Chandra
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ちゃんどらと言います　イベ告知したり支部に何かあった場合ﾆｼﾞｿｰｻｸの引越し先をお知らせする用の垢　今はほぼ一次創作置き場
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100『みなみちゃんには』
みなみちゃんには言わないで(に会いたい) 『きょんちー、田中が今度一緒に肝試しに行こうって』 　届いたメッセージを確認して、あ！　いけない、もう時間！ 　とりあえずスタンプだけ押して急いで部屋を出た。 「あずまおじさんっ、わたしちゃんと時間守ったからね、テストも百点取ったからね、約束通り試写会連れてってよ！」 　あずまおじさんたら、玄関の段差に座ったまま靴紐を結ぶのも忘れて無心に何か読んでいる。「おじさんってば」「あぁ……」おじさんはやっとわたしの存在に気づいたみたいだ。その手元には、何かの記事のコピー？　チラッと見た感じだと、女子高生の死体遺棄事件、みたいな……。「まぁた調べ物？」「さぁ」「さぁって」「なぜこの記事が鞄に入っていたのかわからない。ここ数日記憶が曖昧なことと関係があるのかな」「こわっ。怪奇現象じゃないの」「……だったらいいな」おじさんは何か後悔を抱えてる人みたいな笑い方をする。 「今見たものは、みなみ姉さんに話してはいけないよ」 　そう言って静かに記事をしまった。「悪いが約束はまた今度。急用が入った」「ええーーッ」あんまりだよ！　文句を言ったところでおじさんは「はい、藤木です」誰かと電話しながら玄関を出て行ってしまう。…… 「お母さん、またおじさんに約束すっぽかされたんだけど！」 　わたしがキッチンに飛び込むと、ちょうど洗い物をしていたその人がゆっくりと振り返った。 「なら、お母さんとアイコウモールでも行く？　塾まで時間あるしね」 　──── 　塾講師をやってるお母さんは受験追い込み期の今、けっこう忙しい。お出かけする時間も滅多にない。わたしってば気が利く娘だから、お母さんとアイコウモールへ行ってあげた。そこまでは、良かったんだけど……。 　買い物のあと、お母さんがランチに選んだ店がよりにもよって例のファミレスでさ。あの変な店長がいるとこだよ。田中も、あんな話すんなよな〜……なんか行きづらい。ここはやめようって言おうにも、お母さんてば人の話聞かないからさっさと店に入ってしまう。あー、もう！ 　でも店に入ってみたらみたで、これっぽっちも変な感じはしないの。賑やかな、ただのファミレス。変な店長もいない。女の子が着てる制服、友だちは巫女さんみたいって言ってたけど、こうして見ると、そんなかなぁ……。 「懐かしいなー。お母さんの学生時代からあるんだよ、この店」 「けっこう通ってたの？」 「そこまでかな。友だちは、あまり来たくなさそうだったから」 「ふぅーん。友だち、今も会ってんの」LINEの返信をしながら何気なく質問した。 「どこか遠いところへ行くと聞いて、それきり会ってない。その子がどこへ行ったのか、誰も教えてくれないの。みんな知らないって言う。探しても探しても、そんな子いなかったみたいに何も見つからないんだ」 　思ってもみない返答だったからつい顔を上げる。でも、お母さんの顔に当然真相なんて書いてなくて。「わたしの知らない土地で、わたしの想像もつかない人生を歩むって言い張ってたから。本当にスペシャルな人生を歩んでるのかもしれないな。なにしろ特別な子だったしね」「……特別な子？」「うん、特別な子」 　お母さんは寂しそうに笑う。 「わたしにとって特別だった子。……会いたいな」 　と呟いた。 「花ちゃんに、会いたいよ」 　そのとき、お冷のコップの表面の水滴がつぅーっと垂れた。きらきら光ってるそれを、わたしはなぜか、涙みたいだと思った。
December 17, 2025 at 2:00 PM
099『荒垣花の章　最終章』
荒　垣　花　の　章　　　　最　終　章 　こわいものをみたいんでしょう。そう尋ねると、三島は不審そうな顔をした。 　ねえファミレスって儲かるの。ならあたしにちょうだいよ。あたしお金がほしいの。代わりに、あんたにはとっておきをあげるから…… 　いよいよあたしを追っ払おうと、腕を掴んできた三島がぎょっとする。おい、血。血。どうなってやがる。店の前で流血沙汰起こされちゃたまったもんじゃない、もう便所でもバックルームでもどこでもいいから、とにかく引っ込んでろ…… 　あたしはトイレの蓋に座り、足の間から止まらなくなってる血を眺めた。 　赤ちゃんの泣き声がする。 　水辺でよく見かけた、例のもや。そいつがレジ袋の中へ入り込み、コマーシャルの赤ん坊の声をそのまま写し取ったような、見かけ倒しな泣き声を延々と続けている。 　もやは、あたしが誰かの死を願った瞬間だけ応じるんだと思ってた。でも違った。そいつは扉の存在を教えてるだけ。そして扉は誰にでも開ける。どこにでも存在する。海にしかないってのは、あたしの思い込み。 　だって海だろうと地上だろうと、こんなにも息がままならない。 　ここもいずれ海になる。あたしは全ての扉を開ける。開けて、開けて、開けて、全員、この行き先のない深海でもがき続けてちょうだいよ。ママもパパも三島もあたしの金を奪ったあの女もあたしが何されてるか見て見ぬふりしてた同級生も教員も全員、窒息死してちょうだいよ。あたしを邪魔そうに見てたサラリーマンもなんだか幸せそうなその辺の親子も全員、惨たらしく死んでちょうだいよ。 　それで終わりだと思う？ 　終わんないよ。 　次があるの。 　死んだら、また次。もういっぺん生き返って死んでね。苦しんだら、また次。もっと苦しんで死んでね。どうしてこんな目に遭うのって泣き喚いたら、次。涙も枯れるほどの光景をプレゼントしてあげるからね。それを百遍、繰り返す。 　ねえ。あたしの話、たくさん伝えてね。 　たくさん伝えたら、おまえのせいだぞって気づくでしょう。 　たくさん話したら、次はおまえの番だぞって教えられるでしょう。 　ぁあ、でも…… 　あの女が言ってた、明日は受験だって。みなみちゃんもきっとそうだ。もしみなみちゃんがあたしの惨状を知ったら、受験を投げ出して飛んできてしまうだろう。あたしがどこにいるかわかんないそもそも待ってるかもわかんないのに夜中に探し回るような子だもん。絶対そうするはず。そんなのは駄目。みなみちゃんは大学に行って、あたしにはよくわかんない勉強をして……あたしとは違う、本当に特別な人になるの。 　だから、みなみちゃんには言わないで。 　あたしが人の不幸を願ってやまない人間になってしまってること、みなみちゃんには言わないで。あたしがママに赤ちゃんを渡して自分だけ逃げ延びようとした卑怯な人間だってこと、みなみちゃんには言わないで。あたしが誰にも想像できない人生を歩むって大口叩いてたのは自分の未来に何一つ希望を抱いてないのを隠してただけだってこと、みなみちゃんには言わないで。クラスメイトからの嫌がらせを気にしてないふりしてたけどほんとは辛くて辛くて、なんでそんなことされるのかわからなくて、自分は特別だからって必死に言い聞かせてたこと、みなみちゃんには言わないで。ママの男が身体を触ってくるだけで硬直して動けなくなる可哀想な子どもがあたしだってこと、みなみちゃんには言わないで。あたしにはみなみちゃんの期待する特別さなんて何一つない、全てを諦めて全てから逃げてただけの臆病な人間だってこと、どうかみなみちゃんには言わないで。 　あたしはたぶんこれから死ぬってこと、 　みなみちゃんには言わない、で。
December 16, 2025 at 1:35 PM
098『荒垣花の章⑱』
荒　垣　花　の　章　⑱ 　何が、起きたか……わからなかった。身体中が……痛い。それでもなんとか起き上がると、辺り一面、見られた景色じゃなかった。 　張り裂けそうな激痛があたしを襲う。反射的に叫び声を上げ、何事か悟った。 　産まれる！ 　あたしは目の前の人、人、人を押しどけ、建物の影へ転がり込んだ。室外機の裏で蹲る。叫んで、叫んで、途中でフッと気を失いそうになって、また痛みで叫んで。 　交通事故で大騒ぎの中、あたしはついに、そいつを見た。 　血と白い脂みたいなもので汚れてた。皮膚は真っ赤で皺くちゃ、小猿みたい。急に眠くなる。そんで本当に寝かけたとき、こいつの泣き声を聞いてないことを思い出してさ。 　ぶにゃぶにゃっとした胸を軽く押してみる。身悶え一つしない。ぺこっ、ぺこっ。とても骨が入ってるとは思えないほど簡単に凹む。 　瞼を摘んでみた。 　なまぬるい白目が覗く。 　よくわからなくなった。ええとあたし、これからなにをするんだっけ？　そうだ、みなみちゃんに会う支度をするんだ。それで、ええと…… 　コンビニ前で拾ったレジ袋に赤子を入れ、学校へ向かった。 　ゴミ捨て場の地面。ママに見つかったら取り上げられるかもしんないから、例の瓶をこっそり埋めといたんだ。あたしは丁寧に土を掻き出した。……あれ。 　見つからない。 「あれぇ？　荒垣花じゃん。もしかして探し物はこれ？」ピンクの数珠みたいなブレスレットを見せびらかすそいつの名前は、いったい何だったか。「合格祈願のお守り。友だちみんなでオソロにしたよ。明日、絶対合格して同じ大学に入るんだ」 　なに、言ってるの…… 「だーかーらっ。そこに埋めてたお金探してんでしょ？　もうないよ。オソロのブレスレット買ったでしょ、新幹線で北野天満宮までお参りに行ったでしょ、それに、ねッ！？」「ふざけるな！　ふざけるな！　返せ！　返せ！　返せッ！！」突き飛ばされる。自分でも驚くほど呆気なく転がる。「触んじゃねぇよッ……！　っはー、万が一怪我したらどうしてくれんの？　今日まで頑張って図書室に篭ってたのに怪我で明日受けらんないとか、有り得ねー」言いながら、そいつはマフラーを巻き直して去ってった。…… 　公衆電話から四回電話をかけてようやく、ママに通じた。『ごめんねぇ花、アイコウモールまで来てくれる？　ママ、ちょっと用あってそこにいてね、今降りるから……』ママは熱っぽい声で告げると、あたしの言葉を聞かず電話を切った。…… 　エスカレーターを昇ってくと、ちょうど降りてきてたママはち合わせる。「花、すごい格好だね」ママは目を丸くした。「ママ、赤ちゃん、ぜんぜんあったかくならない……」ママはあたしがもう産んじゃったって気づいたみたい。あたしの差し出したレジ袋の中を確認すると、「大丈夫だよ、花」あたしを抱きしめた。 「また次があるからね」 　……次？ 　ママはそれ以上何も言わない。ただ微笑んでる。あたしは……あたしは、全部わかっちゃった。全部わかっちゃったから、「きゃははっ、きゃはははははは！！」大笑いした。そっか、次、次があるんだ。次があるんだね、ずーっと、次しかないんだ！！ 　トンッ、と胸を押したらママは不思議そうな顔のまま落ちてった。ゴロンゴロンゴロンッ、面白いくらいエスカレーターを転がり落ち……永久に転がり続ける。 　一向に底に辿り着かないママを不思議な気持ちで眺めてたあたしは、そこで気づいた。そうか、どこにでも扉はあったんだ。扉はこんなにもどこにでもあって、こんなにも簡単に開けた。人はそこに足を踏み入れたが最後、辿り着くことのない底へ落ちてゆく。ゴロンゴロン、永久に転がり続ける…… 　簡単なことだったんだ。ぁあこんなに簡単だったんだ、地獄の扉の開き方。
December 15, 2025 at 1:35 PM
097『荒垣花の章⑰』
荒　垣　花　の　章　⑰ 『もしもぉし、みなみちゃん。あたしあたし、花ちゃんだよぉ。このあいだの話だけど、やっぱ、辞めとくわぁ……。面倒をみてくれるって親戚がいてね。しばらく身を寄せるつもり。心配しないで、すっごい金持ちだから！　もしかするとあたし、エルメスを肩に引っ掛けてベビーカー押してるかもしんないよ。きゃははは……。あ、みなみちゃんと居るのがヤになったわけじゃないよ？　でも一緒にやってくったって、あたしにもみなみちゃんにも想像できない苦労が待ってるのは確実じゃん？　だったら、あったかい布団も栄養たっぷりのスープもある場所でとりあえずやり過ごすのも手かなって。そんで全てが終わったら、あたしはもしかすると、ひょっとすると、場合によっては…… 　サプラァイズ！ 　エルメスを肩に引っ掛けて、みなみちゃんの前に再び現れるかもしんないねぇ。 　だからね、みなみちゃん。しっかりやるんだよ。今は自分のことと自分のおうちのことに集中して。もしあたしがみなみちゃんの前に再登場したとき、しょーもない人間になってたら幻滅だから。絶交だから。ていうかあたしって特別だし？　みなみちゃんがどんなふうにやってるか、遠くからでも見透かせるよ。みなみちゃんがしょーもない生き方してたら、再登場しない。だから、もう一度言うよ。しっかり生きるんだよ？ 　以上！　荒垣花からの餞別でした。そんじゃ、Bye！』 　あたし、がんばった。いろんなことを。あらゆる苦痛を。不幸中の幸いってやつ？　少なくとも三島は家に出入りしなくなった。ママが合鍵を取り上げたんだと思う。あたしのため？　まさか！　ただのヤキモチだよ。 　妹は姿の変わってくあたしに畏れを成したのか、近寄ってこない。正解。あたし、今、手負いの熊だから。気が立って仕方ないんだ。学校にも病院にも行かずインターフォンの音を無視し続け、あたしの日々といったら岩みたいに寝こけることと菓子パンや惣菜を貪るだけなのに、げっそりしてくあたしとは反対にお腹はどんどん膨れてくんだもの。 　そこうこうして、十ヶ月。 　布団から起き上がる。お腹がのっしり、猪みたい。あたしは最後に触れたのがいつかも覚えてない玄関扉のドアノブを捻った。光の柱。久しぶりに浴びた外気は眩しすぎて、一瞬、パパを拐ったあの光が現れたのかと疑っちゃったくらいだ。 　あたしはアパートの階段をゆっくりと下った。 　産まれる。 　朝目覚めた瞬間、そう直感したの。 　ママはここ一ヶ月家にいない。まずママのとこに行かなきゃ。そして産まれた子を渡したら、あたしは即ドロン。みなみちゃんに会いに行く。 　公衆電話でママに電話すると、待ち合わせ場所として街中の交差点を指定された。ママの男の一人が住んでるマンションに近い。きっと今はそこで過ごしてんだ。 　ところがママときたら一向にやってこない。 　もうお昼過ぎてるよ。二時間待ってるよ。あたし、ふらふらだよ。それにスーツだったり制服だったり、ちゃんとした格好の人たちの中にいると恥ずかしくなる。あたしの着てるものといったら毛玉だらけで襟はよれよれ、染みもあるスウェットだもん。 　さらに一時間。 　もう待ってられない。ママに電話かけよう。あ、その前に、みなみちゃんと会う準備を済ませようかな。そしたら全部終わったあと、すぐに会いに行ける。そうと決まったら、あたしのお金を回収しなきゃ……。 　青の歩行者信号が脂汗で滲んで見えた。肩がぶつける。サラリーマン風の男が邪魔そうにあたしを一瞥して進んでった。あたしはよたよた歩き始める。はぁはぁ。息切れ。長い間外を歩いてないから、自分の身体がこんなことになってるなんて気づかなかった。 　その瞬間叫び声が上がった。 　鋭いスリップ音に合わせ、老若男女の叫び声が蛇行する。迫り来るヘッドライトをあたしは呆然と見つめていた。
December 14, 2025 at 2:49 PM
096『荒垣花の章⑯』
荒　垣　花　の　章　⑯ 　最初はゆっくり歩き、だんだん小走り、気づけばダッシュ。あたしの頭にあるのは、これから、これから、これからのこと。そこにあるのはあたしとみなみちゃんだけ。あたしの体内のブツその他不安の数々は影も形もない。別世界のような未来。 　家に着くと、寝てる妹を起こさないよう、でも急いで居間に飛び込んだ。まずは着替え。洗面用具はどうするか。それよりも鞄、リュックはどこ。何より、あたしのお金。 「花。こんな時間に、どこへ行くの？」 　ジ、ジジー、ジ。台所の切れかけの電球はそんな音を立ててた。 　もう二ヶ月は声を聞いてなかったママが、こちらを覗いている。「学校のセンセから連絡があったの。花を病院に連れてったけど、逃げられちゃいましたって。花、何があったかママに教えてくれる？」 「……ママに、迷惑はかけない」「迷惑？」ママは首を傾げたあと、何かひらめいたような顔をした。「もしかして怒られると思ってる？　そんなことないよぉ。いい？　花に起こったことはとてもハッピーなこと。ママもそうやってママになったんだもん。ママが今気になってるのは、花の相手だよ」「……学校の、友だち。今からちょうど、話しに行くところだったの。ママが会いたいなら連れてくるよ」あたしは着替えも洗面用具も持たず、例の瓶だけリュックに入れてママの隣をすり抜けようとする。 　ジ、ジジー、ジ。 　視界のまんなかが点滅した。ズキ……ズキ、痛みっぽいものが後頭部から広がる。 「嘘吐き」ママは馬乗りになったまま、あたしの胸倉を持ち上げ、ドン、と床に打ちつける。「ママにはお見通し。花はほんとうにどうしようもない嘘吐きだね。ママを裏切った挙句、ママを捨てて、出て行こうとするなんて」「ママ、」頬に平手打ちが走る。「許さない」平手、平手、「許さない、許さない、許さない」「ママ、やめっ……」「花はママの子どもなんだからママのものでしょ。ママを一番にしなきゃダメでしょ。なんでそんなふうになっちゃったの。なんで。なんで！」「やめてママ！！」…… 　ひりつく頬を涙が伝う。ママの涙だ。「子どもは親を幸せにするためにあるのに。花はママを不幸にするんだね」「ちが、」「どうしてもママを捨てたいなら」ママがあたしを覗き込む。白目の部分が薄ピンクに濁ってる。「代わりを置いてって」 「花はママの子。だから花の子もママのもの。花がママを幸せにできないなら、代わりに花よりもずっと可愛い、ママのための子を置いてって」………… 「ねえ花、子どもは親と一緒にいるべきだって偉い人が決めてるんだよ。だから花がどこかに逃げたところで、ママはすぐに花を見つけられるからね」 　ママはあたしの中にあるものを本当に自分のものだと信じてるのかもしれない。元々ママのだったのにあたしが盗んだって。じゃなきゃあり得ない澄んだ目をしてるもの。 「花。選んでよ」 　……みなみちゃん。あたし、ずっと怖かったの。『花ちゃんがいればそれでいいかなって』みなみちゃんが澄んだ目でそう言ったとき、いつかみなみちゃんもママみたいになるんじゃないかって、怖かった。 　誰かを愛するのは馬鹿なことだ。ろくでなしの男に惚れ込んだご先祖さまに始まり、あたしに優しくってでも大人としてすべきことは何一つ果たさなかったパパ、あたしから全てを取り上げるママ、期待してたものがあたしから返ってこないとわかるなり目の色を変えて虐げてきたクラスメイト。みんなを見ればわかる。愛されることは憎まれることで愛することは憎むこと。愛は不幸の源だ。 　みなみちゃんは違った。 　あたしが無視しても虐めなかった。あたしから何も取り上げなかった。あたしの現実をどうにかしようとしてくれた。 　だからね…… 「わかったよ」 　あたしみなみちゃんと居るためなら、なぁんでもするねぇ。
December 13, 2025 at 4:27 PM
095『荒垣花の章⑮』
荒　垣　花　の　章　⑮ 　トントントンツーツーツー、トントントン。公衆電話のダイヤルを回すと、『……もしもし』低い声が聞こえる。あたしはひどくおそろしくなり、公衆電話を飛び出した。暗いトンネルの中を走る。ぜんぜん出口が見えない。汗、汗が止まらない。 　そんでやっと、トンネルじゃなくて、井戸底のような夜道を走ってたんだと気づいた。 　真夜中の公園。目を瞑る。ブランコに足を乗せてからだを宙へ放り出す。このまま、ほんとにどっかへ行っちゃえばいい…… 「花ちゃん？」 「…………なぁんでいるの」 　懐中電灯が眩しい。あんたってやつは。藤木みなみ、あんたってやつは、ほんとに、もう、どうして……。 「うちに電話があった。すぐに切れたらしいけど、あずまが『姉さんの友だちじゃないの』って。やっぱり花ちゃんだったの？」 「……だとして、なんでここがわかったわけ」 「あ、全然わかってないよ」 　みなみちゃんは手をひらひら振った。 「花ちゃんの行きそうな場所をしらみ潰しに回ってみただけ。花ちゃんからの電話って確証はなくても、一応ね」 「……ばか。ばかばかばかっ、みなみちゃんのばーーーーか！」 　あたしはブランコから飛び降りた。 「みなみちゃん、あたし、ママになるの」 「えっ」 　じゃりっ、てみなみちゃんのスニーカーの靴底が鳴った。 「……ごめん、よくわからないや。ママになるってどういうこと？」「赤ちゃんができたってことだよぅ」「え、あ、ほんと？　へー！　そっか、そうなんだ……というか花ちゃん恋人いたの、知らなか、った……」その顔がだんだんと強張ってく。「……花ちゃん、答えたくないなら答えなくていいんだけど、」「ママになるからうちに帰れなくなっちゃった」──── 　あはは、みなみちゃん、戸惑ってる、戸惑ってる。 　ママがあたしの体内にいるものを知ったらどうなるか。きっと荒垣花は子持ちししゃもみたいにこんがり焼き上げられてしまうことでしょう。って、こんな話みなみちゃんにしたって意味ないのに、ね。 「じゃ、わたしと居よう」 　………… 「わたし、バイト先の倉庫で寝泊まりしたことあるんだ。ここに住んでもバレないんじゃ？　ってふと思って、二日間試してみた。チビたちの世話があるから、さすがにそれ以上は延長できなかったけどね。案の定バレなかったよ！　備えつけのシャワーがあって、段ボールがたくさんあるから案外あったかいんだ。夏場は、日陰で涼しいしね。もちろん、花ちゃんをそんな場所に長居させるつもりはないけど。 　家を買うお金が貯まるまではさ」 　あたしがあんまり沈黙してるからかな。みなみちゃんはちょっと早口に言う。 「だって家に帰れないんでしょ？　じゃ、花ちゃんが帰れる家を作ろうよ。……それとも」その声が急に小さくなった。「花ちゃんはやっぱり、わたしの知らないどこか遠い土地で、わたしの想像のつかない人生を歩む方がいい……？」 　あたしは今、どんな気持ちでいたらいいんだろう。自分に起きてることも、これから起きることも、なんにもわからない。涙を流す気力すらない。全部消えちゃえばいいのにとだけ思う。みなみちゃんもみなみちゃんだ。みなみちゃんは勉強だけできてほんとばかだね、そんな、絵空事ばかり吐いて…… 　なのに、どうしてあたしはいつも、この子の手を握っちゃうの。
December 12, 2025 at 1:45 PM
094『荒垣花の章⑭』
荒　垣　花　の　章　⑭ 「ほら、今日の分だ」ごついオヤジの手から給料袋をひったくり、家に帰る。ひっついてくる妹を引き剥がし、貯金箱代わりの瓶に給料袋の中身を全部入れる。瓶を抱えてみた。思ったより重い。にやけちゃう。 　机に突っ伏して寝こけてたら教師に揺り起こされた。ぅう、からだがだるくって仕方ない。あたし、働きすぎ？　でもあの重たい瓶のことを思うとつい張り切っちゃう。最近はご飯も減らしてた。食べるくらいなら今はお金を貯めたいし、動き回ってるせいか、逆に食欲なくてさ……。 　一枚、二枚、三枚、 　一枚、二枚、三枚、 　古びた紙幣の感触は羽根のよう。あたしの羽根。あたしと、みなみちゃんの羽根。ひらりふわり、その羽根でどこかへ飛んでいく夢を見る。ここじゃない、どこか遠い場所。あたしはそこに死んじゃったパパを見つける。パパは人魚みたいなきれいな生き物に囲まれ、名前もわからない甘い飲み物をうっとり楽しんでる。なんだ、パパは死んだんじゃなく、このきもちよい場所にずっといたのか。パパだけじゃない、他にもたくさん人がいた。あの眼鏡をかけたオジサンはもしや、みなみちゃんパパじゃない？　見たことない形の貝殻を虫眼鏡で覗き、ふむふむ頷いてるよ。みなみちゃんに、あんたのパパもここにいたよって伝えたげたい。あっちの女の人は、ママが話してたご先祖さまかな。隣にいるおじいちゃんおばあちゃんはきっとその両親。みんな、このあったかい水の中にいたのね……。 　そんなふうにうとうと夢見ることが増えたから？　あたしは集会中、ばったーんと倒れてしまったそうなの。 　目が覚めても、保健の先生の言ってることが上手く聞こえなかった。病院に？　連れて行く？　……なんで？　病院の先生に診てもらったら診てもらったで、今度は婦人科に？　行ってもらう？　……なんで？ 　いろんなところを調べられたあたしは、丸椅子に座って女の先生に手を握られたとき、やっと頭がはっきりしたんだ。えっと、あたしなぜここにいる？「大丈夫」先生はあたしの手を握りながら何度も繰り返す。「大丈夫。私は荒垣さんがどんな選択をしても、サポートします」なんで大丈夫って何度も言うの？　そんなの、大丈夫じゃないことがあたしのからだに起きてるみたいだ。「親御さんに連絡しよう。まずは先生からお伝えします。荒垣さんは落ち着いてからで大丈夫。少し休んで」 　ええ、ええ。そうですよね。 　荒垣花は特別な子。 　特別な子が、ほんとうの友だちができて、その子とお泊まりができるようにゆくゆくはおうちを持つんだなんて。 　そんなつまらない、下らない、値打ちのない、価値のない、見せられたものじゃない、 　ふたつとない未来を得られるだなんて。 　そんなわけ、ないですよね。 　先生はさらにあたしを覗いて言う。「荒垣さん、これだけ確認させてね。関係を持ったのはどなたかな……」 　夢を見る。 　古びたインクと汗の香りがする羽根をまとい、あたしはどこかを飛んでいる。すると死んだはずのパパや藤木家の血を感じる男の人、ご先祖さまらしき女の人を見つける。そこは辛いことが何もない、楽しい世界だ。あたしはふぅーんと眺めて、何気なく後ろを向く。小さなアパート。窓の一つに、うわっ、三島だ。まぁた図々しくあたしんちに上がり込んでたあの男が、制服姿のガラクタ人形を蹴ったり、まさぐったり、舐めたりしてる。人形相手にそんなことしてなにが楽しいんだか。あんな人形に、あんなゴミに。 　けれどどうしたことでしょう、その人形ときたら、あたしの顔でぼぅっと天井を見つめているのです。
December 10, 2025 at 3:19 AM
093『荒垣花の章⑬』
荒　垣　花　の　章　⑬ 　って言うけど、みなみちゃんの気持ちだけで決まる問題じゃないッてことはわかってるつもり。気持ちだけで決まらない問題を気持ちだけで決めちゃえるには、何が必要？ 　カネ。カネ、カネ、かね、金……。 　というわけで、この荒垣花、人生初のアルバイトに挑戦してみたのです。なんてこと。あたしが労働にてんで向いてないことなんてわかりきってるのに。てか、というわけで挑戦してみましたってなに？　あたしがアルバイトすることがみなみちゃんにどう関係するわけ？　荒垣花、あんた、みなみちゃんのママにでもなる気？　ねぇ……。 「花ちゃんバイトはじめたの！　なんて偶然、この藤木みなみになんでも聞いてよ」 「ああああああ」忘れてた。バイト戦士な藤木みなみは、高校生がバイトするような場所どこにでも出現する。交通整理のバイトでまんまとみなみちゃんとはち合わせたあたしは、内心頭を抱えながら誘導棒を振った。 「ね、ね。楽しいね？」「は？　……何が」「一緒にバイトするの」恥ずかしい奴。と吐き捨てかけて、考え直した。みなみちゃんは今まで、大人に混じって働いてきた。同い年と一緒のバイト先になるのもきっとそうない。たぶん、本当に楽しいんだ。「花ちゃんも楽しいでしょ」「……全ッ然楽しくない。暑いしホコリっぽいし」「またまた」「なにその顔」「『それってとってもスイートな響き』だっけ？　わたしといるのもスイートでしょ？」「……みなみちゃんってほんとすぐ調子に乗るよねぇ！？　まじでうざい！！」みなみちゃんときたら鼻歌なんて歌っちゃって、あたしの返事をまるで聞いてない。 「ねえ花ちゃん」 「もう黙って」 「わたし、受験することになったよ」 　あたしはみなみちゃんを見た。そして……鼻で笑った。「ふん。みなみちゃんのナマケモノの弟と疲労困憊のみなみちゃんママがいったいどこまでやれるか、見ものだね。……みなみちゃん、ダイガクの先生になるの？」「先生？」「ダイガクで勉強するってぇ、先生になることじゃないの？」「……ふふふ。それは、まだわからないな。花ちゃんはわたしがそうなったら嬉し？」「だからぁ、あたしのことはどーでもいいのっ。あたしはどっか遠い場所で、」「わたしにも誰にも想像のつかない人生を歩むんだよね」……わかってんじゃん。 「それは、嬉しくて、寂しいなぁ」 　みなみちゃんは誘導棒をゆっくりと振った。自動車があたしの前を横切ってく。 「もう心に決めたんだ？」「……さぁっ？　何もかも決めた通りにするなんてあたしには似合わない。そうするかもしんないし、しないかもしんない」「しない道もあるの？　……もしそうしない道を選んだなら、わたし、花ちゃんと一緒にいろんなことをしたいな」「……いろんなことって」「公園や商店街や学校だけじゃない、たくさんの場所でご飯食べたり、喋ったり、遊んだりするの。お泊まりもしてみたい。いつもならお別れしなきゃいけない時間になっても花ちゃんがいるって、想像するだけでわくわくする。楽しすぎて、いっそ一緒に住みたくなっちゃうだろうな」……なに言ってんの。って突っ込めなかったのは、あたしまで"いろんなこと"に思いを馳せちゃったから。それはあの日視界を過ぎてった風船の群れと同じ、涙が出そうな鮮やかさだった。 　バイトが終わって家に帰ると、妹があたしの帰りが遅かったことに文句を言いながら抱きついてきた。あたしは妹の髪の毛を弄りながら尋ねる。「あんた、この家を出てあたしと一緒に暮らすってなったら、嬉し？」妹はなんにもわかってない顔で首を傾げる。「なんで家でるの」「……おとなの事情ってやつだよ。あたしの、と、もだち……に、あんたよりちっちゃいかもしんない弟や妹を抱えた子がいる。あたしが広ーい家であんたと一緒にその子たちの面倒見たら、ちょっとは助かるかもしんないでしょ？」「おねーちゃんはそれが、うれしいの？」「……」妹はじっとあたしを見上げた。それからまたぎゅっとしてくる。「じゃ、アタシもそうするっ」……ふぅーん。 　ふぅーーーーーーん。
December 9, 2025 at 3:09 AM
092『荒垣花の章⑫』
荒　垣　花　の　章　⑫ 「民俗学？　をダイガクで勉強したかったって本当ぉ？」いつもの公園。双子の弟が進学しない就職すると言い出して新聞社のアルバイトに打ち込んでることを、超難解な数学でも解いてるみたいに話してたみなみちゃんは、ぷつっと黙っちゃった。 「……花ちゃんもわかってるんじゃない？　うち、そんな余裕ない」 「みなみちゃんのこと手伝う人がいたら、どうだったぁ？」 「そういう人がいないから問題なんだよね。ははっ」 「双子の弟は」 「……花ちゃん、あずまに会った？」目を逸らしたらみなみちゃんは足元の小石を蹴った。「あずま、言うよ。姉さんは言い訳してばかりだって。藤木なら学費免除も通るって担任も言ってるだろって。わたし、あずまが理解できない。この間まで何もかも他人事だった奴が急に家のことは任せろって言っても、信用できないに決まってる。それに……それに。わたしが家族を何より優先するのは、あずまたちにとって嬉しいことじゃないの？　花ちゃんも違うの？　わたしがそんなことより花ちゃんと一緒にいたいって、嬉しいことじゃないの？」…… 「んーっとね、嬉しくないなんてことないよ。それってとってもスイートな響き。でも、えーっと、前も言ったけどあたしって特別でしょっ？　そのうちここじゃないどこかで、みなみちゃんにも誰にも想像がつかない人生を歩むよ。だから、みなみちゃんがあたしがいたらそれでいいって思っても、そのあたしはいつかいないわけで……もしみなみちゃんが、あたしがいるから逆にこう、民俗学？　の先生になったら、あたしの姿がなくなっても、みなみちゃんの人生にはあたしが居続けることにならないかなぁ……？」 「……わたし、民俗学について学ぶって夢……正直、心の底から望んだことないんだ」 　ぇえーーーーーッ。すごいちゃぶ台返しなんだけど！？ 「ははっ、そう言うと父さん喜ぶからさ。でも、新しいことを知ったり教えてもらったり、考えたりするのは好き。そういう人たちの集まる場所で色々見聞きしたいって気持ちも本当だった。けど、そんなの許されるかな？　わたしがただそうしたいって理由でそうする、それって有り？　父さんが死んでるのに？」 　……ぁあ、そっか。 「あずまが前向きに何かできるようになったのは良いこと。良いことなのに、わたし、思っちゃった。あずま、もう父さんが死んだこと悲しんでないのかなーって……絶対有り得ないのにね。それで気づいた。わたしはあずまが現実から目を背けてるのを呆れてたはずなのに、本当は、あずまにそうあるよう願ってたんじゃないかって。父さんが死んだ家で、あずまが今まで通り元気なお喋りでいていいはずがないって」 　…… 「みなみちゃんは、新しいことをベンキョーするのが、嫌いになったわけじゃないんだね？」 「うん……」 「いろんな人と一緒にそれをしてみたい、そういう場所に行きたいって気持ちは、あるんだね？」 「……うん」 「でもそれを許せない」 「うん」 「じゃ、あたしがそうして欲しいって言ったら、許せる？」みなみちゃんはひどく悩んだ。眉をしきりに動かして。それから小さく、でもはっきりと「うん」と頷いた。 「じゃ、そうして」 「…………うん」 「ねー喉乾いた。ジンジャーエール飲も」 　ポケットをまさぐりながら自販機に向かうと、みなみちゃんもゆっくりとあたしのあとをついてきた。
December 7, 2025 at 2:57 PM
091『荒垣花の章⑪』
荒　垣　花　の　章　⑪ 「みなみちゃん今日忙しいってすぐ帰ったけどぉ。あんたは放課後、図書室で現実逃避ってわけぇ？」本を捲る藤木あずまはチラッとこっちを見た。時期も時期、参考書かなと思ったら、地方の伝承的な？　受験に関係なさげな本だったんだもん。「おまえ誰」……逆に想像通り。こいつ、自分の得にならない人間関係すぐ忘れそうだしぃ。 「……誰だっていいでしょ。そんなことよりおうちに帰んなくていいのぉ？　受験ベンキョーもしないのに」「姉さんの知り合いなら俺の身の上も聞いてるんじゃないか？　家は騒がしくて、おちおち本も読めない」「じゃあ出てけば」「は？」やば、口が勝手に動く。 「うんざりしてんなら出てけばいいんじゃないのぉ。そしたらどっちもこれ以上しんどくならないよ？」「……おまえ、ほんと何」お、貧乏ゆすりしてる。「みなみちゃんは疲れてるから双子の弟の正体にも気づけないんだ。あたしには丸分かり」藤木あずまは無言で帰り支度をはじめた。「あんた、自分がみなみちゃんにしんどい思いさせてるって気づいてるでしょ。なのにぐうたら亭主みたいに居座り続けるのはなぜかって？　それはね、あんたの正体が、悲しみでいっぱいの子どもでもひとりぼっちの子どもでもなんでもなくて、面倒事はぜーッんぶ周りに押しつけて自分は悲劇の主人公ぶりたいだけの、甘ったれのナマケモノだからだよ！　きゃはっ……」そのとき、脛の骨がドンッと震えた。じぃー……んと、痛みが脛から広がる。 　椅子を蹴り倒した藤木あずまは、その椅子があたしの脛にぶつかったのを目にして、視線を彷徨わせた。「みなみちゃんの前でもそんなことするの」「……しないよ」声、ちっちゃ。 「逃げてるのは、みなみ姉さんの方だ」噛んだ唇は白い。 「みなみ姉さんは周囲の雑音に頭を突っ込むことで、自分の胸の穴から目を逸らしてる。大学で民俗学を勉強するという夢も家計の負担になるからとあっさり捨てた。本当に家計を案じた？　まさか。みなみ姉さんは在野研究者だった父さんのことを思い出してしまうのが嫌でその道を捨てたんだ。俺はそんなことしない。俺は自分の胸にある穴と最後まで向き合い、父さんがいないということ、そこにどうしようもない虚しさが横たわってる事実を、見据え続ける」「……だから、ここじゃないどこかを、あんたのパパがいるかもしれないどこかを見つめることも諦めない？」 「そうだ」と倒した椅子を起こしながら藤木あずまは断言した。「父さんに会うためなら何でもする」…… 「そこまで言うなら、幽霊に会える方法を教えてあげようか」 　その瞳があたしを捉える。「知ってるの？」「そりゃね」「教えて」雨垂れみたいな吐息はあたしの顔にまで吹きかかってきそうだ。「教えろ！」…… 「悪魔に魂を売ることになっても？」 「構わない」 「なら、あんたは毎日ご飯をばくばく食べてすやすや寝てさっぱり次の朝を迎えなよ。納得いかない不幸や悲しいことは何一つ経験しなかったみたいにね。そんであんたのことをなんでも受け入れるわけじゃない理解してくれるわけでもない集団の中で過ごして、人並みに嫌な思いして人並みに良い思いしなよ」 「……なんだよそれ」 「それがこの世とあの世で共通するルールなの。いなくなった人を会いたい会いたいって必死に追いかけてるうちはぜったいに見えないんだよ。だからあんたがパパに会いたいならあたしの言う通りにしなきゃいけない。あたしの言う生き方があんたの生き方そのものになったとき、あんたはその辺の道端でひょっこりパパを見つけられる。……なに、できない？　悪魔に魂も売れるのに、この程度のことが！」 　あぁ、唸ってる、唸ってる。「……おまえの言う通りにする。それでもし父さんに会えなかったらおまえを殺す」昼寝からやっと醒めた坊さんみたいに図書室を出てく藤木あずまを見送り、あたしは鼻で笑う。 　……なぁんであたし、藤木あずまにここまでキレちゃったんだろ。
December 6, 2025 at 11:38 AM
090『荒垣花の賞⑩』
荒　垣　花　の　章　⑩ 　藤木みなみ。そう呼びかけたら、なんでフルネームで呼ぶの、みなみちゃんと呼んでよ、と言われた。荒垣花。そう呼ばれたから、なんでフルネームで呼ぶの、花ちゃんと呼んでよ、と言うと、みなみちゃんは目玉はきょろりとさせ、花ちゃん、と呼んだ。 　特別なことなんてしてない。家も学校もあまり好きじゃないあたしが、みなみちゃんのバイトが終わるまで待って、一緒に帰っただけ。 　こんな会話もしたっけ。『あっ。弟が図工で使う絵の具、買い忘れてた』『どっか、寄るぅ？』『この近くだと、アイコウモールかな』えっ。アイコウモールって、三島の……『アイコウモールは、やめといた方がいいかもぉ』『なんで？』『えっ……し、知らないの？　アイコウモールって呪われてんだよ！　血まみれの女子高生とか出るの！』 　みなみちゃんはじっとあたしを見つめた。うっ、背中が汗で冷たい。 『……わたし、怖いの無理！』 　え、ウソっ。信じた？ 　あたしはつい、覚えてる限りの怖い話をみなみちゃんに披露してしまった。怖がるみなみちゃんがあんまり珍しくて、楽しくて…… 　みなみちゃんがあたしの話を全部、信じるから……。 　気づけば一年が終わり、 　二年、 　そして三年目の春。 「ね〜え、お願ぁい……」 「教えるだけならね」 　みなみちゃんが次のバイトまで時間があると言うから、あたしは商店街の休憩所で、課題の手伝いを頼んでた。担任が、この課題を出さなきゃ卒業させないッてさ……。 「みなみちゃんって意外と教えるの上手なんだよねぇ。先生にでもなったら？」 「教師は面倒そう。なったとして塾講師かな。花ちゃんは、卒業後どうするの？」 「……秘密。みなみちゃんにも誰にも想像できない人生を歩むとだけ言っとくよぉ、ここじゃないどこかでね。みなみちゃんこそ、どうすんのぉ？」 「バイト先がパート社員として雇ってくれるって。とりあえず正社員目指すよ」 　ふぅーん。みなみちゃんって頭いいし、進学すんだろなって思ってたけど。って、おうちのコト考えたら、それは無理か……。 「みなみちゃんも、みなみちゃん弟も、社会人てやつね……」 　みなみちゃんが首を傾げる。「あずまは進学だよ」「え？　……なんで？」 「あずまは『姉さんたちの決めたことならそれでいい』って。あたしはあずまがいいならそれでいいと思ってる。で、母さんは『男の子だから大学には行かせなきゃ』」 　…………。 「みなみちゃんさぁ、最近日和ってない？　前はもっとこう、思うとこあったはずでしょ！　周りに！」うぅ、上手く言えない……。 「うーん。花ちゃんがいたらそれだけで楽しいし。それ以外のことはもういっかなって」 「…………な、はぁ〜〜っ！？　そんなんじゃこの先やってけないよ！　さっきも言ったでしょ、あたしはそのうちみなみちゃんも知らない場所に行くの！　みなみちゃんはあたし抜きに未来を考えなきゃいけないの！」 「えー」 「帰るっ」 　あたしは鞄を掴んで休憩所を飛び出した。あ、課題……。いや、そんなことより。 　むかついて…… 　嬉しくて…… 　哀しい。 　みなみちゃんがあたしを理由にお馴染みの不条理を受け入れる。これって良いことなの……？
December 5, 2025 at 3:38 AM
089『荒垣花の章⑨』
荒　垣　花　の　章　⑨ 　結局、掃除の時間どころか午後の授業自体サボった。「さっき、藤木あずまって奴に会ったよ」人気のない校舎裏。古びた自販機がチカチカ点滅してる。 「あずまに？」藤木みなみは瞬きして、「それ、わたしの双子の弟。変なことされなかった？」「……だいぶ変だったよぉ」どデカいため息。こいつが呆れ側なの、珍し……。 「幽霊を見る方法とか、そんな話でしょ。二年前に死んだ父さんのこと、あずまはまだ追いかけてるから」 　校舎の窓から、どっと笑い声。 「…………でも、幽霊なんて馬鹿馬鹿しいって言ってたよぉ、あんたの弟」 「だろうね。あずまは幽霊の存在をねがうほど父さんを慕ってたけど……もし本当に幽霊が存在しちゃったら。父さんが一向に化けて出ないのは、わたしたちに未練がなかったんだってことになっちゃうから」 「……意味わかんない！」 「ははは、だよね。わたしとあずま、昔はけっこういい相棒だったんだけど、今はよくわかんなくてさ」藤木みなみの蹴った小石が小さく跳ねる。「父さんが死んでから、考えなきゃいけないことが増えた。家であずまにその話をしようとすると、あずまの目がどんどん遠くなるのがわかる。わたしじゃなくて、わたしの背後、ここじゃないどこかを見てる……そんな感じ。あずまはどう思うって聞いても、生返事しかない。すぐにオカルト本を開いて、聞こえないふりをする」 　……。 「双子ってまじで通じ合ってるよ。わたしが体調悪いときはあずまも体調崩すし。あずまが近所の神社の掃除番になって妙に運が良かった時期は、なぜかわたしまで運が良くなってたし。きっと神様には双子の区別がつかないんだろうって笑ったな……だから、今。あずまが辛いのもわかる。母さんは働き詰めだし、弟や妹はまだ小さい。わたしがどうにかしなきゃ。それが嫌になったこと、一度もない。でもね……弟や妹が全然言うことを聞いてくれないとき、あずまが何も聞こえないみたいに本と睨めっこしてるとき、母さんがわたしの進路希望調査票を見ないふりして布団に倒れ込んでるとき…… 　わたし、ひとりだなーって、思う」 　ぁあ、そっか……。 「荒垣花。あなたの小学生時代の噂を聞いて、わたし、嬉しかったんだ。あなたには本当に特別な力があるって言う子もいるし、ただの大嘘吐きだって言う子もいる。わたしにはどちらでも良かった。もし本当に特別な子だったら、わたしやあずまの問題を解決してくれるかもしれない。特別な力なんてなかったとしても……その、なんというか。 　わたしと友だちになってくれるかもしれない、なんて……」 　これが、藤木みなみの正体。 　授業は寝てばっか、ホームルームが終わったらとっとと帰る藤木みなみ。付き合いは悪い、でも変な話してクラスメイトからはまぁまぁウケてるらしい藤木みなみ。藤木みなみがあたしに話すのはどっかのクラスの担任がレプタリアンだとか出鱈目ばかり。ほんとふざけた奴。だから、あたしに対してもふざけて付き纏ってるんだと思ってた。 　電車であたしを発見してしまった藤木みなみの、傷ついたような顔が忘れられない。 　授業は寝てばっか、家のことで夜遅いから。ホームルーム後はすぐ帰る、バイトやきょうだいの世話があるから。生活という名の戦いに日々明け暮れてる藤木みなみは、クラスメイトとの共通の思い出も薄い。それでも周りと仲良くいるために、他人の興味を一瞬で引ける出鱈目ばかり話す。自分がほんとうはひとりぼっちな子だって悟られないよう、めいっぱいふざけることで、自分を脚色してる…… 「……あたし、今、五百円なら持ってるんだよねぇ」 　だめ、だめだってば荒垣花…… 　同じ過ちは二度と繰り返さないって、誓ったはずでしょ……？ 「なんか、飲むぅ……？」拝啓くそったれな神様、過ちの味はどうしてこうも優しいの。
December 3, 2025 at 1:31 PM
088『荒垣花の章⑧』
荒　垣　花　の　章　⑧ 　昼休み。図書室で図書委員の仕事してたら、とつぜん声が降ってきた。 「人を呪ってるって本当なの」 　血色の悪い、なんとなく人を馬鹿にしたような喋り方の男子。机に本が置かれてる。借りてた本の返却に来たみたい。 　無視して返却の手続きを進めようとすると、また声をかけられる。「人を呪ってるって本当なの」「オバケも、いるの」「どうやったらオバケを見られる？」あたしは椅子に座ったままそいつを見上げた。変だったんだもん。淡々としてるのに、まるで縋ってるみたいっていうか……。 「……オバケ、見たいの？」 　いつの間にか問いかけてた。 「オバケなんていないよ。馬鹿馬鹿しい」鼻で笑われた。「オバケは、いちゃだめだ。仮に、オバケがいたなら……そんなの許せない」やっぱり馬鹿にしてんのかと思ったのに、この声色……。調子、狂う。 「早くしてくれる」 　急にそっけなく言われて、机にほっといてるままの本のことだって気づいた。返却の手続き、っと……「学年とクラスと名前」「一年三組藤木あずま」…… 　またそいつを見上げてしまった。たまたま苗字が一緒なだけ？　でも、どことなく面影がある……「それ、詐欺だよね」「え？」「その本のアオリ。『恐怖と絶望の中に見つけた、一筋の光の物語』。これ、大嘘だよね」自分の世界に一方的に他人を巻き込んでいくこの感じ。やっぱり奴に似てる。奴とよく似た、全然知らない相手。どんな態度を取ったらいいかわかんなくなったあたしは、この藪から棒な話題になぜか真面目に付き合ってしまった。 「……確か、ホラー小説だよねぇ？　図書委員の子たちが絶賛してたよぉ。泣けるって。序盤は恐怖の象徴だった怪物が、最期の最期でたった一人の人間のために死の連鎖を終わらせる……一人への愛を貫くためだけに、自分が滅びることを選ぶ」 「こんなバッドエンド見たことがない」 「……バッドエンド？」 　よくわかんない。あたしは成り行きで図書委員になっただけで、本とか読まないしぃ……。主人公が助かったんならハッピーエンドじゃないのぉ？ 「なんでみんな物語に怪物の存在を求めると思う」 「……知らないよ」 「全てを問答無用で終わらせてくれるからだよ。現実って理不尽と不条理にまみれてるだろ。唇を噛み締めて何かに耐えたことは一度や二度じゃない。みんな心の底ではその不条理を握り潰してくれる存在を求めてる。鼻につく金持ちも高圧的な両親も無辜の人々を顧みない権力者も暴力的な同級生も問答無用で握り潰す、そんな怪物を求めてる。他力本願なままずるずる生きようとする卑怯な己さえも握り潰す、そんな怪物をね」 　──。 「誰もが怪物になれるわけじゃない。スポーツ選手になるのも学者になるのも一定の素養を求められるように、怪物にだって素質は必要だ。その、せっかくの素質を持って産まれた存在を。万人にとって平等な不幸になれるはずだったものを、最後の最後で蹴落とす。どうしても捨てきれない何かのためにままならない明日を選び続けるしかない、俺たちと同じ道を歩ませる。こんなの、バッド以外の何物でもないだろ」 　言うなり、藤木あずまはふらふら行ってしまった。……藤木みなみと似てる、でも藤木みなみより不安を掻き立てられる背中。 　……昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴った。掃除の時間だ。サボったら、また呼び出される……図書室を出たあたしは、思いがけず足を止めた。 「……やっほー、荒垣花」 　──藤木みなみ。
December 2, 2025 at 3:49 AM
087『荒垣花の章⑦』
荒　垣　花　の　章　⑦ 　あたしは電車に揺られながら、藤木みなみのことを考えた。なぜってこの憂鬱は藤木みなみのせいだもの。奴の情報はいやでも耳に入ってきてたよ。部活や委員会には無所属。休憩時間は内職してばかり、ホームルームを終えたらすぐ姿をくらます。そもそも学校をサボってることもたびたび。高校生がバイトできる場所には、だいたい藤木みなみの痕跡がある。授業中は寝こけてる時間の方が長いくせ、学業成績は眩い。付き合いは悪い、でも話が独特で面白いってまぁまぁ気に入られてる。 　藤木みなみが何者か理解するにつれ、あたしの気持ちは硬く冷えてった。いるよねぇ、こういう奴。どんなグループでもそこそこ居場所を築けて、それに慣れてるから、あたしみたいに露骨に顔を背ける相手へ興味を向ける。その相手と距離を縮めることを善いことだと無邪気に信じ込んでる。信じ込める、人生を歩んできた。 　赤やオレンジ、黄色にブルー……あの日の光景が頭に蘇る。色彩の嵐が過ぎ去ったあと、むくりと起き上がった藤木みなみは、雨上がりのチューリップみたいな目であたしを見た。『もしや二組の荒垣花じゃない？』『な、なに、あんた……』『藤木みなみ。一年五組の、藤木みなみだよ。ところでさ、一年二組の荒垣花……』藤木みなみは擦りむいた膝の砂つぶを払いながら言った…… 『どうか、わたしの洒落にならない親友になってよ』 　……どうか？　洒落にならない？　親友になって？　──ひとっつも理解できない！ 　そもそもなんで風船の山を片手にキックボードを走らせてたかもわかんないし(バイト関係だろうけど)、とつぜん目の前ですっ転んだかと思うと『親友になって』？　……『ごめんバイトあるからまた今度』藤木みなみはあたしを混乱させるだけさせて、颯爽と去ってった。以来、奴はあたしに付き纏ってる。最初はその目的がわからなかったあたしも、クラスメイトの話が勝手に耳に入ってくるうち理解した。 　あぁ、動物園のパンダみたいな。 　別に、あたしは有名人じゃない。ところがどうしたって特別なので、幼い頃はこの特別さゆえに普通じゃない言動を取ってしまったのもしばしば。それは他のクラスまで広がってるらしい。で、藤木みなみのような人種は、そういう変わり種に関心を持ちやすいんだ。よくある話。よくある、話…… 　なのに、どうしてこんなに心がささくれ立って仕方ないの？ 　いつもみたいに流せばいいのに。アホ女のする嫌がらせみたいに。どうして藤木みなみに限って、それができないの？　……きっと奴がしつこいせいだ。奴が現れる限り、あたしはいやでも奴のことを考える羽目になる。奴が無邪気な顔を見せれば見せるほど、あたしはあたしの手に入れられなかったものを痛感する……。 「やだ！　やだ！　やだぁああ！！」 　急に金切り声が聞こえて、びくっとした。見ると、小学校一年生か二年生くらい？　ランドセルを背負った子どもが二人、喧嘩してる。席の取り合いかな。「こら、騒がないの……」その姉らしい、買い物袋を両肩に掛けた女子高生っぽい子が、疲れ切った様子で宥めてた。……って、あれ。 　……藤木みなみ？ 　藤木みなみは重たそうに肩の買い物袋を掛け直し、席を譲ってくれた人へ小さな声で「すみません」と頭を下げた。立ちっぱだった子を座らせる。自分は立ったまま、電車が揺れるたびに軽くよろめいてた。 　不意に、視線が交わった。 　本当にあの藤木みなみか疑うほど眠たげだった目が、大きく見開かれる。そしてぱっと顔を逸らした。藤木みなみがあたしから顔を逸らした。あの、藤木みなみが。 　十分間ほど。あたしたちは顔も知らない他人同士みたいに、同じ車両で揺られてた。 　藤木みなみは次の駅で素早く降りた。喧嘩してた小学生は子鴨みたいにそのあとをついていく。あたしは……あたしはどうしたらいいか、わからなかった。自分が降りる予定だった駅も、降り過ごしちゃった。
November 30, 2025 at 1:06 PM
086『荒垣花の章⑥』
荒　垣　花　の　章　⑥ 　パパって言っても、あたしのパパじゃあないの。あたしの本当のパパは船乗りで、ママのお腹があたしという存在によって膨らんでた最中、海に出たきり帰ってこなかった。ここで言うパパは妹のパパの方。血が繋がってないあたしのこともけっこう可愛がってくれた。なんなら妹より。たぶん、パパがあたしと同じ"特別"だったからだろう。 　仲間と怪談してた最中に見かけた奇妙な存在、なんの謂れもないのに肝試しスポットになったとたん心霊写真の名所化した廃墟……自分に流れる特別な血とやらに胡座をかくママと違って、パパの話には血が通ってた。パパは特別な家系に産まれたわけじゃない、ごく普通の親から誕生した視える人、つまり、変異体。変異体なパパはあたしの辛さも理解できるのかな、あたしにひどく優しかった。あたしはそんなパパのことが大好きだった、のに……どうしてだろう。たまらなく憎んでもいた。 　パパは、ねぇ……あたしにとてつもなく優しくて、あたしの話を全部聞いてくれて、一度だってあたしに怒ったことがない、けど…… 　たぶん、大人失格な人だった。 　パパが仕事に行く姿を、あたしは見たことがない。今日は仕事だって出かけても、だいたい予定の時間より早く帰ってくるし、本来あるはずの日給袋が手元にない。あたしたちにあげるためのお菓子だけ携えてる。しかも、ええと、あたしはパパに連れられて知らない女とうどん屋に行ったことさえあった。うどんをちゅるちゅる吸うスモーキーピンクの口紅は、ママほど綺麗じゃない、けど、あたしに玩具を買ってくれた。 　大事なことはなんにもわからない、ただ触り心地がやわらかいだけの無邪気な役立たず。それがパパ。パパのことでママはよく泣いてたよぉ。あたしのほっぺたに磯っぽい涙をたらたら垂らしながら、ぐずってさ。ママを慰める役はいつもあたし。なのに、どうしてだろうねぇ……ママはあたしが寄り添えば寄り添うほど、恨めしそうにあたしを見るの……『花もママなんかいなくなっちゃえばいいって思ってるんでしょ』『ママみたいなうるさい女なんか消えちゃえばいいって！』だから、かなぁ…… 　あたしはあたしの一番の味方であるはずのパパに対して、一度だけ思っちゃったの。パパなんてしんじゃえばいいのにー、って。 　あの日のことは死ぬまで忘れないだろう。ママの癇癪があんまり激しかったから、パパはほとぼりが冷めるまであたしを海に連れ出した。パパと手を繋いで海岸沿いを歩いたあたしは、するといつもと違うことに気づいた。『パパ、あれ……』パパがあたしの指す方を向き、あたしと同じだけ不思議そうな顔をする。水辺を漂う例のもやが一箇所に集まってる。集まって、一筋の光の柱になって天に伸びる…… 『あ』 　それがパパの最期の言葉。 　あたしは泣きながら一人の帰り道を歩いた。そして悟った。海辺をさまようもやたちは、あたしがいくら祈っても叫んでも恨んでも、現実を変えてくれない。パパを真っ当な大人に育てたり、ママに不確かなものにこだわるのはやめるよう諭してはくれない。 　なのに、あたしが誰かの死を願ったときだけ忠実に叶えてくれる。 　元々パパはとつぜんいなくなったって不思議じゃない人だった。パパがいなくなった直後は大荒れしたママも、だから、年が経つごとにそれを受け入れた。ママが受け入れるにつれ、あたしんちに出入りする男は増えた。三島もその一人。ママはとりわけ三島を気に入ってる。そのうち本当の家族になる気かも。でも、あたしは決してそれを受け入れない。パパの身に起きたような出来事は繰り返したくないから。あたしは他人に心を開いちゃだめなの。だってあたしにはママの血が流れてる。ママ曰く特別な、でもママの思う特別さなんてこれっぽっちもないくそったれな血だよ。『花なんかしんじゃえばいい』『ママの味方じゃない、花なんか！』あたしっていうきっとママのことを一番わかってあげてる相手にさえ、いや相手だからこそ、そう揺さぶってきたママの血が。 　あたしは決して誰かを愛さない。 　妹も、中学生だったとき初めて声をかけてくれた子も……誰だろうと。
November 29, 2025 at 1:52 PM
085『荒垣花の章⑤』
荒　垣　花　の　章　⑤ 　どさり、机に何かが置かれる。見ると……あたしの体操服？ 「返したからね、返したんだから、呪わないでよね！」 　言うなり逃げてったクラスメイトの名前は覚えてない。アホ女の下僕なのは確か。 「呪われるってほんとかなぁ？　今まで何もなかったじゃん」 「あの子がキーホルダー失くした時期、振り返ってみると体操服隠した時期だったんだよ。水ぶっかけた日の夜も、おじいちゃんが死んだって電話があったって……」 「えーっ。ガチで呪いじゃん！」 「しっ！　聞こえるよ……」 　…………。 　教室を出て、あたしは例のゴミ置き場に行った。 「あんたでしょ」 「んー？」 　そこでは藤木みなみが素知らぬ顔で編み物してた。 「あたしに意地悪をしてた連中がキーホルダー失くしたり、たまたま蓋が空いてた側溝に片足突っ込んだり、たまたますれ違った自転車に泥引っかけられたり。で、みんな口を揃えてこう言う。『荒垣花に呪われてる』ぅ！」 「呪ってるの？」 「まさか。あたし、目撃してんの。あんたがダサいキーホルダー片手にぶらぶらしてたとこ、あんたが側溝の蓋勝手に外してたとこ、自転車で猛スピード出してたとこっ」 　編み物の手がやっと止まる。 「わたしのこと、よく見てんね」 「あたしが見てんじゃなくて、あんたがあたしにつきまとってんの！　……はぁ。ほんと、何がしたいわけぇ……？」 「……最初に言ったじゃん、荒垣花。わたしはね──」 　とそのとき、背後から足音が。「やっぱりここにいた」アホ女だ。いつもの笑ってるのか怒ってんのかわかんない表情じゃない、今日は、明確に、怒ってる。 「ふざけたうわさ！　自分が注目の的になって嬉し？　特別な存在だって認められて、満足？」何の話……。「どんな手使ったか知んないけど、こっくりさんに細工したのもあんたでしょ？　あんたってほんとそういうとこある。自分が普通だって、そんなに認めたくないっ？」胸倉を掴まれた。「自分が、調子に乗ってひとの神経逆撫でることやっといて、仕返しされたらびびってされるがまま、そんなダサくてふッつーの人間だって認めなよ。認めて、ごめんって、ふッつーに泣きついてこいよ！」 　アホ女は平手打ちまでしてきて、「やめなよ」藤木みなみが割って入る。「なに、おまえの友達？　周りの人間みーんな見下してるくせに、やっぱ独りは嫌なんだ？」もうやだやだ、アホ女も、藤木みなみも。勝手にやってよ。勝手にやって、あたしを巻き込まないでぇ……「知ってるよ、おまえが|ヘン《・・》になった理由」だからさぁ……「小学生のときパパが死んだんだって？」──。 「その話はしちゃだめだよぉ」 「あ？」 「その話はしちゃ、だめだよぅ。だって、そんな話されたら、あたし、あたし…… 　あんたに、しんじゃえばいいのに、って思っちゃうよー……」 　ふと、アホ女の顔が奇妙に止まって見えた。フクロウみたいな。首を傾げた状態で、顔のパーツがどろっと一瞬溶け落ちて。「あっ」その瞬間突風が吹き、あたしの目元に何かが被さる。藤木みなみの編んでた、たぶん、マフラー。引っぺがすと、アホ女の溶けかけの顔は目を離した隙に戻ってた。怪訝そうにあたしを見てる。あたしはその場から離れた。アホ女がなんか言ってたけど、振り向かない。立ち止まらない。 　あぁ、もう……。あんな過ちは二度と起こさないって誓ったのに。 　あんな死に方した、パパみたいな過ちは。
November 28, 2025 at 1:12 PM
084『荒垣花の章④』
荒　垣　花　の　章　④ 　足を引っ掛けられるとか、明らかに聞こえる声量で悪口を言われるとか、水をぶっかけられるとか。そんなのはしょっちゅう。机はカッターでズタズタだし、体操服は前に隠されてから戻ってきてない。椅子に接着剤を塗りたくられたのは、この間が初めてだけど。 「おまえさぁ、なんで学校くんの？　おまえの居場所なんかねーッてまだわかんねーの？」 　まるっとした目に女子の中でも高い声。言いながら小首を傾げた拍子に、ボブヘアがさらっと揺れた。こいつの親が教師だって聞いたときはまぁまぁ驚いたっけ。子どもを教育する立場の親が、まさか自分の子どもを一番教育できてないなんて、ねぇ……。「なんとか言えって」でも身なりだけは綺麗にしてるみたいだし、親が公務員ってのは納得。あたしは蹴り倒された姿勢のまま、よく晴れてる空を見上げた。昨日雨じゃなくて良かったぁ。地面が濡れてたら、服もどろどろになってたろうな。 　ゴミ捨て場は校舎の影にあって清掃の時間以外ほぼ人が寄りつかない。校内で一人になりたいときはよくここに来てたんだけど、それが連中にもバレたわけ。「ま、おまえみたいなゴミ女には相応しい場所かもねー」くすくす笑い声。あたしは不思議に思った。この子たちはそのゴミ女と関わることにどうしてここまで情熱を傾けられるんだろう。どうして、そんなに他人に興味を抱けるんだろう？ 　特にいっつもリーダーぶってる女。此奴とは中学校から一緒で、初めて会ったとき、肌白いね髪綺麗だねとのぼせ上がったような顔で捲し立ててきたのを覚えてる。あたしがそれを無視すると、無視されてるってことに気づかなかったのか何度も話しかけてきて……と思ったら急に真相に到達したみたいに目を丸くして、顔が茹蛸になったの。 　以来、こいつはあたしに粘着してる──と、突然。視界が灰色に覆われた。「ゴミ女に相応しい格好になったんじゃなーい？」くすくす。そこにあったゴミ袋の中身を頭からぶっかけられたんだと気づく。清掃の時間に塵取りで集めた、ホコリの味がした。咳き込むと、笑い声がもっと大きくなる。 　立ち上がってその場を離れようとしたら、足を引っかけられた。「なに勝手に動いてんの」倒れそうになったのを寸前で踏みとどまる。「なに、その目。歯向かおうっての？」笑ってるんだか怒ってるんだかわかんない表情……。「あまり」「あ？」「あまり、あたしを怒らせないで。でないと」「でないと、なに。でないとどうなるの。言ってみろよ！」黙り込んでると、また威嚇みたいな笑い声が上がる。「呪ってやるー、とか？　確かにあんたそういう力ありそう、暗ーい顔してるもん！」「……」 「先生、こっち、こっち！」 　やたら響く声だった。見ると、女子生徒一人と、生活指導をやってる某厄介教師がこっちに近づいてきてる。「うわっ」「やばっ逃げろ！」とたん、あたしを囲ってた連中は蜘蛛の子を散らしたように去っていった。「迷い犬なんかどこにいる。藤木、おまえ嘘ついたんじゃないだろうな」「ついてないですってば。……あ」その無垢ぶった目玉があたしを捉えた。ほんの束の間、互いを見つめあう。 　むくっ。 　と起き上がるとあたしは、ホコリまみれなあたしに怪訝そうにしてる教師の方はさておき、藤木みなみの正面向かってまっすぐ歩き、それから、 　ごちんッ。 「ったァーッい！」 　藤木みなみが額を押さえる。目の前で生徒が生徒に頭突きを喰らわせるところを目撃した教師はというと、「……何しとる！」と目を丸くしたけども、あたしが動く方が早かった。「あんたみたいなのがいちばんむかつくんだよぉ！」と藤木みなみに吐き捨てて走り出す。後ろから教師の怒鳴り声と藤木みなみが呻いてるのが聞こえたけど、振り向かない。立ち止まらない。 　手でも貸したつもり？　善人ぶって、調子乗ってんじゃねぇよ。
November 27, 2025 at 11:06 AM
083『荒垣花の章③』
荒　垣　花　の　章　③ 　三島はママのもう何人目かわかんない男。何人目かはわかんないけど、過去一最悪であることは断言できた。「子どもは甘やかしちゃいけないんだ」びりびりびりびり。「甘やかすと、自分に価値があるって思い込んじゃうだろ？　するとせっかく優しくしてやっても、俺が優しいんじゃなくて自分に価値があるおかげだと勘違いしちまう」びりびり、びりっ。敷きっぱなしの布団に横たわる人形、そのお腹に詰まってた新聞紙かそれとも着てるシャツか何かをびりびり破きながら、三島はよくわかんない持論を語った。あたしは冷めた目でそれを見下ろす。クイックルワイパーとかサランラップの芯とか、いろんなガラクタが散らかって足の踏み場もない床。湿気た布団。愛すべき我が家でありながら、嫌悪しかない景色。 　三島がガラクタ人形で遊んでる間、あたしはぼんやり過ごしてる。「おねーちゃん」襖の向こうからだ。「なに」「そっちいっていい？　ここ、一人、やだー……」「だめ。かけ算全部覚えるまで出ちゃだめって言ったでしょ」「むりだよぉ」「無理じゃない。ほら、もう一回最初から」いんいちがいち、いんにがに……妹のかけ算する声が聞こえはじめ、あたしは目を瞑る。鬱陶しい妹。でも、こういうときは助かった。 　三島は三年前にママが連れてきた。『ママみたいな女の人を探してたんだって。ママみたいな、特別な女の人をね』ママは嬉しそうに語ったっけ。その頃は、三島もまだ普通の男に見えた。ママみたいなのになぜか惚れてる、普通の、変な人、って認識だった。その認識が変わったのは、ママが行きたいって言う海にみんなで行ったときだ。例のクラゲみたいなのがふわ〜っと前を横切ったので、あたしは何の気無しに避けた。彼奴らけっこう数が多いから、何度かそれを繰り返す。あるとき、ふと、三島の目がこっちを向いてることに気づいたんだ。 『なに見てんの』 『よけてるよね』 『……は？』 『何か見えてるみたいに、よけてるよね』 　……ママでさえ、長年気づかずにいることを。 　それからあたしはこの男がクソ野郎だと知った。『何かおまじないとか知らないの。人に地獄を見せるおまじないとかさ……』知るかよ。『とんでもないことが起きるのかな。その、もしきみの身に、何かあったら』だから知らないって…… 「くいちがく、くにじゅうはち、くさんに、にじゅうしち、くごしじゅうご、く、くろ、くる…… 　く、るしみ！」 　襖を開けると妹が泣きっ面をぱっと明るくする。「ながいよ！　もう九の段、言えたからねー」ママに似てすっかり嘘吐きに育っちゃって。叱ったところで癇癪を起こすだけだろうから、「ふーん」と済ませる。「ねえジュースは。九九言った、ジュースは！」言う通りにしたんだからご褒美を寄越せってことだろう。「無いよ」あっさり伝えると、妹はまんまるな目でぽかんとしたあと、火がついたように泣き出した。「ジュース！　ジュース！　ジュース！！」床に転がってたペットボトルや筆箱を投げてくる。から、あたしがその身体を蹴り倒したら、ぎゃっと芋虫みたいに丸まって啜り泣いてた。 　…… 「ごめんなさい、おねーちゃん、ごめんなさい、ねえ怒ってない？　もう怒ってない……？」その辺で見つけたクリームパンを齧ってたら、後ろから妹が遠慮がちにしがみついてきた。 　最初から怒ってないけど。 「なーに騒いでるんだ。腹減ったのか？　ファミレスでも行くか？」 　三島が襖を開けて言う。妹はしゃくり上げながらも小さく頷いた。 　はい、これが日常。荒垣花とその下僕たちの、頭が痛くなるほどつまんない灰色の日常なのです。
November 26, 2025 at 3:14 AM
082『荒垣花の章②』
荒　垣　花　の　章　② 「てか喉乾いたねー。何飲む？　ジンジャーエール？」 「なんで居んのぉ……」 　学校をサボって公園のベンチに座ってたら、藤木みなみとかいう例の同級生が当然のように隣に座ってきた。つい声に出しちゃったけど、いけないいけない、無視、無視。こういう奴ってリアクションすればするほど付き纏ってくるからね。 「わたし今五百円あるから、奢ったげる。自販機のだったらなんでもいーよ」 「……」 　無視してると奴はベンチから立ち上がり、すたすたどこかへ歩いてった。諦めて帰ったのかな……と思ったら、缶二本を手に戻ってくる。投げつけられた一本をとっさに受け取ってしまった。よく冷えた表面のロゴを見ると、ジンジャーエールっぽかった。 　藤木みなみはあたしの隣に座り、ごくごくそれを飲み始める。 「……」 「飲まないの？　ぬるくなるよ」 「……あたし炭酸嫌い」 　つい口に出た。藤木みなみは「へー」と頷く。……「どこ行くの」ベンチを立ち上がったときに言われたけど、あたしは振り返らない。そのまま無言で歩き、あいつの声がもう聞こえないことにほっとしていると、隣からシャーッて地面を滑る音がした。 「てか三組の担任の噂聞いた？　あの体育担当の。レプタリアンらしいよ。人間の子どもに間抜けなダンスを仕込むことで、動物お笑い映像集みたいに人間アホアホ映像集を撮ることが目的なんだって」 「なんでついてくるの！！」 　キックボードで並走する藤木みなみに今度こそ叫ぶ。キックボードなのがまた憎たらしい、あたしが走り出してもこいつは涼しい顔でついてくんだろうね。あーもうッ。 「次のバイトまで時間余ってるんだ。話そうよ。で、三組のレプタリアン担任の続きだけど。あいつが人間アホアホ映像集を撮るようになった動機は、五年前あいつを身を挺して庇ってくれた六歳の人間の子どもが深く関わっていて……」 「あたしはあんたと話したくないの。ついてこないで！」 　と大声を出し、振り切るように早歩きする。ようやくキックボードの音はついてこなくなった。……そのまま公園を出たところで振り返る。藤木みなみの姿はない。胸を撫で下ろした。 　あいつがあたしにちょっかいをかけてきたのは一度や二度じゃない。学校であたしを見かけると「あ」と近づいてきて、あたしはぎょっとして逃げる。校外ならまぁ、はち合わせることはないだろうと思ってたのに……。三組の担任レプタリアン説ってナニソレッ、そんな噂聞いたことねーよ！ 　と憤慨している間に、「あ」……家に着いてしまった。……ボロアパートの階段を昇る。鍵のかかっていない玄関扉を開けると、閉じ切った室内独特の匂いがむわっと広がった。どたどたどたっ。リビングから走ってくる音が聞こえる。 「おねーちゃんっ」 　あたしの腰にタックルを食らわせてきたのは、小学生の妹。「どいて」邪険に剥がすと、妹はあたしの片手にあるものを目敏く見つけた。「それジュースっ？」あー……完璧に忘れてた。捨てようと思ってたのに。「あげる」妹はキャーッと喜んで受け取った。 「おかえりぃ、花ぁ」 　あたしは靴を脱ぎかけた姿勢のまま動かなかった。リビングから浅黒い顔が覗いている。「そんなところで突っ立ってどうした。上がれよ」家主でもないくせに。諦めて靴を脱ぎ、揃えるふりをしていると、背中に視線を注がれるのを感じた。 　……はぁ。 　荒垣花とは特別な人間です、だからその特別さがどんなことを引き寄せてたとしても、仕方ないのです。
November 25, 2025 at 3:09 AM
081『荒垣花の章①』
荒　垣　花　の　章　① 　つまない人間どもに囲まれて、つまんない毎日を過ごしてると、あたしの頭ん中まで灰色になりそう。 　だったんだぁ……。 　知らない間に椅子に接着剤を塗りたくられてたあたしは、だから、スカートを脱いで立ち上がった。首謀者のアホ女とその下僕たちがぎょっとして見てくる。そんなのシカトシカト、スカートの下に履いてたハーフパンツ姿のまま教室を出る。また授業をサボったって怒られるだろうね。知ったこっちゃないよ。接着剤まみれのスカートを見て見ぬふりする教師の言うことなんか聞いてどうすんのぉ？ 　一駅隣町に下り、用水路沿いを歩いた。大河と見紛う深緑の水路には、春になると安っぽいピンク色がひたひたと踊る。地域住人の散歩道なのか昼間も通行が多い。あたしの暇つぶしには持ってこいの場所だった。あたしみたいな、特別な人間にはねぇ……。 　昔から、水辺に行くと透明のもやのようなものが見えてた。もやはクラゲのように宙を揺蕩い、いつの間にか消えている。『ママには特別な血が流れてるの』海を眺めるママがうっとり呟くものだから、幼いあたしはてっきりコレがママにとって嬉しいことなんだと思い込み、馬鹿正直に告白したものだ。するとママは仏像みたいに微笑んだまま、 『こん嘘吐きずべたが』 　吐き捨てた。 『花は悪くないよ。ママのお母さん……花のお婆ちゃんも、大嘘吐きの阿婆擦れだったからね。お婆ちゃんてば田舎者で口も顔も汚くて、その上見栄っ張りだからしょうもない嘘をよく吐いたよ。花はお婆ちゃんに似ちゃったんだ。だから花は悪くないの。花が嘘を吐いちゃうのはお婆ちゃんに似ちゃったせいだもん、仕方ないことなの』 　弁解？　できるわけない！　あたしの見てる世界がママの何かを否定してしまうんだってこと、すぐわかったもん。『可哀想な花。お婆ちゃんに似ちゃったせいで、嘘吐きに産まれちゃった花。でも大丈夫、ママは大嘘吐きの花でも愛してあげるからね』ママはたぶんまったく見えてないであろうクラゲの間をすり抜けながら、あたしの手を引いて海岸線を進んでった……。 　教室に置いてきたスカートは明日、どうなっているだろう。きっとあのアホ女がまた何かしてんだろうな。別にいい。あたしはそれを何食わぬ顔でやり過ごし、面倒になったら適当なところでまたサボるんだろう。別にいい。授業に出たところで最近は先生の話わけわかんなかったもん、むしろラッキー。だから別にいい、別にいい。 　……でも、こんなふうに何度も何度も自分に言い聞かせてると……自分の頭ん中が、つまんない人間たちよりずっと褪せた灰色になっていくようだ、ねぇ……。 　荒垣花とは真から特別な人間です、けれどその特別さは荒垣花を救いはしないのです。海辺をさまようもやたちに、祈ったことあるよ。叫んだことあるよ。恨んだことあるよ。でも彼奴らってばうろつくだけで、本当に何もしてくれないの。 　ねえ…… 　誰か、あたしの声、聞こえてる……？ 　顔を伏せたあたしの前髪を風が巻き上げた、そのときだった。 「うわぁ！」 　そんな叫び声が聞こえたかと思うと、猛烈な勢いで目の前を何かが過ぎったの。 　次の瞬間あたしの視界に溢れたのは、赤やオレンジ、黄色にブルー……色彩の嵐。 　足元までスリップしてきたキックボードは銀色に光っている。放たれた風船の山は見えないところまで飛んでいき、そいつがむくりと起き上がった。「いててて……あれ？」その視線がこちらに向き、あたしは若干狼狽える。「もしや二組の荒垣花じゃない？」えっ……「な、なに、あんた……」なんであたしの名前知ってんのぉ……？ 「何。なに、ナニ……」 　渋い質問でもされた政治家みたいな顔してそいつは考え込み、と思えばぱっと笑った。「藤木みなみ。一年五組の、藤木みなみだよ」
November 24, 2025 at 12:02 PM
080『藤木の章　最終章』
藤　木　の　章　　　　最　終　章 　はたと、瞬きする。信号待ちのアドトラックから聞こえる芸能人の音声に負けないほど大きな笑い声が真横から上がり、だがその笑い声の発信元たる女子高生たちはというと、急に立ち止まった藤木に見向きもせず遠ざかった。彼の背後にいたサラリーマンだけが邪魔臭そうな視線を寄越して彼を追い抜かし、サラリーマンに始まり後続の通行人たちが石ころを投げられた魚の群れみたいに藤木を境に枝分かれし、青の歩行者信号へ向かっていく。 　藤木はようやく白線上から動いた。幸いにも歩行者信号の点滅が止まる前に渡り切り、ちょうど彼が歩道の石畳を踏んだところでアドトラックがゆるやかに背後を過ぎていく。足元には黄金色の銀杏の葉が敷き詰められている。そのまま並木道を歩き続けて人通りが少なくなってくると、彼は改めて納得のいかない顔をして立ち止まったのだ。 　スマホのメモ帳を開いた。 　そこに並ぶのは奇妙に空っぽのメモの数々で、彼の習慣である備忘録はここ数日分がすっかり抜け落ちている。いよいよ不可解だ。上着からはコーヒーの香りを感じるのに、じゃあ自分がどこの喫茶店に居座っていたかは思い出せない。駅前のＡ店だった気もするし、裏道でひっそりと営まれているＢ店だった気もする……。 　いずれにせよ気づけば街中にいて、自分が今朝どう目覚めたか、どこへ向かおうとしているかはきちんと頭にあるものの、そこに見覚えのない空白が居座っているのだ。しかもその何かすっぽ抜けたような感覚が、今日だけでなくここ数日、いや数ヶ月あるような気もした。 　奇妙だ。 　自分がこんな曖昧な感覚にこだわっていること自体、彼には奇妙だった。ゆえにその妙な直感は捨てることにして歩みを再開したが、鳥餅の上でも歩いているみたいに違和感が付き纏ってならない。 　……オバケ？ 　頭の中に降ってきたその単語に再び立ち止まりかけ、しかし無理やり脚を動かした。確かに自分は非現実的な、そうオバケの仕業としか思えない話を収集することを趣味としている。一方で、その手の話を集めれば集めるほど至る確信もあった。 　オバケは……、いない。 　怪談蒐集家というさも怪奇現象に見舞われそうな人種でありながら、一切その手の経験がないことが答えだ。脳内に妙な空白が居座っているのは、ここ最近疲れが溜まっていたからだろう。 　銀杏の葉が視界を流れ落ちる。前方で何か探すように足元の葉を蹴っている若い男の存在に気づいた。 「何かお困りですか」 　藤木は特別親切ではない。しかし他人との縁に恵まれるきっかけには積極的であった。距離が近づけば、興味深い話を恵んでくれるかもしれないからだ。 　若い男は顔を上げ、ぼんやりとした目で藤木を見る。 「ともだちをさがしてるの」 「……何という方です？」 「わからない。ともだちがいた気がするけど、どんなともだちか、思い出せないの……」 　青年はまた一心不乱に足元の葉を蹴りはじめた。彼の言う「ともだち」がただの落とし物みたいに、その変に転がっているみたいに。 「……そんな場所には居ないと思いますよ」青年は失望の滲む表情で肩を落とす。「なら、ぼくは産まれてからずっとひとりぼっちだったってことだ……」 　とふらふら歩き出してしまった。 　藤木は青年の背中を見送った。その胸ポケットから不意に音が鳴る。スマホを取り出して通知内容を確認すると、藤木はおもむろに電話をかけた。 「もしもし、みなみ姉さん？」
November 23, 2025 at 12:00 PM
079『藤木の章⑤』
藤　木　の　章　⑤ 「そもそもあなたの言う『たった一つの真実』とやらはいったい何なのですか、藤木さん。僕は何を隠すために、あなた曰くこんなに多くの嘘を生み出しているんです？」 「あなたはご自身を指して誰かを愛することのない完全体と仰りました。それこそが大いなる偽りです。……あなたの母親は単身赴任していた夫の不倫やあなたの妹に当たる子を流産したことで精神的に不安定に。その夫も『息が詰まる生活だった』という台詞を最後にあなたの前から去っています。以降、あなたを取り巻く環境は良いものではなかった。信頼できる大人の不在は年頃の少年にさぞ響いたことでしょう。自分を目にかけてくれる大人は、どんな相手であっても救いに感じられた──それが人気のない倉庫に呼び出しては、あなたの人権を蔑ろにする行為を強いる相手だったとしても。 　この世で最も苦しい裏切りとは何か、あなたはご存知のはず。愛する者からの裏切りです。では愛する者に裏切られることが日常となっている者が己の心をどう守るか、それもまたあなたはご存知のはず。愛してなどいないと思い込むことです。自分も相手を愛していない。愛してない相手から酷い扱いを受けたところで、どうでもいい」 「藤木さんの大した想像力には本当に感心させられます」 「えぇ、私の話の多くは想像に過ぎない。ですが今回ばかりは皮肉かな証拠がある」 　と藤木が机上に差し出したスマホ。彼が画面をタップすると、通話中を示すアイコンが表示された。『荒垣くん、ぼくね』荒垣の顔色が変わったのはその瞬間だった。 「てめェ裏切ったな！！」刃物のように目を吊り上げて吐き捨てる。「おれが今まで散々目をかけてやったのを忘れやがったのか、このノータリン！　てめぇみたいなノロマを切り捨てないだけで相当な温情だってのに、それを、それをこんな形で」『ぼくね、きみがゆったとおりに、なに聞かれてもこたえなかったよ』叩きつけた拳によってテーブルにはコーヒーが飛び散っていた。荒垣はそれを見つめて沈黙する。……自身の失態に気づいたようだった。 「矛盾してますね、荒垣さん」無骨な視線が藤木に向く。「何者も愛さないというあなたは、あなた曰くノータリンでノロマの幼馴染に、つい昔の自分が顔を出すほど心を開いているらしい。無敵で完全体であるはずのあなたは、かつて慕っていた『先生』の元へ荒垣の娘と同じように会いに行った挙句、『先生』の物真似までして──」スマホが胸ポケットへ戻される。「特に危害を加えるでもなく、その自宅を後にしている」…… 「本題に戻りましょう。あなたがなぜ、ここまで多くの嘘を作り上げたのか」「……五月蝿ぇな」「否定ですよ。あなたは自分が先祖のような、いえ人類の多くに見られるような、たかだか愛着に振り回される愚かな存在であることを否定したかった。ゆえに決して他者を愛さない怪物の象徴として"はなちゃん"を生み出し、自身も怪物の一部として振る舞うことで己の人間性を否定した。怪しい御伽話で現実を煙に巻き、あなたという人間性の証拠を覆い隠した」………… 「否定したがってんのはあんた……あなたでしょう、藤木さん」荒垣は瞬きせず応える。「そこまで言うなら、あなたもはなちゃんに会えばいい。……はなちゃん」カップの中身が静かに波打つ。窓の外からは、踏み切りの音が。「はなちゃん」小刻みに表面の振動するテーブルを藤木は一瞥した。「はなちゃん」 　かちゃんっ。 「……はなちゃん？」 　不安定な形で皿に置いていたマドラーが滑り落ち、荒垣が首を傾げた。「はなちゃん」無音。「はなちゃん」無音。「はなちゃん。はなちゃん！」 　無音。 　親から急に手を振り払われた子どものように、彼は幾度となく呼びかける。けれどその声以外に響くものはなく、こめかみを掻いた荒垣は、心なしかやつれた顔を上げ── 　とんでもない怪物でも目撃したかのように、人智を超えた現象にでも遭遇したかのように。神の降臨でも浴びたかのように、眼を、見開いた。 「おまえ、まさか、まさか────みなみちゃんか？」
November 22, 2025 at 11:17 AM
078『藤木の章④』
藤　木　の　章　④ 「嫌な事件でした」と藤木は続ける。「ある少年が遊んでいる最中に事故に遭い、視力を失う結果になりました。彼の事故現場に居合わせていた友人は精神が不安定な状態にあり『ボクがのろった』『ボクの好きな子みんなにバラしたから、だからのろった』と譫言のように繰り返すばかりです。同日、警視庁が公表する行方不明者一覧ウェブサイトがハッキングを受け、情報改竄の被害に遭いました。ネットでは該当箇所が切り取られ、面白半分に拡散されていますよ。 　結果として『あつひこくん』は不可解な失踪を遂げたことになっています。ですがこれは誤りです。あつひこくんは失踪したのではなく、事故死です。目の見えない彼を危険な場所へ誘き出した加害者がいる。間違ってもウェブサイトで公表されていたような、人智を超えた事件ではありません。明確な人の悪意によるものです。 　最近、ある知人から相談を受けましてね。その方の母親は高齢なこともあって視力がひどく衰えているのですが、琴教室を営む程度には元気でした。ところが近頃、妙なことを仰るそうです。自分の家族が何者かにすり替われている、とか……。ついに痴呆症の始まりかとご家族も覚悟を固めていたところ、驚きの事実が発覚しました。 　彼女が日頃口をつけていたミネラルウォーター。薬物が検出されたそうですよ。 　知らず知らず薬物を摂取したことで、せん妄を発症していたわけです。となるとこのミネラルウォーターの出所が問題になる。少なくともご家族に覚えはなく、本人は段ボール箱に積まれていたその水をご家族の購入品だと思い、疑いもせず口をつけていた。目の見えないのを良いことに、悪意ある土産を彼女の元へ置いていった何者かが存在するわけです。なにしろ出入りが多い教室ですから、誰だかまでは掴めない。仕方なく琴教室を休業したそうですよ。 　この良からぬものを加えた水について、荒垣さん、あなたは心当たりがあるのではないですか」 「僕は不思議でならないですよ、藤木さん！　あなたほど想像力豊かな方が、こう考えないのはなぜだろう？ 　人は多種多様な嘘をつくが、嘘をつく動機はただ一つ。 　この場合の嘘はむしろ、あなたが今説明した傷害事件の方だと」 「…………」 「何を言っているかまるでわからないという顔ですね」 　荒垣は好青年のように笑った。 「つまりね藤木さん、薬物の混入したミネラルウォーターやあつひこくんの件、一見物語の綻びに見えるそれらの事件こそ、むしろ釣り糸なのでは？　昔からよく言うじゃないですか、怪談をすると本当に怪しいものが寄ってくる……ただの廃墟が気づけば心霊写真の常連、肝試しスポットになったとたんにね。あなたの仰る通り、木を隠すなら森の中ですよ。ホンモノにとってその手の作り話はとてもよくできた隠れ蓑なんです。 　藤木さん、あなたみたいに無から筋道を見つけ出すのがお得意な方が、この発想に行きつかないなどありましょうか？　いいえ、ありえません。あなたは意図的に可能性を排除している。僕の身辺を調べきったならわかるはず、これほど多くの証言があるとなればあなたの仰る現実的で常識的な解釈の方がむしろ難しいと！ 　教えてください藤木さん、あなたはどうして目の前の事実を頑なに否定するんです？」 「退屈なほど当たり前な話ですよ、荒垣さん。 　私は奇妙な体験談を集めることが生きがいですが、いわゆるオバケなんてものがこの世に存在しないことは、誰よりもわかっているんです。 　私がそんなもの一度も目撃したことがないのですから」 「……ははははははっ！」 　荒垣は涙が出るほど笑ってから、ぎょろりと藤木を見た。 「なるほどな。つまりあなたの目撃によってこの物語の真相は決定されるわけだ……ははは、お気になさらず、こちらの話です。みなみちゃんには言わないでくださいね」
November 21, 2025 at 3:11 AM
077『藤木の章③』
藤　木　の　章　③ 「正直、ご先祖さまたちのことは愚かだと思っています」荒垣は四つ目のガムシロップをコーヒーに垂らす。中身を掻き混ぜるマドラーとカップのふちがぶつかり金属チックな音を立て、テーブルクロスにセピア色の染みを一つ残した。青褪めた唇はそれでも優雅にカップへ吸いつく。 「僕の家系は今まで娘しか産まれなかったそうです。だからでしょうか、せっかくの特別な血を無駄にするようなことばかりしていた。 　人を愛するから憎むし、愛しているから憎みきれない。 　産まれついての怪物の素質があるにも関わらず、それを全うできず海に還る。全ての道から外れた者として万人に不幸を降らすことより、その孤独を慰めることを選んでしまう。哀れなことです。宝の持ち腐れです。 　その点、僕とはなちゃんは無敵だ。 　誰かを愛してしまう前に若くして死ぬことで完全性を手に入れたはなちゃんと、この血筋唯一の男として、決して誰かを愛することのない完全体として産まれた僕とが合わされば、ここに完璧な災いが誕生する。災いの化身として村へ舞い戻っておきながら結局平蔵には手をかけなかった荒垣の娘を発端とし、脈々と続いてきた矛盾性の輪から今度こそ抜け出せる。運良く怪物性に開花しながらも最後は何者かの手を取り海へ還ることを選んでしまった先祖代々の失態を、僕たちだけが拭える」 「なるほど。あなたは自分の中にある憎悪をはなちゃんと呼んでいるんですね」 「……はい？」荒垣は梟じみた目で藤木を見守る。それからまたにこりと笑った。 「藤木さんははなちゃんが僕の頭の中にしか存在しないものだと考えている」 「それ以外どう解釈しろと」 「奇妙な人だ。藤木さん、あなたが僕を追い始めたのは、あなた自身が奇怪な出来事の数々を目撃したからじゃありませんか」 　藤木は荒垣から目を逸らさない。笑顔を知らない子供のように。 「私が調査を始めたのは、類稀なる想像力で人をたぶらかす悪徳詐欺師を取っちめるためです。私の趣味を今後も心行くまで楽しむには、現実に人をその手に手段で害する輩を排除しなくてはなりませんから。 　私がこう言えば、あなたのような人は『調べたならあなたもよくよくご存知のはず、僕の身の回りで起こっている超常的出来事の数々を……』そう仰るでしょう。荒垣さん、確かにあなたの身辺を調べるととても現実とは思えない、それでいて嘘八百とも思えないリアリスティックな怪奇話が溢れています。アイコウモール『ＦＵＳＹＯＵ』の奇妙なアルバイト求人情報に始まり、不思議なアナウンス、虫食いのようなフロアガイド、ゴミ出し時の不穏な注意書き……たった一店舗にどうしてこれほど胡乱な噂が集まるのか。本当に人智を超えた存在がそこにいるのだと、信じたくなるほどです。 　ですが荒垣さん、これらは所詮伝聞なんです。誰かが誰かから聞いた、あるいは思い出し思い出し語った、人の頭の中にしか存在しない物語。当時の求人情報を印刷された広告に始まり、アナウンスの録音、フロアガイドの写真、実際に貼られていた注意書き……私はその他多くの実物を入手していますが、これらも全て改竄可能な物体です。それを加工できる適切な人手さえあれば、適切な人材を集める求心力さえあればね」 「藤木さん、あなたはつまりこう考えているわけですね？　あのファミレスを起点として流布された全ての話が、僕の創作物であると。僕はそのリアリティを高めるために、僕を先生と慕ってやまない皆さんを使い証拠の捏造まで行ったと。おかしな話です。どんな理由があって、僕はそんな面倒な真似をするんです？」 「木を隠すなら森の中ですよ。人は多種多様な嘘をつきますが、嘘をつく動機はただ一つ。 　たった一つの真実を、隠し通すためです。 　あなたにまつわる全ての物語が『みなみちゃんに言わないで』その一言で締めくくられるようにね」
November 20, 2025 at 3:10 AM
076『藤木の章②』
藤　木　の　章　② 「小学生の頃、担任の先生が殺されたんです。驚きましたよ。校外学習で行ったショッピングモールのお手洗いからの帰り、手を繋いでいた僕の目の前で襲われたんですから。 　最初は可哀想だと思いました。でも後々、先生がどういう人だったか知ったんです。当時こそ評判の良い教師だったものの、学生時代は酷いいじめっ子、以前赴任していた学校では何か問題を起こして転任・降格になった経歴もあるようでした。 　だから、はなちゃんに鼻を、皮膚を、髪を、腕を、太腿を。獲られちゃったのも、仕方ないと思います。 　ずっと不思議でした。あの女の子はなぜあのファミレスでふらふらしているんだろう。彼女のことを知りたくて、同級生を連れて何かとファミレスに入り浸ってましたよ。やがて気づいたんです。彼女が僕の母親とよく似ていることに。 　僕は母のアルバムから、その女の子が僕の伯母であることを知りました。 　だから僕は母を、はなちゃんの土台にしてあげたんです。 　僕には特別な血が流れている。僕の母にも、生前のはなちゃんにも。磯っぽい涙味のする、深淵なる血です。母の肉、僕の血、そして仇の皮を重ね合わせたはなちゃんは、先祖返り的に怪物としての血を濃いものにし、その一途な恨みを沸騰するような憎しみへと昇華してくれました。 　僕はこの世界を天国に変えるため、はなちゃんをみんなに知ってもらうことにしました。はなちゃんには元々そういう力があったんです。あのファミレスの店長がその顕れです。僕はあの男を一目見た瞬間、彼は人間ではないと悟りましたよ。アレははなちゃんが引き寄せた海に棲むものです。そいつに皮を取られた男本人はというと、地獄に落ちたようですね。はなちゃんの元へなんとか辿り着こうとエスカレーターを走っていたあの下劣な女と共に、醒めない悪夢の中にいることでしょう。祝祭への道は万人に拓かれていますが、はなちゃんが嫌がるものは地獄に落ちてもらうしかありません。 　皆、自分の意思で天国への扉を開けました。俗世のしがらみで苦しまずに済むからです。代わりに自分の皮を被ってこの世を歩んでくれる身代わりがいるからです。確かに、それを自分で選んだわけではない者も中にはいるかもしれません。仕方ないことです。はなちゃんは口の軽い子が好きじゃない。あなたの言うあつひこくんという少年は、まだ自分でろくにものも考えられない年頃でしたが、なにしろ口が軽かった。その目で視たものを、言ってはならない相手に言う可能性があった。だから天国へ送り出さなくてはならなかった。邪魔な守護霊は僕の力を以てすれば簡単に引き剥がせます。 　替えは山ほどあった。わざわざ呼び寄せましたから。そのせいで津波が起こり、例の村は壊滅状態に陥りましたが。そんなこと誰が気にかけますか。 　皮を与えなければ揺蕩うだけに過ぎない生き物である彼らは、目印に呼ばれてやってきます。赤ん坊を抱える母親の形をした印です。元は、荒垣の血筋を示す印でした。 　赤ん坊の子孫には人外の血が流れてますから。この世ならざるものへ先祖返り的に変貌する者もいた。先祖に似たのかな、大抵は惚れた腫れたがきっかけでした。 　この世ならざるものへ変貌したものを鎮める手段として、その目印を使っていたようです。人でなしは人でなし同士で揃うと気が落ち着くんでしょうか？　目印によって海に棲むものが寄ってくると、荒ぶっていた荒垣の血筋も落ち着き、いつの間にか諸共海へ還っているそうです。 　だが、はなちゃんに還らせはしない。 　はなちゃんは決して消えることのない憎しみとして永久に遺り続ける。この世界そのものになってもらう。 　ですから、藤木さん。僕らの邪魔をしないでください。あなたが僕らを、僕の教え子たちを嗅ぎ回っていることは彼らの目を通じて知っていました。なので僕自らあなたを招待し、あなたの求めているものを教えてあげました。これが全てです。これが真実です。これ以上のものはもうここにはありません。わかったらお引き取りください。そしてくれぐれも、この話をみなみちゃんに言わないでください」
November 19, 2025 at 3:10 AM