別にそれでも困らんっちゃ困らんのだけども、本格的に刺激を受ける場が無くなりそうな気もするし。どうしたもんかなあ。
別にそれでも困らんっちゃ困らんのだけども、本格的に刺激を受ける場が無くなりそうな気もするし。どうしたもんかなあ。
キャラをクロスオーバーさせて遊んだりできるっていうのは評価できるが、ルールの多さや参照性の悪さが普及の妨げになった。これが日本のTRPGの黄金期であってもそう変わらなかったであろう。
ひとつのシステムであらゆる世界を遊べるっていう夢はあったが、簡便さを犠牲にしたものであった。
キャラをクロスオーバーさせて遊んだりできるっていうのは評価できるが、ルールの多さや参照性の悪さが普及の妨げになった。これが日本のTRPGの黄金期であってもそう変わらなかったであろう。
ひとつのシステムであらゆる世界を遊べるっていう夢はあったが、簡便さを犠牲にしたものであった。
自分の「売れてた」論も、自分と接点のあったコミュニティと、あとは当時のコミケ出展数くらいのもんだし、それもまあ売れてたと言えるほどの数かは主観だからなぁ。
自分の「売れてた」論も、自分と接点のあったコミュニティと、あとは当時のコミケ出展数くらいのもんだし、それもまあ売れてたと言えるほどの数かは主観だからなぁ。
この辺の設計理念はTORGとかとも共通しているし、なんなら後のゲームの「レギュレーション」概念に大きく影響してるのだけど、普及に一役買った各タイトルたちのことはわりと無視されがちだよなーという。
まあ全部M;tGとDnDの功績にしちゃう人もいるし、数々のデザイナーたちの挑戦もゲーム史の中で忘れられていって徒花と化していってて、もうどーにでもなーれ! としか言えんのだけども。
この辺の設計理念はTORGとかとも共通しているし、なんなら後のゲームの「レギュレーション」概念に大きく影響してるのだけど、普及に一役買った各タイトルたちのことはわりと無視されがちだよなーという。
まあ全部M;tGとDnDの功績にしちゃう人もいるし、数々のデザイナーたちの挑戦もゲーム史の中で忘れられていって徒花と化していってて、もうどーにでもなーれ! としか言えんのだけども。
小説もえらい売れてたし「妖怪」という体裁で超人キャラがなんぼでも作れたのは当時としてはかなり大きかったと思う。
元は超人ヒーローを遊ぶGURPS SUPERだったわけだけど、当時は今ほどニチアサ系ヒーローが大人社会で受け入れられていなかった、という点からも「妖怪」というコードでデコレーションしたのは良かった。
幽白やうしとらがリアルタイムの時代だし、実プレイしたことなくてもルールブック持ってたり妖怪作ったことある人はかなりいた記憶。
小説もえらい売れてたし「妖怪」という体裁で超人キャラがなんぼでも作れたのは当時としてはかなり大きかったと思う。
元は超人ヒーローを遊ぶGURPS SUPERだったわけだけど、当時は今ほどニチアサ系ヒーローが大人社会で受け入れられていなかった、という点からも「妖怪」というコードでデコレーションしたのは良かった。
幽白やうしとらがリアルタイムの時代だし、実プレイしたことなくてもルールブック持ってたり妖怪作ったことある人はかなりいた記憶。
ガープス・妖魔夜行
角川スニーカー・G文庫
現代日本ものの伝奇アクションTRPG。もちろん『ガープス・ベーシック』が必要だ。日本におけるガープスではこれの方がルナルよりも人気があったんではなかろうか(^_^;)?
妖怪ものって何だかんだいって鬼太郎の水木しげるさんもいらっしゃったからね。奇しくも京極さんの『姑獲鳥の夏』が同年の発売だったし…(^_^;)
鳥山石燕への興味も出てくることになったであろう。
妖怪ものは常に人気があったのだ(^-^)
まぁ、それでもガープスだったから跳ねることは無かったと思う…(-_-)
#TRPG #GURPS #ガープス #妖魔夜行
TRPGの普及初期にはDnDをはじめ「よくわかる本」で生中継型ゲームリプレイや対話型テクストで楽しさを伝え、普及を進めていた時代があって。
本書もその(過去に流行った)書式に沿った形になってはいるのだけど、既にストーリーコンテンツとして整形されたリプレイで楽しさと遊び方を伝えるスタイルが定着していた時代に、古典的なテクスト型が受け入れられたのかはちょっと疑問だったり。
実際どうだったのかしら?
(ロードス島戦記RPGでも同じ手法をとってたけど……)
TRPGの普及初期にはDnDをはじめ「よくわかる本」で生中継型ゲームリプレイや対話型テクストで楽しさを伝え、普及を進めていた時代があって。
本書もその(過去に流行った)書式に沿った形になってはいるのだけど、既にストーリーコンテンツとして整形されたリプレイで楽しさと遊び方を伝えるスタイルが定着していた時代に、古典的なテクスト型が受け入れられたのかはちょっと疑問だったり。
実際どうだったのかしら?
(ロードス島戦記RPGでも同じ手法をとってたけど……)
ただまぁそこを乗り越えるとCP制の豊富で濃厚な表現力が魅力になってくる。
現代の物語表現としては、強いゲーム小説(ステータスやスキルを基盤に語るやつ)に属しているのたけど、それが一人称であるか三人称であるかの違いが如実に出ていて、容易に無双できない設計になっている。
そこに公平性を見出すか、単に不自由と思うかでユーザ適性が分かれるんだろうなーと個人的には思ってる。
システムデザインのコンセプトとしては先にシステムがあり、そのルール内で起こり得る物語を楽しむハードSF系なので、そっちに馴染みがあればめっちゃ楽しい。
ただまぁそこを乗り越えるとCP制の豊富で濃厚な表現力が魅力になってくる。
現代の物語表現としては、強いゲーム小説(ステータスやスキルを基盤に語るやつ)に属しているのたけど、それが一人称であるか三人称であるかの違いが如実に出ていて、容易に無双できない設計になっている。
そこに公平性を見出すか、単に不自由と思うかでユーザ適性が分かれるんだろうなーと個人的には思ってる。
システムデザインのコンセプトとしては先にシステムがあり、そのルール内で起こり得る物語を楽しむハードSF系なので、そっちに馴染みがあればめっちゃ楽しい。
小学校でDnDやTnTをやってた頃は、しっかりした世界設定なんてなかった(そもそもそんなもの必要としなかった)し、テキトーにそれっぽい書割り/舞台装置が置かれただけの板の上だったのよね。
だから簡単に宇宙にも行けた。
それこそ初期ポリゴンゲーよろしく、ちょっと気を抜くと何もない空間に放り出されて自由落下を嗜む事になる(笑)
小学校でDnDやTnTをやってた頃は、しっかりした世界設定なんてなかった(そもそもそんなもの必要としなかった)し、テキトーにそれっぽい書割り/舞台装置が置かれただけの板の上だったのよね。
だから簡単に宇宙にも行けた。
それこそ初期ポリゴンゲーよろしく、ちょっと気を抜くと何もない空間に放り出されて自由落下を嗜む事になる(笑)
でも当時は知らなかったのよね(T)RPG版FightingFantasy。
ホント悔やまれる。知ってればもっとゲーマー仲間増やせたのに。DnDとTnTじゃ、FFの導線にはちと厳しい。
中学に上がってからその存在を知って、でももう時代はロードス島戦記とソード・ワールドだったのよね。
でも当時は知らなかったのよね(T)RPG版FightingFantasy。
ホント悔やまれる。知ってればもっとゲーマー仲間増やせたのに。DnDとTnTじゃ、FFの導線にはちと厳しい。
中学に上がってからその存在を知って、でももう時代はロードス島戦記とソード・ワールドだったのよね。
参加者みんなが遊んたゲームブック次第で、持ち寄られる世界のイメージもとっ散らかってた(中にはFFじゃないGBも紛れてた)から、なかなけ意味不明な世界が構築されてたのだけども、アレはアレで即興遊びの妙が有った(笑)
今ではもう触れることも出来ない、懐かしい時代のおとぎ話。
参加者みんなが遊んたゲームブック次第で、持ち寄られる世界のイメージもとっ散らかってた(中にはFFじゃないGBも紛れてた)から、なかなけ意味不明な世界が構築されてたのだけども、アレはアレで即興遊びの妙が有った(笑)
今ではもう触れることも出来ない、懐かしい時代のおとぎ話。
こっちは飛行機の片道チケットと最初のホテル予約だけの貧乏旅行がしたいのだけども。
誰だって死にたくはないものだけども、とはいえ「冒険しない冒険者」ばっかりってのも寂しいもんだなぁ。
こっちは飛行機の片道チケットと最初のホテル予約だけの貧乏旅行がしたいのだけども。
誰だって死にたくはないものだけども、とはいえ「冒険しない冒険者」ばっかりってのも寂しいもんだなぁ。
ナラティブゲームもだけども、デジタルゲームでもポストアポカリプス結構多いな昨今。
こう、物語の終わりを予め用意しておくのはゲームの終了を告げる上で大事なことだし、子供と老人と動物と死は感動ポルノのオヤクソクだけども。
いやめっちゃ好きなんだけどねポストアポカリプス。
というか昔の人間としてはアフターホロコーストと言いたい(そういう名前のボードSLGがあったんです昔)のだけども。
SFのテーマとしてポストとパンクはとても美味。
ナラティブゲームもだけども、デジタルゲームでもポストアポカリプス結構多いな昨今。
こう、物語の終わりを予め用意しておくのはゲームの終了を告げる上で大事なことだし、子供と老人と動物と死は感動ポルノのオヤクソクだけども。
いやめっちゃ好きなんだけどねポストアポカリプス。
というか昔の人間としてはアフターホロコーストと言いたい(そういう名前のボードSLGがあったんです昔)のだけども。
SFのテーマとしてポストとパンクはとても美味。
ゲームとの関わりは、多分これまとめたら終わりに出来ると思うのだけども。
終わらせてくれさい。
……って言うと「そんなの当たり前やろ」って言われるのだけど、ゲーム慣れしてない人にとってはそもそも自分の手でサイコロを転がすこと自体がちょっと珍しいのね。
そしてその出目に意味がある、自分が振ったサイコロの出目に周りの人が一喜一憂する、という状況はもっと珍しい。
CDnDベーシックは特にこの「サイコロを転がす遊び」に焦点を絞っていて。生きた死んだの結果がシンプルに出るし、死んだらさっさとキャラ作成で、またサイコロを振りまくる。サイコロを振って一喜一憂する機会を少しでも増やす構造になってる。
ゲームとの関わりは、多分これまとめたら終わりに出来ると思うのだけども。
終わらせてくれさい。
……って言うと「そんなの当たり前やろ」って言われるのだけど、ゲーム慣れしてない人にとってはそもそも自分の手でサイコロを転がすこと自体がちょっと珍しいのね。
そしてその出目に意味がある、自分が振ったサイコロの出目に周りの人が一喜一憂する、という状況はもっと珍しい。
CDnDベーシックは特にこの「サイコロを転がす遊び」に焦点を絞っていて。生きた死んだの結果がシンプルに出るし、死んだらさっさとキャラ作成で、またサイコロを振りまくる。サイコロを振って一喜一憂する機会を少しでも増やす構造になってる。
……って言うと「そんなの当たり前やろ」って言われるのだけど、ゲーム慣れしてない人にとってはそもそも自分の手でサイコロを転がすこと自体がちょっと珍しいのね。
そしてその出目に意味がある、自分が振ったサイコロの出目に周りの人が一喜一憂する、という状況はもっと珍しい。
CDnDベーシックは特にこの「サイコロを転がす遊び」に焦点を絞っていて。生きた死んだの結果がシンプルに出るし、死んだらさっさとキャラ作成で、またサイコロを振りまくる。サイコロを振って一喜一憂する機会を少しでも増やす構造になってる。
内輪ではこれらは「セッションの中でシナリオを作る遊び」(あるいはシナリオを作るセッション)のツールとし運用されるようになったので、ゲームを拡張してくれたものとして評価してます。
……当時は本当にろくに情報のない中で「これは絶対に面白い遊びだ」「きっと面白く遊べる方法があるのだ」と信じてめちゃくちゃ試行錯誤していたもので。
膨大な失敗が有ったけど、それでも情熱を注いで全力で楽しんでたのです。
内輪ではこれらは「セッションの中でシナリオを作る遊び」(あるいはシナリオを作るセッション)のツールとし運用されるようになったので、ゲームを拡張してくれたものとして評価してます。
……当時は本当にろくに情報のない中で「これは絶対に面白い遊びだ」「きっと面白く遊べる方法があるのだ」と信じてめちゃくちゃ試行錯誤していたもので。
膨大な失敗が有ったけど、それでも情熱を注いで全力で楽しんでたのです。
自分が最初に遊んだゲームで思い入れは有るんですが、小学生には経済的にきつかったので、友達同士で遊ぶ際は安い文庫TnTが主流に。
中学生になって誘われたサークルは、未訳時代から遊んでた高等遊民な大学生が幅を利かせていて、彼らは自分に都合のいいルールだけを訳して持ち込んだりデータを捏造したりで。
嫌気が差していたところ、SFフリーク中心のグループがTravellerに誘ってくれたので、DnD派から抜けてそっちに流れたのも今では良い思い出。
その後GURPSに移行するまで長い付き合いになったロードス島戦記コンパニオンとの出会いもこの頃でした。
自分が最初に遊んだゲームで思い入れは有るんですが、小学生には経済的にきつかったので、友達同士で遊ぶ際は安い文庫TnTが主流に。
中学生になって誘われたサークルは、未訳時代から遊んでた高等遊民な大学生が幅を利かせていて、彼らは自分に都合のいいルールだけを訳して持ち込んだりデータを捏造したりで。
嫌気が差していたところ、SFフリーク中心のグループがTravellerに誘ってくれたので、DnD派から抜けてそっちに流れたのも今では良い思い出。
その後GURPSに移行するまで長い付き合いになったロードス島戦記コンパニオンとの出会いもこの頃でした。