わく
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怪談、銭湯、旅行、感傷。 私には、ただモニターの外から幸せを祈り続けることしかできない。※引用RPが嫌いです。 ・note https://note.com/kansyo_maso ・BOOTH(感傷マゾ本等の同人誌販売) https://wak.booth.pm ・伝説の漫画家・博内和代の短編集 投票ページ(復刊ドットコム) https://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=12504
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大学時代の恩師の顔写真が掲載されたニュース記事リンクがTLに流れてきたけど、こういうことで近況を知ることもあるんだな。お元気そうで何より。
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個人的に結構好きなお店なんですが、江古田の「まほうつかいのでし」というパスタ屋は、店名がファンタジックで何か好きです。
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私の叔父は北方謙三の大ファンだったけど、そういえば兄(私の父親)がいじめられていたらまだ叔父は三歳なのに三輪車に乗って助けに行ったというエピソードがあり、この頃から北方謙三のファンになる運命が刻まれていたように感じる。
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街歩き界隈だと、アイコンが風景のことが多いので、その点では違うのかもしれない。
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羊一頭食べる会の幹事をした時に、最初はそれぞれのアイコンを元にした名札を作ろうかと考えたけど、アニメアイコンの名札をつけたおじさん達がオタク話をしながら羊をモリモリ食べる絵面が公序良俗に反する可能性があったので、構想三十秒で止めたことがある。
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門脇さんからおすすめされた上野洋子のこのアルバムを聴いているけど、マジで良いですね。

spotify.link/SiW9xCLduXb
Shmuzzle
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この前、大学時代から通っている某居酒屋に行った。

そうしたら、そこの店主の兄さんに「この前、スケアさん(感傷マゾ座談会にも参加した学生時代からの友人)を信奉する慶應生の子も来てたよ」と聞いたんだけど、マジで誰のことか分からないので困惑している…。
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2000年代のアニメ版秒速のラディカルさを、2020年代に達成するとしたらどんな作品になるのか。
SNSを介して他人と常に接続し、孤独=オフラインの状態が消失したかのような現代において。

孤独が消失したならそれでいいわけではなく、むしろ他人へのレッテル貼りや暴言やデマがありふれたXの邪悪なアルゴリズムからいかに離れるか。
プラットフォームにコミュニケーションの方向性を委ねず、ユーザーがどのように他人と関わる/関わらないかを主体的に選択するか。
そのような時代に、孤独はどのような価値を持つのか。
そういう問題はあるのかもしれない。
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貴樹以上に自分が思い入れのある人物として、『プラネテス』のハチマキがいる。
秒速とは関係ないからあまり話さないけど、ハチマキと言えばこのコマなんですよね。
タナベに惹かれる以前のこの前期ハチマキが、木星にたどり着いたらどうなってしまうのかというのが自分の中で『プラネテス』に強く求めていた要素だった。
それがタナベという愛に溢れた宇宙人みたいなキャラに愛されることで、ハチマキが包摂されて孤独を失っていく展開で、当時は本気で怒り狂った。
せめて、ハチマキは同じ孤独を共有できる相手と出会うか、もしくは人間ですらない知的生命体と出会うか、もしくは誰とも出会わないか。
どれかで救われてほしかったよ。
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その点で言うと、実写秒速の約束した木で貴樹一人しかいなかったシーン以降の全てが自分には合わなかった。
プラネタリウムで、貴樹が館長に気持ちを吐露するシーンとかさ。普通に内面吐露を含めた会話を出来てるんじゃんと思ってしまった。

かといって、2000年代のアニメ版秒速とは異なる、2020年代ならではのラディカルさがあったかというとそうでもなく……という。
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2000年代は「コミュニケーション能力」という言葉が就活面でも日常の人間関係でも問われるようになってきた時代だった。
そんな時代に、ひたすら過去ばかりに囚われて他人と心を通わすコミュニケーションをせずに自己完結する異常者を描き、エールを送ることにこそ、アニメ版秒速のラディカルさがあった。

別に、世間で共有されている価値観を、フィクションで肯定する必要ってないと思うんですよ。そんなの車輪の再発明みたいなもので、フィクションである必然性がない。
むしろ、社会に馴染めない人にとっての、特別な一本であれば、それでフィクションは良いんです。
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やっぱり、自分はアニメ版秒速の貴樹の自己完結具合が好きだったんだな。
運命の相手と人生の序盤で出会って、そこから誰のことも全然見ないで過去ばかり見て、内面的には一人でいる異様な人物を、それでも細やかなエールを送る映画じゃないですか。
「(愛さないけど)大丈夫」という言葉は、明里の言葉であると同時に、映画全体の貴樹的な観客へのエールなんですよ。誰とも出会わず、心を通せない、そんな人物でも一歩歩き出すことはできるよという。
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グロテスクだけど面白い。
「スポーン主義」というゲーム内の設定として作られた架空のカルトが、ロールプレイングとして現実でも行う者が現れたらしい。

x.com/kgpravda/sta...
x.com
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自分はデジタル式より光学式投影機の方が好きで、その点で現役では都内最古の光学式投影機を使用したなかのZEROプラネタリウムが好きです。
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あと、全然関係ないけど気になったこと。

実写秒速では、多摩六都科学館のプラネタリウムで撮影されていたけど、あそこがデジタル式投影機になったのはいつ頃なんだろうね。
2009年(ラストシーンの時代)には変わっていたんだろうか。

確か、光学式投影機からデジタル式投影機に移り変わった過渡期が2000年代だった気がするけど、2000年代の多摩六都科学館を訪れたことがないからよく分からない。
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アニメ版より実写版秒速の貴樹の方が、はるかにまともな人物と言えるだろう。

ただ、アニメ版では気持ち悪いほど自己完結具合が激しかったからこそ、人と繋がっていない(繋がらない)孤独な時間に見ると、深く刺さったのはある。

その点で考えると、2025年の実写秒速は大して孤独ではない。
もしかすると、SNSで誰かと繋がりすぎている時代において、2000年代の孤独はありえないのかもしれない。
そういう文脈で、「アニメ版秒速は、2000年代当時のネットや携帯端末などの状況を結構反映していたんだなあ」と今更感じた。
当時はそれが当たり前だったので、遠野貴樹の自己完結具合は、本人の問題だと思っていた。
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だが、遠野貴樹の極度の自己完結具合が、結果的に2000年代の誰とも接続していない孤独な時間との相性が良かった。
さすがにあそこまで感傷的なモノローグをすることはなかったし、子供の頃の思い出に彼ほど囚われているわけでもない。
けれど、極端な自己完結だからこそ、遠野貴樹を希釈して薄めた成分を持っている観客は結構いたんじゃないか。
少なくとも、当時の自分はそうだった。

この点で考えると、実写秒速の貴樹はアニメ秒速の貴樹と違って、終盤になると全く自己完結していない。
傷ついたことや、言えなかったことを誰かに向けて話しているし、小田急線の車両が走った後に自分で勝手に納得したりしない。
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携帯電話でのネット接続も心許ないし、メールも用事がないとしない。
主にネットをやるのは帰宅して、自宅のデスクトップPCからmixiやニコニコ動画を開く時くらい。
電車の中での暇つぶしも、まだ紙の文庫本だった。

ネットで誰かと接続する時間と時間の隙間に、誰とも接続していない孤独な時間があった。
アニメ版秒速で良かったのは、この孤独な時間に寄り添っていたことだ。
人間として考えるのなら、アニメ版や遠野貴樹は自己完結しすぎている。別に明里に再度連絡を取ろうと試みるでもなく、種子島で出会った花苗に心を開くでもなく、ずっと初恋に心が囚われている。
その癖、心が囚われているだけで大した行動はしない。
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実写秒速を観て感じたこと。

アニメ版は、割と2000年代の状況を反映していたんだなと思った。
『ほしのこえ』から『秒速5センチメートル』まで、新海誠の作品には携帯電話が登場するのに、男女の行き違いや離れ離れになるシチュエーションが現れる。
2000年前後からインターネットでのやりとりが一般化していった時期に、「技術的には人と繋がれるのに、思ったよりも誰かと繋がっていない」という理想と現実のギャップがあったことを何となく覚えている。

2010年代以降、スマホでSNSに接続して誰かと常時接続することが当たり前になったことを考えると、まだ2000年代は常にネット接続していたわけではなかった。
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ごめん、こんなこと言ってたけどさ。
僕ら以外は主演の松村北斗さん目当てと思しき若いお客さんが多くて、無意識に途中で腕組みをしていたのは僕らだったよ。

ふと気がついたら、僕も含め一緒に観に来た両隣のオタクも、実写秒速の鑑賞中に無意識に腕組みしていて、ビビった。
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青梅線は、前に用があって遡上していったら乗ってる電車が人身事故で止まり、仕方なく降りた駅から歩き始めたらママチャリで駆けつけた中年女性が「人身事故あったんだって??バカだねぇ生命を粗末にして!!」と嘆いて立ち去っていった。それで終わりかと安心して次の駅を目指していたら今度はシド・ビシャスみてぇな格好の男が鼻血流しながら歩いてきて、なんかもうわけわからんのであの辺一帯は「闇の奥」って呼んでる
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タイタスは素晴らしい映画というか、あのオープニングは完璧だと思う。