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だいたい酔ってる。
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ほかの主人公が「自分のため」であるのに対し、トキは「家族のため」という違いはあるんだけど、それは本質ではないし、核心を見誤ってしまうんだよね。ちなみに「誰かのため」と「自分のため」の間に生じるコンフリクトを描いたのがおかえりモネである。そういえば、おちょやんで幼い千代は勝手に奉公に出されたとき「あんたが私を捨てたのではなく、私があんたたちを捨てたんだ」と言ってたな。あれもあくまで自分のことは自分が決めるという主体性の話だわね。
傳から「嫁に行かないか」と言われた時も、銀二郎から「2人で東京で暮らさないか」と言われた時も、錦織に「女中になってくれないか」と言われた時もトキはすべて自分ひとりで決めている。誰に指図されたわけでもなく、社会や家族に押し付けられたわけでもない。しかも選択した結果どうなるかをすべて知ったうえで決めている。
朝ドラは自己決定の物語であるとよく言われる。しばしば語られる「あなたの好きなことをしなさい」とか「あなたの思うままにやりなさい」も自己決定ではあるのだが、自己決定の核心はトキのように利益も不利益も知りながらあえて選択する覚悟にあるんだよね。
#ばけばけ
三之丞がヘブンの差し出した手をとらないのも握手が意味を持つシーンになると思いますね。ヘブンは施しのつもりではないのに、三之丞は施しと思っている。タエは施しに対価を求める人に頭を下げなかった。雨清水家の気位の高さを示しているんだけど、施しは本来対価を求めるものではなく喜捨なのよね。喜捨することによって自分の徳を積み増す行為。

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いろいろ謎な回。
・タエは松江を離れたのではなかったのか?(松江に知人もあるだろうに、なぜ帰ってきた)
・なぜタエは物乞いをしているのか?(武家の誇りがあるなら死を選ぶのではなかろうか)
・士族の娘が欲しいのなら、まず松野家の当主に筋をとおすのではなかろうか?(いきなりトキに頼むのか)
そのうち種明かしがあるのだろうと思いつつ、握手という身体的接触にさまざまな意味を持たせているのは上手だなとは思った(銀二郎が2人で東京に行こうとトキの手を握るのと、最初にヘブンとトキが握手したのと、女中にならないかと言われて握手をするのはそれぞれ違う)。
#ばけばけ
「私は家族が好きです。だけん家族のためにお断りしますけん」

昨日の謎は一つ解けたような気がする。タエらが松江に戻って来たのはそこに自分たちの家(家族の思い出)があったからなんだろう。三之丞は何度も雨清水家であることを強調する。家の再興、それができなければせめて雨清水家のあった土地で死にたい。それに呼応するようにトキもわざわざ「家族のために」と言う。そこに保守的で旧弊な家族像をみつけて、束縛しあう家族を否定する(錦織が「怪談は古い」と言ったように)のは簡単なのだが、ここからどうやって「家族のために」を反転させるのか、が見どころですね。
#ばけばけ
まあどうでもいいことですが(よくしらんけど)。
前にも書いたけど、狂気って度が過ぎると滑稽になるんですよ。逆に滑稽が過ぎると狂気に見える(今日のなみのように)。例えば怪談は相手を驚かせようとして抑揚をつけるとかえってしらけるみたいなことがあって、むしろ淡々と同じトーンで話す方が怖くなる。ばけばけは喜劇をベースにしているからこそ、今日のような悲劇性が浮き立つんじゃないでしょうか。なので「おしん以来のシビアな物語なのに令和コメディだから見てられる」ではなくて逆なんだと思いますね。
あー、なみとの握手も違うんだよな。あの場面では合意するから握手すると思わせておいて、断るために握手する。
いろいろ謎な回。
・タエは松江を離れたのではなかったのか?(松江に知人もあるだろうに、なぜ帰ってきた)
・なぜタエは物乞いをしているのか?(武家の誇りがあるなら死を選ぶのではなかろうか)
・士族の娘が欲しいのなら、まず松野家の当主に筋をとおすのではなかろうか?(いきなりトキに頼むのか)
そのうち種明かしがあるのだろうと思いつつ、握手という身体的接触にさまざまな意味を持たせているのは上手だなとは思った(銀二郎が2人で東京に行こうとトキの手を握るのと、最初にヘブンとトキが握手したのと、女中にならないかと言われて握手をするのはそれぞれ違う)。
#ばけばけ
まあ無理に現実とリンクさせる必要はまったくないのだが。それはそれとして。ヘブンの沸点の低さは勘右衛門と同等にみえるね。ウメの目を医者に見せたければ自分で連れて行けばいいのに、と思わなくもない。
トキは家族のために人柱になることも厭わない保守的な娘なんだよね。そして借金返済のためにワークライフバランスを無視して働く。前に書いたようにラシャメンはかなりの侮蔑を含んだ言葉である。日本の保守的な女性初の総理大臣を「現地妻」と表現した女がいたのは記憶に新しい。ラシャメンも現地妻も同じ意味を持つ。なみが言ったとおり「異人の妾は人間ではなく、悪口を言っても石を投げても唾をひっかけても身ぐるみはいで木に縛り付けても」かまわない存在であると言っているに等しい。他者を気軽に侮蔑する人間は今も変わらず存在する。
#ばけばけ
毎度思っているのだが、武士が刀を抜けば殺すか殺されるかの後戻りできない世界が待ってるわけで、勘右衛門の沸点の低さは笑い事ではないのだが、そもそも明治維新も数々の暗殺(テロ)の上に成り立っており、戦前の日本人は花見の場でも酔っ払い同士が包丁を振り回し刃傷沙汰が当たり前の風景だったという話も耳にするので、勘右衛門は血の気の多い日本人の原型だよなと思ったりする。と同時にウメの目の病に鷹揚な平太らは花見で刃傷沙汰を起こすような危険人物、あるいは勘右衛門にも寛容なんだろうなと思ったりもする。血の気の多い日本人を支えていたのは日本人の寛容さだったんじゃなかろうか(謎の日本人論)。
#ばけばけ
ちなみに、おかえりモネでもモネは「私はここにいます」と何度も繰り返していた。まるでダニーボーイの歌詞に出てくる愛する人の帰りを待つ人のように。亮がかわいそう、亮にはケアが必要だ、とtwitter朝ドラ民は煩かったが、誰かを積極的に助けてあげるだけがケアではないんだよ。
・トキだけでなく直後に江藤もヘブンと握手している
・島根の命運を新聞記者に握らせようとする
・ヘブンが何者であるか錦織に知らせない

これらは江藤の知事としての無能を示すものだが、それをトキだけがヘブンの本当を知っているという朝ドラヒロインしぐさに変換してるんだよね。
また、確かにヘブンは天狗でも河童でもないのだが、子どもでもない。自ら行動し、選択し、助けを求めることができる。それを錦織の「私がいます(I'll be there)」というケアに変換している。
そこに作り手の作為を透かして見てしまうか、素敵に騙してくれたと素直に感傷に浸れるか。
#ばけばけ
今のヘブンは単なる観光客に過ぎないのよ。
「なして逃げるかね」

トキの疑問は、なぜ錦織=教師の仕事から逃げるのか?と思うが、ヘブンは最初から滞在記を書き終えたらすぐアメリカに戻るつもりでいる。ヘブンは一刻も早く愛する人の元に帰りたい。愛する人の元を離れたトキとは正反対である。今のヘブンには、なぜトキが銀二郎と別れたのか理解できないだろう。
昨日も書いたとおり、日本の朝の風景がどれほど素晴らしくとも、ヘブンは日本の表面しかなぞっていない。ヘブンが松江(日本)に定着するには深化して日本に触れる必要がある。そのカギがトキであり、自分とは正反対の選択をする、いわゆる「他者」になるのではなかろうか。
#ばけばけ
進歩主義者にとっての「危険」ってことだわね。錦織の危険とは関係ないかもしれないが。
「神々の国の首都だ」

「怪談は古い」と言う錦織は進歩主義者である。錦織が東京で出会った西洋人が錦織の求める答え(日本は遅れている)しか出さないならヘブンは「ずばぬけて風変わり」になる。
ヘブンは東京ではなく松江が日本の中心(首都)だという。古き日本の暮らしの中にある音(人参売りや朝日に向かって柏手を打つ音や鐘の音)に神秘を見つける。でもヘブンは日本の表面しか見ていない。その神秘な音に紛れてシジミ売りの娘が指を切り、へたり込む姿を見ていない。
そういえばこのころ内村鑑三の不敬事件があった。錦織の危険が何かはわからないが、日本のそこかしこに危険はあった。
#ばけばけ
怪談好きのトキが「変わり者」なら、わざわざ遠路はるばる極東(しかもそのはずれにある松江)にやってくるヘブンも「変わり者」である。その変わり者2人が時代の変化によって消えていく運命にある怪談やサムライに心躍らせる。まるでそれらが変わってほしくないと願わんばかりである。2人の握手は同志としてのそれでもある。
#ばけばけ
ラシャメンってかなりの侮蔑が含まれているのだが、なみは「ラシャメンになりたい」とあっけらかんと言う。梶谷のような新聞記者は「羽織ごろ」と呼ばれ、銀二郎のような車夫は「雲助」と呼ばれた時代があった。トキのように国籍に関係なく異人であれば「天狗」と呼ぶ人もいた。それをおおらかと言う人もいるかもしれない。サワは教師になると言っていたが、かつて教師は「聖職者」と呼ばれた。今では別の言葉に変わってしまった。トキが生きていた時代と比べ世の中は変わったが、宿屋のおやじがトキのような怪談好きを「変わり者」と呼ぶ日常は今でもある。自分の理解を超える趣味を持つ人間はいつでも「変わり者」である。
#ばけばけ
もちろん他者をケアすればだれでも成長できるってわけではないのは言わずもがな。
#ばけばけ のトキは #おかえりモネ の亮と同じくヤングケアラー的立場にあるんだよね。頭を使わなければ「でも時代が違うから」と言えるんだけど、共通しているのは2人とも葛藤の中で成長する。言い切ってしまえば他者をケアする中で成長するんだよね。本質として違うのは松野家がトキの帰還を祝福したのに対し、新次は亮の船に乗ることを拒絶したってこと。もし新次が勘右衛門の立場だったら鎧や刀を売った金でトキに「これで東京で銀二郎と2人で暮らしなさい」と言っただろうね(あくまでifを考えれば)。
前にトキは唯一武士らしいふるまいをすると書いたけど、トキはとても保守的なのよね。日本の新政権も保守派(右派)なので、なんとなくシンクロしてるよなと思ったりする。
まあ、引用の展開だと朝ドラではやりすぎよねwというのはさておき。思うところは2つ。
松野家への養子縁組はトキの意思を無視してなされたが、銀二郎に別れを告げるトキは自らの意思によって松野家に戻る。松野家か銀二郎かの選択は赤ん坊のトキが松野家か雨清水家かの選択の再現になる。もし赤ん坊のトキに意思があったらトキは松野家を選ぶであろう。
錦織らは「怪談は古い」と言う。最近でも日本はガラパゴスと揶揄されるが、トキは海の向こうの先進性ではなく、日本の古さ(松野家や怪談)の中に良さを見出す。しかもそれを一緒に再発見するのは西洋人(小泉八雲)である。いわゆるオリエンタリズム。
#ばけばけ
傳が死んだとき、勘右衛門は「立派な侍ほど早く逝ってしまう」と言った。その傳は銀二郎を「優しい男」と言った。前作あんぱんで屋村は「(戦場では)優しいやつから死んでいく」と言った。我々は小泉八雲の妻セツの物語だと知っているので、トキと銀二郎はいずれ別れることになると下品な先読みをしてしまう。と考えると、今の銀二郎に死相が浮かんで見える。清光院でランデブーしたのは傳と銀二郎だけである。作り手はトキとランデブーした男は必ず死ぬという怪談風の展開"も"考えただろうね。それをやりすぎと思うか、ドラマチックと思うか。
#ばけばけ
そういえば、昨日のアサリ汁もそうなんだけど、今日の握り飯はどこから調達したんだろうか?下宿屋のおばさんの善意だとすれば、感謝すべきはトキだけでなくおばちゃんにもしないといけないな。
傳が死んだとき、勘右衛門は「立派な侍ほど早く逝ってしまう」と言った。その傳は銀二郎を「優しい男」と言った。前作あんぱんで屋村は「(戦場では)優しいやつから死んでいく」と言った。我々は小泉八雲の妻セツの物語だと知っているので、トキと銀二郎はいずれ別れることになると下品な先読みをしてしまう。と考えると、今の銀二郎に死相が浮かんで見える。清光院でランデブーしたのは傳と銀二郎だけである。作り手はトキとランデブーした男は必ず死ぬという怪談風の展開"も"考えただろうね。それをやりすぎと思うか、ドラマチックと思うか。
#ばけばけ