自己流妖怪図画
三本尾の大狸
山形県最上郡最上町に伝わる妖怪。比丘尼楯の壇の沢に建つ馬頭観音堂には僧を食い殺す悪い化物が住みつき、無住の寺となっていた。旅の老僧が堂に泊まりこむと、毎夜緋の衣を着た僧が現れて木魚や鉦を打ち鳴らし読経した。四夜目の晩、緋の衣の僧はいきなり問答をしかけてきた。「朝に四つ足、昼に二足、晩方は三本足ツ」老僧はすかさず「それは、われら人間様だ」と答え、怪僧の正体が畜生だと看破した。その本性は千人の僧を喰らい仙人になる願をかけただった。獣は三面馬頭明王や釈迦尼仏に変じたが、老僧は動じず、やがて獣の方が屋根から転げ落ち
自己流妖怪図画
三本尾の大狸
山形県最上郡最上町に伝わる妖怪。比丘尼楯の壇の沢に建つ馬頭観音堂には僧を食い殺す悪い化物が住みつき、無住の寺となっていた。旅の老僧が堂に泊まりこむと、毎夜緋の衣を着た僧が現れて木魚や鉦を打ち鳴らし読経した。四夜目の晩、緋の衣の僧はいきなり問答をしかけてきた。「朝に四つ足、昼に二足、晩方は三本足ツ」老僧はすかさず「それは、われら人間様だ」と答え、怪僧の正体が畜生だと看破した。その本性は千人の僧を喰らい仙人になる願をかけただった。獣は三面馬頭明王や釈迦尼仏に変じたが、老僧は動じず、やがて獣の方が屋根から転げ落ち
自己流妖怪図画
小坊主
岐阜県山県郡美山町(山県市)に出たという。報告者の次姉が子供の頃、さなぶり(早苗饗。田植え終了後の祝いまたは休日)の宵に隣村の酒屋へお使いに行き、土葬墓の下道を通ったら、透き通るような青い小坊主が現れて、「こっちいおで、こっちいおで」と墓場の方へいざなってきたのだという。
「日本怪異妖怪辞典 中部」より
自己流妖怪図画
小坊主
岐阜県山県郡美山町(山県市)に出たという。報告者の次姉が子供の頃、さなぶり(早苗饗。田植え終了後の祝いまたは休日)の宵に隣村の酒屋へお使いに行き、土葬墓の下道を通ったら、透き通るような青い小坊主が現れて、「こっちいおで、こっちいおで」と墓場の方へいざなってきたのだという。
「日本怪異妖怪辞典 中部」より
自己流妖怪図画
龍の落とし子
広島県府中市荒谷町に伝わる話。荒谷の高倉に心優しい老夫婦が住んでおり、盆過ぎのある日、老夫婦の田に雷と共にかわいらしい男の子が落ちてきた。子供のいない二人は大いに喜び、この子を連れ帰って大切に育てた。子はやがて心優しい若者に成長したがある年の盆過ぎ、激しい雨と落雷の直後、急に龍の姿になって昇天した。土地の人々は、あの若人は龍の落とし子だったのだろうと考え、龍神の偉大さを崇め、竜田神社を建立したという。
「日本怪異妖怪辞典 中国」より
自己流妖怪図画
龍の落とし子
広島県府中市荒谷町に伝わる話。荒谷の高倉に心優しい老夫婦が住んでおり、盆過ぎのある日、老夫婦の田に雷と共にかわいらしい男の子が落ちてきた。子供のいない二人は大いに喜び、この子を連れ帰って大切に育てた。子はやがて心優しい若者に成長したがある年の盆過ぎ、激しい雨と落雷の直後、急に龍の姿になって昇天した。土地の人々は、あの若人は龍の落とし子だったのだろうと考え、龍神の偉大さを崇め、竜田神社を建立したという。
「日本怪異妖怪辞典 中国」より
自己流妖怪図画
カマイタチ
岐阜県揖斐郡徳山村(揖斐郡揖斐川町)に伝わる話。転んだ時に鎌の形のひどい傷を負うことがあるが、この傷は痛くないのだという。昔、那須の殺生石をゲンノー和尚(玄翁和尚)がホッソ(払子のことか)で打ち割ったが、その欠片が歩き、この傷を付けるのだという。カマイタチにやられる人は二度三度と続くが、全くやられない人もいるとされている。
「日本怪異妖怪辞典 中部」より
自己流妖怪図画
カマイタチ
岐阜県揖斐郡徳山村(揖斐郡揖斐川町)に伝わる話。転んだ時に鎌の形のひどい傷を負うことがあるが、この傷は痛くないのだという。昔、那須の殺生石をゲンノー和尚(玄翁和尚)がホッソ(払子のことか)で打ち割ったが、その欠片が歩き、この傷を付けるのだという。カマイタチにやられる人は二度三度と続くが、全くやられない人もいるとされている。
「日本怪異妖怪辞典 中部」より
自己流妖怪図画
雨小坊主(あめのこぼうず)
「新御伽婢子」にある。京の八幡町の新兵衛という人がある雨の夜、三条坊門万里小路を西に行くと、6、7歳の小坊主が門の扉のもとに雨に濡れ立っていた。血色もよく、手足の指先もきれいで衣装も見苦しくなく、身分のある子だろうと思い、どこの子か、送ろうか、うちに泊まるかなどと聞いたが何も答えなかった。子どもが南に進んだので傘を差しかけていると、四、五町ほどで子どもが振り返った。その顔の大きさは人の五倍あり、目は三つ、耳もなく新兵衛を見てにっと笑った。新兵衛は倒れ、気が付いて起き上がると万里小路を南に行っていたはずが
自己流妖怪図画
雨小坊主(あめのこぼうず)
「新御伽婢子」にある。京の八幡町の新兵衛という人がある雨の夜、三条坊門万里小路を西に行くと、6、7歳の小坊主が門の扉のもとに雨に濡れ立っていた。血色もよく、手足の指先もきれいで衣装も見苦しくなく、身分のある子だろうと思い、どこの子か、送ろうか、うちに泊まるかなどと聞いたが何も答えなかった。子どもが南に進んだので傘を差しかけていると、四、五町ほどで子どもが振り返った。その顔の大きさは人の五倍あり、目は三つ、耳もなく新兵衛を見てにっと笑った。新兵衛は倒れ、気が付いて起き上がると万里小路を南に行っていたはずが
自己流妖怪図画
まんまんきび
広島県高田郡八千代町土師(安芸高田市八千代町土師)に伝わる。とうもろこしのことで、南蛮が訛った呼び名。土師のまんまんきびの木は、安清八左衛門という秀吉の朝鮮出兵に従軍した侍が持ち帰ったものという。この木に近づくと祟りがあると言われていたが子供たちは実を取って食べていた。祟りはなかったという。
「日本怪異妖怪辞典 中国」より
自己流妖怪図画
まんまんきび
広島県高田郡八千代町土師(安芸高田市八千代町土師)に伝わる。とうもろこしのことで、南蛮が訛った呼び名。土師のまんまんきびの木は、安清八左衛門という秀吉の朝鮮出兵に従軍した侍が持ち帰ったものという。この木に近づくと祟りがあると言われていたが子供たちは実を取って食べていた。祟りはなかったという。
「日本怪異妖怪辞典 中国」より
自己流妖怪図画
梅ノ木の怪火
宮城県石巻市鹿又に伝わる怪火。昭和14年(1939)の夏、北上川には毎晩怪しい光り物が現れると噂されるようになり、夫が戦死して身を投げた妻の霊であるとか、毎晩同じ時刻になると流し場から皿を洗う音や子供の名を呼ぶ声がするとか、様々言われた。しかし結局怪火は発光する虫が電灯の周りを旋回しているのだということで決着が着いたという。
「日本怪異妖怪辞典 東北」より
自己流妖怪図画
梅ノ木の怪火
宮城県石巻市鹿又に伝わる怪火。昭和14年(1939)の夏、北上川には毎晩怪しい光り物が現れると噂されるようになり、夫が戦死して身を投げた妻の霊であるとか、毎晩同じ時刻になると流し場から皿を洗う音や子供の名を呼ぶ声がするとか、様々言われた。しかし結局怪火は発光する虫が電灯の周りを旋回しているのだということで決着が着いたという。
「日本怪異妖怪辞典 東北」より
自已流妖怪図画
稲穂峠の賽の河原
和人に伝わる怪異。岩内郡共和町と余市郡仁木町の境にある稲穂峠には賽の河原と呼ばれる場所がある。この付近の海では潮流が速く、強風が吹くため昔百人もの人々が命を落とした。そのため夜になると犠牲になった人々が波間から迫るという。また都に石を積んで作られた塔が強風で倒れても、晴れた日にはいつの間にか元のように積まれている。これは死者たちが行っており、その際に手から赤い血が流れるため、辺りには淡く赤い話が咲く。そのような場所だから、この場所には魔が入れないサエ(幸)の場として伝わっているという
「日本怪異妖怪辞典 北海道」より
自已流妖怪図画
稲穂峠の賽の河原
和人に伝わる怪異。岩内郡共和町と余市郡仁木町の境にある稲穂峠には賽の河原と呼ばれる場所がある。この付近の海では潮流が速く、強風が吹くため昔百人もの人々が命を落とした。そのため夜になると犠牲になった人々が波間から迫るという。また都に石を積んで作られた塔が強風で倒れても、晴れた日にはいつの間にか元のように積まれている。これは死者たちが行っており、その際に手から赤い血が流れるため、辺りには淡く赤い話が咲く。そのような場所だから、この場所には魔が入れないサエ(幸)の場として伝わっているという
「日本怪異妖怪辞典 北海道」より