東京都現代美術館の常設であるウォールドローイングで興味を持ち、最近は鈴木ヒラクの本を読んだのもあって足を運びました。
やはりコンセプチュアルアートなだけあり、わざわざ「見に行く」こと自体の価値はあまりなく、自分で制作するほうが楽しそう。
とはいえ、巨大なウォールドローイングや作図法の規定を備えた図形ドローイングの展示は見ていてある種納得感を覚えたし、後半の資料展示も厚くてソル・ルウィットそのものへの理解の足がかりとしては興味深い展示でした。
制作過程の指示書や写真がかなり「作業」で結構面白かった。意味を持たない建築工事に近い。
東京都現代美術館の常設であるウォールドローイングで興味を持ち、最近は鈴木ヒラクの本を読んだのもあって足を運びました。
やはりコンセプチュアルアートなだけあり、わざわざ「見に行く」こと自体の価値はあまりなく、自分で制作するほうが楽しそう。
とはいえ、巨大なウォールドローイングや作図法の規定を備えた図形ドローイングの展示は見ていてある種納得感を覚えたし、後半の資料展示も厚くてソル・ルウィットそのものへの理解の足がかりとしては興味深い展示でした。
制作過程の指示書や写真がかなり「作業」で結構面白かった。意味を持たない建築工事に近い。
人工芝に本棚が並ぶ独自のスタイルで、入り口には環境・メディア・政治といったウェイトの重い本が並ぶ。今欲しい『リミナルスペース』『魚が存在しない理由』や既読の『絶滅できない動物たち』など、自分の趣味に合う本が多く並んでおり、見たことがないが欲しくなる本もたくさんあった。新書も多く、ゆとりあるスペースの割に蔵書数も多く、家の前に欲しい本屋でした。
人工芝に本棚が並ぶ独自のスタイルで、入り口には環境・メディア・政治といったウェイトの重い本が並ぶ。今欲しい『リミナルスペース』『魚が存在しない理由』や既読の『絶滅できない動物たち』など、自分の趣味に合う本が多く並んでおり、見たことがないが欲しくなる本もたくさんあった。新書も多く、ゆとりあるスペースの割に蔵書数も多く、家の前に欲しい本屋でした。
椅子に座ったとき、椅子になった気分になる。フランス語のchairが肉を意味することを思い出しながら、これから組み立てられる木片を間近で見た。人体模型みたいに解体された椅子は、その複雑さを無視して座っていた。
いくつも並ぶ椅子々々のなかでも、糸張りの背もたれを持つ椅子が気に入った。緊張が幾何学模様を構成する糸の内側を走りながら、その間を弛緩したスペースが埋めて、やっぱり骨と肉みたいだった。エド・ゲインは逆のことを思ってありえない椅子を誂えたのだろうか。
椅子に座ったとき、椅子になった気分になる。フランス語のchairが肉を意味することを思い出しながら、これから組み立てられる木片を間近で見た。人体模型みたいに解体された椅子は、その複雑さを無視して座っていた。
いくつも並ぶ椅子々々のなかでも、糸張りの背もたれを持つ椅子が気に入った。緊張が幾何学模様を構成する糸の内側を走りながら、その間を弛緩したスペースが埋めて、やっぱり骨と肉みたいだった。エド・ゲインは逆のことを思ってありえない椅子を誂えたのだろうか。
偶然立ち寄りましたが、学生街に位置しながらもクセのある蔵書でおもしろかった。洋書や旅行記を多く扱っており、なんとも異国情緒漂うレイアウトでした。
平積みされている本が作者別になっていたのもユーザーフレンドリーで心遣いを感じます。
購入
穂村弘『ぼくの短歌ノート』300円
偶然立ち寄りましたが、学生街に位置しながらもクセのある蔵書でおもしろかった。洋書や旅行記を多く扱っており、なんとも異国情緒漂うレイアウトでした。
平積みされている本が作者別になっていたのもユーザーフレンドリーで心遣いを感じます。
購入
穂村弘『ぼくの短歌ノート』300円
日本民藝館に初めていきました。
岡村吉右衛門の絵本『黄瀬戸物語』を見て、日本にもレオ・レオニのようなデザイン性の高い絵本を描く人がいたことに驚いた。
沖縄も北海道も同じ流線型を取り入れているのに、沖縄は小単位の繰り返し、北海道は大きいモチーフを採用しているのは土地面積に起因する民族性が理由?アイヌのほうが好みだったし、北欧趣味にせよ身体が北国を求めているのかもしれない。
日本民藝館に初めていきました。
岡村吉右衛門の絵本『黄瀬戸物語』を見て、日本にもレオ・レオニのようなデザイン性の高い絵本を描く人がいたことに驚いた。
沖縄も北海道も同じ流線型を取り入れているのに、沖縄は小単位の繰り返し、北海道は大きいモチーフを採用しているのは土地面積に起因する民族性が理由?アイヌのほうが好みだったし、北欧趣味にせよ身体が北国を求めているのかもしれない。
奥にいけばいくほど、人文、人文、人文......近代哲学や近現代詩歌(日本だけでなく韓国・中国も!)の蔵書が手厚く、新しいものではありましたが北園克衛の詩集が置いてあるのを久しぶりに見た。
奥にいけばいくほど、人文、人文、人文......近代哲学や近現代詩歌(日本だけでなく韓国・中国も!)の蔵書が手厚く、新しいものではありましたが北園克衛の詩集が置いてあるのを久しぶりに見た。
とにかく幅と厚みのある蔵書で、なんでもありそうな雰囲気を感じた。漫画も文芸も美術も手厚く、アメコミのある古本屋はいい古本屋だと思いました。
とにかく幅と厚みのある蔵書で、なんでもありそうな雰囲気を感じた。漫画も文芸も美術も手厚く、アメコミのある古本屋はいい古本屋だと思いました。
内装はオーソドックスな古本屋。店前に瀬木慎一がたくさんあって、気合を感じた。古書と古本が交じって配架されてるのもいいね。
内装はオーソドックスな古本屋。店前に瀬木慎一がたくさんあって、気合を感じた。古書と古本が交じって配架されてるのもいいね。
100円棚の品揃えも良く、建築・海外文学も厚い。詩集は趣味が合わなかった。
いい狭さだった。
『世界のアーティスト250人の部屋』2500円
『廃墟大全』500円
購入
100円棚の品揃えも良く、建築・海外文学も厚い。詩集は趣味が合わなかった。
いい狭さだった。
『世界のアーティスト250人の部屋』2500円
『廃墟大全』500円
購入
最初の卵のシーンからグロすぎてサイコー!って思ってたら最終的に血祭りとかやりはじめてなんなんだよって思いました。血ってグロ映画だと出過ぎてグロくないまである。髄液取りまくるのは痛そうだったね。
ルールを守らない人間にあまり感情移入できないので、「老い」を破り、「服薬指導」を破り、「デートの約束」を破った主人公が破滅に導かれても「なるほどね」って感じではありました。フランス料理の本渡されるシーンとか、フレッドとデートの約束をするシーンとか、助かる道は結構あったはずなのに...
最初の卵のシーンからグロすぎてサイコー!って思ってたら最終的に血祭りとかやりはじめてなんなんだよって思いました。血ってグロ映画だと出過ぎてグロくないまである。髄液取りまくるのは痛そうだったね。
ルールを守らない人間にあまり感情移入できないので、「老い」を破り、「服薬指導」を破り、「デートの約束」を破った主人公が破滅に導かれても「なるほどね」って感じではありました。フランス料理の本渡されるシーンとか、フレッドとデートの約束をするシーンとか、助かる道は結構あったはずなのに...
力の緩急がすごくて、抜きの美学みたいな心意気をとても感じました。物語が現実に即し、現実という重力に引かれて落下する物語の力学について考えてしまう。現実のための物語が現実を変えていく構成によって、物体が地球に引かれるのとは違う、物語の無視できない質量についての思慮を強制された。
呪術による入れ墨の表出をダーウィンがドローイングに模写しながら、極色彩で世界中での旅を明滅するシーンがめちゃくちゃよかった。モルヒネによる多幸感の暗喩なのだとしたら、僕は、、、
力の緩急がすごくて、抜きの美学みたいな心意気をとても感じました。物語が現実に即し、現実という重力に引かれて落下する物語の力学について考えてしまう。現実のための物語が現実を変えていく構成によって、物体が地球に引かれるのとは違う、物語の無視できない質量についての思慮を強制された。
呪術による入れ墨の表出をダーウィンがドローイングに模写しながら、極色彩で世界中での旅を明滅するシーンがめちゃくちゃよかった。モルヒネによる多幸感の暗喩なのだとしたら、僕は、、、
18歳から写実絵画に優れていながら、神智学から抽象絵画にのめり込んでいったらしい。モンドリアンも同源の薫陶からそのアートワークを成立させたことを思い出すとともに、抽象画の非論理性はやっぱり面白い。
見たことがない構成の作品が多くて、新鮮さを欠かさない展示であり、途中の10枚の大作の展示は静謐ながらダイナミックで、ロスコルームを思い出さざるを得なかった。
この展示会が混んでいるのはすごいことだと思います。
18歳から写実絵画に優れていながら、神智学から抽象絵画にのめり込んでいったらしい。モンドリアンも同源の薫陶からそのアートワークを成立させたことを思い出すとともに、抽象画の非論理性はやっぱり面白い。
見たことがない構成の作品が多くて、新鮮さを欠かさない展示であり、途中の10枚の大作の展示は静謐ながらダイナミックで、ロスコルームを思い出さざるを得なかった。
この展示会が混んでいるのはすごいことだと思います。
フラワーベースが反射する光がシルクみたいで、これを窓辺において朝を迎えたらどれだけ幸福でいられるかを想像してしまいました。
繊細な美しさを持つ一方で、豪快な建築的な造形も作品から感じ取られ、生活でもあった。
ウルティマ・ツーレ欲しいなあ。
フラワーベースが反射する光がシルクみたいで、これを窓辺において朝を迎えたらどれだけ幸福でいられるかを想像してしまいました。
繊細な美しさを持つ一方で、豪快な建築的な造形も作品から感じ取られ、生活でもあった。
ウルティマ・ツーレ欲しいなあ。
まず、邦題が『変な家』意識しすぎで変!奇妙な建築はでてくるけど、物語にそこまで効いてこないしムカつきました。
内容はそこそこ面白かったですが、ミステリとしては微妙。登場人物への感情移入の時間も、どんでん返しもなく粛々と物語が展開されたのはかえって良かったかもしれません。造形もゴア表現もそこそこ気合入ってましたが、ストーリーとは関係なくとっ散らかってる感じがしました。
ヒュー・グラントの演技は良かったです!
まず、邦題が『変な家』意識しすぎで変!奇妙な建築はでてくるけど、物語にそこまで効いてこないしムカつきました。
内容はそこそこ面白かったですが、ミステリとしては微妙。登場人物への感情移入の時間も、どんでん返しもなく粛々と物語が展開されたのはかえって良かったかもしれません。造形もゴア表現もそこそこ気合入ってましたが、ストーリーとは関係なくとっ散らかってる感じがしました。
ヒュー・グラントの演技は良かったです!
コーラを供給され続けている25mプールで、5年くらいかけて出来た床の析出物をペリって剥がして食べてるみたいだね
コーラを供給され続けている25mプールで、5年くらいかけて出来た床の析出物をペリって剥がして食べてるみたいだね
でもギリシャ語である必要があったのか?という疑問は残る。いうほどプラトンの思想が物語に食い込んでるのかわからなかったし。登場人物の境遇がかなり特殊で、あまり感情移入できなかったし、本読んでるなーって思いながら読んでた。(ボルヘスがモチーフなのもあって。)「我々の間に剣があったね」っていい言葉すぎる。
でもギリシャ語である必要があったのか?という疑問は残る。いうほどプラトンの思想が物語に食い込んでるのかわからなかったし。登場人物の境遇がかなり特殊で、あまり感情移入できなかったし、本読んでるなーって思いながら読んでた。(ボルヘスがモチーフなのもあって。)「我々の間に剣があったね」っていい言葉すぎる。
自分で決めた曲を自分が持つデバイスで聞くという自立的な音楽への原体験がうごメモとかで聞いたボカロにあるので、『ドーナツホール』が歌われたときに自分の音楽嗜好の根本に近いところが刺激されて目眩がした。新しいPVも出てまぁやるとは思ってたけど、手触りの懐かしさと本人の熱意が全身に伝わってきてボロボロ泣いてしまった。
MCが下手なのも良かった。「別れ」と「祝福」を大きなモチーフとして持っていることが伝わってきて、それもよかった......
自分で決めた曲を自分が持つデバイスで聞くという自立的な音楽への原体験がうごメモとかで聞いたボカロにあるので、『ドーナツホール』が歌われたときに自分の音楽嗜好の根本に近いところが刺激されて目眩がした。新しいPVも出てまぁやるとは思ってたけど、手触りの懐かしさと本人の熱意が全身に伝わってきてボロボロ泣いてしまった。
MCが下手なのも良かった。「別れ」と「祝福」を大きなモチーフとして持っていることが伝わってきて、それもよかった......
多くの作品で、かつての非均質的な社会に思いを馳せた。人って意外とみんな生きてる。日々滑らかにしようとしてくる社会に対して、人がどれだけうねり・しわを生み出せるのか、何もないよりは悲しみのほうがずっといいと思いました。その後の展示の稲の話でも均質化がテーマになっていた。稲の品種を田んぼでの美しさで決めるという農民に羨望を抱かずにはいられない。植民地支配、情報化、効率化と均質化の罠は各所に転がっているけど、そこに抗っていかなくてはいけない。質的に、全体は部分の総和以下なんだと思う。足し合わせることで失われるものがある。
多くの作品で、かつての非均質的な社会に思いを馳せた。人って意外とみんな生きてる。日々滑らかにしようとしてくる社会に対して、人がどれだけうねり・しわを生み出せるのか、何もないよりは悲しみのほうがずっといいと思いました。その後の展示の稲の話でも均質化がテーマになっていた。稲の品種を田んぼでの美しさで決めるという農民に羨望を抱かずにはいられない。植民地支配、情報化、効率化と均質化の罠は各所に転がっているけど、そこに抗っていかなくてはいけない。質的に、全体は部分の総和以下なんだと思う。足し合わせることで失われるものがある。
ジャケ買い!
ジャケ買い!
純粋な人間性を前にすると、論理が瓦解していくのを思い出しました。全員都合が悪いんだけど、その中に善性とか共有性があることが希望であることを思い出させてくれる映画だった。多面性と互いに外側にあることは、人間の欠点であり焦点だと思う。
清掃のおじさん、出てくるだけ出てきて特に何もせずに終わったのはよかった。けど、足りないものが補完されていく物語がすべらか過ぎて、惨めな自分が映って嫌になりもする。俺も早く気づかれたいだけだ。うれしい映画だった。
純粋な人間性を前にすると、論理が瓦解していくのを思い出しました。全員都合が悪いんだけど、その中に善性とか共有性があることが希望であることを思い出させてくれる映画だった。多面性と互いに外側にあることは、人間の欠点であり焦点だと思う。
清掃のおじさん、出てくるだけ出てきて特に何もせずに終わったのはよかった。けど、足りないものが補完されていく物語がすべらか過ぎて、惨めな自分が映って嫌になりもする。俺も早く気づかれたいだけだ。うれしい映画だった。
生活という、人類最大の文脈に気圧された。どれが故意の設置物で、どれが元からあったものなのかもわからなくて、それがかなりよかった。小学生の質感のカレンダーや手書きのビデオテープ、いつ使われていたかもわからない洗剤......質感として、行けはしなかったものの〈国際芸術祭2023〉に近い、現代ホラーっぽい手触りを感じた。覗ける場所がいっぱいあったのも能動性を誘発していて面白かったです!
しいていえば、芸術作品が家というコンセプトとズレているものもあり、負けている......と思いました。
バズりそうなので早めに来られてよかった。
生活という、人類最大の文脈に気圧された。どれが故意の設置物で、どれが元からあったものなのかもわからなくて、それがかなりよかった。小学生の質感のカレンダーや手書きのビデオテープ、いつ使われていたかもわからない洗剤......質感として、行けはしなかったものの〈国際芸術祭2023〉に近い、現代ホラーっぽい手触りを感じた。覗ける場所がいっぱいあったのも能動性を誘発していて面白かったです!
しいていえば、芸術作品が家というコンセプトとズレているものもあり、負けている......と思いました。
バズりそうなので早めに来られてよかった。
『ニビイロドロウレ』でもう一度脳が焼き爆ぜ、6年経った今も『どうにかなっちゃいそう』でまた脳がとろけている
『ニビイロドロウレ』でもう一度脳が焼き爆ぜ、6年経った今も『どうにかなっちゃいそう』でまた脳がとろけている
マジで、なんですか?
知らない言葉たくさんあるし、シンジ君もなんか勝手に暴走するし、庵野秀明がQとして唱えただけありますね。
でもこの置いてけぼり感は、シンジ君の視点を追体験するうえで重要だと思う!ゲンドウの思惑やNERV分裂など、根幹のストーリーもなんもわかんなかったけど、そこを補完しながら見進めていく感じはおもしろい!
大人の全部の責任がたらい回しで中学生に押し付けられてるの可哀想だなー
マジで、なんですか?
知らない言葉たくさんあるし、シンジ君もなんか勝手に暴走するし、庵野秀明がQとして唱えただけありますね。
でもこの置いてけぼり感は、シンジ君の視点を追体験するうえで重要だと思う!ゲンドウの思惑やNERV分裂など、根幹のストーリーもなんもわかんなかったけど、そこを補完しながら見進めていく感じはおもしろい!
大人の全部の責任がたらい回しで中学生に押し付けられてるの可哀想だなー
いろんなオタクに勧められて久しく、ようやく観た。悪趣味な映画すぎる!庵野は性格が終わっています。
ジュヴナイルな各中学生に重すぎる役割を強制的に押し付けて、システム化する、主観的倫理を大きく逸脱した行為が、「ロボットを動かして世界を救うぞ!」という客観的倫理によって功利主義的に肯定される無矛盾の不条理は、思春期特有の閉塞感をグロテスクに反映していると感じました。
いろんなオタクに勧められて久しく、ようやく観た。悪趣味な映画すぎる!庵野は性格が終わっています。
ジュヴナイルな各中学生に重すぎる役割を強制的に押し付けて、システム化する、主観的倫理を大きく逸脱した行為が、「ロボットを動かして世界を救うぞ!」という客観的倫理によって功利主義的に肯定される無矛盾の不条理は、思春期特有の閉塞感をグロテスクに反映していると感じました。
「今じゃ僕らには未知なんかどこにもなくて案外完全な町の中僕らは暮らしている」←いや本当に言えない
「今じゃ僕らには未知なんかどこにもなくて案外完全な町の中僕らは暮らしている」←いや本当に言えない