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Xでは、ルナ2名義でやってます。基本、同じの投稿します。
『ブラック・ドッグ』
昔ならBOWシリーズで公開されたのかしら?主人公ほぼ喋らん。所謂映画音楽なし。遠景と横移動。五輪煽る国家に背を向け野良として旅立ち。賈樟柯も俳優で出てるし。フランス映画社好みの辺境の映画の傑作条件揃っているんだが…。それらをスタイリッシュになぞっているだけの普通の感動作。
September 30, 2025 at 9:52 AM
『ナイツ&ウィークエンズ』

前作『ハンナだけど 、生きていく!』の成功でマンブルコアのエースとなった監督とそのミューズの女優が、満を持して、監督兼男優、監督兼女優としてカップルを演じる、ありそうでなかった共同作品。だからこそなのかもしれないが、良くも悪くも、現場でのふたりの俗に言う最悪の関係がヒリヒリ伝わってくる。それが最も表れているのが次のシーン。ジョー・スワンバーグ監督とグレタ・ガーウィグふたりの伝家の宝刀、“シャワーシーン”は最初だけ。後半、ふたりの楽しかった頃の記憶を呼び覚ます“バスローブ”をグレタは風呂上がりに着るのではなく、→
August 11, 2025 at 6:22 AM
スムース・トーク(1985)
端整な顔が泣くと一瞬にして“クシャおじさん顔”(若い子にわかるかな)になるローラ・ダーンの神秘。この映画史上最も落差が激しい女優の顔がデビット・リンチ『ブルーベルベット』による発見ではなく、ローラのデビュー作ジョイス・チョプラ監督の今作からだったとは…。
August 11, 2025 at 4:14 AM
スムース・トーク(1985)

思春期女子の危ういドライブを説教臭い終わり方にするんじゃなくて、ジェームズ・テイラーの繊細な歌声で優しく包み込む。同じ処女作ストーカーものでもイーストウッド『恐怖のメロディ』には出せないw
監督はジョイス・チョプラ
京都シネマにて
「映画の中の女の子たち」特集
August 11, 2025 at 4:12 AM
#冬冬の夏休み 1984
#侯孝賢
なんばパークスで見た。
シネコンの大画面で見てこその冒頭卒業式(ドキュメンタリー)のド迫力。そして画面設計の要となる、冬冬と妹が夏休みを過ごすお祖父さん“ち”の階段の踊り場(それとも中二階)。電話が置いてある一階の診療所が上から見え、そこで靴を脱いで二階に上がると冬冬たちの泊まる部屋。外部と繋がる電話がかかってくる時、必ず踊り場から映る。後半、電話は台北からの重要な知らせを届ける、かもしれない。その時、冬冬は、受話器を取る祖父の光景を踊り場から目撃するのかというサスペンスはあるのかないのか?乞うご期待!踊り場はまさにこの家における世界の中心なのだ。
August 5, 2025 at 2:37 PM
渋谷さん、10代前半最も影響を受けた人物でした。トークライヴにも行きました。サウンドストリートで『マクロス』映画版一作目の批判の投稿を読んでもらいました。
“美形キャラとカッコいいメカにしか興味のない女にモテない連中が作った産業ロックならぬ産業アニメ”
あの時はありがとうございました。
July 22, 2025 at 10:52 AM
先生のつうしんぼ
追悼 武田一成
リュミエール工場の出口ならぬ“学校の校門”から子どもたちワーッと出てきて“アクション”で威勢よく始まり、中盤、小川プロ思わせる蚕の脱皮の撮影。そして退院祝い兼ねての上映会。正に、映画の鑑のような映画。蚕の一生に衝撃。映画を眼差す瞳の強度が自分には足りんからか。
June 28, 2025 at 2:57 PM
『メイデン』
黒猫の死骸に一瞬ギョッとするが、猫の命は9つあるの忘れてた。去年『アイアンクロー』に続き“三途の川映画” 
山も森もブルドーザーでさら地、イナゴの大群の如く大地貪り食う人間。10年後何してる? 友達いる奴いない奴、皆で仲良く“三途の川”渡ってるよ。それはまた別の話…だったらいいんだけど。
May 20, 2025 at 12:00 PM
#君たちはどう生きるか
囚われの美女、夏子かあさんがインコの糞まみれになって帰って来るのが良かった。次のカットで、夏子の綺麗な顔から綺麗さっぱり糞がなくなっていたのがさらに良かった。さらに、もっと良かったのは、俗物の父さんが糞まみれになっていたこと。息子、駿の父への制裁。
#金曜ロードショー
May 7, 2025 at 12:48 PM
監督ロバート・ゼメキス 
脚本エリック・ロス
『HERE時を超えて』の
併映作として、足し算するならば、
監督スティーブン・ソダーバーグ
脚本デヴィッド・コープ
『プレゼンス存在』ではないか。
アメリカ合衆国の歴史あるお家に住む家族の物語に、巨匠たちが
大脚本家と挑む実験作二本。
その二作品に、オールナイト上映三本立てにて、
監督脚本デヴィッド・ロウリー
『ア・ゴースト・ストーリー』で、割り算したら、観客の中で
いかなる化学反応が起きるのか、
楽しみだ!
April 7, 2025 at 9:23 AM
『斬る』(62)
青空の下、友とふたりきりで酒を酌み交わす。心地よい風が吹き、暖かな陽の光を浴び、背中越しには池の水面が揺れている。そんな屋外での酒の席で「なぜ妻帯をせぬ」との友の問に対し雷蔵は己の心情を打ち明ける。すでにこの世にはいない誓いを立てた三人の女について。
「ひとりは母だ、ひとりは妹だ、そしてひとりは…(烈日のような激しい女)」。三人の女の非業の死に関して観客には周知のことではあるが、→
April 5, 2025 at 5:23 AM
剣三部作の一つ『斬る』は市川雷蔵扮する高倉信吾を三づくしで描く。三年間なんとなく野や山を見、その三年で“三絃の構え”を体得し、強くなりすぎた為に、育ての父と妹を失うが、強さ故に、仕官の口に恵まれ、三年奉公の挙句「申し訳ありません」と切腹。短い人生には、誓いを立てた三人の女がいるという。
その三人の女には、「処刑された母には父」「血の繋がっていない妹には、横恋慕する隣のお坊ちゃま」 そして「信吾が童貞だったが為に、みすみす助け損なった、一期一会の女は我が身と引き換えに救うべき弟」。雷蔵との三角関係が形成される。→
April 5, 2025 at 2:26 AM
『ジュ・テーム、ジュ・テーム』(68)で一番ワクワクする場面は、海のものとも山のものとも物語の中身のつかない冒頭、退院したクロードはタクシーに乗ろうとする直前クレスペル研究所の2人の職員が呼び止め、話があるので、是非にと自分たちの車に誘う。その片方の職員が待たせたタクシーの運ちゃんにきちんと対価を払う労働者への配慮を忘れない。これから行くクレスペル研究所が気前だけは良さそうだが、果たして裏の顔は…。タクシー代をケチらない場面を少し離れたところからほんのちょっと挿入するだけで、研究所への観客の好奇心を掻き立てるアラン・レネの細かい目配りを称賛したい。
April 1, 2025 at 1:27 PM
1968年制作のアラン・レネ監督『ジュ・テーム、ジュ・テーム』は、理論物理学者カルロ ・ロヴェッリが12才の時の映画。『ファーストキス』で彼の「ループ量子重力理論」を過去現在未来同時に存在すると、分かりやすく置き変えていたが、レネ見たら過去と現在のモンタージュをランダムに繋げたら説明なしでもそうだとわかる。
April 1, 2025 at 1:24 PM
『ジュ・テーム、ジュ・テーム』

バスルームの美女の誘惑が結局蛇の生殺しみたいで快楽は得られないと食堂車で友人に夢の話をするクロード。観客だって、面白くなりそうなシチュエーションがコマ切れで飛ばされ、いわば物語という美女に寸止させられた感じ。まあ、アラン・レネの映画ではいつものことさw
ところがいつからだろうか、タイムリープ実験の被験者となったクロード同様、彼の過去の時系列を断片的かつランダムに見せられ続けた観客もこの実験/映画から降りる気などなくなっていることを。まあ、レネの映画ではいつものことさw→
April 1, 2025 at 1:18 PM
『#痴人の愛』

ナオミこと奈月セナのバーでの立ち姿、すらりとした脚の曲げ方が妙に色っぽい。そういえば、カウンターゆえ初めてナオミと出逢う河合譲治こと大西信満には隠れて見えないのだった。よって艶めかしいこの脚は観客だけのもの。脚フェチのトリュフォーのように愛でたい。狂気の愛の物語と共に。

『#痴人の愛』沖縄 #桜坂劇場 にて上映中!
3月15日から1週間は連日17:50~
5月9日からは、池袋 新文芸にて、ラスト上映決定
主演 #大西信満 #奈月セナ
#井土紀州 監督作品
March 15, 2025 at 3:44 AM
『#痴人の愛』

主役二人の顔言うに及ばず、村田雄浩の顔で締める“顔”の映画。奈月セナの美しいカラダ目当てだけでない。男と女の顔がいかに近づいてカット割るか、当たり前の事を当たり前にやる“普通”の良さ。普通だからいい映画か、いい映画だから普通なのか。作家の映画とコンテンツの二極化進む邦画で稀。
March 15, 2025 at 3:42 AM
『#痴人の愛』(2024)

リアル“#痴人の愛”を地で行けど、書けない重圧に怯える脚本家志望の河合譲治。締め切り3日前。本棚にずらり大脚本家の著書。シナリオ集の背表紙が見える。先人に敬意示し、圧倒的才能の差に押し潰される、この書物カットを横一列で流す。一秒長ければ監督井土紀州の映画人生の吐露へ…その一歩手前で河合譲治の物語に留まったのは流石。作家の映画と普通の映画のせめぎ合いに痺れた。→
March 15, 2025 at 2:51 AM
『プレゼンス 存在』

幽霊さん、自分で開かずの窓から突き落としといて、二人が地面に叩きつけられる瞬間は見ない、見せないんじゃなくて、見ない、地面に倒れてる事故現場(?)は見る。スティーブン・ソダーバーグのPOV演出のそこがミソ。
March 11, 2025 at 9:43 AM
『名もなき者』
ジェームズ・マンゴールド

ファーストカット、一瞬鉄道橋に見え、ウディ・ガスリーの歌と共にボブが列車に乗ってNYにやって来るのかと思いきゃ、ヒッチハイクの“車”で参上。ウディ・ガスリーに『わが心のふるさと』で植え付けた“列車”のイメージに対して、この映画の中のボブ・ディランは、列車に乗らないニュータイプ(バイクは当然、飛行機にも乗る)として描かれていた。歌のカットのあと、次のカットが車やバイクのエンジン音で歌をかき消す事もピート曰く新しい未来のフォークの担い手と関係あるのか。
ディランの歌の文句じゃないけれど、まさに、「時代は変わる」
March 9, 2025 at 6:32 AM
『名もなき者』のどこが怖いかと言うと聴衆の豹変が怖い。言わずと知れたクライマックスの電気演奏。I LOVE BOB♥→演奏→ユダ💢 スターと聴衆の切り返しは、フリッツ・ラングの『M』の犯人と大衆のフアシズム的切り返し。もっと怖いのは、大ブーイングのあと、アコギ一本で唄う→I LOVE BOB♥ なんじゃそりゃ、あんたらリベラルちゃうの? 客席ショットは、わたしたち観客を映す“鏡”だ。映ってるのは、ブクブク太ったアメリカ人で自分とは似ても似つかないとの声もあろうが。探してごらん、五百羅漢 石仏を見るように。トランプの世界を生きるあなたやわたしにソックリだから。
March 9, 2025 at 4:15 AM
『35年目のラブレター』

鶴瓶師匠が最後に書くラブレターの内容、僕が43年間原田知世に思ってたこと全部文字にしてくれているので、映画ファンとしては困惑しても(手紙をシネスコで撮るのには懐疑的)、
知世ファンとっては原田知世への想いを綴る理想のフアンレター代筆映画。
March 9, 2025 at 4:09 AM
『天井桟敷の人々』

「この方を呼んで下さる」勝ち誇った表情で名刺を警察に手渡すヒロイン。この台詞と仕草とで第一部の終わりを告げる。権力を制するにはさらに強い権力を利用する事だ。警察には勝てても、このあと(第二部)、彼女がどうなるか、その事を誰よりも知っているのは聡明な彼女自身だ。勝ち誇る彼女を捉えた名刺の場面が何よりも素晴らしいのは、第一部の終わりのひとつのショットだけで彼女を取り巻く4人の男たちが見事に繋がっていたからである。→
March 1, 2025 at 11:55 PM
国アカで阪本順治監督の『ビリケン』(96)の上映があったとか。実は通天閣下でエキストラとして一帳羅のBIGI着込んで参加したよ。助監のこっちがいいですよこっち来てくださいに騙されんとなんとか写ってた。寒い中、一緒に参加した皆さんが10年後に維新支持者になるなんて…(白目)。
って事は映画を見る人たちは俺の事もw
February 24, 2025 at 2:16 PM
ジョージア映画特集で未見だったラナ・ゴゴベリゼの作品を6本見たのだか、どうもあの斜めから捉えたかのような不確かなアングルに馴染めず。
ただ『インタビュアー』(76)は好みを超えた何かを感じるし、『母と娘完全な夜はない』(2023)は映画を超えた人生の勝利を感じる。
さて、『#金の糸』(2019)であるが、三人の老人たちが歩く事さえままならぬの設定が功を奏したのか、それとも美学的な構図が世界的な主流だからか、端正なショットにようやく接点を見出だせた。
ラナの主題“寛容”も過去作から堂々と“金継ぎ”され、正に集大成。→
February 24, 2025 at 1:21 AM