生田美和
@shodamiwa.bsky.social
人を育てるのには時間がかかるということ。手放した技術や文化は、簡単には復活できないということ。コストカットだけでは、手元にある技術や文化まで、やせ細っていくということ。能力のある人は市場にいくらでもいるという考え方も、育てる気のない場所ばかりになれば難しくなっていくこと。
November 10, 2025 at 7:18 AM
人を育てるのには時間がかかるということ。手放した技術や文化は、簡単には復活できないということ。コストカットだけでは、手元にある技術や文化まで、やせ細っていくということ。能力のある人は市場にいくらでもいるという考え方も、育てる気のない場所ばかりになれば難しくなっていくこと。
わかりやすいところでは、物価高です。実質賃金が下がる中、希望を持てそうな話はあまり聞こえてきません。「まだまだ働いてもらう」とか、「まだまだ働かせる」というような、そんな声ばかり響いてくる状況です。わたしたちの手元から、さらに時間が奪われていく可能性があります。
November 10, 2025 at 7:09 AM
わかりやすいところでは、物価高です。実質賃金が下がる中、希望を持てそうな話はあまり聞こえてきません。「まだまだ働いてもらう」とか、「まだまだ働かせる」というような、そんな声ばかり響いてくる状況です。わたしたちの手元から、さらに時間が奪われていく可能性があります。
以上、「”あーあ”で始まる呆れ呪文で、成長は止まる」というお話でした。子育てでは注意されることですが、「親や教師に手間をかけさせない子=いい子」という価値観では、子供の能力は伸ばせません。職場や友人関係にもそうしたことはあるので。安心して失敗し、安心して学べる場所づくりを。
November 10, 2025 at 6:39 AM
以上、「”あーあ”で始まる呆れ呪文で、成長は止まる」というお話でした。子育てでは注意されることですが、「親や教師に手間をかけさせない子=いい子」という価値観では、子供の能力は伸ばせません。職場や友人関係にもそうしたことはあるので。安心して失敗し、安心して学べる場所づくりを。
ヒント。人のやることなすことに苛立つタイプや、人の弱みを攻撃してストレス発散するタイプは、存在します。そこは理屈ではないので、このタイプに教育役は難しいです。「人は間違うもの、トラブルはあるもの」と現実を理解し、人への攻撃ではなく、問題解決に気持ちが向く人々を中心にすることです。
November 10, 2025 at 6:32 AM
ヒント。人のやることなすことに苛立つタイプや、人の弱みを攻撃してストレス発散するタイプは、存在します。そこは理屈ではないので、このタイプに教育役は難しいです。「人は間違うもの、トラブルはあるもの」と現実を理解し、人への攻撃ではなく、問題解決に気持ちが向く人々を中心にすることです。
まとめ。「間違ったときにどうするか?」というところで、経験値の入り方が違ってきます。人は転びながら歩けるようになる生き物なので、学習とは、常に間違いの近くにあります。誰かが間違えたとき、それは「学べるタイミングが来た」ということ。時間はかかりますが、教え甲斐のあるターンです。
November 10, 2025 at 6:27 AM
まとめ。「間違ったときにどうするか?」というところで、経験値の入り方が違ってきます。人は転びながら歩けるようになる生き物なので、学習とは、常に間違いの近くにあります。誰かが間違えたとき、それは「学べるタイミングが来た」ということ。時間はかかりますが、教え甲斐のあるターンです。
「間違えたら、こんなふうに酷い扱いを受けるんだ…」という事実は、周囲を萎縮させます。人々は消極的になり、間違えても誤魔化すようになるでしょう。「自分には教育役や、フォローは無理」という悩みは、上司や他の仲間に相談するもので、眼の前の相手にぶつけることではないです。
November 10, 2025 at 6:20 AM
「間違えたら、こんなふうに酷い扱いを受けるんだ…」という事実は、周囲を萎縮させます。人々は消極的になり、間違えても誤魔化すようになるでしょう。「自分には教育役や、フォローは無理」という悩みは、上司や他の仲間に相談するもので、眼の前の相手にぶつけることではないです。
間違えてしまって、そのことで起きた問題がある程度収まってから、教える時間をしっかり取ります。何がマズかったのか振り返って、場面ごとに考えていくこと。考え方や手順で、つまずきがちなところ、勘違いしていたところを発見すること。考え方や正しい手順、確認の仕方を実際にやってみること。
November 10, 2025 at 5:15 AM
間違えてしまって、そのことで起きた問題がある程度収まってから、教える時間をしっかり取ります。何がマズかったのか振り返って、場面ごとに考えていくこと。考え方や手順で、つまずきがちなところ、勘違いしていたところを発見すること。考え方や正しい手順、確認の仕方を実際にやってみること。
「大勢の前で、呆れて見せる」「そうすることで、いたたまれなくなった人が心を入れ替え、ちゃんとしてくれるはず…」なんてやり方、まず効き目はないです。それよりも、間違えて慌てている人を落ち着かせること。被害がこれ以上広がらないようにすること。起きている問題に対処することです。
November 10, 2025 at 5:11 AM
「大勢の前で、呆れて見せる」「そうすることで、いたたまれなくなった人が心を入れ替え、ちゃんとしてくれるはず…」なんてやり方、まず効き目はないです。それよりも、間違えて慌てている人を落ち着かせること。被害がこれ以上広がらないようにすること。起きている問題に対処することです。
AIの絵、文章、モデル、音楽でしばらくやっていくとしても。それは「人を知り、人に知られる」「苦楽を共にする」という、限りある時を誰かと重ね、他者と一体化していくという体験にはならない。こころは、そこで動いていく。これからはより、人と関わり合うことの意味が、見直されていくだろう。
November 9, 2025 at 4:26 PM
AIの絵、文章、モデル、音楽でしばらくやっていくとしても。それは「人を知り、人に知られる」「苦楽を共にする」という、限りある時を誰かと重ね、他者と一体化していくという体験にはならない。こころは、そこで動いていく。これからはより、人と関わり合うことの意味が、見直されていくだろう。
ひとりの作家に頼めば、その人を知り、その人に知ってもらい、やり取りする中で両者の関係の上に経験値が貯まる。AIにやらせて、その経験値はどこに貯まるのか?苦楽を共にした制作体験の中で、育まれる信頼関係がある。その上で、出来上がる製品・作品がある。モノだけポンと出せばいいわけではない。
November 9, 2025 at 4:07 PM
ひとりの作家に頼めば、その人を知り、その人に知ってもらい、やり取りする中で両者の関係の上に経験値が貯まる。AIにやらせて、その経験値はどこに貯まるのか?苦楽を共にした制作体験の中で、育まれる信頼関係がある。その上で、出来上がる製品・作品がある。モノだけポンと出せばいいわけではない。
AIは突然、中身を変えられてしまうことがある。人ではないため、過ごした時間は消えることがある。寿命という、限りある時を生きる人間にとって、限りない時を持ち、また、記憶や性質を第三者に書き換えられてしまう可能性があるAIは、フェアな関係を築いていける相手ではない。道具の域を出ない。
November 9, 2025 at 4:05 PM
AIは突然、中身を変えられてしまうことがある。人ではないため、過ごした時間は消えることがある。寿命という、限りある時を生きる人間にとって、限りない時を持ち、また、記憶や性質を第三者に書き換えられてしまう可能性があるAIは、フェアな関係を築いていける相手ではない。道具の域を出ない。
自分側に気づきが足りなかったとしても。相手側に、自分のことをわかってもらう場合もある。「こいつ、わからんなー」と思われることにも、意味はある。どう転んでも、自分と相手の関係性に経験値が貯まる。でもAIとは違う。AIを知り、AIに知ってもらい、AIと過ごした時間は、リアルの関係にならない。
November 9, 2025 at 4:03 PM
自分側に気づきが足りなかったとしても。相手側に、自分のことをわかってもらう場合もある。「こいつ、わからんなー」と思われることにも、意味はある。どう転んでも、自分と相手の関係性に経験値が貯まる。でもAIとは違う。AIを知り、AIに知ってもらい、AIと過ごした時間は、リアルの関係にならない。
AIが変わるより、人間同士が変わる方が早そうだと思う。例えば、Chat系のAIは、「AIである自分は提案しなければ」という姿勢が強く、提案を求めない場面でもからみついてくる。人間と人間なら表情や声色で、「余計なこと言っちゃった!」と気づいたり、「この雑談は歓迎されてるみたい」とわかる。
November 9, 2025 at 4:01 PM
AIが変わるより、人間同士が変わる方が早そうだと思う。例えば、Chat系のAIは、「AIである自分は提案しなければ」という姿勢が強く、提案を求めない場面でもからみついてくる。人間と人間なら表情や声色で、「余計なこと言っちゃった!」と気づいたり、「この雑談は歓迎されてるみたい」とわかる。
ラーメンは好きだけど、ついて行かずに。こうやって、一人きりになる時間を持ってもらってる。「誰かの妻」「誰かの夫」「誰かの親」「誰かの子」みたいに、誰かを軸とする役割に家族の誰も押し込めたくない。「ただ、自分として過ごす」という時間が必要。それは、たぶん誰にも必要。
November 9, 2025 at 5:20 AM
ラーメンは好きだけど、ついて行かずに。こうやって、一人きりになる時間を持ってもらってる。「誰かの妻」「誰かの夫」「誰かの親」「誰かの子」みたいに、誰かを軸とする役割に家族の誰も押し込めたくない。「ただ、自分として過ごす」という時間が必要。それは、たぶん誰にも必要。