じーくを討つことによって、エルが生きたってことを肯定したかったんだと思う。エルを肯定したかったんだと思う。どうしても。
ほんっと健気すぎて泣けるやんこんなん。
(結論)エルリ幸せになって!
じーくを討つことによって、エルが生きたってことを肯定したかったんだと思う。エルを肯定したかったんだと思う。どうしても。
ほんっと健気すぎて泣けるやんこんなん。
(結論)エルリ幸せになって!
でもリの、リ自身の「俺の目的」は違うものなんだよ。違うものだったんじゃないかと思う。ていうかそうじゃないと理屈が通らないからー。
でもリの、リ自身の「俺の目的」は違うものなんだよ。違うものだったんじゃないかと思う。ていうかそうじゃないと理屈が通らないからー。
それは、エルの肯定であり、エルの生の肯定であり、エルが生きたということに意味があったと証明したかった。
エルを肯定することは、エルの命令によって命を落とした死者達の意味を証明すること、その死者達の生に、生きたことの意味を肯定することにもなる。
そしてそれは、エルの罪悪感を軽くすることでもある。お前は間違ってなかったんだって、それを証明することでもあると思います。
そう思うと、リはエルを失ってからずっと、心の中のエルに語りかけていたんじゃないかなあ。
それは、エルの肯定であり、エルの生の肯定であり、エルが生きたということに意味があったと証明したかった。
エルを肯定することは、エルの命令によって命を落とした死者達の意味を証明すること、その死者達の生に、生きたことの意味を肯定することにもなる。
そしてそれは、エルの罪悪感を軽くすることでもある。お前は間違ってなかったんだって、それを証明することでもあると思います。
そう思うと、リはエルを失ってからずっと、心の中のエルに語りかけていたんじゃないかなあ。
それは、そのエルの命令で命を落とした新兵たちの死が無駄ではなかったのだという証明になる。
そしてエルが間違っていなかったと証明することは、もっとそれ以前の仲間達の死、エルの作戦や命令によって心臓を捧げた数多の仲間達の死が無駄ではなかったと証明することができる。
そしてその仲間達の死に意味があったのなら、それはそれをしたエルの肯定になって、エル自身の罪悪感の払拭でもある。
そういう理論なんじゃないかと思います。
それは、そのエルの命令で命を落とした新兵たちの死が無駄ではなかったのだという証明になる。
そしてエルが間違っていなかったと証明することは、もっとそれ以前の仲間達の死、エルの作戦や命令によって心臓を捧げた数多の仲間達の死が無駄ではなかったと証明することができる。
そしてその仲間達の死に意味があったのなら、それはそれをしたエルの肯定になって、エル自身の罪悪感の払拭でもある。
そういう理論なんじゃないかと思います。
他にも仲間達はそれまでにもいっぱい死んでるし、むしろ、関わりの少なかったであろう新兵たちの死だけを意味があったものだと証明したいのはおかしい。それならりばい班の死を意味のあったものだと証明しろよ!っていう。そういうふうに思っちゃいますよねえ。
だからそうじゃない。
証明したいのは、新兵たちの死の意味ではなくて、新兵たちを死に至らしめたエルの命令(作戦)、ではないかと。
だから、リはエルの最後の命令を完遂したいと考えている。獣への特攻の作戦では、リも重要なファクターのうちの一つですから。死んでしまった新兵たちと同じ。
他にも仲間達はそれまでにもいっぱい死んでるし、むしろ、関わりの少なかったであろう新兵たちの死だけを意味があったものだと証明したいのはおかしい。それならりばい班の死を意味のあったものだと証明しろよ!っていう。そういうふうに思っちゃいますよねえ。
だからそうじゃない。
証明したいのは、新兵たちの死の意味ではなくて、新兵たちを死に至らしめたエルの命令(作戦)、ではないかと。
だから、リはエルの最後の命令を完遂したいと考えている。獣への特攻の作戦では、リも重要なファクターのうちの一つですから。死んでしまった新兵たちと同じ。
では逆に考えて、じーくを殺すことによって意味があったと証明できる「お前達の死」って具体的になんだ?っていう。
それは、私は、獣への特攻により死んだ仲間達の死、であると考えます。
というか、じーくだけに限定しているから、そこしかない。他の仲間も全部、っていうなら、対象がじーくに限らずに、まーれ国、ってことになると思うんですが。
じゃあなんで、リは、獣への特攻により死んだ仲間達の
では逆に考えて、じーくを殺すことによって意味があったと証明できる「お前達の死」って具体的になんだ?っていう。
それは、私は、獣への特攻により死んだ仲間達の死、であると考えます。
というか、じーくだけに限定しているから、そこしかない。他の仲間も全部、っていうなら、対象がじーくに限らずに、まーれ国、ってことになると思うんですが。
じゃあなんで、リは、獣への特攻により死んだ仲間達の
もっと調査兵団的な意味であるなら、調査兵団としての目的を、あるいは言えば島の、もっと言うなら世界の人類の、そのための目的を達成することで、それで仲間達の死に意味があったと証明することができるんです。(実際に、最後のリの心臓を捧げよポーズというのはそれであると思います)(今やってるのはそれ以前の話)
それは、単に「じーくを殺す」という、ミニマムな目的じゃない。だからリの言う「俺の目的」と言うのは、エルが語ったような、はんじが言っていたような、調査兵団的な意味ではないと思います。
もっと調査兵団的な意味であるなら、調査兵団としての目的を、あるいは言えば島の、もっと言うなら世界の人類の、そのための目的を達成することで、それで仲間達の死に意味があったと証明することができるんです。(実際に、最後のリの心臓を捧げよポーズというのはそれであると思います)(今やってるのはそれ以前の話)
それは、単に「じーくを殺す」という、ミニマムな目的じゃない。だからリの言う「俺の目的」と言うのは、エルが語ったような、はんじが言っていたような、調査兵団的な意味ではないと思います。
具体的には、以前なら壁の外の自由な世界を、であったのだろうし、壁が破られてからは逼迫した壁内の状況を打破し人類の未来を、だろうし、はんじさんは虐殺を止めて平和な未来を、でしょうか?言葉にすると陳腐なものしか出てこなくてやなんですけど。ざっくりなんとなく察してください。読み取って!!
そういう、目的を達成する、っていうことが、無駄な死じゃなかったと証明する、っていうことだと思うんですね。
死者の方の視点で言うと、エルの演説の「次の生者に意味を託す」だと思います。
具体的には、以前なら壁の外の自由な世界を、であったのだろうし、壁が破られてからは逼迫した壁内の状況を打破し人類の未来を、だろうし、はんじさんは虐殺を止めて平和な未来を、でしょうか?言葉にすると陳腐なものしか出てこなくてやなんですけど。ざっくりなんとなく察してください。読み取って!!
そういう、目的を達成する、っていうことが、無駄な死じゃなかったと証明する、っていうことだと思うんですね。
死者の方の視点で言うと、エルの演説の「次の生者に意味を託す」だと思います。
調査兵団ってそういうものだと思うんですね。ていうか「心臓を捧げよ」がそんな感じ。個々の命を使ってでも集団としての目的を目指す、みたいな。そうまでしないと成せない、ということだと思うんですが。
だから、リの、仲間の死に意味があったと証明したい、も同じようなことだと混同しそうになるんですけども。でもやっぱり明確に違う。
調査兵団ってそういうものだと思うんですね。ていうか「心臓を捧げよ」がそんな感じ。個々の命を使ってでも集団としての目的を目指す、みたいな。そうまでしないと成せない、ということだと思うんですが。
だから、リの、仲間の死に意味があったと証明したい、も同じようなことだと混同しそうになるんですけども。でもやっぱり明確に違う。
エルが特攻直前の新兵たちへの演説は、本人の言う通り「一流の詐欺師のよう」な「体のいい方便」だという一面もあると思うし、確かに詭弁でもあるのだろうけども、あれは、調査兵団という構造そのものであり、調査兵団という思想、「心臓を捧げよ」の言語化でもあると思うんですね。
全部が嘘という意味の方便じゃない。
エルが特攻直前の新兵たちへの演説は、本人の言う通り「一流の詐欺師のよう」な「体のいい方便」だという一面もあると思うし、確かに詭弁でもあるのだろうけども、あれは、調査兵団という構造そのものであり、調査兵団という思想、「心臓を捧げよ」の言語化でもあると思うんですね。
全部が嘘という意味の方便じゃない。
いっぱい喋って発言を流すのがいいんじゃね?
いっぱい喋って発言を流すのがいいんじゃね?
発言を削除することが悪いことだとは思ってないです。そもそも、発言を消す、という機能が備わっているのに、その機能を使うのはおかしい、と言うことこそおかしいと思う。自分がそれを控えよう、というだけで。
なんで控えたいのかって、後で消したくなるようなことは最初から言わないようにしよう、したいと思うからで、実際になるべく消さないことで、自分自身の抑制にしているから。
発言を削除することが悪いことだとは思ってないです。そもそも、発言を消す、という機能が備わっているのに、その機能を使うのはおかしい、と言うことこそおかしいと思う。自分がそれを控えよう、というだけで。
なんで控えたいのかって、後で消したくなるようなことは最初から言わないようにしよう、したいと思うからで、実際になるべく消さないことで、自分自身の抑制にしているから。
そう考えることが正しい、皆もそうすべき、と思っているわけではないです。Aという主張は、Aでないものを否定するためにしているのではないです。
そう考えることが正しい、皆もそうすべき、と思っているわけではないです。Aという主張は、Aでないものを否定するためにしているのではないです。
だけど言いたがりでやかましい方なので、言いたいだけ言った後で、「あれは言い方が悪いかもしれない」「こっちの意味のほうに誤解されるかもしれない」ってなると、その言い訳をしたくなる。思ってることを全部言いたい言いたがりだから!!
だけど言いたがりでやかましい方なので、言いたいだけ言った後で、「あれは言い方が悪いかもしれない」「こっちの意味のほうに誤解されるかもしれない」ってなると、その言い訳をしたくなる。思ってることを全部言いたい言いたがりだから!!