在りたい、ではなく成りたい方の自分。普段の自分とは違う自分を出す場としてここを使いたい。
建物は消えても、土地には人々の営みが刻まれている。
「記憶の地層」についてエッセイを書きました。
記憶の発掘
note.com/monoomoi/n/n...
#エッセイ #note
建物は消えても、土地には人々の営みが刻まれている。
「記憶の地層」についてエッセイを書きました。
記憶の発掘
note.com/monoomoi/n/n...
#エッセイ #note
蛍の光のようにも見えるが、はっきりとしたその緑は人工的な光だ。 ジーっという音が聞こえる。シェーバーが発しているのか、それともアダプターからか。
蛍の光のようにも見えるが、はっきりとしたその緑は人工的な光だ。 ジーっという音が聞こえる。シェーバーが発しているのか、それともアダプターからか。
高台にできる分譲住宅のためらしいそれは、まだ何も建っていない頃、ただ何もない空間に続いていた。
その行き先のない姿が、やけに神秘的に見えた。
少し前から家が建ち始めた。 そこにあるのは、もうただの階段でしかない。
機能性は、神秘性から遠い。
高台にできる分譲住宅のためらしいそれは、まだ何も建っていない頃、ただ何もない空間に続いていた。
その行き先のない姿が、やけに神秘的に見えた。
少し前から家が建ち始めた。 そこにあるのは、もうただの階段でしかない。
機能性は、神秘性から遠い。
その部分だけが日差しにさらされていたが、それが原因かは葉に聞いてみなければわからない。
今日も太陽は強く照っている。 葉も人も、光にさらされるだけが幸せの形じゃない。
その部分だけが日差しにさらされていたが、それが原因かは葉に聞いてみなければわからない。
今日も太陽は強く照っている。 葉も人も、光にさらされるだけが幸せの形じゃない。
行き止まりと分かっている道に入ったり、
畑横の小道をあえて進んだりする。
まっすぐ生きることから逃げ続けている。
それが綻びを生んでいる。
だから、歩くときくらいは
逸れること、逃げることを許容したい。
行き止まりと分かっている道に入ったり、
畑横の小道をあえて進んだりする。
まっすぐ生きることから逃げ続けている。
それが綻びを生んでいる。
だから、歩くときくらいは
逸れること、逃げることを許容したい。
強い日差しに照らされた草はとても美しい。緑が透き通って見える。
夏の草は香りも強い。昔はそれが苦手だったが、今はあえて鼻を近付けてしまう。
好きだと思えることが増えると、辛くとも暑さを不快とは感じなくなるのがおもしろい。
強い日差しに照らされた草はとても美しい。緑が透き通って見える。
夏の草は香りも強い。昔はそれが苦手だったが、今はあえて鼻を近付けてしまう。
好きだと思えることが増えると、辛くとも暑さを不快とは感じなくなるのがおもしろい。
磯臭い川の周りには日陰もなく、誰もいない。
ちょっとした木が生えてるだけなのに、妙に隔たりを感じる。
なぜかマウスウォッシュのボトルが落ちていて、その横には干からびたミミズが転がっていた。
異界に迷い込んだような感覚がした。
磯臭い川の周りには日陰もなく、誰もいない。
ちょっとした木が生えてるだけなのに、妙に隔たりを感じる。
なぜかマウスウォッシュのボトルが落ちていて、その横には干からびたミミズが転がっていた。
異界に迷い込んだような感覚がした。
言葉に意味ごとで変わる色を割り振ったら、どんな色彩になるのか。
明るい色と暗い色。どちらが多いのだろう。
言葉に意味ごとで変わる色を割り振ったら、どんな色彩になるのか。
明るい色と暗い色。どちらが多いのだろう。
くっきりと美しい輪郭をした間近に迫るような月は確かに目に映っている。
だが、スマホに表示されている月は遥か遠くでぼんやりと野暮ったく光るだけだ。
目では近く美しく感じるが実際は遠く、それほど美しくはない。
なんだか人生のようだ。
くっきりと美しい輪郭をした間近に迫るような月は確かに目に映っている。
だが、スマホに表示されている月は遥か遠くでぼんやりと野暮ったく光るだけだ。
目では近く美しく感じるが実際は遠く、それほど美しくはない。
なんだか人生のようだ。
電柱の下から生えた小さな花をおばあさんが愛おしそうに眺めていた。
「強いねぇ。こんなところでこんなにきれいに咲いてねぇ」
僕に話しかけているのか、ひとりごとか。あるいは、花に向けての言葉かもしれない。
「強いねぇ。綺麗だねぇ」
優しい声だ。その声が妙に染みる。
信号が青に変わる。僕はまた歩き出す。
少しだけ、現実に戻ってきた感覚がある。
生きようと思った。
なぜだかはわからない。ただ、考えるのはやめようと思った。
生きよう。
それだけでいい。
電柱の下から生えた小さな花をおばあさんが愛おしそうに眺めていた。
「強いねぇ。こんなところでこんなにきれいに咲いてねぇ」
僕に話しかけているのか、ひとりごとか。あるいは、花に向けての言葉かもしれない。
「強いねぇ。綺麗だねぇ」
優しい声だ。その声が妙に染みる。
信号が青に変わる。僕はまた歩き出す。
少しだけ、現実に戻ってきた感覚がある。
生きようと思った。
なぜだかはわからない。ただ、考えるのはやめようと思った。
生きよう。
それだけでいい。
生きるということは単純ではない。生きているから幸福なのではなくて、生きていることに「意味」を感じているから幸福と思えるのではないかと感じる。
贅沢な悩みだとは思うが。
生きるということは単純ではない。生きているから幸福なのではなくて、生きていることに「意味」を感じているから幸福と思えるのではないかと感じる。
贅沢な悩みだとは思うが。
松尾芭蕉は【旅に病んで夢は枯野をかけめぐる】と詠んだ。旅・俳句に対しての強い思い。そんな思いを僕も持ちたいと思う。持てたら良いな。
松尾芭蕉は【旅に病んで夢は枯野をかけめぐる】と詠んだ。旅・俳句に対しての強い思い。そんな思いを僕も持ちたいと思う。持てたら良いな。
葛の花踏みしだかれて色あたらしこの山道を行きし人あり
釈迢空の短歌はそんな感覚を鮮やかな描写で表現してくれている。
葛の花踏みしだかれて色あたらしこの山道を行きし人あり
釈迢空の短歌はそんな感覚を鮮やかな描写で表現してくれている。
春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな
こんなに短いのに、「そこ」にある風景が凝縮されている。
表現というものはどこまでも深い。憧れてしまう。
春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな
こんなに短いのに、「そこ」にある風景が凝縮されている。
表現というものはどこまでも深い。憧れてしまう。
その中に出てくる文章がとても好きだ。
(私はまた旅に出た)
から始まる部分が特にいい。
流れるようにして言葉が続いていく。表現は美しいのにどこか物悲しくて、けれど勇ましい。
なんてかっこいい文章だろうといつも思う。
(水は流れる、雲は動いて止まない、風が吹けば木の葉が散る、魚ゆいて魚の如く、鳥とんで鳥に似たり、それでは、二本の足よ、歩けるだけ歩け、行けるところまで行け。
旅のあけくれ、かれに触れこれに触れて、うつりゆく心の影をありのまゝに写さう。
私の生涯の記録としてこの行乞記を作る。)
生きた記録をこんな風に残せたらどんなに素敵だろう。
その中に出てくる文章がとても好きだ。
(私はまた旅に出た)
から始まる部分が特にいい。
流れるようにして言葉が続いていく。表現は美しいのにどこか物悲しくて、けれど勇ましい。
なんてかっこいい文章だろうといつも思う。
(水は流れる、雲は動いて止まない、風が吹けば木の葉が散る、魚ゆいて魚の如く、鳥とんで鳥に似たり、それでは、二本の足よ、歩けるだけ歩け、行けるところまで行け。
旅のあけくれ、かれに触れこれに触れて、うつりゆく心の影をありのまゝに写さう。
私の生涯の記録としてこの行乞記を作る。)
生きた記録をこんな風に残せたらどんなに素敵だろう。
学生時代、誰かが言った。
読み方を変えるだけで、言葉の印象が変わると意識したのはその時からだ。
永久不変を古語では「とことわ」と表現する。柔らかい言葉の響きが好きだ。
言葉というのはいろいろな型があって、その型を崩したり組み替えたりして新しい形を作ったりする。現代の言葉は圧縮表現が多いだろうか。大きな感情をあえて簡潔にすることで共感や相槌をひとつにまとめていたりする。
古語の持つやわらかな響き。
今時の言葉が持つ圧縮の面白さ。
言葉は身近で、当たり前で、深くて複雑で。
そんな言葉の魅力に、いつもとらわれてしまっている。
学生時代、誰かが言った。
読み方を変えるだけで、言葉の印象が変わると意識したのはその時からだ。
永久不変を古語では「とことわ」と表現する。柔らかい言葉の響きが好きだ。
言葉というのはいろいろな型があって、その型を崩したり組み替えたりして新しい形を作ったりする。現代の言葉は圧縮表現が多いだろうか。大きな感情をあえて簡潔にすることで共感や相槌をひとつにまとめていたりする。
古語の持つやわらかな響き。
今時の言葉が持つ圧縮の面白さ。
言葉は身近で、当たり前で、深くて複雑で。
そんな言葉の魅力に、いつもとらわれてしまっている。
熱意はなくていい。けれど、心の中の熱は絶やしたくない。
さりともと 思ふ心も虫の音も よはりはてぬる 秋の暮かな
藤原俊成が詠んだ熱の終わり。
枯れるなら、せめてこんな風に哀愁を美しく詠めるような心を持ちたい。
熱意はなくていい。けれど、心の中の熱は絶やしたくない。
さりともと 思ふ心も虫の音も よはりはてぬる 秋の暮かな
藤原俊成が詠んだ熱の終わり。
枯れるなら、せめてこんな風に哀愁を美しく詠めるような心を持ちたい。