仏教愛好家
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仏教〈釈尊/法然/親鸞/一遍〉好き
法然上人
「生けらば念仏の功つもり、死なば浄土へ参りなん。とてもかくても、此の身には、思いわずろう事ぞなきと思いぬれば、死生ともにわずらいなし」
法然上人
「生けらば念仏の功つもり、死なば浄土へ参りなん。とてもかくても、此の身には、思いわずろう事ぞなきと思いぬれば、死生ともにわずらいなし」
【親鸞の言葉】「この道しかない」という覚悟で歩む
“たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ”(歎異抄)
意訳:たとえ私が法然聖人にだまされて、念仏をして地獄に落ちたとしても、少しも後悔することはありません。
“たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ”(歎異抄)
意訳:たとえ私が法然聖人にだまされて、念仏をして地獄に落ちたとしても、少しも後悔することはありません。
November 10, 2025 at 11:53 PM
【親鸞の言葉】「この道しかない」という覚悟で歩む
“たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ”(歎異抄)
意訳:たとえ私が法然聖人にだまされて、念仏をして地獄に落ちたとしても、少しも後悔することはありません。
“たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ”(歎異抄)
意訳:たとえ私が法然聖人にだまされて、念仏をして地獄に落ちたとしても、少しも後悔することはありません。
【親鸞の言葉】阿弥陀さまには身を粉にして報い、師には骨を砕くほどの感謝を
“如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし”(正像末和讃)
意訳「如来(阿弥陀仏)の大いなる慈悲のめぐみは、
自分の身を粉々になるまで砕いても、恩に報いるべきものである。
また、私に仏法を教えてくださった師(お釈迦さま)や善知識(導きの先生方)のご恩も、
骨を砕いてでも感謝申し上げるべきものである。」
“如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし”(正像末和讃)
意訳「如来(阿弥陀仏)の大いなる慈悲のめぐみは、
自分の身を粉々になるまで砕いても、恩に報いるべきものである。
また、私に仏法を教えてくださった師(お釈迦さま)や善知識(導きの先生方)のご恩も、
骨を砕いてでも感謝申し上げるべきものである。」
November 10, 2025 at 3:33 AM
【親鸞の言葉】阿弥陀さまには身を粉にして報い、師には骨を砕くほどの感謝を
“如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし”(正像末和讃)
意訳「如来(阿弥陀仏)の大いなる慈悲のめぐみは、
自分の身を粉々になるまで砕いても、恩に報いるべきものである。
また、私に仏法を教えてくださった師(お釈迦さま)や善知識(導きの先生方)のご恩も、
骨を砕いてでも感謝申し上げるべきものである。」
“如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし”(正像末和讃)
意訳「如来(阿弥陀仏)の大いなる慈悲のめぐみは、
自分の身を粉々になるまで砕いても、恩に報いるべきものである。
また、私に仏法を教えてくださった師(お釈迦さま)や善知識(導きの先生方)のご恩も、
骨を砕いてでも感謝申し上げるべきものである。」
【親鸞の言葉】よき友を大切に
“善知識・同行にはしたしみちかづけとこそ、ときおかれてそうらえ”(親鸞聖人御消息)
意訳「『善き教えを導いてくれる人(善知識)や、同じ信仰の仲間(同行)とは、親しく交わり、近づいてつきあいなさい』と教えられています。」
“善知識・同行にはしたしみちかづけとこそ、ときおかれてそうらえ”(親鸞聖人御消息)
意訳「『善き教えを導いてくれる人(善知識)や、同じ信仰の仲間(同行)とは、親しく交わり、近づいてつきあいなさい』と教えられています。」
November 8, 2025 at 11:58 PM
【親鸞の言葉】よき友を大切に
“善知識・同行にはしたしみちかづけとこそ、ときおかれてそうらえ”(親鸞聖人御消息)
意訳「『善き教えを導いてくれる人(善知識)や、同じ信仰の仲間(同行)とは、親しく交わり、近づいてつきあいなさい』と教えられています。」
“善知識・同行にはしたしみちかづけとこそ、ときおかれてそうらえ”(親鸞聖人御消息)
意訳「『善き教えを導いてくれる人(善知識)や、同じ信仰の仲間(同行)とは、親しく交わり、近づいてつきあいなさい』と教えられています。」
【親鸞の言葉】出会いも別れも、自然にまかせる
“つくべき縁あればともなひ、はなるべき縁あればはなるる”(歎異抄)
意訳「つくべき縁があればともにし、離れるべき縁であれば別の道を歩む」
“つくべき縁あればともなひ、はなるべき縁あればはなるる”(歎異抄)
意訳「つくべき縁があればともにし、離れるべき縁であれば別の道を歩む」
November 7, 2025 at 11:01 PM
【親鸞の言葉】出会いも別れも、自然にまかせる
“つくべき縁あればともなひ、はなるべき縁あればはなるる”(歎異抄)
意訳「つくべき縁があればともにし、離れるべき縁であれば別の道を歩む」
“つくべき縁あればともなひ、はなるべき縁あればはなるる”(歎異抄)
意訳「つくべき縁があればともにし、離れるべき縁であれば別の道を歩む」
【親鸞の言葉】道に迷ったら先人を訪ねて
“前に生まれんものは後を導き、後に生まれんひとは前を訪(とぶら)へ”(教行信証)
意訳「先に生まれた者は後から来る者を導き、後に生まれた者は先に生まれた者から学びなさい」
“前に生まれんものは後を導き、後に生まれんひとは前を訪(とぶら)へ”(教行信証)
意訳「先に生まれた者は後から来る者を導き、後に生まれた者は先に生まれた者から学びなさい」
November 7, 2025 at 1:07 AM
【親鸞の言葉】道に迷ったら先人を訪ねて
“前に生まれんものは後を導き、後に生まれんひとは前を訪(とぶら)へ”(教行信証)
意訳「先に生まれた者は後から来る者を導き、後に生まれた者は先に生まれた者から学びなさい」
“前に生まれんものは後を導き、後に生まれんひとは前を訪(とぶら)へ”(教行信証)
意訳「先に生まれた者は後から来る者を導き、後に生まれた者は先に生まれた者から学びなさい」
▶︎『正信偈入門 -浄土真宗を基礎から学ぶ-』(三木照國) #読了 1971年初版と古く文体が味わい深い。法話みたいな感じで正信偈の解説をしてくれる。期せずして親鸞会との違いがよくわかり読んで良かった。薄い本だが内容は充実している。なんまんだぶなんまんだぶと念仏をしたくなる。★5/5点11/1-6
November 6, 2025 at 11:36 AM
▶︎『正信偈入門 -浄土真宗を基礎から学ぶ-』(三木照國) #読了 1971年初版と古く文体が味わい深い。法話みたいな感じで正信偈の解説をしてくれる。期せずして親鸞会との違いがよくわかり読んで良かった。薄い本だが内容は充実している。なんまんだぶなんまんだぶと念仏をしたくなる。★5/5点11/1-6
【親鸞の言葉】この世に生きる人は皆つながり合っている
“一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり”(歎異抄)
意訳「生きとし生けるものはすべて輪廻転生を繰り返しているので、あるときは父母であり、あるときは兄弟なのである」
“一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり”(歎異抄)
意訳「生きとし生けるものはすべて輪廻転生を繰り返しているので、あるときは父母であり、あるときは兄弟なのである」
November 5, 2025 at 11:53 PM
【親鸞の言葉】この世に生きる人は皆つながり合っている
“一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり”(歎異抄)
意訳「生きとし生けるものはすべて輪廻転生を繰り返しているので、あるときは父母であり、あるときは兄弟なのである」
“一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり”(歎異抄)
意訳「生きとし生けるものはすべて輪廻転生を繰り返しているので、あるときは父母であり、あるときは兄弟なのである」
【親鸞の言葉】弟子も、ともに歩む仲間である。
“親鸞は弟子一人ももたず候ふ”(歎異抄)
“親鸞は弟子一人ももたず候ふ”(歎異抄)
November 5, 2025 at 12:50 AM
【親鸞の言葉】弟子も、ともに歩む仲間である。
“親鸞は弟子一人ももたず候ふ”(歎異抄)
“親鸞は弟子一人ももたず候ふ”(歎異抄)
【親鸞の言葉】真の教えと出遇うまでは諦めない
“遇ひがたくしていま遇ふことをえたり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり”(教行信証)
意訳:めったに出会うことのできない仏法に、いま私は出会うことができた。
なかなか聞くことのできない教えを、すでに聞くことができたのだ。
“遇ひがたくしていま遇ふことをえたり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり”(教行信証)
意訳:めったに出会うことのできない仏法に、いま私は出会うことができた。
なかなか聞くことのできない教えを、すでに聞くことができたのだ。
November 4, 2025 at 12:34 AM
【親鸞の言葉】真の教えと出遇うまでは諦めない
“遇ひがたくしていま遇ふことをえたり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり”(教行信証)
意訳:めったに出会うことのできない仏法に、いま私は出会うことができた。
なかなか聞くことのできない教えを、すでに聞くことができたのだ。
“遇ひがたくしていま遇ふことをえたり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり”(教行信証)
意訳:めったに出会うことのできない仏法に、いま私は出会うことができた。
なかなか聞くことのできない教えを、すでに聞くことができたのだ。
【親鸞の言葉】「行い」と「心」は離れずにあるもの
“行をはなれたる信はなしとききて候ふ。また、信はなれたる行なしとおぼしめすべし”(末灯鈔)
意訳「行(ぎょう)から離れた信(しん)はないと聞いています。
また同じように、信から離れた行もないと考えるべきです。」
“行をはなれたる信はなしとききて候ふ。また、信はなれたる行なしとおぼしめすべし”(末灯鈔)
意訳「行(ぎょう)から離れた信(しん)はないと聞いています。
また同じように、信から離れた行もないと考えるべきです。」
November 2, 2025 at 10:34 PM
【親鸞の言葉】「行い」と「心」は離れずにあるもの
“行をはなれたる信はなしとききて候ふ。また、信はなれたる行なしとおぼしめすべし”(末灯鈔)
意訳「行(ぎょう)から離れた信(しん)はないと聞いています。
また同じように、信から離れた行もないと考えるべきです。」
“行をはなれたる信はなしとききて候ふ。また、信はなれたる行なしとおぼしめすべし”(末灯鈔)
意訳「行(ぎょう)から離れた信(しん)はないと聞いています。
また同じように、信から離れた行もないと考えるべきです。」
【親鸞の言葉】「心を改める」は人生に一度だけ
“回心といふこと、ただひとたびあるべし”(歎異抄)
ここでいう「回心」とは、
• 日頃、自分の力(自力)で善を修め、悪を断って往生しようと考えていた心を、
• 阿弥陀仏の本願(他力)の智慧によって、自分の力ではどうにもならない凡夫であることを知り、
• それまでの自力の心をひっくり返して捨て、ひたすら阿弥陀仏の本願に頼りきること
“回心といふこと、ただひとたびあるべし”(歎異抄)
ここでいう「回心」とは、
• 日頃、自分の力(自力)で善を修め、悪を断って往生しようと考えていた心を、
• 阿弥陀仏の本願(他力)の智慧によって、自分の力ではどうにもならない凡夫であることを知り、
• それまでの自力の心をひっくり返して捨て、ひたすら阿弥陀仏の本願に頼りきること
November 1, 2025 at 11:47 PM
【親鸞の言葉】「心を改める」は人生に一度だけ
“回心といふこと、ただひとたびあるべし”(歎異抄)
ここでいう「回心」とは、
• 日頃、自分の力(自力)で善を修め、悪を断って往生しようと考えていた心を、
• 阿弥陀仏の本願(他力)の智慧によって、自分の力ではどうにもならない凡夫であることを知り、
• それまでの自力の心をひっくり返して捨て、ひたすら阿弥陀仏の本願に頼りきること
“回心といふこと、ただひとたびあるべし”(歎異抄)
ここでいう「回心」とは、
• 日頃、自分の力(自力)で善を修め、悪を断って往生しようと考えていた心を、
• 阿弥陀仏の本願(他力)の智慧によって、自分の力ではどうにもならない凡夫であることを知り、
• それまでの自力の心をひっくり返して捨て、ひたすら阿弥陀仏の本願に頼りきること
【親鸞の言葉】思い通りに助けられないということを知る
“今生に、いかにいとほし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし”(歎異抄)
意訳「この世において、どんなに愛おしく気の毒に思ったとしても、自分の思い通りに救うことはできないのだから、この(自力の)慈悲は最後まで貫くことができない」
“今生に、いかにいとほし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし”(歎異抄)
意訳「この世において、どんなに愛おしく気の毒に思ったとしても、自分の思い通りに救うことはできないのだから、この(自力の)慈悲は最後まで貫くことができない」
November 1, 2025 at 12:52 AM
【親鸞の言葉】思い通りに助けられないということを知る
“今生に、いかにいとほし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし”(歎異抄)
意訳「この世において、どんなに愛おしく気の毒に思ったとしても、自分の思い通りに救うことはできないのだから、この(自力の)慈悲は最後まで貫くことができない」
“今生に、いかにいとほし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし”(歎異抄)
意訳「この世において、どんなに愛おしく気の毒に思ったとしても、自分の思い通りに救うことはできないのだから、この(自力の)慈悲は最後まで貫くことができない」
【親鸞の言葉】「浄土へ往く」も「浄土から還る」も阿弥陀さまが導いてくださる
“往還の回向は他力による”(正信偈)
意訳「私たちが浄土に往き(往相)、再びこの世に還ってくる(還相)という、往還の一切は、阿弥陀如来の本願力によるのである」
“往還の回向は他力による”(正信偈)
意訳「私たちが浄土に往き(往相)、再びこの世に還ってくる(還相)という、往還の一切は、阿弥陀如来の本願力によるのである」
October 31, 2025 at 5:23 AM
【親鸞の言葉】「浄土へ往く」も「浄土から還る」も阿弥陀さまが導いてくださる
“往還の回向は他力による”(正信偈)
意訳「私たちが浄土に往き(往相)、再びこの世に還ってくる(還相)という、往還の一切は、阿弥陀如来の本願力によるのである」
“往還の回向は他力による”(正信偈)
意訳「私たちが浄土に往き(往相)、再びこの世に還ってくる(還相)という、往還の一切は、阿弥陀如来の本願力によるのである」
【親鸞の言葉】心が曇っていても必ず光は届く
“たとへば日光の雲霧に覆はれるども、雲霧の下あきらかにして闇なきがごとし”(正信偈)
意訳:たとえば、太陽の光が雲や霧に覆われているように見えても、
その雲や霧の下では、本当は明るくて暗闇ではないようなものです。
“たとへば日光の雲霧に覆はれるども、雲霧の下あきらかにして闇なきがごとし”(正信偈)
意訳:たとえば、太陽の光が雲や霧に覆われているように見えても、
その雲や霧の下では、本当は明るくて暗闇ではないようなものです。
October 30, 2025 at 3:52 AM
【親鸞の言葉】心が曇っていても必ず光は届く
“たとへば日光の雲霧に覆はれるども、雲霧の下あきらかにして闇なきがごとし”(正信偈)
意訳:たとえば、太陽の光が雲や霧に覆われているように見えても、
その雲や霧の下では、本当は明るくて暗闇ではないようなものです。
“たとへば日光の雲霧に覆はれるども、雲霧の下あきらかにして闇なきがごとし”(正信偈)
意訳:たとえば、太陽の光が雲や霧に覆われているように見えても、
その雲や霧の下では、本当は明るくて暗闇ではないようなものです。
【親鸞の言葉】一筋の光が暗闇を照らしてくれる
“難思(なんし)の弘誓(ぐぜい)は難度海(なんどかい)を度(ど)する大船、無礙(むげ)の光明は無明の闇を破する恵日(えにち)なり”(教行信証)
意訳:阿弥陀仏の「思いはかることもできないほど深く大きな誓い(=本願)」は、
私たちが苦しみや迷いに満ちた「難しい渡り(=生死・煩悩)の海」を渡らせてくださる大きな船である。
そして、阿弥陀仏の「妨げるもののない光(=無碍の光明)」は、
私たちの心を覆っている「無明(=迷い・無知)」という闇を打ち破ってくださる慈悲の太陽である。
“難思(なんし)の弘誓(ぐぜい)は難度海(なんどかい)を度(ど)する大船、無礙(むげ)の光明は無明の闇を破する恵日(えにち)なり”(教行信証)
意訳:阿弥陀仏の「思いはかることもできないほど深く大きな誓い(=本願)」は、
私たちが苦しみや迷いに満ちた「難しい渡り(=生死・煩悩)の海」を渡らせてくださる大きな船である。
そして、阿弥陀仏の「妨げるもののない光(=無碍の光明)」は、
私たちの心を覆っている「無明(=迷い・無知)」という闇を打ち破ってくださる慈悲の太陽である。
October 29, 2025 at 3:23 AM
【親鸞の言葉】一筋の光が暗闇を照らしてくれる
“難思(なんし)の弘誓(ぐぜい)は難度海(なんどかい)を度(ど)する大船、無礙(むげ)の光明は無明の闇を破する恵日(えにち)なり”(教行信証)
意訳:阿弥陀仏の「思いはかることもできないほど深く大きな誓い(=本願)」は、
私たちが苦しみや迷いに満ちた「難しい渡り(=生死・煩悩)の海」を渡らせてくださる大きな船である。
そして、阿弥陀仏の「妨げるもののない光(=無碍の光明)」は、
私たちの心を覆っている「無明(=迷い・無知)」という闇を打ち破ってくださる慈悲の太陽である。
“難思(なんし)の弘誓(ぐぜい)は難度海(なんどかい)を度(ど)する大船、無礙(むげ)の光明は無明の闇を破する恵日(えにち)なり”(教行信証)
意訳:阿弥陀仏の「思いはかることもできないほど深く大きな誓い(=本願)」は、
私たちが苦しみや迷いに満ちた「難しい渡り(=生死・煩悩)の海」を渡らせてくださる大きな船である。
そして、阿弥陀仏の「妨げるもののない光(=無碍の光明)」は、
私たちの心を覆っている「無明(=迷い・無知)」という闇を打ち破ってくださる慈悲の太陽である。
▶︎『文章は接続詞で決まる』(石黒圭) #読了 受験現代文の読み方のテキストとして良さそうな本。様々な接続詞の使われ方などがまとまっていてなかなか面白かった。文末接続詞という考え方も「のだ」「のである」文が大事という私の考えに近くて良いと思う。途中から少し飽きた。★2.5/5点10/14-28
October 28, 2025 at 9:29 AM
▶︎『文章は接続詞で決まる』(石黒圭) #読了 受験現代文の読み方のテキストとして良さそうな本。様々な接続詞の使われ方などがまとまっていてなかなか面白かった。文末接続詞という考え方も「のだ」「のである」文が大事という私の考えに近くて良いと思う。途中から少し飽きた。★2.5/5点10/14-28
【親鸞の言葉】阿弥陀さまの智慧の輝かしい光は苦しみや迷いの闇を打ち破る
“三塗の黒闇ひらくなり 大応供を帰命せよ”(浄土和讃)
意訳:「地獄・餓鬼・畜生という苦しみの世界を覆う暗闇は、阿弥陀さまの光によって開かれ、明るく照らし出される。
だから、阿弥陀仏(大応供)を信じて心から帰依しなさい。」
“三塗の黒闇ひらくなり 大応供を帰命せよ”(浄土和讃)
意訳:「地獄・餓鬼・畜生という苦しみの世界を覆う暗闇は、阿弥陀さまの光によって開かれ、明るく照らし出される。
だから、阿弥陀仏(大応供)を信じて心から帰依しなさい。」
October 28, 2025 at 3:56 AM
【親鸞の言葉】阿弥陀さまの智慧の輝かしい光は苦しみや迷いの闇を打ち破る
“三塗の黒闇ひらくなり 大応供を帰命せよ”(浄土和讃)
意訳:「地獄・餓鬼・畜生という苦しみの世界を覆う暗闇は、阿弥陀さまの光によって開かれ、明るく照らし出される。
だから、阿弥陀仏(大応供)を信じて心から帰依しなさい。」
“三塗の黒闇ひらくなり 大応供を帰命せよ”(浄土和讃)
意訳:「地獄・餓鬼・畜生という苦しみの世界を覆う暗闇は、阿弥陀さまの光によって開かれ、明るく照らし出される。
だから、阿弥陀仏(大応供)を信じて心から帰依しなさい。」
【親鸞の言葉】相手を疑わず、素直な心で聞く
“聞くといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり”(一念多念文意)
“聞くといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり”(一念多念文意)
October 27, 2025 at 12:10 AM
【親鸞の言葉】相手を疑わず、素直な心で聞く
“聞くといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり”(一念多念文意)
“聞くといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり”(一念多念文意)
【親鸞の言葉】日々の行いが自分を作る
“卯毛・羊毛のさきにいるちりばかりもつくる罪の、宿業にあらずといふことなしとしるべし”(歎異抄)
意訳:「ウサギの毛やヒツジの毛の先につく、ほんのちょっとのほこりのような小さな罪でさえ、過去の宿業(前世からの行いの報い)によらないものはない、ということをよく知りなさい。」
“卯毛・羊毛のさきにいるちりばかりもつくる罪の、宿業にあらずといふことなしとしるべし”(歎異抄)
意訳:「ウサギの毛やヒツジの毛の先につく、ほんのちょっとのほこりのような小さな罪でさえ、過去の宿業(前世からの行いの報い)によらないものはない、ということをよく知りなさい。」
October 26, 2025 at 2:20 AM
【親鸞の言葉】日々の行いが自分を作る
“卯毛・羊毛のさきにいるちりばかりもつくる罪の、宿業にあらずといふことなしとしるべし”(歎異抄)
意訳:「ウサギの毛やヒツジの毛の先につく、ほんのちょっとのほこりのような小さな罪でさえ、過去の宿業(前世からの行いの報い)によらないものはない、ということをよく知りなさい。」
“卯毛・羊毛のさきにいるちりばかりもつくる罪の、宿業にあらずといふことなしとしるべし”(歎異抄)
意訳:「ウサギの毛やヒツジの毛の先につく、ほんのちょっとのほこりのような小さな罪でさえ、過去の宿業(前世からの行いの報い)によらないものはない、ということをよく知りなさい。」
【親鸞の言葉】「誰がいったか」ばかりに注目しない
“人、指をもって月を指(おし)ふ、もつて我を示教す、指を看視して月を視(み)ざるがごとし”(教行信証)
意訳「人が月を指さすとき、その指は月を示すための手段である。教えを説く者も、私(親鸞)も、仏の真理を指し示すための“指”にすぎない。ところが人々は、その指ばかりを見て、肝心の月(=真理)を見ようとしない。」
“人、指をもって月を指(おし)ふ、もつて我を示教す、指を看視して月を視(み)ざるがごとし”(教行信証)
意訳「人が月を指さすとき、その指は月を示すための手段である。教えを説く者も、私(親鸞)も、仏の真理を指し示すための“指”にすぎない。ところが人々は、その指ばかりを見て、肝心の月(=真理)を見ようとしない。」
October 24, 2025 at 11:36 PM
【親鸞の言葉】「誰がいったか」ばかりに注目しない
“人、指をもって月を指(おし)ふ、もつて我を示教す、指を看視して月を視(み)ざるがごとし”(教行信証)
意訳「人が月を指さすとき、その指は月を示すための手段である。教えを説く者も、私(親鸞)も、仏の真理を指し示すための“指”にすぎない。ところが人々は、その指ばかりを見て、肝心の月(=真理)を見ようとしない。」
“人、指をもって月を指(おし)ふ、もつて我を示教す、指を看視して月を視(み)ざるがごとし”(教行信証)
意訳「人が月を指さすとき、その指は月を示すための手段である。教えを説く者も、私(親鸞)も、仏の真理を指し示すための“指”にすぎない。ところが人々は、その指ばかりを見て、肝心の月(=真理)を見ようとしない。」
【親鸞の言葉】心に迷いがあるときには
はからいを捨て、他力の道を進め
“心昏(くら)く識寡(さとりすく)なきもの、敬ひてこの道(どう)を勉(つと)めよ”(浄土文類聚鈔)
意訳:自分の心が迷いやすく、仏法のことがよくわからない者であっても、
敬う気持ちを忘れずに、阿弥陀仏の教え(浄土の道)を一心に学び、実践しなさい。
はからいを捨て、他力の道を進め
“心昏(くら)く識寡(さとりすく)なきもの、敬ひてこの道(どう)を勉(つと)めよ”(浄土文類聚鈔)
意訳:自分の心が迷いやすく、仏法のことがよくわからない者であっても、
敬う気持ちを忘れずに、阿弥陀仏の教え(浄土の道)を一心に学び、実践しなさい。
October 24, 2025 at 3:21 AM
【親鸞の言葉】心に迷いがあるときには
はからいを捨て、他力の道を進め
“心昏(くら)く識寡(さとりすく)なきもの、敬ひてこの道(どう)を勉(つと)めよ”(浄土文類聚鈔)
意訳:自分の心が迷いやすく、仏法のことがよくわからない者であっても、
敬う気持ちを忘れずに、阿弥陀仏の教え(浄土の道)を一心に学び、実践しなさい。
はからいを捨て、他力の道を進め
“心昏(くら)く識寡(さとりすく)なきもの、敬ひてこの道(どう)を勉(つと)めよ”(浄土文類聚鈔)
意訳:自分の心が迷いやすく、仏法のことがよくわからない者であっても、
敬う気持ちを忘れずに、阿弥陀仏の教え(浄土の道)を一心に学び、実践しなさい。
【親鸞の言葉】勇気を持って新たな道を進む
“しかるに愚禿(ぐとく)釈の鸞、建仁辛酉(かのとのとり)の歴、雑行を棄てて本願に帰す”(教行信証)
意訳:ところが愚かな僧である釈の鸞(親鸞)は、建仁元年(1201年)に、さまざまな自力の修行(雑行)を捨てて、ただ阿弥陀仏の本願の力(他力)に身をまかせるようになった。
“しかるに愚禿(ぐとく)釈の鸞、建仁辛酉(かのとのとり)の歴、雑行を棄てて本願に帰す”(教行信証)
意訳:ところが愚かな僧である釈の鸞(親鸞)は、建仁元年(1201年)に、さまざまな自力の修行(雑行)を捨てて、ただ阿弥陀仏の本願の力(他力)に身をまかせるようになった。
October 23, 2025 at 2:52 AM
【親鸞の言葉】勇気を持って新たな道を進む
“しかるに愚禿(ぐとく)釈の鸞、建仁辛酉(かのとのとり)の歴、雑行を棄てて本願に帰す”(教行信証)
意訳:ところが愚かな僧である釈の鸞(親鸞)は、建仁元年(1201年)に、さまざまな自力の修行(雑行)を捨てて、ただ阿弥陀仏の本願の力(他力)に身をまかせるようになった。
“しかるに愚禿(ぐとく)釈の鸞、建仁辛酉(かのとのとり)の歴、雑行を棄てて本願に帰す”(教行信証)
意訳:ところが愚かな僧である釈の鸞(親鸞)は、建仁元年(1201年)に、さまざまな自力の修行(雑行)を捨てて、ただ阿弥陀仏の本願の力(他力)に身をまかせるようになった。
【親鸞の言葉】正しいこともわからず、慈悲の心もない。それでも人の上に立とうとしてしまう。
“是非しらず邪正もわかぬ このみなり 小慈小悲もなけれども 名利に人師をこのむなり”(正像末和讃)
意訳:「正しいことも間違っていることもわからないのが、今の自分である。
人を思いやるわずかな慈悲の心すらないのに、
名声や利益のために「人の師(先生)」になりたがっているのである。」
“是非しらず邪正もわかぬ このみなり 小慈小悲もなけれども 名利に人師をこのむなり”(正像末和讃)
意訳:「正しいことも間違っていることもわからないのが、今の自分である。
人を思いやるわずかな慈悲の心すらないのに、
名声や利益のために「人の師(先生)」になりたがっているのである。」
October 22, 2025 at 12:18 AM
【親鸞の言葉】正しいこともわからず、慈悲の心もない。それでも人の上に立とうとしてしまう。
“是非しらず邪正もわかぬ このみなり 小慈小悲もなけれども 名利に人師をこのむなり”(正像末和讃)
意訳:「正しいことも間違っていることもわからないのが、今の自分である。
人を思いやるわずかな慈悲の心すらないのに、
名声や利益のために「人の師(先生)」になりたがっているのである。」
“是非しらず邪正もわかぬ このみなり 小慈小悲もなけれども 名利に人師をこのむなり”(正像末和讃)
意訳:「正しいことも間違っていることもわからないのが、今の自分である。
人を思いやるわずかな慈悲の心すらないのに、
名声や利益のために「人の師(先生)」になりたがっているのである。」
【親鸞の言葉】「自分」を精一杯に生きる
“それ自障は愛にしくなし、自蔽は疑にしくなし”(教行信証)
意訳:「自分らしく生きることをさまたげる最大の原因は、愛着・執着である。自分の真実の生き方をおおいかくす最大の原因は、疑いの心である。」
“それ自障は愛にしくなし、自蔽は疑にしくなし”(教行信証)
意訳:「自分らしく生きることをさまたげる最大の原因は、愛着・執着である。自分の真実の生き方をおおいかくす最大の原因は、疑いの心である。」
October 20, 2025 at 11:00 PM
【親鸞の言葉】「自分」を精一杯に生きる
“それ自障は愛にしくなし、自蔽は疑にしくなし”(教行信証)
意訳:「自分らしく生きることをさまたげる最大の原因は、愛着・執着である。自分の真実の生き方をおおいかくす最大の原因は、疑いの心である。」
“それ自障は愛にしくなし、自蔽は疑にしくなし”(教行信証)
意訳:「自分らしく生きることをさまたげる最大の原因は、愛着・執着である。自分の真実の生き方をおおいかくす最大の原因は、疑いの心である。」
【親鸞の言葉】自分が無知であることを忘れない
“よしあしの文字をもしらぬひとはみな まことのこころなりけるを 善悪の字しりがおは おおそらごとのかたちなり”(正像末和讃)
意訳「善い・悪いという文字さえ知らないような素朴な人々の心こそ、ほんとうのまことの心である。
それに対して、『善悪』の字を知っていると得意がるような知識人の心は、すべてうそ・偽りのかたちにすぎない。」
“よしあしの文字をもしらぬひとはみな まことのこころなりけるを 善悪の字しりがおは おおそらごとのかたちなり”(正像末和讃)
意訳「善い・悪いという文字さえ知らないような素朴な人々の心こそ、ほんとうのまことの心である。
それに対して、『善悪』の字を知っていると得意がるような知識人の心は、すべてうそ・偽りのかたちにすぎない。」
October 20, 2025 at 2:06 AM
【親鸞の言葉】自分が無知であることを忘れない
“よしあしの文字をもしらぬひとはみな まことのこころなりけるを 善悪の字しりがおは おおそらごとのかたちなり”(正像末和讃)
意訳「善い・悪いという文字さえ知らないような素朴な人々の心こそ、ほんとうのまことの心である。
それに対して、『善悪』の字を知っていると得意がるような知識人の心は、すべてうそ・偽りのかたちにすぎない。」
“よしあしの文字をもしらぬひとはみな まことのこころなりけるを 善悪の字しりがおは おおそらごとのかたちなり”(正像末和讃)
意訳「善い・悪いという文字さえ知らないような素朴な人々の心こそ、ほんとうのまことの心である。
それに対して、『善悪』の字を知っていると得意がるような知識人の心は、すべてうそ・偽りのかたちにすぎない。」