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@okinawan.bsky.social
優しくないウチナーンチュ
「沖縄の人々の中には差別されていないという人もいる」ってのもよくある論法。そんな人が1人でもいれば差別でなくなるのならLGBTQ +にも多くいますし他のマイノリティにもいます。同性婚や別姓問題も差別ではないという人がいる限りほっておこうとはならんでしょう。なぜに琉球民族は日本人の議論待ちとなるのか、それこそ差別がある証明。

とにもかくにもヤマトリベラルの一貫性の無さ、ダブスタ全開、国内の植民地主義への無責任な態度は他の問題にもかなり影響している。マイノリティ当事者同士の分断も、マジョリティのせいですよほとんど。

マイノリティに差別か確認しないと動かないなら反差別ではないよ。
September 3, 2025 at 5:41 AM
「最後は(マイノリティ)当事者に委ねる」的なのも勘弁してほしい。同化政策ゆえ先住民族かどうか決めかねる当事者がこれだけ溢れてきた日本の責任には触れず、「沖縄の人々の中には日本人アイデンティティを持つものもいるのだからその人達の意見も聞くべきだ」等という学者やリベラルが後を絶たない。強制併合から長い時間が経ち、日本人に都合の良い意見ばかりになってから当事者に委ねるとか黙ってても恩恵受けるマジョリティ仕草そのものでしょう。「沖縄の人々」がどう認識しているかではなく、侵略からの歴史をふまえ日本人として何をすべきか考えるべきでは。足元にある問題の答えは当事者に相談するのではなく自己責任で行ってください
September 3, 2025 at 4:24 AM
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“2つ目のポイントは、ミソジニーは女性というカテゴリーを自分とは完全な別もの(別者)としてみる視点ということです。”

“ミソジニーに女性憎悪という訳語があるのも偶然ではありません。異なる存在として扱うわけですから、大好きも大嫌いも、男性の胸三寸、男性の勝手ということです。女性が男性をもちあげてご機嫌をとっているあいだは大好きでも、ちょっとでも気にいらないことがあれば、瞬時に憎悪に転換します。しかも集団単位でです。その好悪の決定権は男性にあるという秩序感覚に支えられた視点なのです。”

※ミソジニーが男性だけの問題ではないことの明記あり。
August 28, 2025 at 1:58 PM
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“よりマシ”という考え方を優先させるなら、例えばわたしも自民や維新より共産党に選択肢が限定されていればそうなるだろうし、それがすなわち悪だなんて全然思ってはいない。それで良くなる面もあるだろうし。でもすなわち悪ではないと言いながら、それをした瞬間に誰かを排除し何かの口封じをすることになっているのは事実。公選制とはそういうものだで終わらせたくはない、権力と自分の関係性を考えるときに何よりも重点を置いておかないといけない部分だと思う。
July 24, 2024 at 11:02 AM