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ボロディンと『イーゴリ公』のファンです。寺・神社・城・外国語の話題なども。Толи не буди мира межи нами, оли же камень начнеть плавати, а хмель грязнути.
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タチーシチェフ、読み物として面白く、与太話(失礼!)なのが惜しい。
この辺は手を出してもキリがないのでほどほどに。
『イーゴリ公』の『イーゴリ遠征物語』によらない部分の出典や音源の解説などの出典もほぼ拾えたと思う。
アレクサンドル・ネフスキーの先祖をあんまり信用できないウィキで辿ったが、やはりイーゴリの孫ではなかった。
もちろんどちらもкнязьだから、遡れば先祖は共通なんだけど、せいぜい2代、3代しか違わないし、ウィキが信用できるなら、調べればすぐにわかっちゃうことなんだけどな。
とにかく、これで1件調査済み。
現代の我々は各種年代記の原文、しかも整えられた形式の刊本とさらにはその翻訳までが揃って、その気になればどれでも読めるわけだが、それも戦後から最近にかけての話。
帝国時代にポピュラーに読めた自国史と言ったら、カラムジーンの『ロシア国史』だったんだろうな。
『イーゴリ遠征物語』に登場しないガーリチのお家騒動の元ネタはどうやら『ロシア国史』で良さそう。
3巻途中までにヤロスラーヴナ後妻説に関わる話題はないので、こっちはロシアの『尊卑文脈』的なものに当たるしかない。
頭を使う作業をしたくない時は受け身の作業に徹しようと思い、典拠探しにカラムジーンの『ロシア国史』の斜め読みを開始。
最初の3巻で事が足りるといいなあ。
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気になり出したら放っても置けず、悩ましいですね…
詳細ありがとうございます。
ヴルフリツキーの詩でしたか。
典拠まで捜すとなると大変ですね…
《ハコン》はスメタナも題材にしたハーコン・ヤールのことでしょうか?
もしそうなら、原作が当時、そうとう話題になったのでしょうね。
『イーゴリ公』関連でこれまで自分なりの調べてわかったことを冊子にしようと思い立ち、資料を集めたり、情報源を確かめたりの作業を進めている。
突き詰めて知り得たことを精査するのに一番時間がかかりそう。
さらに、それとは別にもっと気軽に向き合える素朴な疑問や話題を扱った、ぶっちゃけ取っ付きやすいものもあっていいかな?とも思案している。
とか言いつつ、前文ネットで公開されてるのはありがたいわけで。
わかっちゃいた。わかっちゃいたけど、やっぱり斜め読みするしかないのか、カラムジーン…
情報の出所を探すにはそれもまた仕方ないか〜。
カラムジーンのロシア国家史、やっぱり調べなきゃいけないか〜。
だるだる案件だな〜。
さて、Twilogのチェックが完了して、雑多なつぶやきをするアカウントが一応『イーゴリ公』関係に特化したアカウントに変容していく様子や、CDの解説程度の情報から徐々により新しく、詳細かつ正確に焦点が合っていく様子も、またどこから情報を得たかもわかり、課金して来た甲斐があった。

過去ログはまた、家族や友人達とあちこち出かけた記録でもあり、今は亡き家族や友人とのひと時も思い起こされ、懐かしく切なかったりもする。
2015年のTwitter過去ログチェック完了。
この年は10月にブルガリア国立公園ソフィア歌劇場の来日公演があったので、関連ログが非常に多く、ついつい読み耽っちゃった。
糖分日本で『イーゴリ公』は上演されないと思うので、10年前の賑々しさが懐かしく眩しい。
ウクライナも行ってみたかったな〜。
周辺が広がりすぎて、散らかっている上に、私の解像度が低いと言うか、皆さんCMYKの話をしてるのに、私はRGBで話しをしてるみたいな次元の違いを感じている。
お相手してくださってる皆さんに感謝しかない。
足元を固める土地改良工事に専念します。
エムシャンもうっすい冊子にしちゃうか!
などなど過去ログを調べながら、終わりの始まりが10年前だったと再確認してしんみりするなど。
グルジア王に嫁いだコンチャークの姉の名、グランドゥフトのドゥフトの部分がペルシア語系で「娘」を表しているそうで、印欧語〜とまた鼻血を噴いている。
ポーロヴェツに限らず遠距離移動型の遊牧民族はその土地の民族と通婚、混血していくので、グランドゥフトもホラズム系の血が濃いのかも知れませんな。
ちなみにルーシに移る次の世代のポーロヴェツの名前はルーシの名前が増えて来ます。
コンチャコーヴナは洗礼名はスヴォボダ(自由)だけど、個人名はナスターシヤらしい。
母親はルーシの人かも知れない。
2017年あたりのTwitterの過去ログは古楽絡みが多く、そんなに熱心に聴いてたかな?とかも思う。
ピカルディ終止とか、すみません、覚えてないや…
その場限りで記憶に定着していない曲も作曲家もたくさんありそう。
そのお子さんの代にはソ連からイタリアに亡命していて、近年、この記念館を訪れたそうな。
ボロディンのことは調べても、冊子の順番はたぶん最後なんだけどな!
今日はここまで。
今週の収穫はボロディンの実父の家が本当にロシア帝室にもジョージアの王朝にも繋がりがあった公爵だったってことですかね。
しかも妾腹とはいえ、ボロディンは最初の男児で、日本とは家系の考え方が違うらしいから、実父が亡くなって公爵家は断絶してるっぽい。
その一方で、実子ではないせいか(そして女性のせいか)、養女と、その配偶者である化学者の縁戚関係は辿りにくい。
この養女夫妻の子どもがボロディンの伝記や書簡集をまとめたようで、ボロディンの記念館の設立に関わったのもこの人らしい。
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1506年9月25日、ブルゴーニュ公フィリップが生水に当たり28歳で急死する。妻フアナのカスティーリャ女王即位を受け自らもカスティーリャ王フェリペ1世を僭称するが、カトリック両王と敵対していたフランス王に接近するなどその行動はカスティーリャ貴族から嫌われ、支持は薄かった。
フィリップは「美公」のあだ名通り美男子で、また浮気癖も酷かったと言われる(しかし妻フアナとの間には6人の子を儲けている)
フィリップの死後フアナは完全に正気を失い、夫フィリップの埋葬を許さずその棺と共に数年間カスティーリャ国内を放浪した。後に「狂女」と呼ばれる。