田渕 紫織(新聞記者)
shtab.bsky.social
田渕 紫織(新聞記者)
@shtab.bsky.social
朝日新聞社会部の記者です。学士・修士では災害社会学+災害人類学。東日本大震災の翌月から記者になり、2022年度まで子育て世代のページ「ハグスタ」編集長も。災害、子ども、メディアに関わる報道が長め。生活から離れない記事を。映画と映画館が大好きです。
https://www.asahi.com/reporter-bio/233307510a42b9fcd7181fdeb8ac4ed62f9f6ae14aeb02ed28da93253848c71f
行き先は、11年前(震災から3年後)まで駐在していた岩手県大槌町と、隣の山田町。

各地域の以前の取材先をぐるぐる回って、そこから紹介していただいた人を訪ねて、訪ねて…と繰り返しているうちに日が暮れていきました。帰りたくなかった…。

人口の1割が犠牲になった大槌町。
今回取材した町民の方たちも、ほぼ全員が、震災で家族や友人を失っています。

11年前は、話してくださるその内容に対して、伝える技術があまりに発達途中で、ただ体力に任せて訪ねて聞いて書いて直されまくって…という日々でした。
今秋からまた念願の機会を得て、何が書き残せるか、通いながら必死に考えていきたいと思います。本当は住みたい。
November 13, 2025 at 5:07 AM
週末から昨日まで、三陸へ出張でした。

着いた日の夜に津波注意報。
夕方までは「クマが出るから不要不急の外出控えてください」としきりに呼びかけていた防災無線から、夜になって急に津波注意報が流れてきました。

警報ではないので避難する人は少なかったですが、何度も続くゆらゆらした揺れはとても嫌な感じで、宿の女将さんは「震災の時のこと思い出しますね」と、しんどそうにしていました。

二度と起きませんように。
November 13, 2025 at 4:46 AM
昨日は神保町の古本まつり。今年は関東大震災の絶版本が大漁。
三連休ずっと家を片付けて大量の本と紙(とおもちゃと服)を処分したのに、また手が買ってしまった。

昨日何時間も付き合ってくれた子どもへのお礼に、今日は子どもの行きたい所へ。
帰りに寄った銭湯で、湯船で会った人生の先輩たちと、宝くじ買って当たったらどうしよう買わないと当たらないけどねははは、と笑った最高の晩でした。
November 3, 2025 at 12:35 PM
政局により、とっくに発表されてるはずだった首都直下地震の被害想定がのびのびになり(「政治空白だからって、いま起こったら本当にどうするんですか」という後輩記者の憤りはもっともだと思う)、準備中のたくさんの原稿も宙に浮いていますが、取材は完了。

この関連で、今月は大阪に出張。
大阪北部地震に被災した地域で、子育て世帯や保育園長を取材しました。

今日は、平河町の防災専門図書館へ。
充実した専門誌・行政資料と専門の職員の方の知見に、企画のたびに助けられています。ありがとうございます。
October 30, 2025 at 1:33 PM
今回のコラムに、清水幾太郎の『流言蜚語』から2文だけ引用しました。
名フレーズだらけのなか、字数制限とのたたかいで、どの一文を引用するか悶絶しました。

震災当時に中学生だった清水幾太郎の原体験にも着目しました。
朝鮮人を殺したと得意げに語る兵隊に会ったという話がよく知られています。
同時に、妹と弟を探して東京じゅうをたくさんの遺体を見て回っていたことに触れ、「あんなに多くの死骸を見てしまった人間には、もう青春はない」とも書いています。

清水幾太郎がこれを書いたのが、関東大震災から14年後。
いま、東日本大震災から14年半後です。
後段と、あの時の子どもたちの姿が重なります。
October 28, 2025 at 2:02 AM
今朝は、気になっていた「そのとき、どうする?展 -防災のこれからを見渡す-」@21_21 へ。

防災や災害についての10の「問い」がちりばめられている構成。

意味ある「問い」を立てるのって、難しい。
行政的な模範解答や物質的・企業的な解が透けて見えるのは、問いというより、誘導的な質問。本当にその答えを探していると思えない。
でも、今風にはQの形にしないと体験型にならないのかなあ。

そんななか、「『復興』ってなんだろう?」は、他の人の回答を読みあさりました。
「隔絶された被災地の情報を、鳩が届けてくれる未来」も俄然興味が。

冷凍都市・六本木でこのテーマの展示が開かれていることに眩暈。
September 23, 2025 at 3:53 AM
今年も関東大震災の朝鮮人虐殺の原稿を書いています。

通勤中に少しずつ読んできた田山花袋の『東京震災記』を読了。

関東大震災の大火災の後の、東京の光景について描写。
「新聞記事も、多くは記述と説明だけで、描写はしていないから、どういうことはあったということは知れても、本当の光景や感じや気分はわからない」と前書きに。

耳が痛いなと思いながら読み入っていたら、後段の虐殺のくだりと、本人の編集者が残した証言の落差に打ちのめされました。
August 29, 2025 at 1:30 AM
先週末からの夏休みは、迷わず岩手へ。
記者としての2カ所目の赴任地で、第2の故郷。

よ市めがけて盛岡へ行ってひたすら街を歩いたあと、大船渡で、かつての取材先も含む、山林火災の跡地を回りました。
陸前高田では、追悼と検証のありかたについて考え込みました。調査と取材は細々続けているので、今年こそ記事にしたいと思います。
August 26, 2025 at 1:57 PM
東日本大震災のときも、帰宅困難者が街にあふれかえりました。
仙台では、卒業式やコンサートで大型ホールにいた人も多かった。

この写真は、仙台駅に近い小学校の体育館(地域の指定避難所)に帰宅困難者らが殺到してごった返した震災当日のもの。
当時の校長先生にお話をうかがって記録しました→
www.asahi.com/articles/AST...

大災害が起これば、万博と比較にならないほど想定外な人の流れがあるはず。いくつもの想定と受け入れ先が必要です。
August 14, 2025 at 5:30 AM
【大雨】車での避難する時の注意点 冠水路や高架下は通らないで
asahi.com/articles/ASQ...

備えられるときは、スマホの充電と車の給油をしておくと安心です→
August 11, 2025 at 1:41 AM