きっとすごいんだろうな、とは思うのだが、正直AIの進化には、このエスプレッソマシン程にはときめかない。
そして振り返ってみると、ダイハツの軽自動車にせよこれにせよ、それらのテクノロジーは、結局蒸気機関の延長線上のものだ。
思うに自分は、産業革命における「蒸気機関ショック」みたいな価値観の延長線上に生きており、その限界からは逃れられないのだ。
IT関係のテクノロジーは更に加速しそうだけど、自分が付き合える対象ではないのかも。
きっとすごいんだろうな、とは思うのだが、正直AIの進化には、このエスプレッソマシン程にはときめかない。
そして振り返ってみると、ダイハツの軽自動車にせよこれにせよ、それらのテクノロジーは、結局蒸気機関の延長線上のものだ。
思うに自分は、産業革命における「蒸気機関ショック」みたいな価値観の延長線上に生きており、その限界からは逃れられないのだ。
IT関係のテクノロジーは更に加速しそうだけど、自分が付き合える対象ではないのかも。
そういえばPさんもその後帰国して結婚後、二人の子供はもう20歳に近い。僕らだってもうすっかり最終コーナーだし、久しぶりに連絡してみよう。
そういえばPさんもその後帰国して結婚後、二人の子供はもう20歳に近い。僕らだってもうすっかり最終コーナーだし、久しぶりに連絡してみよう。
その時別の帰国子女友が通うインドネシア語教室へ行ってみたところ、すっかりノリが合ってしまった。
その頃僕らはまだ東京に住んでいたが、インドネシア人友の誘いで代々木公園のインドネシアフェスに行った時に、初めて彼女と会い、しかしそれっきりだった。
ところがその1年後、うちの奥様の職場がジャカルタになり、ひと月ほど経った頃、いきなりMちゃんから「私も引越してきました!」と連絡が。職場はすぐ近所のホテルで、ご近所付き合いに。
その時別の帰国子女友が通うインドネシア語教室へ行ってみたところ、すっかりノリが合ってしまった。
その頃僕らはまだ東京に住んでいたが、インドネシア人友の誘いで代々木公園のインドネシアフェスに行った時に、初めて彼女と会い、しかしそれっきりだった。
ところがその1年後、うちの奥様の職場がジャカルタになり、ひと月ほど経った頃、いきなりMちゃんから「私も引越してきました!」と連絡が。職場はすぐ近所のホテルで、ご近所付き合いに。
彼らに会ったのは、後にも先にもあの1回だけ。
世の中には本当に、そうゆう世界で生きる人が居るんだね。
無事だといいけど。
彼らに会ったのは、後にも先にもあの1回だけ。
世の中には本当に、そうゆう世界で生きる人が居るんだね。
無事だといいけど。
残る二つは、横浜中華街「徳記」の「豚骨ソバ」のスープと、学生の時バイクツーリングで立ち寄った能登半島の民宿で供された「鯛のアラ煮汁」だ。
「徳記」は経営者が変わり「豚骨ソバ」も現存しているが、同じメニューと同じレシピで作られているはずなのに、なぜか何かが足りない。
能登の名前も忘れてしまったあの民宿は、恐らくもう無いだろう。息子さんが金沢の料亭で修行した方だったようで、すこぶる素朴で品の良い郷土料理に舌鼓を打ったが、その数年後この息子さんは亡くなってしまった。
つまりこの中で現存するスープは、新喜楽のみなのだ。
残る二つは、横浜中華街「徳記」の「豚骨ソバ」のスープと、学生の時バイクツーリングで立ち寄った能登半島の民宿で供された「鯛のアラ煮汁」だ。
「徳記」は経営者が変わり「豚骨ソバ」も現存しているが、同じメニューと同じレシピで作られているはずなのに、なぜか何かが足りない。
能登の名前も忘れてしまったあの民宿は、恐らくもう無いだろう。息子さんが金沢の料亭で修行した方だったようで、すこぶる素朴で品の良い郷土料理に舌鼓を打ったが、その数年後この息子さんは亡くなってしまった。
つまりこの中で現存するスープは、新喜楽のみなのだ。
案の定昨年のこの日に、僕は京都の病院で父と最期に会ったのだった。
面会時間は限られていたため、さてどんな会話をしたものか、と多少の緊張感とともに神戸のホテルを出て、まずは梅田の新喜楽へ立ち寄り、「ミニ鴨鍋セット」を食べたのだ。同年の4月に見舞った時と同じように。
父はもういないが、これからも梅田に行ったら新喜楽に立ち寄ろうと思う。よくわからないが、こうゆうのが「供養」なのだと思う。
案の定昨年のこの日に、僕は京都の病院で父と最期に会ったのだった。
面会時間は限られていたため、さてどんな会話をしたものか、と多少の緊張感とともに神戸のホテルを出て、まずは梅田の新喜楽へ立ち寄り、「ミニ鴨鍋セット」を食べたのだ。同年の4月に見舞った時と同じように。
父はもういないが、これからも梅田に行ったら新喜楽に立ち寄ろうと思う。よくわからないが、こうゆうのが「供養」なのだと思う。
まずは京都へ。パンデミ直前に神奈川から京都の介護付き施設へ移転した父に会いに行ったが、この時は面会翌日に施設でコロナが発生し、結局1回のみの訪問。そして関東へ移動する前日の7月31日夜、宿泊する四条大宮のコメダ珈琲で妹と会う。結局これが今生の別れとなってしまったが、その貴重な時間を、あのうすらヌルく特徴の無いコメダ珈琲の味と共に過ごした事が、未だに悔やまれる。実際もっとマシな喫茶店に行きたかったけど、四条大宮の夜は早いのだった。
まずは京都へ。パンデミ直前に神奈川から京都の介護付き施設へ移転した父に会いに行ったが、この時は面会翌日に施設でコロナが発生し、結局1回のみの訪問。そして関東へ移動する前日の7月31日夜、宿泊する四条大宮のコメダ珈琲で妹と会う。結局これが今生の別れとなってしまったが、その貴重な時間を、あのうすらヌルく特徴の無いコメダ珈琲の味と共に過ごした事が、未だに悔やまれる。実際もっとマシな喫茶店に行きたかったけど、四条大宮の夜は早いのだった。