白江幸司
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bioはまた今度。
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モニタのある部屋から逃げて別の作業するか、作品読解・吟味の仕方を変えて、書き方を変えるとかかなー
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意見よりも、何かに対するリアクションが優勢になるのは、いまのSNSでは実にあるある…
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訳者が記載されてないが、ほんとうに出るのかねえ。できれば読みたいが…。

アルフレッド・ジェル『アートとエージェンシー』
水声社(2025年11月刊行予定)

www.hanmoto.com/bd/isbn/9784...
アートとエージェンシー アルフレッド・ジェル(著) - 水声社
www.hanmoto.com
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猛々しいおねだり
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とBernard Ashmoleとの共著Art of the Ancient World (Prentice Hall, 1972)が刊行されている。
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第二次世界大戦の勃発ののち、シカゴ大学で古代人の世界観に関して講義。戦後、フランクフォートはウォーバーグ研究所の所長に任命され、一家はイギリスに移住した。1952年には夫婦は離婚、アンリ・「ハンス」・フランクフォートはエンリケタ・ハリスと再婚した。単著Arrest and Movement: An Essay on Space and Time in the Representational Art of the Ancient Near East (Chicago: Faber and Faber, 1951, Harvard: Harvard University Press, 1987)
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フランクフォートの生涯短文まとめ:

ヘンリエッテ・アントニア・グルーネヴェーゲン=フランクフォート(Henriette Groenewegen-Frankfort、1896–1982)はオランダの考古学者。夫のアンリ・「ハンス」・フランクフォートとともに発掘調査。1925年から1938年まで近東で考古学調査をおこない、古代エジプトとメソポタミアの美術の研究に貢献。1929年から1937年まで、夫妻はシカゴ大学東洋研究所のイラクへの年次調査にも参加した。発掘期間以外では、イギリスのウォーバーグ研究所で教育に携わった。世界恐慌により1937年のイラク遠征は中止され、
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とあって、なんか面白そうな知見を紹介してるなあ、と目に留めた。

まあ日本語訳はないんだが…。

ヘンリエッタ・グローネウェーゲン=フランクフォートの生涯はこんな感じ。オランダで生まれたが、英語の著作を残し、戦後にウォーバーグ研究所の所長にも任命されてたとか。
nl-wikipedia-org.translate.goog/wiki/Henriet...

書評でその前にも出てくる、ゴンブリッチが序文を書いたPrinciples of Egyptian Artがけっこうおもしろそうで。戦前のドイツ系エジプト学の英訳本。キュビズムとかモダンアートを古代美術理解とつなげた当時の潮流か。
Henriette Groenewegen-Frankfort - Wikipedia
nl-wikipedia-org.translate.goog
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現在50歳代なので現行世代の大家クラスかな。日本語訳があるのは『美術史を語る言葉』の「ジェンダー」項目ぐらい。
arthistory.berkeley.edu/people/whitn...

デイヴィスの書評は、古代美術論の蓄積をフォローしつつめっちゃ推すぜ〜この本いいじゃん!と褒めてる書評。

“グローネウェゲン=フランクフォート(『拘束と運動 Arrest and Movement』[ロンドン 1951年])は、新アッシリア美術に関する鋭い分析のなかで(…)、反復要素の分布を考察し、「風景」や時折見られる遠近法による非物語的(彼女の用語では非階層的)効果を指摘した”
Whitney Davis | History of Art
arthistory.berkeley.edu
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ベルサーニ&デュトワの古代アッシリア芸術論『The Forms of Violence』をとりあげて、30歳ぐらいの若きホイットニー・デイヴィスが書評記事を書いている(1988)。
www.jstor.org/stable/50587...

ベルサーニ&デュトワを読みながら、たまに書評を読んでいた。支持した上、自分の知見で補完して書いてる。

デイヴィスは初期キャリアが考古学と古代美術研究を踏まえたタイプの仕事で、クィア美術史もやった人。ヴィンケルマンの再検討、ビジュアルカルチャー研究本も、クィアアートヒストリーも書いてる。
Review: [Untitled] on JSTOR
Whitney Davis, American Journal of Archaeology, Vol. 92, No. 1 (Jan., 1988), pp. 133-136
jstor.org
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学生への教育に関わっている人ならではの精度でおもしろかった

“note投稿:「トレパク」はなぜ炎上するのか
今話題の「トレパク問題」について、マンガ教育にも関わったことのある立場から、考えを述べました。
(…)
学生に対しては、「トレパクは犯罪だからダメ」と言えればある意味「ラク」なんですけど、そうもいえない。かといって、「ネットでみんなが悪いと言われているから悪い」、というのも教える側としてどうなの?みたいなとこがあります。「みんなって誰よ」みたいなことになる。(…)”

x.com/dtsuru/statu...
都留泰作(Daisaku Tsuru) on X: "note記事のリンクです↓ https://t.co/rkDM5ZjweO" / X
note記事のリンクです↓ https://t.co/rkDM5ZjweO
x.com
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ジェイムソン「認知地図」のあとの3ページほどのディスカッションパート、気まぐれに訳した。といってもDeepLの力を借りているが…。

付録に論集目次を足した。ここから単行本掲載してるもの多そうなのと、マルクス主義者大集合イベントだったのか顔ぶれがすごい。

ジェイムソンの返答でも、エスノメソドロジーが社会科学内部の反乱みたいな位置づけなのは、なるほどなあとなった。

note.com/ttt_cellule/...
フレドリック・ジェイムソン「認知地図Cognitive Mapping」(1988)のあとのDiscussion|白江幸司
ジェイムソンの「認知的マッピング(認知地図)」は1983年のイリノイ大学アーバナ・シャンペイン校で開催された夏期講座の一環でおこなわれた国際シンポジウムで発表されたテキストであり、それはその後『Marxism and the Interpretation of Culture』(Cary Nelson, Lawrence Grossberg, eds., University of Illinoi...
note.com
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バランスの取れたまとめ記事だな。ロマン優光の時事的著作は、時代ごとのニュース閻魔帳のごときものとして残る資料になっていくのだろうか…
bunkaonline.jp/archives/7771
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これ、確かにあるなあと思う。私はあまり好きじゃないアプローチだが。

“AIシティポップ論争のときにも思ったけど、「パクリ」を汚れに満ちた禁忌としながら「ゼロからの創作」を崇拝する昨今の流れ、完全にウェーバーのいう脱魔術化と再魔術化の運動に対応しており、めちゃくちゃ考えしろのある現象だと思う。シミュラークルの果ての源泉への渇望。
そして、恐らくはそのような意味での源泉の根源的不在を敏感(あるいは無意識的に)に感じ取っているのが、他でもない石を投げている人たちなのではないかという直感がある。…”

x.com/shibasakiyuj...
柴崎祐二 on X: "AIシティポップ論争のときにも思ったけど、「パクリ」を汚れに満ちた禁忌としながら「ゼロからの創作」を崇拝する昨今の流れ、完全にウェーバーのいう脱魔術化と再魔術化の運動に対応しており、めちゃくちゃ考えしろのある現象だと思う。シミュラークルの果ての源泉への渇望。" / X
AIシティポップ論争のときにも思ったけど、「パクリ」を汚れに満ちた禁忌としながら「ゼロからの創作」を崇拝する昨今の流れ、完全にウェーバーのいう脱魔術化と再魔術化の運動に対応しており、めちゃくちゃ考えしろのある現象だと思う。シミュラークルの果ての源泉への渇望。
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確認したが、ソーントンだめだね。想像以上にジェイムソンの論旨を取り逃がしてる。

認知地図のこの箇所を、「人文と社会科学の知性がないアホ」扱いって…スーパーだめじゃん。

ポストモダン時代におけるメタフィクションがいかに現状を映し出してるかを示唆してる箇所だよ。ジェイムソンの映画論でも続行されてる論点だし、限界はあるいが興味深い現れ、の扱いなのでは。
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武・アーサー・ソーントンの記述を見て、ジェイムソンの「認知地図」論ってそういうものだったか?と疑念に駆られて、再読している(邦訳がある)。

やっぱ面白いな。ジェイムソンを読む旅に出よう。
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「左翼の批判は「君主制」呪縛に囚われすぎw」のトーンは明らかにあるなー。支持者の右翼も君主制呪縛の虜やろ、と即思うが、そういう指摘はしない。右翼にはクッソ甘い。やっぱ左翼揶揄して喝采を浴びるのを狙ったキャンペーンテキストじゃん…
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「なんかアガンベンって、フーコーより権力理解が単純化してない?」の疑問は別におかしくはないが、統治層を疑問に思うやつは皆愚か、みたいなノリで言われたくないよね
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しかもソーントンの、アガンベンではなくフーコーを好む選択には、権力には意図や行動はなく矛盾に満ちているの主張に都合がいいから、という面も「ほぼ隠してない」ので、保守の立場から自動的に導かれているように見える。「フーコー以降の権力論では権力に意図をみいだせないから,権力者批判は無効」みたいな。イタリア政治における策謀へのアガンベンの疑念をあげつらってる箇所は、そのまま「自民党腐ししてる左翼全員陰謀論だから死ね」みたいなノリにみえるわ。
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フーコーの生政治も陰謀論~とやらずに、そこは止めて「フーコーはアガンベンと違って国民国家を考えてる。アガンベンはフーコーより劣化しましたわなあ」で切り抜けるので、保守がうんうん頷くポイントを確認してるだけにも見えたかな。

フーコー読解の箇所が一番マジメだが(ジェイムソンとアガンベンの箇所はほんとに読んだのかも怪しい)、その本体も、武・アーサー・ソーントン「フーコーの「生政治」を再評価する」(『思想』2023年5月号)が元っぽい。これ読めばいいのでは?という暫定結論に。
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既知のパーツが多い。ジェイムソンのイデオロギー批評は陰謀論的~(セジウィックのパラノイア的読解批判以来のテンプレ)、アガンベンは反ワクチンに堕ちた~のコンボ。

二人のナオミの冒頭が一番おもしろかった。ナオミ・クラインがナオミ・ウルフと毎度間違われるとか、ナオミ・ウルフが反ワクチンの陰謀論者に堕ちたとか、その主張がショック・ドクトリンの焼き直しに見えてクラインは「これが自分の分身なのか?」とびびったという逸話。でもこのピッカー仕事は、著者の高感度ゴシップチェッカーのセンスの証明にしかならない。