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インドの宗教家、哲学者クリシュナムルティ(1895-1986)の珠玉の言葉をお届けします。1日に4回、時に沈黙、時に暴走。
2009年9月よりtwitterにて運用開始(2023年7月にtwitter api接続不可となり運用停止しました)
2023年1月よりfedibirdにて運用開始
2024年2月よりblueskyにて運用開始
2024年12月Xにて運用再開
書籍等をお求めの節は
x.gd/E8UII
まで、よろしくお願いします
この憎しみの世界は私たちの親の世代、先祖、そして私たちによって創り出されたものです。そういう訳で、無知が過去から果てしなく続いてきたのです。それは自然に生まれたのではありません。それは人間の無知の結果、歴史的なプロセスです。
November 17, 2025 at 12:06 AM
現にあるものこそはあるがままの現実であって、それ以外はすべて非現実的である。断片化をもたらすものは現にあるものではなくて、この非現実のものなのである。
November 16, 2025 at 6:06 PM
私たちは方式や、方式に基づいた観念や価値観の変革によって、社会の改革を期待しています。そして実は「あなた」と「私」が社会を作っていることや、私たちの日頃の生活態度によって、混乱や秩序が生まれるのだということをわすれてしまっているのです。
November 16, 2025 at 12:06 PM
社会は「あなた」と「私」との関係が生み出したものなのです。つまり、社会は私たち自身の内部の心的状態を外部に投影したものに他ならないのです。ですから「あなた」と「私」がお互いに理解していなければ、単なる外部―内部の投影されたもの―の変換は全く無意味なのです。
November 16, 2025 at 6:43 AM
皆さんは、欲望がどんな混乱を世界に引き起こしてきたか見ようとしません。個人的安定、自分の達成、成功、権勢、地位、威信への願い。自分がすることすべてに全責任があるということを感じていないのです。
November 16, 2025 at 12:06 AM
快楽と苦痛を生むのは個別性である。憎悪と戦争を引き起こし、人と人を分かつ壁、各人のまわり、家族、集団のまわりに壁を築くのは個別性なのである。
November 15, 2025 at 6:06 PM
思考のおしゃべりがやんだとき、そこに理解の閃光がある。
November 15, 2025 at 12:06 PM
個人的に、私生活、内面生活において、私たちは攻撃的で暴力的です。だから外部的にも、他の人々との関係においてもそうなのです。野心的で、貪欲、もの欲しげであるとき、私たちは外的、集合的にも攻撃的、暴力的で、破壊的になるのです。【人生をどう生きますか?セクション2第2章第9節】
November 15, 2025 at 6:43 AM
過去を現在に持ち越したり、過去に照らして現在を解釈していては、現在が持っている生きた美しさをとらえられない。
November 15, 2025 at 12:06 AM
無知な人とは無学な人のことではなく、自分自身を知らない人のことです。そして学のある人は、自分に理解を与えてくれるものとして書物や知識、権威に頼るとき愚かになります。理解は自己理解を通じてのみやってきます。それは自分の心理的プロセス全体への気づきです。だから教育とは、その真の意味では、自分自身の理解なのです。というのも、存在の全体が集められるのは私たち個々人の内部だからです。【人生をどう生きますか?セクション3第3章第6節】
November 14, 2025 at 6:06 PM
もしもあなたが恐怖そのものであり、あなたと恐怖がふたつの別々のものではないということに気づけば、恐怖は消えてなくなる。そのときには、公式も信念も一切不要である。そのときには、あなたはただあるがままのものとともに生き、その真実を見ることであろう。
November 14, 2025 at 12:06 PM
全的で、実り豊かな変革は、あなたや私が自分自身を一つの全的なプロセスとして理解するのでなければ、起こりえません。あなたや私は孤立した個人なのではなく、幻想や空想との、快楽や権力・名誉、安全などの追求、無知、葛藤、みじめさとの、人類の全苦闘の結果なのです。【人生をどう生きますか?セクション1第1章第7節】
November 14, 2025 at 6:43 AM
思考は常に分離的なものであり、見るものと見られるものの間を時間と空間で分けてしまう。
November 14, 2025 at 12:06 AM
「孤独」とは文字通り、何者にも染まらず、天真らんまんで自由であり、そうしてばらばらではなく一個の全体として、凛としてそこにあることである。
November 13, 2025 at 6:06 PM
あなたは自分自身が暴力的でなく、毎日平和な生活、競争も野心も羨望もない生活、敵意を生み出すことのない生活を実際に送っていれば、世界に対して大きな影響を与えることができるのである。小さな火も集まれば巨大な炎となるのだ。
November 13, 2025 at 12:06 PM
私たちはこうありたいと思っている自分ではなく、あるがままの自分を知らなければいけません。こうありたいと思っている自分とは、単なる理想であり、架空の非現実なものなのです。変革することができるのは、あるがままのものだけであり、こうありたいと望んでいるものではないのです。
November 13, 2025 at 6:43 AM
見るためには、信念は不要である。それどころか、見るためには信念を持たないことが肝心である。信念を持つという肯定的状態ではなく、否定の状態にあるときにはじめて、あなたは曇りなく見ることができる。
November 13, 2025 at 12:06 AM
無である人は幸いなるかな!
November 12, 2025 at 6:06 PM
思考のおしゃべりがやんだとき、そこに理解の閃光がある。
November 12, 2025 at 12:06 PM
瞑想は常に新たである。それは何の連続性も持たず、それゆえ過去は瞑想のうえに何の影も投じない。
November 12, 2025 at 6:43 AM
私たち個人の中に根本的革命を引き起こすためには、私たちと他のものとの関係の中で、私の思考や感情の動きの全体を理解しなければならないのです。これが、私たちのすべての問題に対する唯一の回答なのです。
November 12, 2025 at 12:06 AM
思考というものはすべて自由ではありえず、常に古い存在であることを十分に理解したときに生まれる沈黙は、瞑想者がそこに存在しない瞑想である。それは心が過去から完全に脱却したからである。
November 11, 2025 at 6:06 PM
生はたえず動いている。生は、多くの複雑で素早く変化する問題を内包しながら、決して静止することがなく、毎日毎分、新鮮なアプローチを要求している。だから、私たちがこの生に出会うとき、そこには条件付けられ固定化された心と、たえず動いてやまない生との間の絶え間ない葛藤があるのだ。
November 11, 2025 at 12:06 PM
本当は明日などというものはないのであって、明日とは思考が自分の浅薄な野心や満足を実現するために生み出したものなのである。思考は数多くの明日を生み出すが、本当は明日などない。明日に対して死ぬことは、今日を全的に生きることである。そうすればあなたの存在全体が変容をとげることであろう
November 11, 2025 at 6:43 AM
人生とは関係です。人生とは関係の中における行為です。私が関係を理解しないとき、あるいは関係が混乱しているとき、そのときに私はより豊かな意味を求めるのです。【人生をどう生きますか?セクション1第7章第5節・自我の終焉より】
November 11, 2025 at 12:06 AM