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証明されたからといって、神の存在が証明されたかどうか、まだわからないしね。僕は観念論者の仲間に加えてもらいたいよ。連中の中で造反してやるんだ。『俺は現実主義者(リアリスト)だけど、唯物論者じゃないからね、へ、へ!』と言ってね」
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』第11編9)
December 23, 2025 at 11:00 AM
自分以外のものでありたいと思わないこと。それだけでもう、すぐれた独創性がはじまっているのだ。だがこんなことはすでに、ほかの人がはるかに上手に指摘していることだ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1947.4.9)
December 23, 2025 at 9:00 AM
世界の怖れが、"死に対し"、光の世界の限界に対し、固結した空間に対する純粋に人間的な"不安"として姿を現わしてくる。ここにまず死に関する沈思から始まるところの、より高い思考の起原がある。どの宗教、どの自然研究、どの哲学もここから始まっている。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第3章2)
December 23, 2025 at 7:00 AM
次第に自分の血肉よりも親しくなり、その傷の痛みは、すなわち傷の生きている感情、または愛情の囁きのようにさえ思われる、そんな男にとって、例の地下運動のグルウプの雰囲気が変に安心で、居心地がよく、その運動の本来の目的よりその運動の肌が自分に合った感じなのでした。
(太宰治『人間失格』)
December 23, 2025 at 5:01 AM
『あなた方の息子さんが、自分の描くものをくっきりとした明暗によって浮きあがらせ、見る者が思わず手でつかまえたくなるくらいのセンスをもっていないようでしたら、息子さんには才能はありません』とね。」
(エッカーマン『ゲーテとの対話』1826.12.13)
December 23, 2025 at 3:00 AM
隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」。
(出エジプト記 20:12-17)

あなたは多数に従って悪をおこなってはならない。あなたは訴訟において、多数に従って片寄り、正義を曲げるような証言をしてはならない。
また貧しい人をその訴訟において、曲げてかばってはならない。
(出エジプト記 23:2-3)
December 23, 2025 at 1:00 AM
美は細部で終り細部で完結することは決してなく、どの一部にも次の美の予兆が含まれていたからだ。細部の美はそれ自体不安に充たされていた。それは完全を夢みながら完結を知らず、次の美、未知の美へとそそのかされていた。そして予兆は予兆につながり、一つ一つの"ここには存在しない"美の予兆が、
いわば金閣の主題をなした。そうした予兆は、虚無の兆だったのである。虚無がこの美の構造だったのだ。そこで美のこれらの細部の未完には、おのずと虚無の予兆が含まれることになり、木割の細い繊細なこの建築は瓔珞が風にふるえるように、虚無の予感に慄えていた。
(三島由紀夫『金閣寺』第10章)
December 22, 2025 at 11:00 PM
たちまち揚がり、心底からウラーの叫びを上げて敵陣に突進するのだ。偽善はよしたまえ、その力に向って腹の中で舌を出すのはやめたまえ、『愚劣だ、時代遅れだ、聖書に悖ったことだ!』などとぶすくさ言うのはやめたまえ。その力を直視して、その合理的な正当さを認めたまえ。
(チェーホフ『決闘』)
December 22, 2025 at 5:00 PM
長い祝福された人生の中の、静かな和やかな感動的な思い出を、なつかしい人々の面影を愛している。それらすべての上に、感動させ、和解させ、すべてを赦す、神の真実があるのだ!
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』第6編2(B))
December 22, 2025 at 3:00 PM
どうして新しい子供たちを愛したりできるだろう? どんなに新しい子供たちがかわいいにせよ、その子たちといっしょにいて、はたして以前のように完全に幸福になれるものだろうか?」という気がしたものだ。だが、それができるのだ、できるのである。古い悲しみは人の世の偉大な神秘によって、
しだいに静かな感動の喜びに変ってゆく。沸きたつ若い血潮に代って、柔和な澄みきった老年が訪れる。わたしは今も毎日の日の出を祝福しているし、わたしの心は前と同じように朝日に歌いかけてはいるが、それでも今ではもう、むしろ夕日を、夕日の長い斜光を愛し、その斜光とともに、
December 22, 2025 at 3:00 PM
誰でも、歴史を体験することが深くなればなるほど、「因果関係的」な印象を持つことがますます少なくなり、ますますはっきりと、これをまったく無意味だと感ずるようになるだろう。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第2章18)
December 22, 2025 at 1:00 PM
私は、しかり、と答えよう。私は道徳の最高原理の神々しい啓示として、彼の前に身をこごめる。もし私の性質に太陽を敬う気持があるかと問われたら、私はまた、しかり、と答えよう。なぜなら太陽も同じように至高なるものの啓示であり、地上の子らに認めることがゆるされている最も顕著な啓示だからだ。
私は太陽のうちにある神の光と生産力を崇拝する。我々はすべての植物や動物とともに、それによってのみ存在するのだからね。しかし、もし私がペテロやパウロの親指の骨におじぎをするかと問われたら、そんなばかばかしいことはまっぴらだと答えよう。
(エッカーマン『ゲーテとの対話』第3部 1832.3.11)
December 22, 2025 at 11:00 AM