午前中、他部署の人から「あれって、ああですよね?」という問合せがあり、あれのイメージもあるし、(かつて自分が)ああしたところの理由も頭の割と近くにあるのに、頭の中でそこに至る短距離の歯車がうまく連動しない感じ。高々10日使わないだけで歯車が錆びる自分が面白い。下手くそなマニュアル車の運転のように言葉を紡ぎながら「すみません、頭の中の歯車が回らなくて」と言ったら「ですよね〜私もそうです」と共感してもらえ、人間社会の良い部分を感じた。
午前中、他部署の人から「あれって、ああですよね?」という問合せがあり、あれのイメージもあるし、(かつて自分が)ああしたところの理由も頭の割と近くにあるのに、頭の中でそこに至る短距離の歯車がうまく連動しない感じ。高々10日使わないだけで歯車が錆びる自分が面白い。下手くそなマニュアル車の運転のように言葉を紡ぎながら「すみません、頭の中の歯車が回らなくて」と言ったら「ですよね〜私もそうです」と共感してもらえ、人間社会の良い部分を感じた。
もちろん塩塚さんの存在感の強さが前提ではあるが、それでもその鮮烈さの中心にあったのは、フクダさんの音数の少ないヨレたドラムだったのだ。ひとつの季節が終わったなーと、どうしようもなく感じてしまう。
もちろん塩塚さんの存在感の強さが前提ではあるが、それでもその鮮烈さの中心にあったのは、フクダさんの音数の少ないヨレたドラムだったのだ。ひとつの季節が終わったなーと、どうしようもなく感じてしまう。
どんな集団であれ、規模が大きいほどさまざまな人間が含まれるのは避けられない。自分が好きになれない人間も含めて集団全体を背負う覚悟が政治家には必要で、国家を自我のアクセサリーみたいに考える人は政治家になって欲しくないというか。
どんな集団であれ、規模が大きいほどさまざまな人間が含まれるのは避けられない。自分が好きになれない人間も含めて集団全体を背負う覚悟が政治家には必要で、国家を自我のアクセサリーみたいに考える人は政治家になって欲しくないというか。
だから抽象的なシンボルや理想化された過去と自己とを一体化させるとともに、「正しい歴史教育」によって未来において純粋な国民を生み出すことに希望を託すことで、現在の(いまいましい)国民を否定しながらも「愛国者」としての自己を保つことができる。
だから抽象的なシンボルや理想化された過去と自己とを一体化させるとともに、「正しい歴史教育」によって未来において純粋な国民を生み出すことに希望を託すことで、現在の(いまいましい)国民を否定しながらも「愛国者」としての自己を保つことができる。
という子どもたちが全国的に発生してしまうかもしれないなあ、と思う。(ぼくも録画すると思うが、子どもの目に触れないように管理したい)
という子どもたちが全国的に発生してしまうかもしれないなあ、と思う。(ぼくも録画すると思うが、子どもの目に触れないように管理したい)
「事件を通して、何百人、何千人もの統一教会の信者が助かった。教団の解散などもすべて事件のおかげ」
これ、法治国家の恥丸出しなことに、実際全くもってその通りで厳しい
「事件を通して、何百人、何千人もの統一教会の信者が助かった。教団の解散などもすべて事件のおかげ」
これ、法治国家の恥丸出しなことに、実際全くもってその通りで厳しい