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独自の思想をお持ちの場合は、使いこなせないか、そのどちらかです。』すばらしいじゃないか? モーツァルトの音楽について言ったこの偉大な言葉は、他のあらゆる芸術にも通用するのではなかろうか?」
ゲーテはつづけた、「レオナルド・ダ・ヴィンチはこういっているよ、
独自の思想をお持ちの場合は、使いこなせないか、そのどちらかです。』すばらしいじゃないか? モーツァルトの音楽について言ったこの偉大な言葉は、他のあらゆる芸術にも通用するのではなかろうか?」
ゲーテはつづけた、「レオナルド・ダ・ヴィンチはこういっているよ、
(出エジプト記 20:3-5)
あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。
あなたは殺してはならない。
あなたは姦淫してはならない。
あなたは盗んではならない。
あなたは隣人について、偽証してはならない。
あなたは隣人の家をむさぼってはならない。
(出エジプト記 20:3-5)
あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。
あなたは殺してはならない。
あなたは姦淫してはならない。
あなたは盗んではならない。
あなたは隣人について、偽証してはならない。
あなたは隣人の家をむさぼってはならない。
何故ならその細部の美、その柱、その勾欄、その蔀戸、その板唐戸、その華頭窓、その宝形造の屋蓋、……その法水院、その潮音洞、その究竟頂、その漱清、……その池の投影、その小さな島々、その松、その舟泊りにいたるまでの細部の美を点検すれば、
何故ならその細部の美、その柱、その勾欄、その蔀戸、その板唐戸、その華頭窓、その宝形造の屋蓋、……その法水院、その潮音洞、その究竟頂、その漱清、……その池の投影、その小さな島々、その松、その舟泊りにいたるまでの細部の美を点検すれば、
あらゆる人が、以前は思想においても共通していたものを、一から十まで棚上げにして、自分だけの独自な思想と感情から出発しようとしている。
(ドストエフスキー『作家の日記』1876.3)
あらゆる人が、以前は思想においても共通していたものを、一から十まで棚上げにして、自分だけの独自な思想と感情から出発しようとしている。
(ドストエフスキー『作家の日記』1876.3)
「宇宙虫」ですばらしいニヒリズムを見せた水木しげるも「ガロ」の「こどもの国」や「武蔵」連作では見るもむざんな政治主義に堕してゐる。一体、今の若者は、図式化されたかういふ浅墓な政治主義の劇画・漫画を喜ぶのであらうか。
(三島由紀夫『劇画における若者論』)
「宇宙虫」ですばらしいニヒリズムを見せた水木しげるも「ガロ」の「こどもの国」や「武蔵」連作では見るもむざんな政治主義に堕してゐる。一体、今の若者は、図式化されたかういふ浅墓な政治主義の劇画・漫画を喜ぶのであらうか。
(三島由紀夫『劇画における若者論』)
僕らは思い止まらんだろう、出かけて行って闘るだろう。すなわち我々の推論よりも力強いある力が存在する。我々は常々声を大にして、戦争は追剥だ、蛮行だ、戦慄だ、兄弟殺しだと叫ぶ。我々は失神せずして血を見ることはできない。しかしフランスやドイツが一度でも我々を凌辱したら最後、我々の士気は
僕らは思い止まらんだろう、出かけて行って闘るだろう。すなわち我々の推論よりも力強いある力が存在する。我々は常々声を大にして、戦争は追剥だ、蛮行だ、戦慄だ、兄弟殺しだと叫ぶ。我々は失神せずして血を見ることはできない。しかしフランスやドイツが一度でも我々を凌辱したら最後、我々の士気は
どれほど多くの、解明された明白な神秘があることだろうか。神はヨブをふたたび立ち直らせ、あらためて富を授けるのだ。ふたたび多くの歳月が流れ、彼にはすでに新しい、別の子供たちがいて、彼はその子供たちを愛している。だが「前の子供たちがいないというのに、前の子供たちを奪われたというのに、
どれほど多くの、解明された明白な神秘があることだろうか。神はヨブをふたたび立ち直らせ、あらためて富を授けるのだ。ふたたび多くの歳月が流れ、彼にはすでに新しい、別の子供たちがいて、彼はその子供たちを愛している。だが「前の子供たちがいないというのに、前の子供たちを奪われたというのに、
一個の人間の歴史像──したがってその人間自身──を、日常の偶然が決定的に支配すればするほど、その像はますます浅薄になってくる。同様にして、歴史記述が、純粋な事実的関係を確定して、その対象を書き尽くそうとすればするほど、ますます空虚になることは当然である。
一個の人間の歴史像──したがってその人間自身──を、日常の偶然が決定的に支配すればするほど、その像はますます浅薄になってくる。同様にして、歴史記述が、純粋な事実的関係を確定して、その対象を書き尽くそうとすればするほど、ますます空虚になることは当然である。
にもかかわらず、私は四つの福音都はすべて完全に真実なものだと考えている。それらには、キリストの人格からほとばしり出た崇高さの、そしてかつてこの地上にあらわれた神と同じような神々しい崇高さの反映があるからだ。もし、自分の性質にキリストへ畏敬の念をささげる気持があるかと問われたら、
にもかかわらず、私は四つの福音都はすべて完全に真実なものだと考えている。それらには、キリストの人格からほとばしり出た崇高さの、そしてかつてこの地上にあらわれた神と同じような神々しい崇高さの反映があるからだ。もし、自分の性質にキリストへ畏敬の念をささげる気持があるかと問われたら、
生きるか死ぬかしかない場で狙いが果たせるように分別することは、不可能だ。自分も人も生きる方がすきだ。往々にして好きな方に理屈が付くものだ。それでもし狙いを外して生き延びたならば、腰抜けである。この境目はあてにならない。一方、狙いを外して死ぬならば、
生きるか死ぬかしかない場で狙いが果たせるように分別することは、不可能だ。自分も人も生きる方がすきだ。往々にして好きな方に理屈が付くものだ。それでもし狙いを外して生き延びたならば、腰抜けである。この境目はあてにならない。一方、狙いを外して死ぬならば、
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部231)
共に苦しむことではなく、共によろこぶことが友人をつくる。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』499)
自分のことを全然語らないのはきわめて上品な偽善である。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』504)
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部231)
共に苦しむことではなく、共によろこぶことが友人をつくる。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』499)
自分のことを全然語らないのはきわめて上品な偽善である。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』504)
だからぼくの方から両親に向かって言うにせよ、両親の方からぼくに言うにせよ、あらゆる言葉がいとも容易にぼくの足元に飛んでくる丸太になるのです。ぼくが自分で手に入れたり戦い取ったのではない結びつきは、ことごとく、ぼくの自我に背きこそすれ、無価値であり、ぼくの歩みを妨げるのです。
だからぼくの方から両親に向かって言うにせよ、両親の方からぼくに言うにせよ、あらゆる言葉がいとも容易にぼくの足元に飛んでくる丸太になるのです。ぼくが自分で手に入れたり戦い取ったのではない結びつきは、ことごとく、ぼくの自我に背きこそすれ、無価値であり、ぼくの歩みを妨げるのです。
「いいや、あなたがそれを嘆いていることだけで十分なのです。ご自分にできることをなさい、そうすれば報われるのです。あなたはもう、ずいぶん多くのことを
やりとげていますよ、なぜってそれほど深く真剣に自覚することができたのですからね! かりにあなたが今それほど真剣にわたしと話していたのも、自分の正直さを賞めてもらいたい一心からだけだとしたら、そのときはもちろん、実行的な愛の偉業という面では、何物にも到達できないでしょうがの。
「いいや、あなたがそれを嘆いていることだけで十分なのです。ご自分にできることをなさい、そうすれば報われるのです。あなたはもう、ずいぶん多くのことを
やりとげていますよ、なぜってそれほど深く真剣に自覚することができたのですからね! かりにあなたが今それほど真剣にわたしと話していたのも、自分の正直さを賞めてもらいたい一心からだけだとしたら、そのときはもちろん、実行的な愛の偉業という面では、何物にも到達できないでしょうがの。
①自分の本性を否定する。
②それを誇りに思う理由を見出す。
③自分にそのような本性があるということを、まるで重要視していないかのように振舞う。
①の場合、彼は嘘つきだ。
②の場合、彼は自然の貴族の特徴──つまり明るい悪徳であり、不自由な体が自然の優雅さを持ち得ないのと同様に、彼が実際には持ち得ないプライド──を真似る。
③の場合、彼はいわば社会民主主義の身振りで、荒々しい身体の特質より文化を優先させるが、これも欺瞞である。
①自分の本性を否定する。
②それを誇りに思う理由を見出す。
③自分にそのような本性があるということを、まるで重要視していないかのように振舞う。
①の場合、彼は嘘つきだ。
②の場合、彼は自然の貴族の特徴──つまり明るい悪徳であり、不自由な体が自然の優雅さを持ち得ないのと同様に、彼が実際には持ち得ないプライド──を真似る。
③の場合、彼はいわば社会民主主義の身振りで、荒々しい身体の特質より文化を優先させるが、これも欺瞞である。
しかしあなたは悪人のうくべきさばきをおのれに満たし、さばきと公義はあなたを捕えている。あなたは怒りに誘われて、あざけりに陥らぬように心せよ。あがないしろの大いなるがために、おのれを誤るな。
(ヨブ記 36:15-18)
しかしあなたは悪人のうくべきさばきをおのれに満たし、さばきと公義はあなたを捕えている。あなたは怒りに誘われて、あざけりに陥らぬように心せよ。あがないしろの大いなるがために、おのれを誤るな。
(ヨブ記 36:15-18)
もっとも、この……あなたの過失について申すならば、同じ過失を犯す者は多いが、彼らはそれを若き日の避けえぬ過失とさえ考えて、おのれの良心を安んじ平穏に暮らしておる。なかにはすでに墓の匂いを放ちながら、同じ過失を犯してなお慰めやたわむれを味わう老人もおりますのじゃ。
もっとも、この……あなたの過失について申すならば、同じ過失を犯す者は多いが、彼らはそれを若き日の避けえぬ過失とさえ考えて、おのれの良心を安んじ平穏に暮らしておる。なかにはすでに墓の匂いを放ちながら、同じ過失を犯してなお慰めやたわむれを味わう老人もおりますのじゃ。
凡庸な物書きはみな、持ち前のありのままの文体を偽装しようとする。そのためにまず素朴さを断念せざるをえず、天衣無縫であることは卓越した精神の持ち主、自分というものを自覚し、確信をもってふるまう人物の特権になる。凡庸な脳みその持ち主は考えたことをそのまま書く決心がつかない。それでも、
凡庸な物書きはみな、持ち前のありのままの文体を偽装しようとする。そのためにまず素朴さを断念せざるをえず、天衣無縫であることは卓越した精神の持ち主、自分というものを自覚し、確信をもってふるまう人物の特権になる。凡庸な脳みその持ち主は考えたことをそのまま書く決心がつかない。それでも、
世の中にあるすぐれた作品が洞察できるようになると、まちがった、あまりにも不十分だった努力のおかげで失ってしまった長い年月にあらためて驚くことになる。」
「それどころか、完成されたものも知らず、自分の不十分さに気づくこともなく、死ぬまで生半可なものをつくっている人が大勢いるのだ。」
世の中にあるすぐれた作品が洞察できるようになると、まちがった、あまりにも不十分だった努力のおかげで失ってしまった長い年月にあらためて驚くことになる。」
「それどころか、完成されたものも知らず、自分の不十分さに気づくこともなく、死ぬまで生半可なものをつくっている人が大勢いるのだ。」
著者の一人であった。彼は自分のことを──以下の議論の合い間に──「フロイトの弟子」とか「フロイトの追従者」とか言っていた。彼はその著作の中の観察や意見ゆえにフロイトを賞讃した。彼の見解ではフロイトが間違っているような場合ですら、「言うべきことをもっている」がゆえに。他方では、
著者の一人であった。彼は自分のことを──以下の議論の合い間に──「フロイトの弟子」とか「フロイトの追従者」とか言っていた。彼はその著作の中の観察や意見ゆえにフロイトを賞讃した。彼の見解ではフロイトが間違っているような場合ですら、「言うべきことをもっている」がゆえに。他方では、
もし私が自分自身に演技をしたら(そのような人が書くように私は書いていると思う)、スタイルが表現するのはそのような類のことになってしまう。そうすると、そのスタイルは、私自身のものではありえない。もし自分が何であるかを知ろうとしないなら、あなたの書くものは欺瞞の一形態である。
もし私が自分自身に演技をしたら(そのような人が書くように私は書いていると思う)、スタイルが表現するのはそのような類のことになってしまう。そうすると、そのスタイルは、私自身のものではありえない。もし自分が何であるかを知ろうとしないなら、あなたの書くものは欺瞞の一形態である。
一切の説明が排除され、後には記述だけが残らなければならない。そしてこの記述は、その光、つまり目的を、哲学的諸問題から受け取るのである。これらの問題は確かに経験的なものではない。これらは、私たちの言語の働きを洞察することによって解消されるのであり、その洞察は言語の働きを
一切の説明が排除され、後には記述だけが残らなければならない。そしてこの記述は、その光、つまり目的を、哲学的諸問題から受け取るのである。これらの問題は確かに経験的なものではない。これらは、私たちの言語の働きを洞察することによって解消されるのであり、その洞察は言語の働きを
あまりに高度で、あまりに高貴すぎる。もう一つ、教会の立場がある。これは遥かに人間的だ。この立場は弱く、変化しやすく、そして実際に変化しつつある。だが、これも弱い人間が存在するかぎり永遠に変化しながらも持続していくだろう。くもりない神の啓示の光は、あまりに純粋で目もくらむほどなので
あまりに高度で、あまりに高貴すぎる。もう一つ、教会の立場がある。これは遥かに人間的だ。この立場は弱く、変化しやすく、そして実際に変化しつつある。だが、これも弱い人間が存在するかぎり永遠に変化しながらも持続していくだろう。くもりない神の啓示の光は、あまりに純粋で目もくらむほどなので
愛は孤独の極みにある者にとって危険だ。生きてさえいればどんなものにでもそそぐ愛は。そうだ、このわたしの愚かさ、謙虚な愛は笑うべきものだ──。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第3部 漂泊者)
愛は孤独の極みにある者にとって危険だ。生きてさえいればどんなものにでもそそぐ愛は。そうだ、このわたしの愚かさ、謙虚な愛は笑うべきものだ──。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第3部 漂泊者)
彼のナポレオン的な語句は、成熟したどの文明にも特有な傾向を言い表している。これはローマ人、アラピア人、中国人にも当てはまる。ここには選択がない。ここでは一個人とかまた全階級や全国民の意識的意志の決定する余地はない。拡張的傾向は宿命であり、憑かれた、巨大な何ものかであって、
彼のナポレオン的な語句は、成熟したどの文明にも特有な傾向を言い表している。これはローマ人、アラピア人、中国人にも当てはまる。ここには選択がない。ここでは一個人とかまた全階級や全国民の意識的意志の決定する余地はない。拡張的傾向は宿命であり、憑かれた、巨大な何ものかであって、
(トルストイ『要約福音書』)
私の身体、この草、この昆虫には物理的、化学的および生理学的法則に従って物質の変化が起きる、と私はかつてよくいったものである。そして、その線に沿って最大の思索の努力をしたにもかかわらず、人生の意味、私の衝動の意味および私の熱望の意味が私に示されなかったことに驚いた。
(トルストイ)
(トルストイ『要約福音書』)
私の身体、この草、この昆虫には物理的、化学的および生理学的法則に従って物質の変化が起きる、と私はかつてよくいったものである。そして、その線に沿って最大の思索の努力をしたにもかかわらず、人生の意味、私の衝動の意味および私の熱望の意味が私に示されなかったことに驚いた。
(トルストイ)