今調べてたら、お弟子さん(澤宇っていうらしい)がルーイエ姉貴と属性ピッタシだったぽく、その文脈も乗っかったコメントだったのね
一応属性が合えば気も合うというのは知っていたのだけど、姉貴の性格上、ピッタシじゃないと弟子は取らなそうというか、弟子は取らな…か……かわゆ!という感じで即落ちしてしまったんだろうなと容易に想像できる
多分厳しくされても本質を捉えることのできるタイプなんだろうなと思うし、腹いっぱいごはんですくすく育ってあれほどでかくなったんだろうなと思う
今調べてたら、お弟子さん(澤宇っていうらしい)がルーイエ姉貴と属性ピッタシだったぽく、その文脈も乗っかったコメントだったのね
一応属性が合えば気も合うというのは知っていたのだけど、姉貴の性格上、ピッタシじゃないと弟子は取らなそうというか、弟子は取らな…か……かわゆ!という感じで即落ちしてしまったんだろうなと容易に想像できる
多分厳しくされても本質を捉えることのできるタイプなんだろうなと思うし、腹いっぱいごはんですくすく育ってあれほどでかくなったんだろうなと思う
ギリギリで止めてたかもしれないけど、刎ねてた可能性もあり、それが運の問題だったというのは飛行機の一件から見えた価値観で、姉貴にもその時になってみないと分からないというか、姉貴は戦争を止めるって価値観が一番上にあり、それ以外はまあなるべくなら良いようにはしたいけど最悪を避けるためならどんな悪手も厭わないタイプのひとだから
ギリギリで止めてたかもしれないけど、刎ねてた可能性もあり、それが運の問題だったというのは飛行機の一件から見えた価値観で、姉貴にもその時になってみないと分からないというか、姉貴は戦争を止めるって価値観が一番上にあり、それ以外はまあなるべくなら良いようにはしたいけど最悪を避けるためならどんな悪手も厭わないタイプのひとだから
今日見たのは字幕だからニュアンスが違うのかもだけど……
無印においてそれが最大のテーマで、そういう意味で、テーマは地続きなんだなと感じさせてくれる
例えば、犠牲の厭わなさでいうとわりとルーイエも過激派なところが多少ある
それに対するシャオヘイの悩み、決断、反応、そこに彼の成長が感じられ、フーシーとの経験が息づいていて、そのことが回り回ってルーイエを癒しているとすら感じてしまう
「間違っているかなんて、終わってみないとわからない」
そうだよねと思う 会館のみんなから、あーあ…みたいな白い目で見られていたフーシー事件も、シャオヘイの糧になっている、回り回って誰かのことを癒している
今日見たのは字幕だからニュアンスが違うのかもだけど……
でもそれがフーシーにはやだったんだよね、閉じ込めて、反省しろって言われて、それで何かが変わると思われてるのも、会館が正しくて、フーシーは間違ってるから考えを変えろと言われるのも、時が経つと彼にも分かるさって思われるのもイヤだった
なぜ恨みを忘れねばならないのか、風化させねばならないのか、というか、もし風化したらって考えるとそれもイヤで、変化してしまうって、大事なことを忘れてしまうって思うとそれも恐怖で、にっちもさっちもいかなかった結果があの公園だったんだよね
でもそれがフーシーにはやだったんだよね、閉じ込めて、反省しろって言われて、それで何かが変わると思われてるのも、会館が正しくて、フーシーは間違ってるから考えを変えろと言われるのも、時が経つと彼にも分かるさって思われるのもイヤだった
なぜ恨みを忘れねばならないのか、風化させねばならないのか、というか、もし風化したらって考えるとそれもイヤで、変化してしまうって、大事なことを忘れてしまうって思うとそれも恐怖で、にっちもさっちもいかなかった結果があの公園だったんだよね
すごく東アジアの戦争観ってかんじで、この視点から切り取られると思わなかったので、なぜかいち日本人としてドキッとしてしまったのであった
ロシャオ、中国という複雑な国でイチからコンテンツを作り上げてクオリティの高いものを提供しているだけあって、刻んだしいたけを食べさせるのが本当に上手い
そのあとに、普遍的な平和を祈るメッセージや、双方の努力というワードが出てくる
これが日本でじゃんじゃか上映されてる意義を感じるよね
すごく東アジアの戦争観ってかんじで、この視点から切り取られると思わなかったので、なぜかいち日本人としてドキッとしてしまったのであった
ロシャオ、中国という複雑な国でイチからコンテンツを作り上げてクオリティの高いものを提供しているだけあって、刻んだしいたけを食べさせるのが本当に上手い
そのあとに、普遍的な平和を祈るメッセージや、双方の努力というワードが出てくる
これが日本でじゃんじゃか上映されてる意義を感じるよね
というか個人的に思うけど、生きるのしんどいし、今ももう息切れしてるのに、人間としてまだ生きてかなきゃならないことも絶望なのに、妖精って何百年も何千年も生きると思ったら、しんどすぎかって
そういう妖精の悲哀とか、それでも捨てきれない感情とか、ポジティブに生きていきたいって渇望を描くこと自体が、生きることそのものへの讃歌なんだなって
というか個人的に思うけど、生きるのしんどいし、今ももう息切れしてるのに、人間としてまだ生きてかなきゃならないことも絶望なのに、妖精って何百年も何千年も生きると思ったら、しんどすぎかって
そういう妖精の悲哀とか、それでも捨てきれない感情とか、ポジティブに生きていきたいって渇望を描くこと自体が、生きることそのものへの讃歌なんだなって
これ美味しかったしいつも鶏むねをバリカタにしてる私でも簡単にジューシーに焼けて感動した
これ美味しかったしいつも鶏むねをバリカタにしてる私でも簡単にジューシーに焼けて感動した