マキノヤヨイ
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マキノヤヨイ
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創作集団こるびたるの中(外?)の人。同人活動と読書メモと時々日常。適度な距離でゆるくおつきあいください。 🏠 https://scrapbox.io/kolbitar-works/about 🐘 @[email protected]
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【お知らせ】映画「DAHUFA」のファンフィクション、BOOTHにて通頒しております。映画のラストで生き残った登場人物たちのその後の物語です。

>🌕:「雁は南へ」DAHUFAファンフィクション

group-kolbitar.booth.pm/items/7404298

※リンク先通頒ページに冒頭サンプルあり。
※匿名配送でお送りします。
※既刊(水都百景録の二次創作小説)も引き続き頒布中です。よろしくどうぞ。
(怒ったら脳みそがギュン!と焼き切れちゃった…鬱になってこの方、十全に怒れないのがつらい…無事眠れるかしらん)
どこぞの国の新任の首相が労働時間規制緩和などと言ってるらしいが、君らはこれまで何のためにDXDX踊ってきたんだよ馬鹿じゃねえのとしか思わないし、The Village Green Preservation Societyの前半に気の利いた言葉を代入してTシャツかなんかに刷って見せびらかしながら歩き回りたい。(どんな文句がいいかな)
The Village Green Preservation Society
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特筆すべきは、各話ごとに映像のスタイルをがらっと変え、まんが日本昔話みたいな子供向け(CGだがフェルト人形のコマ撮りアニメみたくなっていた)から、追光動画らしい瑞々しく美しい冒険ファンタジー、中年夫婦の情実(若々しくも美しくも色艶もよくない人物造形)まで、精密でハイクオリティな3DCGアニメの技法を惜しみなく見せてくれたこと。作品の構成はどちらかいうと生真面目で抜けたところや軽みはないのだが、自分達のやりたいことをハイクオリティで叩きつけることで生まれる境地というものはあり、今回はまさにそういう印象だった。ミニシアターでマニアックに掛かってほしい。
なお、来年夏の次回作は予告編によれば三国志。
🎥:「聊斎:蘭若寺」

「長安三万里」の追光動画作品。書生(蒲松齢)が廃墟となった蘭若寺に宿ったところ、古井戸の中で優劣争っている蝦蟇と亀の妖怪に乞われて(強制されて)彼らの物語合戦の審判をすることになる。
という枠物語の中で語られる、聊斎志異から題材を取った晋から民国期までの蘭若寺を舞台にした5つの物語。それぞれ監督も異なるオムニバスだが、枠物語の設定とも馴染んでバラバラ感はなく、それぞれの短編がゆうに長編1作作れるぐらいの濃密さで、とても映像的に充実した作品である。
通りがかりのビルの正面が合板の断面みたいなパネルになっており、何やら洒落たことしてんなと顔を上げたら、ビルの名称が「合板ビル」だった件。
ところでこれがここ半年くらいの読書記録なのですが、水滸伝3巻(講談社学術文庫版)がどれだけ読むのつらくて、それがトラウマになって4巻が読めないでいたかが如実にあらわれていて我ながら笑ってしまう。石秀回あり、祝家荘あり、晁蓋の死ありで盛りだくさんだったように思うけど、読んでいる時はカルト教団の拉致監禁かよな荒っぽさがとにかくきつくて…
表紙イラストに明らかに武松としか見えない行者がいて、「杭州で墓守するのやめるのか…?その改変はありなのか…?」とやや警戒しながら読んでいたのだが、だいぶ膨らませた妖僧バトルを〆るに足る重量級として、あの作品世界に相応しい活躍だったと思う。墓守はちゃんとしてたし。
なお、楽和については最初から最後まで(原作では唯一解釈違いだった王朝恩の扱いを含め)解釈一致で喜んでいたのですが、これは単に私が銀英伝をはじめとする田中芳樹作品に訓練されまくったせいで、田中芳樹視点かっこよキャラセンサーを体得しちゃっただけかもしれない。だって原作楽和、スタンスや思考がものすごく「田中芳樹キャラ」じゃないですか?
📕:田中芳樹『新・水滸後伝』

前半中国本土編は陳忱の原作の割と忠実な再話。いきおいダイジェストにならざるを得ないので、好漢たちのキャラクターとしての魅力はやや薄め。一方、原作ではあらすじで紹介されているほどのインパクトでもない暹羅国編を中心に据えた後半は、好漢たちの建国(ややトンデモ)冒険譚に振ってかなり大胆に脚色してあり、成程そう来るかと思った。ただし倭人まわりのトンデモは出てこない。水滸伝本伝を知らなくても楽しく読めると思うが、ビギナーズクラシックスの水滸伝を一読しておくと一層理解が進むかもしれない。
田中芳樹「新・水滸後伝」特設サイト|講談社文庫
「弱きを救い、強きをくじく」 夢破れし梁山泊の者たちが再び悪政に挑む! 痛快無比、歴史伝奇小説
kodanshabunko.com
田中芳樹版、そんなボーナスステージがあるんですか。それは気になります。ご紹介ありがとうございます!
あと、個人的には、現代人にはいきなり「水滸伝」本伝を読むより、「水滸後伝」の方がとっつきやすいのではないかと思ったりしました。本伝はミソジニー強いし、残虐シーンも多いので。後伝は全般に暴力・腕力ではなく知恵と交渉(と金)で何とかしようとするのが基本的スタンスだし、「女性は三歩下がって」感は強まっているので良し悪しではあるが、どん引くミソジニーはそこまではないし。

田中芳樹が『新・水滸後伝』を書いているので、ちょっと読んで見ようかなという気になっている。作風的に合ってるでしょ、多分。
田中芳樹「新・水滸後伝」特設サイト|講談社文庫
「弱きを救い、強きをくじく」 夢破れし梁山泊の者たちが再び悪政に挑む! 痛快無比、歴史伝奇小説
kodanshabunko.com
ということで、楽和と燕青、物語上の役割に似たところがある上に性格が割と正反対なので、「後世の歴史家」として二大巨頭が半目し潰しあう李朝暹羅国史を書きたい気持ちも少しはあるが、楽和の性格だとそうはならなそうだし、もしそうなりそうになったらどっか言っちゃいそうな感じもあるな。

個人的には「燕青に気がある李師師とAroAceの燕青」のバディもの、もしくは「性格・意見ことごとく異なるのにいつも同じ謎に行き当たる楽和・燕青」の探偵コンビを書いてみたいぞ!の気持ちが(気持ちだけは)ある。絶対面白いでしょ。私は読みたい。両方セットで3人(プラスアルファ)でわちゃわちゃやってくれてもいい。
燕青、杭州で李師師の姿を見かけて「あれは李師師だ。とっつかまったら困ります」と及び腰で、彼女のことを悪し様に言ったり他の連中がうきうきで会いに行くのに嫌々引っ張られて行き、「あなたあなた」言われて迷惑そうな顔しているので、彼女が苦手なんだな、というかAroAceの燕青ありでは?と思ってちょっとわくわくしたのだが、暹羅で李俊に結婚を進める、他の連中一同もまとめて結婚させる、それだけならいいのだけど「傷もの」の女性を悪く言うのでちょっと「あー…」になってしまった。当時としての正論だとしても諸々人の心がない。「奥さんに有りあわせなんぞあるものか」と言う楽和のまともさが光る…
読了しました〜いやー「水滸後伝」こんな面白くて完成度の高い話とは思わなかったですよ。全般的には(最後の大団円が現代的にはあまり面白くないのも含め)とてもいいのですが、最後の最後で「お前さあ…」になったところはあります。

【良かったところ】
・李師師が無事で杭州に移り住んで自立した女になっていたところ。
・魯智深と林冲の墓守りをする武松。
・現実的なリスクに心配りながらも最後まで「役人なんてものじゃないですよ。いい加減にやっているだけです」のスタンスを崩さない楽和。
・戦場で敵と渡り合うのは平気なのに女たちの間にいるとむず痒くなってしまう顧大嫂。

【あのさあ…】
・集団結婚式。燕青、君さあ…
「李俊、「もう支えきれん。わしは自害して生きはじをさらすまい」と言うのを楽和、「よしんば城にはいられても、まだ市街戦ができる。そんなことをしていいものか」」(33回)

いいですね、この生きるのを諦めない感じ。で、絶対絶滅のところに李応らの船団が救援に来ると。『王の帰還』のクライマックスみたいなノリだな。
本日の水滸後伝:006

「楽和は、はたと気がつき、「しまった。やつらの仕くんだ、敵は本能寺の計にかかったぞ」」

敵は本能寺の計、原文では何と言ってるのだ…
ということで再び暹羅編。何手先まで読んで行動するすきなくかっこいい燕青に対し、楽和はあえて先を読まずその場その場を切り抜ける感じの呑気さが良い。世知に長けた常識人のかっこよさなんだよな。
(先に「揚州十日記」を読んでおいてよかったと思いました)
1巻が「招安なんかてやんでえ」勢中心だったとすれば、2巻は梁山泊忠義班メインで、奸臣の私利私欲の追求から金に遼を攻めさせ、いつの間にか金に圧迫されあたふたするうちに亡国してしまう筋と好漢達が再結集する筋だてが巧みに結びついて読み応えがある。一方で息子世代がいかにも若々しい友情を育むし、来るぞ来るぞキターと渾身の風景描写を背負って登場する燕青、「おれらのかんがえたさいきょうのかっこいいおとこ」を体現している。いやもう嫌になるくらい隙のない「かっこいいおとこ」すぎるだろ。そのかっこいい男を軸に戦争の悲惨(捕虜になる、身代金を取られる、手篭めにされる、殺される、難民になるetc.)を描くのがまたね…
本日の水滸後伝:005

「銀はこちらでは安いですから、もっぱらほしがるのは絹や織物です」(第30回)

薩摩州の倭人の要求を伝える通事(難破した漳州人)の言葉。おお、石見銀山後の世界だ。
ということで東洋文庫版3巻に入りました。2巻は多分明滅亡のあれこれを反映しているらしい描写があちこちにあり、それも含めて白眉でした。水滸伝本伝だと基本的にはぶっ殺す側に視点があるのだけど、後伝だと生き残ってる梁山泊残党も元書生とかの文弱の徒が多いので、追われて奪われて難儀に遭うし、その側の視点で描かれるんだよね。
✏️:野村鮎子『婦を悼む:明清哀傷文学の女性像』

「ただ、詩文の中の女性像を探ろうという時、留意しなければならないのは、描写の対象となるのは「亡き婦」だということである。(中略)前近代の中国文学では、妻妾は亡くなって始めて士大夫の筆に載せられるのだ」(序章)
と版元の紹介ページにはあるが、以前祝枝山が書きまくっていた文章を流し見していたところ、色々な追悼文を書く中に「誰それの夫人」についてのものが結構あったのと、本書が女性同性愛に関する附論を含むので、興味を惹かれてゲットしてみた。
さっそく附論を読んでいるが、このあたりの話題にはどこにでも出てくるな馮夢龍…
汲古選書82 婦を悼む - 株式会社汲古書院      古典・学術図書出版
◎明清士大夫が多様化させた哀傷文学の実相を浮彫にする!
www.kyuko.asia
外出したら急に冷え冷えになったり汗が噴出したりして自律神経が息をしておらず、帰宅して洗濯機を回していたらそのまま寝落ちしていた。(起きて洗濯物干してお茶飲んで一息入れているところ)
え、もしよかったら是非! 2日に行きます。
福建の同性愛は呉存存『中国近世の性愛』pp.225-231に詳しい。他での上下関係がある中での売色的なものと異なり、庶民層で男女の結婚に類した社会的関係として存在した様子。
あと袁枚の子不語の「兎神」とか。「兎神」だと福建に赴任してきた美青年の官僚に惚れた現地の小役人がつい厠を覗いてしまって激怒した官僚に殺される(が冥府の役人に同情されて同性愛の神さまになる)が、馮夢竜『情史』には福建に赴任したのをいいことに気に入った若者に手を出しまくって誹謗・失職した督学官の話があるらしい。それでもそのことを誇っていたらしいので、セクハラ野郎につける薬はない。
湯船にお湯を溜めていたはずが、栓していなかったと判明した。まだ脳みそお疲れだな…
楽和自身も、李俊を捕らえた悪徳知府をとっちめるのに花逢春の美少年ぶりをだしに使い、「(知事が)福建の出と聞き、それにやつの弱いところを心得ていた…花の坊ちゃんの容姿を借りてやつの好き心を誘い」云々と言っている。福建は同性愛が盛んなことで有名だったそうだけど、こういうところでさらっと出るくらい(少なくとも文人仲間の間では)常識になっていたんだね。
ところで、水滸伝本伝の方では同性愛(というか少年愛)の描写はほぼ出て来なかったように思うけれども、後伝の方には割と普通に出てくる。例えば、楽和と旅の道連れになって建康にやって来た小悪人の郭京が花栄の遺児花逢春に一目惚れして悪だくみをしたのが梁山泊残党の海外雄飛の直接のきっかけだし、郭京が邪魔になった楽和を追い払おうとすると逗留先の主人に「彼は数年前は定めし男前だったろうに、この頃色もつやも亡くなったのでお見限りかね」みたいに言われる。(数年前は超絶男前で、今はちょっと年食って落ち着いてきた楽和、とても良いですね。水の滴りがおさまってきて少ししおたれてきた感じのおじさんは大好きです)