すし天ズ i.e. Jun Miura
banner
philoglasses2.bsky.social
すし天ズ i.e. Jun Miura
@philoglasses2.bsky.social
東京大学で哲学を研究したり散歩したり、他の大学で教えたり。専門は17–18世紀の形而上学と生命思想史。ライプニッツをよく読みます。リプライやDMの通知は基本オフになっているので、重要なことはメールでご連絡ください。今までの仕事や連絡先はこちらから→ http://researchmap.jp/junki1129/
こうした事実の扱いにかかっているといえる。ただ、この章で明らかになるのは、事実が認識主体に内在的な経験に基礎づけられるという話なので、それだけでは、世界の構造に関わる存在論的概念の導入に経験が関わることの正当性を十分に示せないので、第8章では経験と物体の共通の基盤として力の概念が置かれていることを示したい。
July 12, 2025 at 1:32 PM
先立つあらゆる現実的存在を抱握するさいの機序が説明されている。AがBを抱握することは、Bが抱握していたCやDを抱握することでもあり、その仕方で、Dは多様な仕方でAに抱握されているといえる。
July 7, 2025 at 4:38 AM
そうした変更においてもたらされるのは、ある種の複合実体に属するモナドが移り変わるとしてもその複合実体自体は維持されるという事態であった。6.2では、その変更と同時に持ち込まれる「エコー」という比喩の内実を明らかにする。
July 4, 2025 at 1:07 AM
そもそも読み替え(ある種の誤読)を行っている点で直接的影響があるとは言えないが、それでも、その読み替えを通して自らの哲学が後々拡張される点では全く影響がないわけでもない、という結論に至る。こうした議論を経て、漸く6.1.2からは実体的紐帯概念の本体へと進む。
July 1, 2025 at 12:35 AM
ライプニッツは自らの立場をより観念論的な方向へと導いたことを結論した。とはいえ、このように〈支配–従属〉関係を予定調和の領域に「限定」することこそ、心身結合の問題に「実体的紐帯」概念を持ち込むことを可能にしたともいえる。この点について続く第6章で明らかにしていくことになる。
June 29, 2025 at 6:00 AM
個々の人格を称揚する態度の中に、人間を社会における有用性で捉える視点が包含されていることを見抜く。ヴェイユにとって人格とは、社会における有用性から見た人間の個別性であり、それに対してことさらに注目することは不平等を温存し、犠牲を黙認することだ、と彼女は考えたのであった」(鈴木順子『シモーヌ・ヴェイユ:「犠牲」の思想』藤原書店, 240頁)
June 25, 2025 at 5:05 AM
内容が定まっていないような調和、調和があることだけが予定されているような調和が指向されて感得が統一されていくというタイプの予定調和をホワイトヘッドは考えているのではないだろうか。
June 23, 2025 at 3:42 AM
感性的なものから超感性的なものへと移行することを可能にする方法論として有機体論が構想されており、それによって魂が結びつくから物体が実体なのだ、という説明から、有機的であるからその物体に魂が結びつくのだ、という説明へと転換することができるようになったといえる。
June 22, 2025 at 8:40 AM
最終的にはある種の統制的理念として有機的物体が認識可能であり、そうした理念を頼りにして、形而上学的な概念へと歩みを進めることができるようになることを示したい。
June 18, 2025 at 3:53 AM