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@neveu.bsky.social
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身体の後出しジャンケンに対抗できない。 子育てはようやく終わったが、この体験は一体何だったのか。
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成長戦略なんて一つ覚えの絵空事、いつまで続けるのか。必死になって衰退戦略に知恵を絞れ。
できるだけ多くの課題をテクノロジーに解決させようとし、その後に生まれる新たな課題もまた技術革新で解決させ、挙げ句の果てにはテクノロジーによって無理に新たな困難的課題を産ませようとする今の先端潮流をどこかで軟着陸させるという超大型課題に、超国家で取り組んでほしい。環境破壊を解決すべきと真剣に考えるなら尚の事。
特定業界の慢性的人材不足や労働過多は不健全で根本原因には業界の域を越えた世界に深い病巣があると見るべきだし、加えて不足を埋められる人材の教育育成に信じ難い資金が必要なことも適材適所を妨げ歪んでいる。
ただ、社会のすべてに「他人事」な人々も、みな同じ弱い人間なのだということも、事実なのだが。
政治家を変えたないなら、まず民が自分の意識と思考と行動から変えないといけない。彼らが「お上」ではなく、自分たちが隠れた「お上」だと自覚しなくてはいけないと思うが。
底の底でもがく困窮者により良い社会を実現するための行動など求める方が無理というもの。社会の変革は余裕のある者共が自分の余裕を出し合わない限り必要な大きさには達し得ない。
でも多くは「金持ちから取れ」と自分より恵まれているはずの知らない誰かに原因を押し付けるだけで、「ならオレからもっと取れ」などという人を見たことはないし、もしいたら「奇特な人」と言われるだろう。つまり普通ではない。
社会を変えたいなら変えたい奴が変えろ。これこそ自己責任。お上の事なんて知らないがお上の決めた事には陰で散々文句言うが従う。外国は知らないが少なくともこの国ではこうしたけち臭い自己責任主義が多勢を占めている気がする。
お前、ずっと怒ってるな。身体に良くないぞ?
だが、私の身体の好不調などよりはるかに私にとっては大事なことがある。
自己責任の社会で生きる方が気楽で自由で生きやすいと考える層が、この社会の割と多くを占める「普通」のように思えてならない。
自分のために一緒にこの世を闘ってくれる存在が見えないから、自分はこの世で生きていていいのだと思えない人は少なからずいる。自己犠牲の精神に聞こえてしまうかも知れないが、我々はそもそも誰しもが、この現在世界の構造上、生まれた瞬間から誰かの犠牲の上で生きているはずで、自分だけが損をするのは嫌だと考える方がむしろ無知の強欲というものではないだろうか。
多くの人間は、自分と家族の現在と近未来に、生命、健康、経済、尊厳、行動の自由に関する差し迫った脅威や不安がない限り、自分はさほど低層ではない、世間から見下されてはいないと考えるだろう。そして多くの格差や差別、権利に関する社会・政治課題についての当事者意識は自ずと希薄になり、「よりよい社会」への変革のモチベーションも強く湧かず、社会や世界からの疎外を他人事としてしか認識しないだろう。これが世の中の「普通」の意識なのだと感じる。本当の癌はこの「普通の意識」なのではないか。すべての人が等しく普通でなくてはならない、などと考える人は、実は極めて少数なのでは。
さぞ大変なご負担のことでしょうね。気持ちにまったく余裕がなくなっていくことと思います。どうかお心が少しでも逃がせますように。
くだらない政策だけが決まりそうな国会が開会するな。
まあマスクしてるだけで暑くなるんだよな…
19℃、いまだに半袖で快適だし、ちょっと歩けば汗ばむのだが、いろいろセンサーがおかしいよな。
両作品とももちろん暗いが、どちらも絶望的だけで終わってはいないと感じるところも私は好きだ。
『ニーチェの馬』はまたちょっと違っていて……ところであの映画はなぜ『ニーチェの馬』という表題名にしてしまったのだろう。わかるのだが…原題でいいよなあ。
作品の内容として書かれる「力」は『サタンタンゴ』の方がより多層的に描かれていると思うが、それがあの映像技法の中だとより鮮烈に切実に、そしてそれがより度肝を抜くほど美しい。ショットのキマり方は『ヴェルクマイスター〜』も本当にヤバいのだが。
『ヴェルクマイスター・ハーモニー』もタルの映像技法は極めて効果的、というよりむしろあの技法が必要だったと思うし、もしかすると動きという面では『サタンタンゴ』などより一般の人気もあるのではないかと思うが、あれは主人公の視点が中心となっている作品という点で『サタンタンゴ』の徹底した客観とはかなり異なる印象を受ける。私には『サタンタンゴ』がより超衝撃的で感動的だった、と思う。
『ヴェルクマイスター・ハーモニー』もタルの映像技法は極めて効果的、というよりむしろあの技法が必要だったと思うし、もしかすると動きという面では『サタンタンゴ』などより一般の人気もあるのではないかと思うが、あれは主人公の視点が中心となっている作品という点で『サタンタンゴ』の徹底した客観とはかなり異なる印象を受ける。私には『サタンタンゴ』がより超衝撃的で感動的だった、と思う。
介護問題で、来月以降は姉とのやり取りが爆増しそうだ。災厄以外の何物でもないが、仕方ないことは仕方ない。それにしても、味方が一人もいないと思える家族にいったい何の意味があったのだろうか。
今日は朝から認知症の老父の大混乱と老母の嘆き、兄である老父の衰退をただ闇雲に不憫に思う叔父や叔母からの電話猛攻で疲れた。口だけで余計なお世話の叔父や叔母に罵られる謂れはない。貴様らはこの家族の歴史をまったく体験していない。
私の父も一桁ですが、家事全般一切できません。やろうともせず、できもせず。無能を極めています。
だいぶ音楽を聴けるようになってきたな。動画もまあまあ以前よりは観られるし、内容を覚えていられるようになった。相変わらず読書はまったくその気にならない。以前のような認知や集中力の問題より意欲の問題だろう。
シマノフスキ、室内楽や器楽曲、声楽曲はかなり好きな曲があるのだが、なぜか交響曲は良くない。
シマノフスキの『スターバト・マーテル』は本当にいい曲だ。
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イアン・ワトスン短篇集、通販始めました。5年間の翻訳権取得済です。ご興味のある向きは何とぞ。

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そのヘットヘトは徴候ですので……抑えて、ずっと抑えて、頑張らず、戻そうとせず、焦らず、ただ心身の観察だけには徹しましょう…どうかお大事に。
面白いことに、お礼を言われることはべつに嫌ではない。特に言われたいとも思わないが。