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だいたい酔ってる。
「これが人生だから」

前作あんぱんで屋村が「さよならだけが人生だ」と言ったことを覚えている人もいるだろう。井伏がこの「勧酒」のヒントにしたのが船着き場の別れであることは有名である。
今日、船上でヘブンらが聞いたのも岸から手を振る民衆の「さよなら」という声である。ヘブンも錦織も「さよなら」を言わない。ヘブンは寒いから松江を離れるのではなく、錦織は校長になりたかったわけでもない。互いに本心を隠している。さよならを言うのはトキをラシャメンと噂した民衆であり、錦織が嫌いな秋の虫である。民衆にも虫にも本心がない。ただ目の前に見えるものを見て騒ぎ、ただ季節が来たから鳴くだけである。
#ばけばけ
February 13, 2026 at 2:16 AM
家族(夫婦)は知らない他人同士で始まる。トキは物心つく前に養女に出され松野家の人(他人の家の子)になった。傳が「お前はこれまでもこれからも松野家の人間である」と言ったように、トキの大切な家族は松野家も雨清水家もそういう他人の家族である。血のつながりは濃くなればなるほど憎悪を産むことがある。それは土地のつながりも同じである。松江にいる限りトキは憎悪の対象となる。ヘブンにとって松江は場所であり、家族(トキ)は居場所である。
日本人は虫の声を聴く、とヘブンは言った。虫かごでさみしく鳴くのは虫ではなく、錦織の心の声であるとヘブンは気づくだろう。
#ばけばけ
February 12, 2026 at 1:14 AM
なるほど、いじめが続く中、いじめられっ子が逃げるように転校する(熊本に行く)のではなく、トキの心の問題にして転地療法にしたいのね。昨日タエが「もう落ち着きましたか」と聞いたのは民衆の騒動の方で、今日タエが「まだ収まってない」というのは騒動の余波(トキの心の問題)ってことか。で、昨日フミが出かけるトキの後姿をじっと見ていたのはショールで正体を隠さないと買い物にも行けないトキを心配し、今日トキが船着き場でショールを脱ぐのはヘブンが新しい土地(松江)に来たようにトキも新しい土地(熊本)に行けば正体を隠す(怯える)必要もなくなるよと。
#ばけばけ
February 11, 2026 at 1:56 AM
「夫婦の意見として」

熊本についていくかどうか、司乃介とフミが決める。タエは三之丞と、勘右衛門はタツと決める。家族の行く末は家族で決める。当たり前のことである。ヘブンにとって何より大切なのは松江(場所)ではなく、家族(居場所)である。フミが言うとおり、ヘブンとトキの行く末はヘブン夫婦で決めるべきである。だがそのトキが「一人でも反対したらいかない」というのだから「別の家族」の意見が必要になる。
錦織にも家族がいる。錦織は弟丈と話し合う。家族だから錦織は丈の将来に関与する。
だが、ヘブンにとって錦織は友人だが、家族ではない。
#ばけばけ
February 10, 2026 at 1:55 AM
この流れ、2度目だな。銀二郎がトキの手を取って「2人で東京に行きませんか?」と言ったのと同じ。銀二郎が出奔したとき、トキは「ずっと一緒だと思って甘えちょった」と言っていた。今のトキも同じく、ヘブンとずっと一緒だと思っている。が、ヘブンはあのときの銀二郎と同じように家族を養うだけでなく、生徒の将来までをも背負わされる。教室を出てため息をついたのは過負荷だからではなかろうか。だからヘブンの手を離してはいけない、とわたしがフミならそう思う。のだが、ヘブンが松江を離れたい理由は「寒さ」だけだろうか。
それにしても、錦織は「大磐石」でありながら大磐石でないというスタイルを裏切らない。
#ばけばけ
February 9, 2026 at 12:59 AM
“Sounds good”

ヘブンは自分の心に聴いて"Sounds good"(それがいい)と答えを出す。松江を離れる理由は来週語られる。松江は素晴らしいが、民衆は騒動を起こし、冬は地獄であり、若い娘を人柱にする残酷な町である。ヘブンにとって失ってはならないのは松江ではなく、やっと見つけた家族という居場所である。それにしても、ヘブンはチェンバース教授に何をお願いしたのだろうか。
#ばけばけ
「悪いのはへブンさんでも私でもございません」

マーサはヘブンが解雇されたのが「自分のせい」だと思い自暴自棄になった。マーサはヘブンに「恨むなら自分を恨んで、わたしは反対したのに」と言っている。マーサが自分のせいだと思ったように、ヘブンも今回の騒動の原因は自分のせい(異人だから)と思っているのだが、トキは「誰のせいでもない、それより結婚してくれてありがとう」と言う。ヘブンがマーサから聞きたかったセリフをトキが言う。それでもヘブンが思い詰めているのはこれから先誰のせいにもしないように自分自身が答えを出さなければならないと思っているからだろう。
#ばけばけ
February 6, 2026 at 1:53 AM
「悪いのはへブンさんでも私でもございません」

マーサはヘブンが解雇されたのが「自分のせい」だと思い自暴自棄になった。マーサはヘブンに「恨むなら自分を恨んで、わたしは反対したのに」と言っている。マーサが自分のせいだと思ったように、ヘブンも今回の騒動の原因は自分のせい(異人だから)と思っているのだが、トキは「誰のせいでもない、それより結婚してくれてありがとう」と言う。ヘブンがマーサから聞きたかったセリフをトキが言う。それでもヘブンが思い詰めているのはこれから先誰のせいにもしないように自分自身が答えを出さなければならないと思っているからだろう。
#ばけばけ
February 5, 2026 at 1:12 AM
「ゴネンナサイ、ワタシ、イジン、ダカラ」

八雲が帰化したのは周知の事実であるので、ヘブンが日本人になったから騒動が収まる流れになるのかと思ったが、違うのか。
ところで、なぜ人々が怪談に魅せられるのかといえば、そのひとつに非日常がある。時代は変われど、我々もサワのような川の向こうの長屋暮らしである。さもしい日常を忘れるための物語(非日常)を必要とする。ところが、庄田が言ったようにトキがシンデレラであれば今のトキは非日常の住人になる。トキが物語の住人であるから司乃介が言うように人々は勝手に貴婦人ともてはやし、勝手にラシャメンとさげすむ。我々はそういう生き物である。
#ばけばけ
February 4, 2026 at 1:27 AM
先週、怪談味がなくなってさみしいと言ったばかりだが、サワが「トキのせい」と泣き、人々がトキに石を投げるのは怪談の源泉が人々の「うらみつらみ」であることを思わせる。その裏側にトキとヘブンを祭り上げた先週までの人々の祝祭がある。タイトルの「マツエ、スバラシ」が「うらめしい」の裏側の「すばらしい」になるのはそのためかもしれない。
例えば神社に祀られるのは神様だけでなく、誰かの呪いだったりもする。その神社では毎年お祭りがある。そういえば、タエに渡す封筒には「雨清水様」と書かれ、まるで神様に奉納する仕草である。雨清水様(神様)が人々の呪いを封印するのかもしれない。
#ばけばけ
秋の虫が鳴き始めるころ、庄田とサワはそばをすする。最近、怪談が出てこなくてさみしく思っていたんだけど、なんとなく物悲しい季節ではあるんだよな。庄田とサワがこのままなにもなく無事に夫婦になってほしいと思うよ。
February 3, 2026 at 1:38 AM
「ムシノコエ キク ココロ スバラシ」
「今、自分の心に聞いちょるんじゃ」

日本人は虫の声を聴くココロがあって素晴らしい、とヘブンは言うのだが、司乃介が自分の心の声を聞くことができないのは虫と同じく司乃介にはココロがないからである。そして、最後にトキには「(トキは)ラシャメン」という松江の人々の心の声が聞こえる。ついでに言えば、先日も書いたとおり、庄田がサワに振られたのはサワの本心をつかみ損ねたからである。これはサワが庄田の手をつかめなかった理由でもある。
#ばけばけ
February 2, 2026 at 1:36 AM
「あの人の手をどげしてもつかむことができんかった」

このドラマ、握手にいろんな意味を持たせてるんだよな。三之丞が「社長にしてください」とあちこちまわった挙句、突き飛ばされて倒れた三之丞を引き起こそうとヘブンが手を差し出したシーンを思い出す。三之丞はヘブンの手をつかまなかったんだよな。三之丞もサワと同じく、同情されたくなかったんだろう。ヘブンにそのつもりがなくとも、同情されればもっとみじめになる。ヘブンにとって握手は平等を意味するんだけど、あのときの三之丞やサワにとっては「握手しないこと」が逆に平等を意味してしまう。このあべこべさがこのドラマの面白さだというのも前に書いたな。
三之丞がヘブンの差し出した手をとらないのも握手が意味を持つシーンになると思いますね。ヘブンは施しのつもりではないのに、三之丞は施しと思っている。タエは施しに対価を求める人に頭を下げなかった。雨清水家の気位の高さを示しているんだけど、施しは本来対価を求めるものではなく喜捨なのよね。喜捨することによって自分の徳を積み増す行為。

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いろいろ謎な回。
・タエは松江を離れたのではなかったのか?(松江に知人もあるだろうに、なぜ帰ってきた)
・なぜタエは物乞いをしているのか?(武家の誇りがあるなら死を選ぶのではなかろうか)
・士族の娘が欲しいのなら、まず松野家の当主に筋をとおすのではなかろうか?(いきなりトキに頼むのか)
そのうち種明かしがあるのだろうと思いつつ、握手という身体的接触にさまざまな意味を持たせているのは上手だなとは思った(銀二郎が2人で東京に行こうとトキの手を握るのと、最初にヘブンとトキが握手したのと、女中にならないかと言われて握手をするのはそれぞれ違う)。
#ばけばけ
January 31, 2026 at 12:16 AM
時を告げる鐘が鳴り、庄田が現れる。シンデレラは0時を過ぎると魔法が解ける。庄田はサワの前に現れるのが少し遅かった。
福間がなみに「惚れている」という前に「かわいそう」と言っていたことを思い出す。庄田もまたサワに惚れていると同時に川の向こうから抜け出せないサワを「かわいそう」と思ったのだろう。そしてそれをトキから聞いたのだろう。だから教師になった。
「かわいそう」という言葉をかき消すように「惚れている」と言われ、なみは福間の手を握り返した。でもサワは庄田の手を「どげしてもつかめんかった」という。そこにあるのは「自分はかわいそうではない」という意地である。
#ばけばけ
「デモ…トモダチ、カワラナイ」

ヘブンと錦織がともだちであるように、トキとサワもともだちである。錦織が校長にならなくとも、サワが教員試験に合格できず、天国町にとどまろうとも、ヘブンとトキの彼らに対する友情は変わらない。
福間に裏がなく正直に話しているのなら、福間となみはヘブンとマーサの変奏である。人種や身分に関係なくヘブンはマーサに惚れた。ヘブンとマーサが手を握り合ったように、福間が握った手をなみが握り返すかどうか、たぶん明日わかる。
箸が落ちたままなら、フミのように新しい箸を買えばいいのである。川の向こうからこちらに渡るための新しい橋を架ければいいのである。
#ばけばけ
January 30, 2026 at 2:35 AM
虫の声に耳を澄ます。
以前、ヘブンがトキに怪談をせがんだとき「あなたの言葉、あなたの考えでなければならない」と言っていたが、このときヘブンはトキの声に耳を澄ませる。庄田はサワの心の内を知りたいのだが、そのためにはまずサワ自身が自分の心の声に耳を傾けなければならない。
ヘブンは誰とも深い関係にならず、通りすがりの異人として1人で生きていくと決めていた。サワもまただれにも頼らず1人で生きていくと思っている。ヘブンはトキの声に耳を澄ませたことにより、それを変えた。
#ばけばけ
January 29, 2026 at 2:01 AM
「さすが夫婦よねえ」

トキが歌っていたのは民謡「関の五本松」である。以下のとおり5本あった松のうち1本切られても、残り4本の松は切っても切れない仲(夫婦)であるという歌詞になっている。昨日の続きでいえば、もし庄田とサワが結ばれるなら、"4本の松"はトキとヘブン、庄田とサワの"4人"という暗示になるだろう。

ハア、関の五本松、ドッコイショ
一本切りゃ四本
あとは切られぬ夫婦松

ちなみにwikiによると、八雲も日本瞥見記に「関の五本松」について記しているらしい。

#ばけばけ
January 28, 2026 at 1:14 AM
「49銭5厘を4円50銭で割ると?」
「4つでちょうど40銭と48厘」

きちんと計算できても、どことなく割り切れなさが残る。"ナント、イウカ"ぴったりいかない。これらの数には必ず"4"という数字が頭につく。錦織と庄田、トキとサワの"4人"の関係にも当てはまりそうである。彼らは互いに割り切れなさを感じている。親友が成功するのは喜ばしい、でも自分でないのがうらめしい、あるいは親友がくすぶっているのがもどかしい、でも自分にはどうにもできない、そういった感情。
#ばけばけ
January 27, 2026 at 2:30 AM
今のサワを見ていると、あんぱんの黒井雪子を思い出す。雪子は子が産めず、家を追い出され、一人で生きていくために教師になった。このため雪子は暢に「あなたは弱い」と言い続け、強くなることを求めた。「私は一人で努力して這い上がったのだから、あなたもそうあるべきだ」という人間が教える側に回ったときどうなるか、雪子は教えてくれた。サワが一人で頑張れば頑張るほど教師の本分から外れていく。教師も人間である。人間は一人では生きていけない。それを教えるために教師がいる。トキが家族に「ダイジョウブ」と支えられているように、サワも誰かに支えられて初めて生徒に教える側になれるのではなかろうか。
#ばけばけ
January 26, 2026 at 1:04 AM
確か司乃介は「長屋には一つの隙間もなかった」と言っていたが、サワの足がちらっと見えるぐらいの隙間はある。そのサワが「変わっちょりませんが?」と何も変わっていないことを強調する。松江もヘブンを呼んだぐらいでほかに何も変わらない。トキとサワの友情も以前と同じく何も変わっていないはずなのだが、2人の間に隙間風が吹く。
なみが言うように川の向こうには何か楽しいことが待っているかもしれない。スキップは楽しいからするのか、楽しくなるためにするものなのか。いずれにしても楽しいはずのスキップが楽しくない。いや楽しいのはわかっているのだが、いまはやりたくない。そんなサワの心象風景。
#ばけばけ
ヘブンの「殺生するな(蚊を殺すな)」は思想である。異人には思想があり、その次に行動がある。酔って楽しいという内面があってスキップという行動をとる。ところが勘右衛門やトキには行動はあるが思想はない。別に蚊を殺してもいいのだが、面倒くさいから蚊帳を吊る。勘右衛門も楽しいからスキップするのではなく、スキップすると楽しい状況になるからしているだけである。この違いが日本人は猿真似と言われるゆえんである。だが、内面(思想)があるのはいいことばかりではない。例えばヘブンは殺生をしない代わりにかゆみを我慢しなければならない。その我慢が限度を超えると怒り出す。実際、ヘブンの沸点は低い。
#ばけばけ
January 23, 2026 at 1:14 AM
「デモ…トモダチ、カワラナイ」

ヘブンと錦織がともだちであるように、トキとサワもともだちである。錦織が校長にならなくとも、サワが教員試験に合格できず、天国町にとどまろうとも、ヘブンとトキの彼らに対する友情は変わらない。
福間に裏がなく正直に話しているのなら、福間となみはヘブンとマーサの変奏である。人種や身分に関係なくヘブンはマーサに惚れた。ヘブンとマーサが手を握り合ったように、福間が握った手をなみが握り返すかどうか、たぶん明日わかる。
箸が落ちたままなら、フミのように新しい箸を買えばいいのである。川の向こうからこちらに渡るための新しい橋を架ければいいのである。
#ばけばけ
January 21, 2026 at 11:55 PM
「橋」と「箸」はいずれも一家を救うアイテムである。松野家は橋を渡って川の向こうからやってきた。橋(箸)が落ちれば渡れない。なみやサワが川を渡るにはその落ちた橋(箸)を架け(拾わ)なければならない。人間は地を這う生き物である。白鳥のようにどこへでも自由に渡っていけない。鳩は平和の象徴であり、渡り鳥は自由の象徴である。なみはその自由をおそれる。サワには病身の母がいる。2人には不自由がある。自由になれればどんなにステキなことか、でも地から足を離し空を飛ぶのは恐ろしい。みんな地を這って不自由の中で生きている。ステキなステーキという駄洒落が「橋と箸」という語呂合わせを連想させる。
#ばけばけ
January 21, 2026 at 1:37 AM
なみとサワはトキが銀二郎と一緒にならなかった理由を知っているだろうか。天国町という底辺の生活から抜け出すだけなら月に200円を稼ぐ銀二郎でよく、むしろ異国に消えてしまうおそれのあるヘブンでない方がいいのである。橋を渡り、大きな屋敷に住める代わりに毎日梶谷に追い回されて人々の好奇な目にさらされる生活より、誰も知らない東京で静かに暮らした方がいいまである。そうではなく、トキとヘブンは一緒に山鳩の真似をし、お地蔵さんに手を合わせることこそ幸せだと思っている。といっても、なみやサワが天国町から抜け出したい気持ちもよくわかる。それをどうやってうまくまとめるか、楽しみである。
#ばけばけ
January 20, 2026 at 9:53 AM
ヘブンの日本滞在記は異人が日本人の暮らしを覗き見た記録である。ヘブンはマーサとの結婚からわかるとおりフェア(公平)な人間であるため、梶谷がヘブンの日本での暮らしを覗き見て新聞に掲載することも認める。深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのである。
ヘブンの日本滞在記は"海の向こう"で出版される。それを読む"海の向こう"の人たちは極東の人々の暮らしをどのように思うだろうか。川の向こうに暮らすサワのようにトキとは住む世界が違うと思うだろうか。それとも公平さを持つヘブンのようにどこに暮らそうとも同じ人間の暮らしがあると思うであろうか。
#ばけばけ
January 19, 2026 at 2:04 AM
先週はトキが嘘をつき、今週はヘブンが嘘をつく。男女を入れ替えて同じ経験をさせるのは朝ドラの定番である。性別が違っても理由が違っても状況が揃えば誰でも同じことをしてしまう。自分が嫌だと思うことを相手にしてしまうのは日本人だからではなく異人だからでもなく「同じ人間」だからである。人間とはそういうものだという半ば諦めのような共感が相手を宥恕する感情を生み出す。
#ばけばけ
January 16, 2026 at 2:31 AM
リヨの最初のプレゼントは「ウグイス」だった。でもヘブンは「ウグイスがメジロなら私もメジロだろうか」と言った。自分はウグイスのようなみんなが称賛する声を持たない、そのへんにいる、ありふれた鳥(メジロ)である、とヘブンは認識していた。今回のプレゼントは「下駄」である。江藤はヘブンを「立派な日本人だ」と下駄をはかせて称賛したが、ヘブンはそんな立派な人間ではなく、嫁に隠れて西洋料理をこそこそ食べる、ありふれた人間なのであると。ヘブンとトキは結婚により「先生と女中」の関係に変化を来す。ヘブンは先生ではなく、トキは女中ではない。ありふれた人間同士のありふれた結婚である。もちろん喧嘩もする。
#ばけばけ
January 15, 2026 at 5:00 AM
薬舗にはいろんなものがあった。で、嘘ではなく建前なのだとしたら、ヘブンのしているのは「たちくらみ」ではなく「たくらみ」である。そこには下駄をはかされた立派な日本人ではなく、等身大のヘブンがいるのではなかろうか。気になるのは2,3日で完成するはずの日本滞在記が中断していることである。中断してまでなにをたくらむのか。当時の日本を記録として残しておきたいのなら写真かもしれない。ちょうど明治20年ごろから新聞にも写真が使われ始めた。薬舗にカメラ(現像に薬品を使う)があってもおかしくない。でもそうすると、なぜヘブンはそれを黙っているのだろうか。など考えながら観ていた。
#ばけばけ
January 14, 2026 at 2:27 AM
今週は何を言いたいのか、いまいちつかみ損ねているんだけど、とりあえず見えているのは同じ場所にとどまる窮屈さだね。ヘブンは「自分は通りすがりの異人である」「同じ場所にとどまらない」といっていた。同じ場所にとどまるというのはそういう窮屈さを受け入れるということでもある。トキは「ヤリカタ」を変えなければと薄々気づいているが、司乃介はまるでわかっていない。
#ばけばけ
あと、スカーレットの喜美子が信楽を離れなかったように、トキも松江を離れない。ほかの朝ドラだと土地を離れ空間を移動することによって主人公が新しい世界を知るんだよね。でも世界が広がりを見せることなく閉じられた場所で完結してる。狭い空間の密接な人間関係が濃いドラマを生み出すとも言えるんだけど、それはドラマだからそう思えるのであって、現実に引き戻せば窮屈さを感じないかなと。ばけばけにどこか座りが悪いものをあるとすれば、そういうところかもしれない。例えば、わたしがトキだったら四十を超えたヘブンではなく銀二郎と一緒になるだろう、鈍色の松江ではなく華やかな東京を選ぶよね、みたいな感覚。
January 13, 2026 at 8:27 AM