neveu
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身体の後出しジャンケンに対抗できない。 子育てはようやく終わったが、この体験は一体何だったのか。
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両作品とももちろん暗いが、どちらも絶望的だけで終わってはいないと感じるところも私は好きだ。
『ニーチェの馬』はまたちょっと違っていて……ところであの映画はなぜ『ニーチェの馬』という表題名にしてしまったのだろう。わかるのだが…原題でいいよなあ。
作品の内容として書かれる「力」は『サタンタンゴ』の方がより多層的に描かれていると思うが、それがあの映像技法の中だとより鮮烈に切実に、そしてそれがより度肝を抜くほど美しい。ショットのキマり方は『ヴェルクマイスター〜』も本当にヤバいのだが。
『ヴェルクマイスター・ハーモニー』もタルの映像技法は極めて効果的、というよりむしろあの技法が必要だったと思うし、もしかすると動きという面では『サタンタンゴ』などより一般の人気もあるのではないかと思うが、あれは主人公の視点が中心となっている作品という点で『サタンタンゴ』の徹底した客観とはかなり異なる印象を受ける。私には『サタンタンゴ』がより超衝撃的で感動的だった、と思う。
『ヴェルクマイスター・ハーモニー』もタルの映像技法は極めて効果的、というよりむしろあの技法が必要だったと思うし、もしかすると動きという面では『サタンタンゴ』などより一般の人気もあるのではないかと思うが、あれは主人公の視点が中心となっている作品という点で『サタンタンゴ』の徹底した客観とはかなり異なる印象を受ける。私には『サタンタンゴ』がより超衝撃的で感動的だった、と思う。
介護問題で、来月以降は姉とのやり取りが爆増しそうだ。災厄以外の何物でもないが、仕方ないことは仕方ない。それにしても、味方が一人もいないと思える家族にいったい何の意味があったのだろうか。
今日は朝から認知症の老父の大混乱と老母の嘆き、兄である老父の衰退をただ闇雲に不憫に思う叔父や叔母からの電話猛攻で疲れた。口だけで余計なお世話の叔父や叔母に罵られる謂れはない。貴様らはこの家族の歴史をまったく体験していない。
私の父も一桁ですが、家事全般一切できません。やろうともせず、できもせず。無能を極めています。
だいぶ音楽を聴けるようになってきたな。動画もまあまあ以前よりは観られるし、内容を覚えていられるようになった。相変わらず読書はまったくその気にならない。以前のような認知や集中力の問題より意欲の問題だろう。
シマノフスキ、室内楽や器楽曲、声楽曲はかなり好きな曲があるのだが、なぜか交響曲は良くない。
シマノフスキの『スターバト・マーテル』は本当にいい曲だ。
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イアン・ワトスン短篇集、通販始めました。5年間の翻訳権取得済です。ご興味のある向きは何とぞ。

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そのヘットヘトは徴候ですので……抑えて、ずっと抑えて、頑張らず、戻そうとせず、焦らず、ただ心身の観察だけには徹しましょう…どうかお大事に。
面白いことに、お礼を言われることはべつに嫌ではない。特に言われたいとも思わないが。
先生には褒める筋合いが大いにあります!笑

仰る「評価」「立場」という意味合いは私の中ではたぶん無視できない事柄で、でも世間ではもっともフラットにフランクにそうした行為をするのが自然なんですよね。他者に対してはわりと自然にできるように自分を躾けましたが、筋合いのない他者からのお褒めやお祝いはいつも内心面食らいます……。
最悪の余計なお世話演出ですよね。あれ、Twitterです。今もあるっぽいですよw
でも多くの人があれを嬉しがっているのは事実ですね。私には気がしれないというだけで、演出の否定はできません。
昔々、mixiをやっていた頃、初めてのSNSで誕生日を特に気にもせず機械的に設定したら、当日マイミク(フォロワー)から相次いでお祝いメッセージが来て度肝を抜かれたとともに閉口してしまい、Twitter以降は自分の誕生日は伏せている。もしそうしたお祝い慣習さえなければ、自分の誕生日ネタを好きなだけ壁打ちできるのだが…w

きっと私はそこそこ変人なのだろう。だが変人なんてわからないだけで探せばそこらじゅうにいるものだ。
娘の誕生日は祝うが、親から誕生日を祝われたのなんて幼稚園か小1くらいまでだったな。ところが友達は誕生会なんて開いてもらったり、プレゼントあげたりしてるのもいたもんだから、驚いたのなんのって。ただ、不思議とあまり羨ましく思わなかった。どっちかというと、だるそうだな……みたいな。
私の中では褒める、祝うという行為をするのは筋合いというのがあって、その筋合いがないと私が認識している普通の人々から褒められたり祝われたりすることに違和感があるというのがまあ近い。もっともそうされた時に条件反射で謝意を示す訓練は積んであるので私のこのメンタリティーが伝わる事は今はない。褒める筋合い、祝う筋合い、これを他者に説明するのは簡単だが心底だるい。
褒められるのって…嫌なんだよな。祝われることよりはまあいくらかマシかもしれないが。何だろうな、たいていの人が喜ぶだろうと思われることがわりと嫌だと感じるメンタリティー。
褒められるのって…嫌なんだよな。祝われることよりはまあいくらかマシかもしれないが。何だろうな、たいていの人が喜ぶだろうと思われることがわりと嫌だと感じるメンタリティー。
毎日毎日、いろいろなものを馬鹿馬鹿しいとばかり思っていれば、そりゃ生きる気も萎えるわな。でもね、くだらないと直感したものをくだらないと断定するまでに、そこそこは考えてるんですよ、これでもね。
眠気の強襲とともに肋間神経痛にも苛まれている。なかなか生きにくい。
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いまどきスマートフォンがないと日雇い派遣だってできない。外食にすらスマートフォンが求められる。そのうちにコンビニもスマートフォンがないと割高になったりするのでは。生活保護の一環として配布するべきだよね。移動用の自動車と同じで、議論の余地とかない
クラスナホルカイの原作が翻訳されるとのこと。あれほどの映像作品を作らせるに至った原作の語りがどのようなものなのか、目の当たりにしたい。『ニーチェの馬』なんかも。授賞せざるを得なかったのだろうな。
あの作品の、各カット内に在るすべてを隅々まで認識し咀嚼しないかぎりあの作品は理解し得ない。あれほどの長回しはむしろ観る側にとって必要な時間を確保してくれているフレンドリーな作品だと思う。
『サタンタンゴ』、7時間超えという上演時間ばかり騒がれるが、実際にみればそこまでの時間の長さを感じない、というよりもむしろ時間の感覚が完全に麻痺させられるほどの異様な空間的映像作品だということは語られていないような気がする。正直なところ2回の休憩はいらなかった。いいから黙って観てみろよと思う。
『サタンタンゴ』、7時間超えという上演時間ばかり騒がれるが、実際にみればそこまでの時間の長さを感じない、というよりもむしろ時間の感覚が完全に麻痺させられるほどの異様な空間的映像作品だということは語られていないような気がする。正直なところ2回の休憩はいらなかった。いいから黙って観てみろよと思う。
世の中とことんいやになるが、正気は保たないとな。