見送りは今尾景祥筆「海浜老松図」の山車。岐阜県。
見送りは今尾景祥筆「海浜老松図」の山車。岐阜県。
繊細さを感じる山車。岐阜県。
繊細さを感じる山車。岐阜県。
多彩な彫刻が楽しい山車。岐阜県。
多彩な彫刻が楽しい山車。岐阜県。
この山車だけ見送り(織物「双龍図」)と替見送り(絹本「亀上浦島の図」)両方が披露された。岐阜県。
この山車だけ見送り(織物「双龍図」)と替見送り(絹本「亀上浦島の図」)両方が披露された。岐阜県。
屋根に金色の鳳凰が載って識別しやすい山車。岐阜県。
屋根に金色の鳳凰が載って識別しやすい山車。岐阜県。
子供歌舞伎が披露される唯一の山車。岐阜県。
子供歌舞伎が披露される唯一の山車。岐阜県。
唐子のからくり人形を備えるもう一台の山車。見送り前田青邨筆「風神雷神の図」は斬新大胆な図様。岐阜県。
唐子のからくり人形を備えるもう一台の山車。見送り前田青邨筆「風神雷神の図」は斬新大胆な図様。岐阜県。
からくり人形のある2台の山車の一つ。岐阜県。
からくり人形のある2台の山車の一つ。岐阜県。
唯一屋根がない山車。岐阜県。
唯一屋根がない山車。岐阜県。
春に行われる飛騨古川の伝統ある華やかな祭り。屋台と呼ばれる絢爛豪華な九台の山車が気多若宮神社の御神輿と共に町を巡行。まさに時代絵巻を見るようだ。岐阜県。
春に行われる飛騨古川の伝統ある華やかな祭り。屋台と呼ばれる絢爛豪華な九台の山車が気多若宮神社の御神輿と共に町を巡行。まさに時代絵巻を見るようだ。岐阜県。
庚申堂も旅籠もあってそれだけで立ち寄る価値あり。岐阜県。
「中山道を旅した人はようやく木曽路を抜けて美濃の野路に出たと思ったら、大井宿から御嵩宿まで八里に余る(三十四㌔余)山坂を上下するので疲れ切った。そこで幕府はその間に大湫の宿を慶長十年(1605)に設けたが、まだ苦労が残るので、慶長十五年(1610)にその先にいま一つ、細久手宿を追加設置したから、細久手宿はいわば大湫宿の補足に過ぎない。しかも標高四百㍍の高地で、四方山に囲まれた狭いところだからすべて貧しく、鉄路が出来て旅人の往来もほとんど絶えた明治以降、じり貧になる一方であった」(『新住宅1990年9月号』新住宅社)。
庚申堂も旅籠もあってそれだけで立ち寄る価値あり。岐阜県。
「中山道を旅した人はようやく木曽路を抜けて美濃の野路に出たと思ったら、大井宿から御嵩宿まで八里に余る(三十四㌔余)山坂を上下するので疲れ切った。そこで幕府はその間に大湫の宿を慶長十年(1605)に設けたが、まだ苦労が残るので、慶長十五年(1610)にその先にいま一つ、細久手宿を追加設置したから、細久手宿はいわば大湫宿の補足に過ぎない。しかも標高四百㍍の高地で、四方山に囲まれた狭いところだからすべて貧しく、鉄路が出来て旅人の往来もほとんど絶えた明治以降、じり貧になる一方であった」(『新住宅1990年9月号』新住宅社)。
真冬に気の向くまま飛騨を彷徨い再訪。もちろん人影もまばら。岐阜県。
「高山市北方の国府にある臨済宗の寺で山麓にあり、もとの名は少林寺と伝え、南禅寺第二世規庵祖円(1261-1313)の法嗣、瑞岩禅師により開かれた。一方、足利尊氏と直義は夢窓疎石(1275-1351)の勧めにより元弘以来の天下大乱の戦死者の霊を弔うために、各国に一寺を建立し、康永四年(1345)に光厳上皇により安国寺の寺号が定められた。当寺はその一つで飛騨国(長野県)の安国寺であり、文安二年(1445)に諸山となり、宝徳元年(1449)に十刹になった(『飛州志』)」(『国宝大事典 5』講談社、1985)。
真冬に気の向くまま飛騨を彷徨い再訪。もちろん人影もまばら。岐阜県。
「高山市北方の国府にある臨済宗の寺で山麓にあり、もとの名は少林寺と伝え、南禅寺第二世規庵祖円(1261-1313)の法嗣、瑞岩禅師により開かれた。一方、足利尊氏と直義は夢窓疎石(1275-1351)の勧めにより元弘以来の天下大乱の戦死者の霊を弔うために、各国に一寺を建立し、康永四年(1345)に光厳上皇により安国寺の寺号が定められた。当寺はその一つで飛騨国(長野県)の安国寺であり、文安二年(1445)に諸山となり、宝徳元年(1449)に十刹になった(『飛州志』)」(『国宝大事典 5』講談社、1985)。
禅寺らしく静かな佇まいが好き。岐阜県。
「濃尾平野東北の丘陵地を流れる土岐川に面した臨済宗の寺である。正和二年(1313)に夢窓疎石(1275-1351)が現地を「山水の景物、天開図画の幽致なり」と賞して古谿庵を営み、翌年に観音閣を建てた。これが当寺の草創だが、夢窓は同門の元翁本元(1281-1332)に古谿寺をゆずり、元翁が開山となった。境内は東に土岐川の蛇行部を望み、西に岩石質の丘陵を控え、中央に大池がある。この周囲の自然景観と庭園を総合化した環境美は、中世の禅宗寺院で境致として重んじられたもので、永保寺はその代表例の一つである」(『国宝大事典 5』講談社、1985)。
禅寺らしく静かな佇まいが好き。岐阜県。
「濃尾平野東北の丘陵地を流れる土岐川に面した臨済宗の寺である。正和二年(1313)に夢窓疎石(1275-1351)が現地を「山水の景物、天開図画の幽致なり」と賞して古谿庵を営み、翌年に観音閣を建てた。これが当寺の草創だが、夢窓は同門の元翁本元(1281-1332)に古谿寺をゆずり、元翁が開山となった。境内は東に土岐川の蛇行部を望み、西に岩石質の丘陵を控え、中央に大池がある。この周囲の自然景観と庭園を総合化した環境美は、中世の禅宗寺院で境致として重んじられたもので、永保寺はその代表例の一つである」(『国宝大事典 5』講談社、1985)。
御嶽信仰は魂が山に帰るとして多くの霊神碑をたてて山岳霊場の雰囲気を味わえる。
御嶽信仰は魂が山に帰るとして多くの霊神碑をたてて山岳霊場の雰囲気を味わえる。