はりはら
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harihara96.bsky.social
はりはら
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神秘や心理や宗教が好きなおじさん 年齢はもう50000年ぐらい生きている気がするけどただ単にシヴィライゼーションのやり過ぎかも  https://yoton.org/  https://note.com/koetoka/
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自意識を通して肥大したエゴが結局は種を破滅に導くのであれば、やはりそれは登られるべきではなかったバベルの塔なのでしょう。そうならないことを神に祈るばかりです。
私は沢山の人間を見てきたが、「経営者や権力者はみな努力した優秀な人間だ」なんてとんでもない空想だよ。子供でもわかることだ。自転車を与えられて移動している人と、自分の足で走るしかない人と、道具無しではどちらが競争においてより優れているか?
「努力した優れた人間が成功する」という信念を手放せないことが、現代人の深刻な病だ。

過熟した資本主義社会では、社会的成功はその人の能力や、素質、努力とは関係がない。

にも関わらず、成功した者が「私は優れていて努力したから成功した」という幻想を持ち続け、失敗した者が「私は努力しなかったからこの境遇なのだ」と卑下する。

自由競争や需給に対する価格調整の原理が働かなくなる。介護や物流の仕事にどれだけ需要があっても、その領域の労働者の賃金が上がらない理由がこれだ。

「誰でもできる仕事なら、報酬は低くなくてはならない。そうしないと、優秀な人々が報酬を通して自分の富を正当化できないから」
「夢の中の病は、夢の中の薬でしか治せない」

人生という夢が覚めたら、そういう苦悩なんかもなくなって、案外ケロっとしているんでしょうか? そうは言っても今は夢の中なのだから、夢の病に苦しんでいる。不思議なことです。
自意識の必然ですね。しかし自意識以前、全ての素粒子に宿る純粋な意識そのものを想定できるのならば、私の自意識を構成する意識の粒子が、いずれは別の形で別の生物の精神を構成するのかな、と考えることができます。それは何というか悪くない世界観だと思っています。
Capitalism needs a new revision. It must recognize that the subjective consciousness of "I" is an irreplaceable asset of infinite value. Accurately reflecting the diversity of people's value perceptions in the economy should act as a regressive force against the excessive concentration of capital.
つまりな、一言で言えば、私たちは本当に、君が頭で考えているよりもずっと孤独だってこと。

君は君の宇宙だけを見てる。その宇宙の中から。世界という、より大きな宇宙がどこかにはあるんだけど、それには触れることはできないし、触れたこともないんだ。世界に触れたことが無いんだよ。自意識だけを見ているんだよ。自分だけしかないんだ。それが主観であり、自意識であり、あなたの精神の本当の構造なのさ。
試しに自分の宇宙から出れるかどうか、やってみたら良い。その主観を捨てて他人の意識になれるかどうか?

出来ないさ。君たちは「観測する」ことに囚われているから。観測というのは自意識が提供する機能なんだぜ。自意識の乗り物に乗りながら、自意識の外に行こうとしている、ということさ。
エネルギーが光速を超えると物質に変わるのと同じようなことだ。物質に併存する意識の粒子が、背骨を中心に強く集積されていくと、主観的意識、自意識という宇宙が始まるのさ。
私たちの人生は、ひとつひとつが新しい宇宙だ。その宇宙は誕生と共に生じ、死と共に終わる。

より大きな物理的世界という宇宙から、こうした意識の宇宙が生物の数だけ、無数に生まれてくる。
Reposted by はりはら
男性的な身体に女性的な思考スタイルが宿っていたり、女性的な身体に男性的な思考スタイルが宿っていたりすることはあり得ることだと思う一方で、思考スタイルは、脳や身体の物理的な制約に間違いなく影響を受けるものだとは考えている。
男性的な思考は広い屋敷みたいなもので、意識はいつも自分のお気に入りの場所に引きこもり、来客を貴賓室に押し込んで鬱陶しがっている。

女性的な思考はこじんまりした宿みたいなもので、いつも人が押しかけ、意識は賑やかに動いている。

脳の使い方の違いとしてそうイメージしている。
身体特徴としての性別、社会的役割としての性別、思考スタイルとしての性別がそれぞれあると思っている。そして、思考スタイルにおける男女観はあまり語られていない領域だと思う。考え方の女らしさと男らしさ。
大切な人にケーキをプレゼントしたくて、特大のゆるい生クリームの塊を「君のためにこんな特別なものを作ったんだ」と披露してしまう、そういうことがあるのだろうね。

もう少し小さな所から始めるべきだった。クッキーを焼く?いや多分、フルーツをカットして盛り付けるくらいで、ちょうど。
ある経営者が大金をかけて家を改装していて、その話を誇らしげに社員に語っていた。「社員には、やっぱり社長はすごい人だったんだ、この人について来てよかったと思ってほしい」と彼は言っていた。

教養というものは大事だと私は思った。彼はつまり、外型的なものを通してしか自分の存在を表現することができなかったのだ。しかも尚、自分の素晴らしさを他者に感じさせなければ、という焦りだけは燻っていて、その結果「他者から尊敬されるために、自分の家を改築する」という答えに辿り着いてしまったのだ。
近所の国有林からカズラを採取する手続きには1年間かかった。私としては別に他の人の私有地からもらい受けても良かったのだが、昔からある「みんなの山」で素材を採取することが違法行為になってしまう現状が嫌で、敢えてかじりついた。行政の関係窓口へ方々連絡し、所管の事務所からは「前例がない」と何度聞いたことか。結局はkgあたり140円で購入する単純な契約がまとまった。それに要した手間と時間は、大変不経済なことだと感じた。私は手始めに林道に差し掛かった大木からしだれ落ちているフジヅルを採取して、その下の道を整えた。誰の為にそんな苦労を。決まっている、次の世代の人間のためだ。
入会地とかまぐさ場とかいったものが線引きされ国有化され始めたのは1870代で、終戦を経て1950年頃に行政への管理権の移し替えが確立する。そこから100年。

行政財産となった入会地は一般市民とは縁遠い存在になり、市民生活のすぐ隣で、危険な自然の牙をむき出しにするようになった。自然は、放置すれば危険になる。そうしたことを理解して対策しようとする取り組みは薄く、行政事務手続きの重たい事なかれ主義が、一般市民をいっそう自然から遠ざけてしまう。
熊か・・・現代人は里山と自然の違いもわからなくなって、街中のアスファルトの上から自然を礼賛するようになった。自然は人間を殺す猛毒に満ちている。それは当たり前のことだ。自然と戦うことによって人間の生活圏は出来ていくが、その知識を失えば、里がなくなり、町もすり減っていくのだ。
何が最適解かは、環境との相互作用によって決まる。

盛者必衰という真理を、恐竜たちが如実に教えてくれる。霊的な意味では、あれは人間の祖先なのだ。彼らは我々の魂の中で、アトランティスの夢を見ている。
全ての物事に良い面と悪い面があるよ。
あのタイプの人って自分で長期の展望を描けないっていう欠点があるけど、高市さんは首相としてどうするんだろうね。統一した目標管理の無い組織って分裂しやすい。自民党も分派するかもね。
あぁ、別に期待はしてない。所詮は資本集約の政治の世界の話だから。女性の力が加わった程度でバランスを取れるほど、現代社会を支配している資本システムは弱くない。

ただ、女性の力について考える良い機会ではあるよね。
高市さん、公明が離れた時にあっさり野党に鞍替えしたのは真に女性的なパワーやなと思った。

あれ男はプライドや倫理が邪魔してできんけど、女はとりあえずの問題解決を正解にできてしまうから。

そういう女性性の良さは、注意して見ないと見逃す。日本人は男性的な価値観を中心に考えがちだから。
ああ、一生懸命お金を稼ごうとする人を揶揄する気持ちはないよ。私だってそういう時はあったし…

ただ最近は特に、貨幣の機能不全みたいなものを強く感じる。特定の資源が欲しい時に、お金を出すんだけど、そうすると何層もの利権や品質保証や製造責任などが間に入って、お金の価値に見合ったような物は届いてこない。全てが高くて、薄っぺらの飾りばかりで肝心な部分はわずかだ。

人々は、資源にアクセスする能力を失っていっている気がする。それは人生を貧弱にしてしまう。