hoge
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@yuem.bsky.social
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主に思考メモに使ってます。ゲーム/音楽/テキスト
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「正義は疑いようもなく我らにあり、絶対悪の鬼を抹殺しよう」みたいな歌詞の方が確かに鬼滅のテーマにはあってますが、それだと軍歌みたいで逆にやばくなりそうです。正義は確かにある一方で、自分の正義を疑わない人が侵略戦争を起こしたりしているのもまた現実なので…
OP歌ってる人、やっぱ『鬼滅の刃』は鬼殺隊と無惨が互いの正義を振りかざす話だと思ってるんだろうか
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みんなこんなに『鬼滅の刃』が大好きなのに、投票先は鬼舞辻無惨なの?
AIはふわっとした指示にはふわっとした返事しか返ってこない。一方人間はふわっとした指示に深い洞察を返しうる。ここはAIと人間が違う所
自分は殆どのエンタメ(恋愛ものとか)は「わからん」という気持ちになるけれど、でもわかればいいってもんでもないよなとも思う。共感できたから・理解できたから面白いっていうのは安直なのであって…。逆にわからない作品の方が色々得るものが有るんじゃないか。実際シュールな作品とか好きだし。とすれば、シュールなアート作品を見るつもりで大衆的な恋愛ものとかを観れば良いんじゃないか。そして、「うわー全然わからん(喜)」と頭を抱えつつ、自分なりに何かしらを理解しようとすればいい
疲れて色々どうでも良くなっている時特有の心地よさというのもある… 家でずっとグダーってしていると逆に良くなかったりする
見間違いのような体験もまた楽しい。よーく見る前の、ちらっとひと目見た時の印象。
最近やっと絵の見方がわかってきたというか、絵から自分なりの体験を引き出せるようになってきた
自分を小学生として扱う。小学生のように世界や人生について勉強し直す
インターネットに過剰適応する人、最初はバズるんだけどそのうち段々おかしくなっていく率高い
ネットでテキストを書く意味。一つは検索性。何気にローカルテキストって検索しづらい(書くだけならローカル環境が一番だが)。もう一つは、書籍執筆との比較になるが、権利的な部分に多少寛容なのが良い。出版物の場合、歌詞や画像の引用などは中々躊躇われるが、ネットで書き散らす分にはまあ良いでしょうという雰囲気になる
漫画絵は、動きそうっていうより動きのエネルギーを無理矢理1枚の絵に落とし込んでいる感じ。というかそういう絵が漫画的と言われるのだろう
自分にとって動きそうな画像ってのはプレステか64時代の3Dポリゴンなのかもな。ならもう3Dやればって気もするが…
いい絵にはなんか動きそうなところがある。ドット絵とかまさにそう。アニメ絵的イラストも、要するにアニメが動く感じが頭の中にあって、そういう動きへの憧れとしてそういう絵を描くんだろう。人によってどういう絵が「動きそうな感じ」を湛えるかは異なってくる。写実的な絵だと動きそうって人もいれば、アニメ的な絵がいいって人もいて、ドット絵がいいという人もいる。自分はなんだろう
テキストとは既に仲良くなってる気がしているが、問題は視覚的情報。画像や絵や映像とどう向き合えばいいのか未だにわからない。それらが自分に何かを与えてくれている気がしない
本よりオーディブルがいいなとか。スピーカーで聴くよりイヤホンで聴く方が聞き取りやすいなとか。これも一種の「情報と仲良くなる」工夫。時間や情報と「仲良くなる」工夫をどれだけ出来るか。
オーディブルを聴くのはさながら講義を受けながらノートを取るような感じだ
今は勉強の時代だなと思う。エンタメとかアートとかアウトプットとかじゃなくて。勉強のための時間をちゃんと確保したい、自分の生活の中に大学の時みたいにコマ入れてく感じ。なんなら講義タイトルを自分でつけようか。今日は進化心理学だ、とか
読書は素晴らしい。どんなにライトで薄っぺらそうな本であっても何かしら発見がある。一方でSNSは刺激的な割に情報量は少なくて、「知ってる範囲」の話が多い。あの芸能人がどうとかこういう犯罪があってーとか。ゴシップ的に人の感情を刺激しようと思ったら、「知ってる範囲」のことにならざるを得ないのだろうな
ヤマケイ文庫面白い。全部読みたい
ハロウィンを表す言葉として橙色のタイダルウェーブというのはすごい(仮装狂騒曲)
九州の笑い。沖縄の音楽。こういう感じで他にもあるかな、地域特有の芸能のベクトルみたいなもの
詩という形式、ずっとピンときてなかった(普通にエッセイでよくない?と思っていた)けど、やっとその形式の意味というか良さというかがわかってきた