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バッハはその芸術精神によって、偉大さと崇高さを求める彼の天分の基本方向にも拘わらず、時には陽気に、戯れさえしながら作曲し演奏し、しかもその明るさと戯れは、賢者の明るさと戯れであった。
(フォルケル『バッハの生涯と芸術』第11章)
December 26, 2025 at 11:00 AM
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バッハの作品は、芸術の中の単に美しく快いもののように、ただ人を喜ばせ楽しませるだけではなく、否応なしにわれわれの心を奪い、われわれを一瞬驚かすだけではなく、われわれがそれを何度も聴き、詳しく知れば知るほど、その作用がますます強まり、その中に積み重ねられた驚くべき豊かな楽想が、
千度も吟味した後にも依然として、われわれに新らしいものが残されていて、それがわれわれの賞賛を、時にはわれわれの驚嘆を喚び起こす。ついには音楽のいろはを知っているだけのしろうとでさえ、それの好い演奏を聴かされ、偏見をもたずにそれに耳と心を開くならば、感嘆を禁じ得ないであろう。
December 26, 2025 at 11:00 AM
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ラインハルト・カイザーやヘンデルのように機知に富む作曲家の作品でさえ、人が信じただろうよりも、そしてそれを作曲した本人自身がおそらく信じたであろうよりも、早く時代おくれになってしまった。大勢の聴衆目あての作曲家として、彼らはその時代の一般の趣味に追随することを余儀なくされていた。
そしてその趣味に応える作品は、時代の趣味そのものより長くは、生き延びられないのである。それにしても、あらゆる種類の時代の趣味、そしておよそ流行と言われるすべてのものほど、移り易く変り易いものは無い。
(フォルケル『バッハの生涯と芸術』第6章)
December 27, 2025 at 9:01 AM
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バッハの旋律がいつまでも古びることがないのは、特性というよりは、むしろそれのもろもろの特性の一つの結果である。それは、その発生の基となった自然と同じく、永遠に美しく永遠に若々しい。バッハが早期の作品にその時代の一般の趣味を取り入れたものはすべて、今や古びたものになっている。
彼が後期の作品におけるように、旋律を芸術の内面の源泉そのものから、流行の形式などは顧りみることなく展開したところでは、すべてが今なお、昨日誕生したばかりのように、すがすがしく新しい。同じ年代に作られたもので、そのようなことが言い得る作品は滅多に見出されない。
December 27, 2025 at 9:00 AM