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Tu fui, ego eris.
1552年12月3日、明国の上川島においてイエズス会士フランシスコ・ザビエルが46歳で没する。インドから東方でキリスト教伝道を行い、特に日本に初めてキリスト教を伝えたことで知られる。東洋の使徒と呼ばれ、日本やインド、インドネシア、マレーシア、モンゴル、中華民国などで守護聖人とされる。
December 2, 2025 at 8:48 PM
誕生日なので、一年ほど寝かせておいたバレルフカミダスを飲む。
December 2, 2025 at 10:12 AM
Reposted by Vatanabeus
1515年12月2日、スペインのロハにてゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバが没する。エル・グラン・カピタン(El Gran Capitán)の尊称で呼ばれ、レコンキスタやイタリア戦争で活躍した。チェリニョーラの戦いでは火力と塹壕を適切に用いたため「塹壕戦の父」とも呼ばれる。
December 1, 2024 at 10:13 PM
また一つ、歳を取った。
December 1, 2025 at 8:35 PM
ブラジル・セレソンを飲んできました。
December 1, 2025 at 6:39 AM
1783年12月1日、ジャック・シャルルとロベール兄弟はパリのテュイルリー宮殿において世界初の有人水素気球による飛行を行った。高度約1800フィート(550m)まで上昇した気球は2時間5分飛行し、36km先のネル=ラ=ヴァレに無事着陸している。
November 30, 2025 at 9:56 PM
1640年12月1日、ブラガンサ公ジョアンらポルトガル貴族の集団がリスボンのリベイラ宮殿を襲撃し、ポルトガル副王の宰相ミゲル・デ・ヴァスコンセロスを殺害、窓から投げ落とした。これによりポルトガル王政復古戦争が勃発し、同月15日にはスペインとの同君連合が解消した。
ポルトガル王ジョアン4世として即位したブラガンサ公ジョアンは、当初決起に対し躊躇していた。しかし、妻ルイサ・デ・グスマンの「奉仕して一生を終わるより、統治して死ぬ方がましでしょう」という言葉に励まされ、首謀者になることを決意したという。
November 30, 2025 at 9:55 PM
帰ってきました。
ペルー。
November 30, 2025 at 4:38 AM
昨晩は、やがて訪れる誕生日へのお祝いでビールを飲んでおりました。
November 30, 2025 at 12:13 AM
久しぶりにブドヴァルが手に入ったので飲む。
November 28, 2025 at 10:52 AM
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1095年11月27日、クレルモン教会会議の終盤において教皇ウルバヌス2世が集まった群衆に向けて演説を行う。東方のキリスト教国の苦難と異教徒への聖戦を訴えたもので、この後数世紀に渡って続く十字軍の契機となった。
「乳と蜜の流れる国は、神があなた方に与えたもうた土地である」
November 26, 2024 at 8:44 PM
MY NEW GEAR...
November 26, 2025 at 7:51 AM
人間ドックが無事に終了し、何事もなかったという報せを胸に帰る。
November 26, 2025 at 2:26 AM
人間ドック1日目が終わると、ついビールを飲んでしまう。
明日は内視鏡検査です。
November 25, 2025 at 11:23 AM
人間ドック1日目が終了したので宿に引き取る。夕食まで何もすることがないのは素晴らしい。
November 25, 2025 at 6:31 AM
一泊二日で人間ドックへ行ってきます。
ちょっとした旅行気分です。
November 24, 2025 at 8:42 PM
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1560年11月25日、ジェノヴァにおいてアンドレア・ドーリアが93歳で没する。
海のコンドッティエーレとしてフランスや神聖ローマ帝国の海軍提督を務め、またオスマン帝国との戦いではキリスト教国海軍の総指揮官となった。
80代を過ぎてもバルバリア海賊征伐のため、陣頭指揮を執っていたという。
November 24, 2024 at 8:44 PM
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1177年11月25日、ボードゥアン4世率いるエルサレム王国軍がエルサレムへ侵攻中であったサラーフッディーン率いるアイユーブ朝の軍勢をラムラ近郊のジザルディ山(モンジザール)において敗走させる。サラーフッディーンは辛うじてエジプトへと逃げ帰ったが、共に帰還できた軍勢は出陣時の僅か一割だったという。
November 24, 2024 at 8:42 PM
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「崇高な王位を継承する代わりに、海の底で彼の墓が見つかった」
1120年11月25日、イングランド王の船ホワイトシップ号が英仏海峡を渡航中に遭難する。イングランド王ヘンリー1世の嫡子ウィリアム・アデリンをはじめ多数の貴族が溺死し、生き残ったのは船員一人のみだったという。
ホワイトシップの遭難後、ヘンリー1世は後妻を迎えたが男子に恵まれず、娘のマティルダを後継者に指名して没した。しかしマティルダは従兄のスティーヴンとイングランド王位を巡って争い、イングランドを混乱の「無政府時代」に導くこととなった。
November 24, 2024 at 8:41 PM