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しかし自分もたいがい常識の薄い人間だが、奥様には負ける。しかもあの人は、ほんとに側で見ていてハラハラするほど物事に頓着しない。これはたぶん遺伝性のもので、だからこそ僕のような社会性の希薄な人間と平気で暮らせるのだろう。その点では彼女の母君も同様で、いきなり娘が連れてきた、こんな素性も知れぬ大学の同級生男を躊躇無く受け入れてくれたし、その点素直に感謝している。癌で急遽帰国した際も、行き場の無い我々を居候させてくれ、おかげで通院治療する事も出来た。
とはいえそれが一般的に言われる「真心」からのものか?と問われれば、素直に首肯できない。
35年も暮らして最近気が付いたけど、彼女達は僕より変人なのだ。
今日は奥様の付添いで銀行口座開設に。あの人はこうゆう事に無頓着すぎて今まで自分の口座を作らず、ずっと僕の口座を使っていた。ただ使う都度全て僕がATMに行ったり支払いしたり、というのも面倒だし、そのために自分の財布に現金やクレカが無くても平気な彼女の性格が醸成されてしまったので、そろそろ修正してもらいたくて無理矢理銀行へ連れて行った。口座が出来れば引き落とし口座にもなるので、県民共済にも加入してくれるだろう。それに海外暮らしの身の上、もし僕に何かあった時にも、自分でお金を下ろしたりクレカで航空券を買ったりして、自分で生き延びられるはずだ。
人生で最も大切なのは、パスポートと数ヶ月分の口座残高だ。
Xに繰り返し、ある大手コンサル会社の広告ポストが表示された。
コンサルどころか、会社員経験すら皆無の自分には「こうゆう会社はどうやって巨額の資本を創り出したのか?」が気になり、その社についてあれこれググってみた。
するとこの社の創業者はかなり抽象化された世界観を持ち、あらゆる事象を数値化して判断していたのでは?という人物像が見えてきた。
世界は悪質なピエロのような政治家達に仕切られ、いよいよ嫌な選別も始まりそうだ。
そんな時も、前述のような抽象化思考が強い人間は世の中のあらゆる事象を数値化し、順張りと逆張り両方で淡々と資産を増やすのだろう。否むしろ、振幅幅が大きい程彼らの儲けは多くなるはずだ。
横浜4泊経由で一昨日横須賀の亡父宅に到着。
暖房も給湯も故障していて非常に寒かったが、電気アンカを発見しひと安心。ヒザに乗せ布をかければコタツ的に暖を取れる。
この家は父の建築家としての拘りからほぼオール電化なのだが、電化製品は経年劣化すると回路基板が壊れて全く動作しなくなる。福一の電源喪失然りで、科学技術の粋というのは、実は非常にもろいのだ。
ここの給湯だって、要はガスを燃やし水を沸かしてるだけなのだけど、操作が全て電子回路経由なために、制御基板が壊れたら全く発火しなくなるのだ。
昔VWビートルに乗ってた時は、冬にアイドリングが落ちるとキャブ横のネジを回して調整したっけ、とか思い出した。
しかし。Xでたまに知らない人にイイネされると、どんな人かな?って興味あるじゃない。
ところがその人の投稿見ると、マイルドな排外主義だったりするんだよな。それも「丁寧な暮らし」系和物雑貨好き女性で、その延長でバティックなんかも好き。でも外国人とは共生したくない、的な。
こうゆうタイプと曖昧な笑顔で共生しなきゃいけないのが、たぶん今の日本の一番キツいところかも。
昼寝で見た夢。
今は亡き葉山の祖母の家で、大阪から来イする友人をもてなす準備をせねば、と台所へ行くと、亡き母が何か仕度をしている。冷蔵庫を開けると、ずっと前に見た憶えがあるケーキが5, 6個。
見た目は変わらないけど、たぶん40年以上前のものだから食べない方が良さそうだ。
隣には横浜の叔父が作ったと思しきバナナケーキがカットされており、こちらの方が新しそう...だが叔父ももう亡くなって30年近いから、やはり止めておこう。
僕がいつも寝ていた部屋へ行くと、古いGapのタートルセーター等、見覚えのある服が2, 3着。でもどれも、奇妙に変色していて着るのを躊躇する。
亡き者は無言で伝えようとする。
高市早苗が自民党総裁で麻生太郎が副総裁、幹事長が麻生の義弟・鈴木俊一で統一教会子飼いの萩生田光一が副幹事長、と列挙されても、この異常事態が実感できないのだろうか?
それでも粛々と時間通りに山手線は運行され、到着が30秒遅れるとお詫びのアナウンスが流れ、片やそこで黙々と電車を待つ人の何割かは、心の闇に排外主義のマグマをたぎらせ、時おりその泡沫を控え目にSNSに放ちつつも、しかし日々つましく丁寧な生活を送る。世はすべてことも無し、と信じたい、それだけのために。
やはり狂っているとしか思えない。
これからの日本はトランプの米国を口当たり良くアレンジしたような、文字通り「マイルドヤンキー」な国となり、demoralizationが加速しそうだ。
まあ実際伸び代のある産業も無いし、長年のアベノミクスによる多重債務麻薬のツケがこれから効いてくるだろうから、もはや再び輝く日本、みたいなのは絶対不可能だとは分かっていた。でもせめて国というシステムが死ぬ時くらい軟着陸に持ち込めれば、と希望を持っていたけど・・・もう墜落は免れそうにないな。
夢メモ
下北沢駅の和菓子屋、面接に行くアツコさん、TikTokを撮るキキ君、国立の小さな家、茄子の煮浸しを作るサイコさん、刺身に熱い茶をかけるヤスコ、トスカーナの僧院と水葬される棺、親しげな犬、、、
事情は詳らかに書けないけど、さっき未開封だった亡き父からの手紙を見つけ読んでみたところ、今まで感知したことの無い無念さが伝わってきた。
そのメッセージからは「この無念さを晴らしてほしい」という想いが強く感知されたが、こればかりはどうにもならない。
というのも父の無念を晴らしたい、いわば一言申し上げたい相手自体が既に誰ひとり、この世には居ないからだ。

人は騙したり騙されたり、傷付けたり傷付けられたりするが、結局誰もが最期は無に帰してしまう。
生きてるうちに、なるべく多くの愛せる人に出会いたいものだ。
ここ数日でインドネシアとEU、そしてカナダが、以前と比べると一歩踏み込んだレベルの、貿易や経済協力の協定を結んでいる。
面白いのはそれを見越したかのように、ジャカルタのスーパーの店頭に欧州家電メーカーの陳列棚が復活したり、輸入チーズの種類が増えたり、という変化が見えるところだ。
特に海外ブランドの家電製品なんかは、国内産業保護のために輸入品への関税が強化されたのか、近年は目に見えて取り扱いが減っていたのだが、そろそろ潮目が変わりつつあるようだ。
あるいは中韓スマホブランド同様に、多くのEUブランドがインドネシアへ製造拠点を移し終えたのか?
個人的には青カビ系チーズがもっと安くなってほしいけど。
世界の人口推移。
現在は自分が高校生の頃の倍になっている。
パソナとか電通じゃないけど、最近は「生産物そのもの」よりも「生産物の仲介」のような仕事の比重が増えているように思えてならないのだが、こうした傾向ももしかしたら、この急激な人口過密化と関係があるのかもしれない。

ミクロで見れば、例えば日本のような一地域は少子高齢化だが、マクロな地球は人口爆発の沸点へと急上昇している。
そう見ると、この食い扶持のパイが急縮小するような世界にあって、インフレ率が上昇し、排外主義傾向が加速するのもむべなるかな、という悲観的印象も。
sekai-hub.com/statistics/u...
そんな事があったので、気になって帰宅するなりSDカードのデータを読み込む。
読み込んだ画像は幸い無事のようだ...と、写真をプレビューしていた奥様が
「ここから10枚くらいの写真、おかしいよ。レンズ故障してない?」

見ると、あの変わった目付きの彼女の立つ向かって左側に、ぼんやりとソフトボール大の影が写り込んでいる。
ちょうどシャッターが突然おかしくなった、その辺りのショットだ。
この影がレンズの光学的な故障なら、必ず画面の同じ位置に写っているはずだけど、写っているのはその立ち位置に関わらず、いつも彼女の左側・お腹の横だ。
「もしかして...あの子変なもの連れて来てなきゃいいけど」と奥様。
突然カシャッと鳴るはずのシャッターの音が「ギギッ」という奇妙なキシミ音に変わり、写る画像は皆微妙にピントがズレている。
10年使った先代が壊れた後、数ヶ月前新品で購入したこのカメラはまだ殆ど使っておらず、いきなり故障、しかも大切な時によりにもよって、という事になったら、他のモデルさんも来てしまっているし最悪だ。ああ、サブカメラも無いし、、、

しばしスイッチをオン・オフしたりバッテリーを入れ換えたりしたが、症状は改善しない。
しかし閃いて、カメラのメニューを探すと
「カメラを出荷状態にリセット」
というのがあり、覚悟を決めてそれを押したら...治った!

無事に残る2名も撮影終了。しかし?だ。
昨日は奥様の手伝いで、久々に写真撮影に行った。ある会社のために毎年カレンダーを作るのだけど、撮影はその毎月の顔になる若い女性のポートレートだ。
彼女たちはごく普通の、街角でよく見るタイプのお嬢さん達で、普段よりほんの少しオシャレなバティック等を持参してもらい、白バックで飾り気の無い写真に収める。ボケ等の無い、なるべく切り抜きで使い易いものを、という奥様の要望に沿った、写真としては作家的工夫が全く入れられない撮影だけど、モデルさん達の表情を押さえるためひたすら枚数を稼ぐ。
その中に1名、こちらの女性には珍しく、笑顔が苦手で目がちょっと怖い人が居た。
と、撮影の途中突然カメラのシャッターが・・・
しかし次期総理の有力候補者が小泉進次郎と高市早苗の二択って、どうゆう嫌がらせなんだ?
原因が判った。
どうやらうちのwifiのプロバイダーである、インドネシアのbiznetがブロックしてるらしい。
試しにスマホの4Gに切り替えたら、あっさり読み込んだ。
インドネシアはネットユーザーが多く、かつ中国とは違う意味で警戒心が強いから、けっこう多くの海外サイトがブロックされている。ポルノやギャンブルに関係している、とアルゴリズムに判断されると、なぜか一見無関係なサービスも自動でブロックされる。RedditもVPNをかまさないと繋がらない。
また海外で購入したスマホはIMEI番号で識別され、3ヶ月くらいで電波gs遮断される。
一見人懐っこくオープンだが、実はとても保護主義的な国なのだ。
さっき自分のnoteを読もうとしたら、何度やっても「読み込みに失敗しました」の表示。

もしや?
と思ってVPNを日本に設定したら、あっさり読み込んだ。

最近はネット空間も現実を反映し、排外主義が加速しているのだろうか?
日本、と書くと分母が大き過ぎるので、自分が知る街である東京、というくくりで。

東京を離れてほぼ15年だけど、行くたびに「抜け殻感」がどんどん強くなっていて、もうこの街と会話は成立しないな、と感じ少し悲しい。

以前FBを通じ、中学の同級生と数十年ぶりに再会して嬉しかったのだけど、その後連絡を絶った。
彼が明らかにネトウヨ症状に感染し、ネット上で知らない誰かと罵り合っているのを見て、これ以上付き合うのが辛くなったからだ。それ以来ブロックしている。

こんな時、自分は根が冷たい人間だな、と思う。親兄弟や友人でも、ある一線を越えるともうダメだ。

思えば15年前、東京ともそうやって別れた。
暴力描写が話題のある小説を読んだ。
たしかに淀みなくスラスラ読めるし、ストーリー展開も意表をついた秀作だった。
ただ自分にはどこか楽しめなかった、というか、伝わってこなかった。
それは作品の良し悪しとは無関係な、世界の見方における各人の目線の相違、みたいなものだろう。

実は著者のインタビュー等を読んで、面白そうな人だな、と期待してポチった小説だったので、その寂しさもある。

ちょっと話が弾んだものの、今回も友達にはなれなかったな、みたいな寂しさだ。
過去を振り返ってみると、人間は度々憎悪の再生産を繰り返してきた。
僕が子供の頃、米軍はベトナムで共産主義者を虐殺していたが、それから数十年後のホーチミンの戦争博物館には、米国人観光客が溢れていた。
僕の前には当時戦場に居たらしき年齢の男性が。
奥さんの
「こんな酷い事、本当にあったの?」
という質問に
「・・・あったよ」
という答え。

あの展示ブースを覆う、重々しい沈黙が忘れられない。
強いショックに打ちのめされたのか、ロビーのベンチでは、放心したような米国人達が無言で喉を潤していた。傍らにはコカ・コーラの赤い自販機。

なのにあれから10年。世界は再び、幼稚な憎悪の再生産に身を委ねている。
久しぶりにbskyに書いてみたら、誤字脱字校正ミスが多い。
これは基本自分のミスではあるけど、同時にこのアプリの動作が変にカクカクするために、消去したつもりの文字が残っていたり、という事が多いのもある。
また書いた文字がスクロール不能で表示されず、そのため修正忘れする事も度々だ。
こうしたかなりイライラするUIのバグをきっちり検証・修正しない限り、このプラットフォームは先細りする予感がする。残念だが。
ここ数年は家族の逝去も相次いだため、ほぼ半年に一度は日本に帰国しているが、こんなに間を空けてないのに正直、毎回その変化がボディーブローのように感知され、次回を想像すると軽く憂鬱な程だ。
以前はさほど表出していなかったような「棘」が、あちこちで目に見えるようになった。
ただそれらの棘は、花弁の鮮やかな色彩によって、半ば不可視化されている。でもジャカルタのような「事を荒立てない」ために過剰なほど穏やかさを装う人が多い都会から来ると、とりわけ東京では、どうにも棘の増加が皮膚をチクチク刺すようにすら、より強く感じられるのだ。とりわけコロナ以降は。
そして今周りを見渡して、あのTwingoやFenderのような道具があるか?といえば、同等の物はちょっと思い浮かばない。
今乗っているVespaのスクーターはもう13年の付き合いだけど、気に入ってはいるものの、何かを創る相棒、という感じではない。気に入って使っている道具もいくつかあるものの、それは日常生活の範囲内の便利さであって、創造を刺激する程ではない。

というか、それらを使う本人自体が賞味期限切れ、というのが最も致命的なのだけど。でも再び、何かinspiringな道具と出会えないだろうか、と心のどこかが淡く願っている。そんな時にはいつも、あの相棒達を思い出すのだ。
結婚を機に私物を整理し新生活の足しに、という事だったようだが、もう少し早ければ落札額に上乗せしても僕が引き取りたかった。というのも、その後何本か購入し直したベースはどれも、相性がどこかしっくり来ない物ばかりだったからだ。

きっと筆記具や調理器具なんかもそうだと思うが、身体に直結する相性の良い道具というのは、絶対に手放してはダメなのだな、と今にして後悔している。

Twingoも大げさじゃなく、あの社長の背負った邪気を引き受け僕を守ってくれたのだな、という感触を得たものだ。廃車の翌朝、少々心配でその社長に電話すると、
「そうなの、それは大変だったね」
と、彼は別人のようにケロッと無関心だった。