aicabod
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aicabod
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きのう死んでおけばよかった日々
🙇
September 20, 2025 at 10:31 PM
🙇
August 4, 2025 at 9:03 PM
ちなみに、最小論理では ¬¬(⊥ → φ) とかが証明できないので Glivenko の定理は成立しなくて、最小論理 + ¬¬(⊥ → φ) が Glivenko の定理が成立する最小論理の最弱の拡張らしいです (直観主義論理よりも strict に弱い):
www.researchgate.net/publication/...
(PDF) Logic of classical refutability and class of extensions of minimal logic
PDF | This article continues the investigation of paraconsistent extensions of minimal logic Lj started in [6, 7]. The name “logic of classical... | Find, read and cite all the research you need on Re...
www.researchgate.net
August 4, 2025 at 11:02 AM
証明図の書き換えについては、(1) を前提にするなら、有限個の排中律の instance のみを仮定に持つ直観主義論理の証明図があるはずだから、そこに追記する方針でもいけるかも、と思ったりしました
排, 排 ⊢ φ
排 ⊢ 排 → φ
排 ⊢ ¬¬排 → ¬¬φ // 弱対偶律 * 2
排 ⊢ ¬¬φ // ⊢ ¬¬排
⊢ ¬¬¬¬φ // ditto
⊢ ¬¬φ // 二重否定導入 + 弱対偶律 ⊢ ¬¬¬ψ → ¬ψ
一般に、最小論理の拡張で Γ ⊢ φ かつ ∀ψ ∈ Γ. ⊢ ¬¬ψ ならば ⊢ ¬¬φ が成立しそうな気がしますが、勘違いとかでおかしなことを言ってしまってるかも
August 4, 2025 at 11:01 AM
返信をいただく前にちょっと考えていたのは、弱い対偶律は最小論理の定理 (爆発律をつかわずに証明可能) なので、そこまで直観主義論理に特有の性質ってわけではないかも、ということでした。でも (1) (古典論理 = 直観主義論理 + 排中律) が前提ならぜんぜん問題ないですね (突き詰めればそれだけですべてが言えるわけですし)
自分はクリプキ意味論とか BHK 解釈とか考えてよくわかんなくなってました
August 4, 2025 at 11:00 AM
説明の内容については、なるほどと思いました
1. 古典 (命題) 論理 = 直観主義 (命題) 論理 + 排中律という認識を前提として、
2. Glivenko の定理の証明を、直観主義論理の具体的な定式化に依存しない自明な性質から正当化したい
という問題設定があって、流れとしては、
A. ⊢ ¬¬(φ ∨ ¬φ)
B. ¬¬φ, ¬¬(φ → ψ) ⊢ ¬¬ψ
が直観主義論理で成立するという事実から証明図の書き換えを正当化できるはず & (A) と (B) はともに弱い対偶律 φ → ψ ⊢ ¬ψ → ¬φ の自明な帰結なので、これを出発点に据えればうまくいきそう
みたいな感じでしょうか
August 4, 2025 at 11:00 AM
ありがとうございます!!
軽はずみにめんどうなお願いをしてしまって申し訳ないです 🙇
いいねを 100 個つけたい気持ちです
August 4, 2025 at 10:59 AM
これけっこう気になってるので、いつかおひまなときにでも教えていただけたら嬉しいです (「"直観的"な説明」のニュアンスとか、実際にどんな感じの説明になるのかとか)
July 28, 2025 at 5:31 AM
今でもときどき、その「なにか」に対して、自分はどのような評価をする/してるんだろうか、みたいな想像をすることがある。たぶんないと思うけど、たいしたことないと判断できたなら (「一人前」だったら) うれしいような気もする。死ぬときにまだ一人前じゃなかったらけっこうかなしいかもしれない。でも、そんなことを思ってるから/気にしてるからだめなんじゃないか、とも思う。
それはそれとして、やっぱり知ったかぶったり見下したり一人前のふりをしたりしたい気持ちもあるし、いつか同期に聞いてみたいとは思っているけど、いろいろこわいのでまだできてないです
July 18, 2025 at 12:24 AM
まあ結局は程度の問題ということになるんだろうけど、自分はいまだに、自分がひとびとに対して無限のリソースを使えないこと、ひとびとに無限のリソースを使ってもらえないことに納得できていないふしがあって、そんな人間の頭がわるいことは衆目の一致するところだろうから、うっす、おつかれさまです、幸運を祈ります、と言うほかなくなって、すべてがおわってしまう
July 3, 2025 at 7:47 PM
🙇 (自分は知識もないし楽しくお話しする能力もないですが、話を聞くだけでも楽しそうなおもしろい研究をしてるなあ、いいなあ、と思いました)
June 18, 2025 at 3:47 PM
そうなんですね。『動物からの倫理学入門』を読んで、種差別という概念自体は特に英語圏ではけっこう受容されてるという印象を持っていたので、門前払いというのはちょっと意外でした
practical-ethics.hatenablog.jp/entry/n/neea... によると媒体によりけりっぽくはありますが、「AI倫理系の国際会議」でもそうだったということで、ふむん、という感じです
AI倫理での英語論文出版までの経緯と教訓 - 実践的倫理学
※note記事の転載です。 https://note.com/ma_takeshita/n/neea1e029ae4e はじめに 経緯 教訓 はじめに 最近、AI倫理の国際ジャーナルに論文がアクセプトされた。 https://doi.org/10.1007/s43681-024-00606-3 私の論文は、自然言語処理(Natural Language Processing: NLP)研究分野にお...
practical-ethics.hatenablog.jp
June 18, 2025 at 3:46 PM
ありがとうございます 🙇
arxiv.org/abs/2406.02050 を読んで、なるほどー、と思いました (ちょっとめんどくさくて大変そう、とも思ってしまいました)
JBBQ: Japanese Bias Benchmark for Analyzing Social Biases in Large Language Models
With the development of large language models (LLMs), social biases in these LLMs have become a pressing issue. Although there are various benchmarks for social biases across languages, the extent to ...
arxiv.org
June 18, 2025 at 3:45 PM
わあ、ありがとうございます!

ご紹介の論文の「種差別バイアスを評価する理由」に書かれている事項など、これまでぜんぜん考えてなかったけど、なるほどたしかにそうだなあ、と思いました。一般に LLM/AI の倫理観がどうあるべきかとか、それをどのように評価し「矯正」するべきかとかについても、たぶん議論の蓄積があり、かつ進行中でもあるんじゃないかと思うんですが、とてもおもしろそうです。教えてくださって感謝です 🙇
June 17, 2025 at 3:18 PM
そういうことを考えたり、あるいはそういう話をふっかけてくるめんどくさいひとをうまくあしらったりするための補助線として使えそうなことがいろいろ書いてある倫理学の入門書で、まあ明確な答えが得られるようなものではまったくないし、「そうかなあ?」と思う記述もふつうにあるけど、扱われてる題材がおもしろいし、丁寧に書かれているおかげで納得できない部分についても自分がどこにどう納得できないのかがわかりやすいし、かなり好きな本なのでちょくちょく読み返したりしてます (ちょっと古めの本ではあるので、新しくてよい類書があったら知りたいという気持ちもありつつ)
June 16, 2025 at 1:07 PM
一般に、科学的事実と倫理的規範の関係はどのようなものか (たとえば「である」から「べき」を導けるか) とか、倫理的規範にしたがうべき主体の集合 (「わたしたち」) と倫理的配慮の対象の集合は一致するか (外国人や赤子、犬、クジラ、ネアンデルタール人、大腸菌、石は配慮の対象になるか、なる/ならないとしてその理由は何か。あるいは逆に、たとえば人類よりも高度な能力を有する地球外生命体が現れたとき、人類に対する配慮を彼らに要求する理屈はあるか) とか、そもそも倫理的規範について万人の意見が一致することは脳にチップを埋め込みでもしないかぎりないだろうに、考えたり、議論したりする意味があるのかとか、
June 16, 2025 at 1:06 PM
人類が総体として協働的な生存戦略をとっているおかげで弱者にやさしいシステムができました、みたいな牧歌的な説明は、優生学の興隆や障害者の権利運動などを経て築かれてきた社会の歴史の描像としても、現状の評価としても適切じゃないような気がするし、そもそも弱者を生かす (死なせない/殺さない) ための政策や仕組みを生物学的合理性の観点「のみ」から説明/擁護するのは、仮に事実の記述として正しかったとしても、(たしかに質問者の要求に沿ってはいるけれど) やっぱり回答として不十分なんじゃないかと思ってしまう
June 16, 2025 at 1:05 PM