が起こった数年後には、オリンピックで日の丸が振られて、ナショナリズムが最高潮に達している。
 新幹線を通すんだって、大げさな工事をして山を崩さなきゃいけない。今の時代なら、自然破壊だって言われるに決まってる。ところが、国民はこぞって新幹線の開通を素直に喜んでる。”
(ビートたけし『たけしの20世紀日本史』新潮社〈新潮文庫ひ-11-11〉、1998年5月1日発行、135-136頁より引用)
December 8, 2025 at 9:45 AM
新左翼が本格的に食い込めた労働運動は旧国鉄(今も動労千葉は中核派の、JR総連は革マル派の拠点ですね)だけど、国営鉄道の雇い主は国であって資本家ではない上に、民営化に当たって思想的にかなり混乱していた印象がある。
December 8, 2025 at 3:46 AM
キーワードは「滅私奉公」
December 8, 2025 at 3:34 AM