プロテスタンティズム倫理と資本主義の精神bot
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1904-05年発刊、マックス・ヴェーバー著、3時間毎に1回ランダム+αにつぶやく仕様です。
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私たちの視点からみて、もっとも本質的なものと私たちに思われるものだけによって、資本主義の精神を理解できるものではないし、そうでならなければならないこともない。
December 17, 2025 at 12:52 PM
ルターは自分の天職の思想を聖書から導き出せると考えたが、この聖書という権威という観点から見ると全体としては伝統主義的な思想の方が有利である。とくに旧約聖書で(略)世俗的な道徳を樹脂するところはほとんどないし、あってもごく素朴な思想や端緒となる思想が散発的にみられるだけである
December 17, 2025 at 9:52 AM
それでもカルヴィニズムなしでは外的な持続性を維持することはできなかったはずである。しかしカトリックとルター派の信徒はどちらもカルヴィニズムを嫌悪した。その理由はカルヴィニズムの倫理的な特性のうちに根差している
December 17, 2025 at 6:52 AM
こうした指導者たちは、倫理的な文化を目指す団体の創設者ではなかったし、人道主義的な社会改革運動や文化的な理想の代表者ではなかった。彼らの生涯とその仕事の中心は魂の救済者であり、ただそのことだけだった。
December 17, 2025 at 3:52 AM
メソジスト派の宗教性の情緒的な性格はドイツの敬虔派のように内的な感情を重視するキリスト教の性格ではなかったのである。そのためこの宗派では罪悪感情はそれほど発達しなかった。
December 17, 2025 at 12:52 AM
敬虔派のもつ意味はカルヴァン派以外の宗教性の領域においても特定の方法に基づいて配慮し吟味する生活様式、すなわち禁欲的な生活様式が登場したという事である。しかしルター派はこの合理的な禁欲を自らの教えと異質なものと感じざる得なかったのである。
December 16, 2025 at 9:52 PM
カルヴァン派の神が信徒たちに求めたのは、個々の「善き業」ではなく、「業を聖化すること」を体系にまで高める事だった。
December 16, 2025 at 6:52 PM
こうした革新者には明晰なまなざしと実行力と、断固とした顕著な倫理的な資質が備わってなければならない。(略)革新に必要な顧客や労働者から信頼を獲得することはできないし、無数の抵抗を克服してゆく意志の力を維持する事はできない。
December 16, 2025 at 3:52 PM
他方では、伝統主義的に神の言葉と聖礼典に固執する正統のルター派の信仰と比較すると、何らかの方法に基づいて、生活態度に宗教を浸透させるためには敬虔派は適していたのである
December 16, 2025 at 12:52 PM
世俗的な職業労働がこのことをなしうるとみなされたこと、宗教的な不安を解消するためには、世俗的な職業労働こそが適切な手段であると考えられたことは改革派の教会のうちで培われた宗教的な感情に根差す根深い特性に基づくものだった
December 16, 2025 at 9:52 AM
世俗的な職業労働は、心の中の隣人愛が外的な行動として表現されたものであると、ルターは考えた。そして世俗の労働にみられる分業においては、誰もが他人の為に働くことを強制されるから隣人愛の表現であるという奇妙な論理で、その根拠づけをおこなったのであり、
December 16, 2025 at 6:52 AM
資本主義は最初からずっとこの方法を採用してきたのであり賃金を引き下げると生産性が高くなるというのは数世紀の長きにわたって信じられてきた信条なのである
December 16, 2025 at 3:52 AM
全ての人にだれかれと差別なく天職として一つの職業が与えられているのであって、各人は自分の天職を見いだして、働けねばならないのである。
December 16, 2025 at 12:52 AM
選ばれた人は現世の生活においては神に見捨てられた人といかなる違いも示さないのであり、選ばれた人の主観的な経験はすべて聖霊の戯れに過ぎず神に見捨てられた人も同じような経験をすることができる。だから選らばれた人は、神の見えざる教会である
December 15, 2025 at 9:52 PM
バクスターによると職業において怠惰な人ほど、神の為に働くときがあるのにその時間がないと主張するのである。
December 15, 2025 at 6:52 PM
ピューリタンの場合は宗教的な懐疑や繊細な自己の苦悩を抑えるためではなく、すべての種類の性的な誘惑を克服するためにも、節食、菜食、冷水浴などとともに「汝の天職である労働にいそしめ」という教えが与えられたのであった。
December 15, 2025 at 3:52 PM
経済活動の種類と方向を決定するための主要な動機が、個人的な需要な大きさであるか、それともこうした需要という枠組みに制約されない利益への欲望と営利の目的の可能性であるかに基づいて経済史を考えようとしたのである。
December 15, 2025 at 12:52 PM
いくつかの重要な資本主義的な経営方式が宗教改革の前から存在していたのは周知の事であり、こうした主張が空論であるのは明らかであろう
December 15, 2025 at 9:52 AM
特権的な大資本家と独立した中小の資本家という二種類の資本主義的な行動様式の対立はごく広い範囲で宗教的な対立をともなっていた。国教会派は18世紀になっても非国教会派のことを小商店の店主の精神の持ち主と嘲笑していたのであり、昔ながらのイギリスの理想を破壊する者として迫害したのだった
December 15, 2025 at 6:52 AM
これこそが改革派の教会を土台とした敬虔派の決定的な特徴と考えられるだろう。こうした感情的な要素はカルヴァン派の信仰心とは最初から全く異質なものであって(略)特定の形態の中世の宗教性と内面的に類似したものだった
December 15, 2025 at 3:52 AM
近代的な企業のスタッフで技術的な教育や商業的な教育を受けている人々のうちでは、プロテスタント的な性格の強い人が圧倒的に多数を占めるという事である。
December 15, 2025 at 12:52 AM
ピューリタンたちはこうした営みに極めて深刻な懸念を抱いていたのだったが、その倫理的に決定的な重要性と枠組みを理解する為には、さらには深く考察する必要がある。
December 14, 2025 at 9:52 PM
メソジスト派において、根本的に首尾一貫して堅持されてのは、第一に新生が信仰の不可欠な基盤であるという考え方であり、第二に信仰の果実として直接に現れる救いの確実さという感情こそがしるしという信念であり、第三に恩寵が与えれた者という地位の証明として、罪から解放されるという信念である
December 14, 2025 at 6:52 PM
「もしも神があなた方に示した道に従ってすすめば、自分の魂も他人の魂も損なうこともなく、律法にかなった方法で、他の道に従う場合よりも大きな利益を手にすることができるのに神の示したその道を拒んで別の道に進むとすれば、それは自分に示された召命の目的に反することになり」
December 14, 2025 at 3:52 PM
私経済的な富の生産という側面では、禁欲の精神が闘った相手は不誠実さだけではなく、純粋に衝動的な物欲でもあった。富裕になることを究極の目的として富を追求する事だったからであり、これこそ禁欲によって貪欲として拝金主義として排斥されたものである。所有そのものが誘惑だった
December 14, 2025 at 12:52 PM