🌳世🌿楽
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きよはらです
とうらぶ/ちょぎくに/20↑/ミュも好きです!
自分の身は自分で守れる方向けアカウント
そしてゴールデンほんかは、「自らを害するものを激しく拒絶する」という姿を見せた二振り目長谷部くんによって過去の本丸での処遇から脱却しているので、傷ついているのに受け入れるっていうのが気味が悪いというか、自分の文脈に引き寄せて考えると「諦めている」ように見えるから腹立たしいのかも。あるいは、「諦めてしまった」過去の自分にも腹を立てているのかも。よほどのことがない限りほんかっていう刀剣男士は諦めない刀なのかもしれないし。だとしたら、現状を受け入れて諦めて失望してしまった自分のことが腹立たしいと思っていてもおかしくはないのかな。
これは🌳世🍃楽の思考整理でございます✌
December 20, 2025 at 5:36 AM
まあゴールデンほんかはゴールデンほんかであれなので、多分彼は死蔵され錆びてしまったことすらある自分に対して嫌悪というかコンプレックスというか、浜木綿本丸に来るまでなまくらだったという認識というか、そういうのがあるので、そういう刀を受け入れて、信頼して、まっすぐに見る番長の存在に若干の居心地悪さと腹立たしさを感じているのかもしれないですね。その辺りはいつか掘り下げて追いかけていきたいと思っています。
なんか前にも「自分たちを傷つけるかもしれない存在を許すな」みたいなことを番長に対して考えている描写をしたような気がしますし。
December 18, 2025 at 11:48 AM
ってな具合で帰ってきたので、そりゃあもう「人類」に対する肯定と愛情がすごい。どんな愚かなことでも、それも「歴史」だ「物語」だと受け入れてしまえる。でも「正しいとされる歴史」を守るためなら斬り捨てることもできる。正史から逸れた相手を滅ぼした後に「がんばったな」と彼の物語を抱き締める。でも”個”への愛情は主さんにしか向けられてないから、必要以上に傷つくことはない。主さんや仲間への深い信頼と愛情で、その眼差しはいつも凪いでいる。
そういう刀なので、ゴールデンほんかは「💢💢💢💢」となっているわけなんですねえ~~~~~~だって番長はゴールデンほんかを無条件で受け入れてしまうから。
December 18, 2025 at 11:46 AM
曖昧で、都合のいいように移り変わり、時には増えていく。視野を広げれば、見えてくるものもあるけど、分からなくなるものもある。「確かなこと」なんて、思っているほど多くない。それでももし、どこかに確かなものがあるなら、じゃあ「今」だ、って思ったらしいんです。「今」を生きる人、「今」を生きる主。主と、主が作った本丸と、そこに住む仲間たちを、自分の芯にできたらいいなあって思って、帰ってきたそうな。
番長の言う「俺は俺だ」は、弱い自分も強い自分も、卑屈な自分も矜持の高い自分も、ダンスが好きな自分もおっかなびっくり歌を詠む自分も、ぜーんぶ切り離せない自分なんだよなあ、という気持ちも含まれてるらしい。
December 18, 2025 at 11:41 AM
歴史とは「人間の生きざま」であるという結論を顕現してから修行に出るまでの三年間で獲得したので、人々が語るもの、そうと認識するものが歴史の一部になっていくのではないかと思い、ならば実物の刀ではなく、人々が語る「山姥切」を知りに行こう!と思ったらしいんですね。再三言いますがこれは当時のわたしの解釈であり番長という一個体の答えです。
そしたら手紙にもある通り、曖昧な物語というものに直面して、ちょっと混乱して、でも彼は彼なりに、その曖昧さもまた人の愛おしいところであり、歴史のひとつのかたちなんだと納得することにしたらしいのです。
December 18, 2025 at 11:37 AM
番長と主さんの話を書いた時に修行のことも書いて、手紙を何回も読み直して、わたしなりに番長の修行を解釈したんですが(今後解釈が変わったら別の個体の修行の話として掘り下げようと思うんですが)、
彼は修行で「山姥切の物語」を探して回っていたようで、というのも村正の本丸似非学会の影響で、どうやら自分がほんかを誤認していそう、という仮説があったようなんです。それでも自分の「物語」として与えられた「山姥切」を知ることで、「本科ではない」自分と向き合おうとしたらしい。あとは、「歴史」とは何か、という問いに、彼なりに答えを見つけたからでもあったらしい。
December 18, 2025 at 11:35 AM