#手元にある本の一節を晒す
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I

ある朝早く、庭の片隅の草の葉にしがみつく抜け殻のかたわらで静
かに、これから辿る険しい旅路を思い遣る風の眼のように、ひとつ
の大きな生誕の業を終えたあとの束の間を休息する母のように、子
のように、ひとり蟬は宇宙の生命の沈黙をつづる。その日はじまる、
疾走の夏。

II

この夏、小さな旅に出たのだが、
ある駅のざわめく拡声器の下に立ったとき、蟬よ
ぼくはふとおまえたちのことを思った。

最初で、最後の夏をくまなく視つめる蟬。
駅はいつもあわただしく、
大きく流れる人々の河のなかで
ひとり立ち止まることは、できない。
 《オ乗り違イノナイヨウニ!》
September 22, 2025 at 12:03 PM
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夜を疑視しつつ、私は何ものをも見ず、何ものをも愛してはいない。私は不動のままで、凍りついたようで、夜の中に吸収されている。私は崇高な恐怖の風景を、火山となって口を開いた大地を、火に充たされた空を、あるいはもっと別の、精神を「魅了」するような視像を思い描くことができる。いかに美しく心を顛倒させる種類のものであっても、夜はそういう制限された可能事を超越する。しかも夜は何ものでもない。夜のなかにはいかなる感知しうるものもない。ぎりぎりのところでは闇すらもないのだ。
September 21, 2025 at 12:00 PM
今日はここまで。

おやすみ、青空。
またあした。

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September 20, 2025 at 12:32 PM
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料理をいろいろと勉強していたころ、ハムやペーコンを作るための専門書を買い、よし作るぞ!と意気込んだ。それはとても丁寧な本だった。仕込み期間が長く、手順が細かく、さらにいろいろと書かれていて、ペーコンを作ろうという気持ちを萎えさせた。こんなにやることがあって大変だけど、君にこれができるかな? とでも言われているようだった。
September 16, 2025 at 11:59 AM
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モードは関心をもたない局外者にはナンセンスであるが、それにどっぷりとつかり浮身をやつする当事者たちにとってはまさしく生き死にの大事である。わけても宮廷は本質上つねに一種の芝居小屋、そこに蝟集する廷臣たちは好むと好まざるとにかわらず、ていどの差はあれ、役者でなければならず、直接的な労働から解放されていることによって彼らには粉黛を凝らし眼飾を整え威儀を正すことを可能にする十分な余暇と経済的基盤があった。道徳家がどれほど渋面をつくろうと、ここでは美貌はそれ自体で美徳である。斉の鄒忌は己の美貌を意識するあまり城北徐公とはりあっていた、某日、とくべつ入念にけわいして
September 14, 2025 at 12:02 PM
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江藤
つまり、言語のからくりを見破る視点を一目盛り脇に設けてみる、ということです。それには役立ちませんか。あなたの『物語批判序説』は第一部を拝見しただけで、ブルーストのほうはまだ拝見していないんですけれども、その限りで申し上げれば、要するに戦略は必要であるという結論のようです。非常な叡知をもってその辺でやめておられるんだと思うのですが、ああいう問題意識であそこまで論を展開されたということは、「問題」などというものはあくまでも、普遍妥当、非歴史的なものではなくて、一時代の歴史的限定を受けているから、脇からバーッと一つの光線が当たれば、そのからくりはわかる。
September 13, 2025 at 12:20 PM
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あなたを待つてゐました。あなたのやうな人ははじめてです。遠くにあなたの落ついた足音をきいたときから、わたしはもうおさへきれぬ期待で胸をはずませて、近づくのをお待ちしてゐました。あなたがこの淵のほとりに来て、しづかにあたりを見まはし、なにかしきりにうなづいて、旅の杖を曳いて、わたくしのいふとほりに、その栗の木の下の石に腰をおろされたときには、わたくしはうれしさで涙の出る思ひがいたしました。あなたはきつとあしへいさんの友人にちがひない。われわれ河童について變らぬ深い理解と愛情とを持つてくれるのは、傳説を輕蔑し、詩を否定し、
September 12, 2025 at 11:56 AM
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《分解列挙》

或る対象や問題などを、その部分や論点などに分解して列挙すること。列挙の一形式だが、全体があってそれを分解するという性格が明瞭なものを言う。例えば、

わざと廻り路をして鉄道線路の方へ出た。乾いた所に降り出したので、雪は片端から積る。屋根も、道も、木も、薮も、畑も、鉄道線路も、枕木の栅も、見る見る白くなつて行つた。(志賀直哉「雪の日――我孫子日誌)
September 9, 2025 at 12:03 PM
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ところで、鳴子こけしの特徴は、首がハメコミ式になつており、頭をもつてまわすと、キイキイと木のすれる音がする。郷土色豊かでひなびたところが、かえつて都会の人達に歓迎されるのであろう。ひなびているので、したがつておつとりとやさしい情味にみちている。顔の表情は、目はきれ長で、鼻はまる鼻である。胴は太くて他のこけしに比べて安定感があり、頭はまるく大きいが、胴との均衡がよくとれているので、単調な形のなかにも美しさがあふれている。あくまでも手に持つて遊ぶ、遊び相手ではなくて、立ててながめている人形である。頭には特殊な前髪を描くが、仙台で作られるほうこ人形とよく似ている。
September 7, 2025 at 11:57 AM
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…熊本人の行動様式の分析に関する秀れた評論家である渡辺京二氏が、とくに肥後人気質を表わす言葉として「ワマカシ」を挙げている。
渡辺氏の指摘によれば、「先ず、自分自身を馬鹿にし、のちに人を馬鹿にし、世を馬鹿にする」ことを「ワマカシ」の意味であるという。彼の説によれば明治以後の敬神党(神風連)と民権党という極右、極左の対極現象を起したのも、ともに、「ワマカシに蕩し、ワマカシに死せる」ものであって、このような肥後人の行動様式は、利害とか、出世とかの社会的評価から完全に離脱し、純粋に無償な行為に対するあこがれの結果であって、ある意味で反功利主義的心理構造であるという。
August 31, 2025 at 12:01 PM
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赤ん坊の頃、私は男仕の担いだ天びん棒の前の籠にのせられ、後のかごに手回りの荷や土産の品を乗せて、高千穂から阿蘇高森の母の里まで道中をしました。草履にあとかけした丸髷姿の若い母が大へん美しかったと、後に村の人が話しているのを聞いたことがあります。その母が阿蘇の高森から日向の高千穂(高千穂のことを母方の町の人たちは「たかちゅう」と云っていました。少々田舎者という意味もあったようでした)に、お嫁に来る時は、馬に乗ってきたそうです。
August 30, 2025 at 12:25 PM
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もちろん、親族友人を三〇人政権に殺され、財産を奪われた市民の怨恨が、そうやすやすと 消えるものではなかった。記憶を消せと言われても、現実には無理な話である。兄弟が三〇人政権に殺され自分も財産を奪われた、富裕な在留外国人リュシアスは、寡頭派が「犯した罪の一つ一つについて、たとえ二度ずつ死刑になろうとも、なお十分な罰とは言えない」と訴えるほどの、激しい復讐感情をいだいていた(リュシアス「第一二弁論」三七節)。

だが市民たちは、あえて「悪しきことを思い出すべからず」という誓いを立てた。それは 「記憶の抹消」というフィクションを、全員が共有するという約束事なのである。
August 29, 2025 at 12:02 PM
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 茶摘み歌

なれなれなすび せどやのなすび
ならねば縁がとどかぬェー

茶の木の下で約束したりゃ
その茶が枯れて縁がござらぬェー
その茶が芽立つ縁がとどいたェー

向いのこばに こば打つおぢがかがんだよ
腰が鍬ともろともにェー

これから見ゆる 十島が見ゆる
十島の島の八重桜 うと桜ェー

球磨民謡保存会『球磨民謡集』
August 27, 2025 at 12:08 PM
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「わからんということがありますか。ちゃんと答えなさい」
このとき道明は妻の昂った顔に、泥顔の面を視た。〈砧〉のなかの妻の亡霊、〈鉄輪〉のなかの嫉妬に狂う都女、〈当麻〉のなかの後シテの泥顔の表情が、目前の妻の顔にかさなってきたのである。
「なぜ寝たのですか。答えなさい」
このとき道明は、目前の泥眼が般者に変って行くのをみた。〈葵上〉の後シテの鬼女、〈道成寺〉や〈安達原〉の鬼女が目の前にいた。妻の着物が黒地縫箔に見え、そして剃刀は打杖に見えてきた。答えなければ打杖が振りおろされるのは必定だった。
August 25, 2025 at 12:11 PM
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球磨には祇園神社関係で、ゴッドンの神符を出したところは多い。今も上村の尾方益男家、免田の尾方清人家、多良木奥野の椎葉貞利家にはこれを蔵せられる。大小さまざまあり、形も又一定しないが、後に掲げる角大師は鉾を持たないがゴッドンは鉾をもつ。
August 15, 2025 at 11:38 AM
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彼は、冬の始まる聖クレメンスの日に総告解をしたことがあった。秘密のことだったので、自分の独居房に閉じこもって衣服を脱ぎ、馬の尻尾で作った下着だけになった 棘のついた鞭を手に取り、身体や腕や足を自分で叩いたため、犠牲を捧げるときのように全身から血が流れた。この鞭にはとくに一本、鉤針のように曲がった棘があった。その棘が肉に噛みつき、肉を裂いた。彼は自分を非常に強く叩いたため、鞭は三つの破片へと砕けてしまった。一片が手に残り、先の二つの部分は壁に向かって飛んで行った。
August 13, 2025 at 11:45 AM
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個性が強い鯨肉は、やはり個性の強い薬味を合わせることで美味しさが相乗します。ショウガ、ニンニク、葱は欠かせず、大葉やミョウガ、そして大根おろしもよい仕事をします。
鯨は長時間泳ぐため体内に乳酸がたまりやすく、その肉は酸性が強いのが特徴です。一方、日本人が好む味は弱酸性。そこで、いかにして酸性の肉を弱酸性に仕立てるかが重要になります。牛肉やマグロ、カツオなどにもいえることですが、食材そのものの酸性が強い場合は、ワサビよりも弱アルカリ性のニンニクがよく合います。
August 12, 2025 at 11:34 AM
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愛撫の或る夜、ふとわたしはモン・シェリーと呼ぶ代りに、モナンファンと咡いていることに、気がつきました。驚きました。いつから、そう呼んでいたか、自分でもわかりません。あの人はそう呼ばれていることを、最後まで、北京へ帰る日まで、 気がつきませんでしたが……わたしは考えました。そして、わたしのこころのなかにちがったものがうまれ、成長していたのを知ったのです。あの人を愛しているにはちがいないが、恋人や妻のような切ないものではなくて、もっと大きなひろい愛情が……モナンファン (私の子)とささやいたからとて、フレッドやピエラに対するような母性愛ではなく、あの人のなかに、
August 9, 2025 at 11:37 AM
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体の部分に関する語彙のうち、頭と顔をさす語で、競合しているものを挙げておきたい。chief[現フ. chef ](capu, 古ラ. caput)と teste(現フ, tête)(testa「土器の壷」←隠喩による)の用法は部分的にしか重ならない。上頭部――したがって高貴な部分―をさす chief は、美化した肖像の描写や比喩的用法にむく:
August 8, 2025 at 12:17 PM
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――わたしが書物や古老の談話などから得た知識によるなら、シンガボールにおける日本人娼婦の第一号は、明治初年にシンガポールで夫のイギリス人が死んだため生活の方途を失った日本人妻だとも言われ、また明治四年にシンガポールへ上陸した横浜生まれのお豊という女性であるとも言われている。このほかにもまだ、黒髪を切り男装してシンガボールへ渡って来たおヤスという女性が最初だとか、サーカス団の一員としてシンガボールに来てそのまま帰らなかった〈伝多の婆さん〉が嚆矢だとかいった説もあるが、いずれにせよ明治期も非常に早い頃からからゆきさんの歴史ははじまっていると言わなくてはならない。
August 6, 2025 at 11:44 AM
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哀ふかき今の姿や、春もえ出でし夏の緑に只凉しき外には試みざりし野邊の草の、漸々今や秋の氣をくみ、露を含みて彳めるにも似たるかな、悩めるにはあらでおもひに溢るる胸のあたり、衣紋波だつてこそながめられ候へ、古への人はいとやすやすと、澁かろか知らねど柿の初ちぎりと口誦んで、もののあはれに入れりと聞きぬ、
August 4, 2025 at 12:02 PM
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「獣」はほんとうにひそんでいたのだ。それは定めの時刻に跳びかかってきたのだ。それが襲いかかってきたのは、あの冷え冷えとした四月のたそがれ時、病にやつれ、蒼ざめてはいても、なお美しさを残していて、あるいはまだ回復の可能性もあったかもしれない彼女が、椅子から立ちあがってきて彼の前にたたずみ、彼にその想像力を用いて推察してもらおうとした、あの時なのだ。彼が察しそこねた時に、あれは襲いかかったのだ。
August 3, 2025 at 12:12 PM
ウィトゲンシュタインからの影響は、個人的な立場を超えてハイエクにもやはり存在したのではないかと思われる。少なくとも彼らは同じ文脈を共有していた。若き日のハイエクは『論理哲学論考』の熱心な読者の一人であったが、ウィトゲンシュタインが自身の「転換」のなかで模索した道筋にはハイエクとも重なる部分がある。二人の共通の知人であったケインズも含め、彼らは皆、神の存在はもとより理性の絶対性をもはや単純に信じられない時代、社会の基盤として設定できない時代において、継続的に繰り返される「慣習」自体が意味の根源となる過程に着目した哲学者・思想家であった。

太子堂正称『ハイエク入門』

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August 2, 2025 at 12:08 PM
ムルタニさんは、村長の家の近くに住んでいる。水田200パタ(約0.29ヘクタール)、畑地60ぱた(0.09ヘクタール)を持っている。所有面積でみれば平均的農民である。妻は小さなワルンを経営し、シロップ、卵、砂糖、塩、マッチなどの日用品を売っている。店は村の入り口近くにある。畑では豆類、トウモロコシを栽培している。畑作物も米と同じように売りに出す。ムルタニさんは水牛を五頭も持っていて、耕作期には一日1,000ルピアで貸している。彼は65歳になるが、いまでも田圃で仕事をしている。

  村井吉敬『スンダ生活誌 変動のインドネシア社会』

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August 1, 2025 at 12:11 PM
筧喬雄をさして悪人だという者がいる。
「彼は氷のような心で生きている」
しかし筧は人間の理想とか真理などというものを、あまり信用してはいない。むしろ児戯に類した観念の遊ぐらいに考えている。彼の視野にうつるものは、生活の大河を浮き沈みして流れてゆく人間の大群にすぎない。
「悪人も善人もない。いっさいが無だ」

  中山義秀「霧にゆらぐ藤浪」

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July 29, 2025 at 12:16 PM