鰐郎
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鰐郎
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罪を憎んで人を肉まん
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“僕だって紙の本だいすき。紙の書籍に囲まれて過ごしたいです。だが、政策を決める立場の人たちはマニアの戯れ言なんか聞いちゃくれないし、「いたずらに本ばかり抱えて、なんという金食い虫だ」と言って図書館を解体しようとする。それに立ち向かおうとしたら、新規性のあることをしないわけにはいかないんですよ。逆に保守的な人たちからは「あんな変なものつくって、いったいあれが図書館か」なんて言われるけど、あなた方は、旧態依然の姿のままで将来にわたって図書館を守れると、責任をもって言えるのか? 古き良き図書館のままで安閑としてられるほど状況は甘くない。一番大事なものにテコ入れさせないために、闘わなくてはならない”
“歴史学研究が時代と社会との関係のうえで成り立つものであるならば,オリジナルとして形成され,見事に帰納された独創的な説明概念といえでも,命脈を保つのは10年ほどではなかろうか。史料から切り取った人びとの姿を,現実社会との緊張のなかからいかに普遍化させるか,この再生産の営みこそが,民衆運動史・民衆思想史研究の“しんどさ”であり“楽しさ”ではないか,ということをわたしは改めて考えさせられた。”

——須田努「書評 高橋実『助郷一揆の研究 近世農民運動史論』」『歴史学研究』792、2004年9月。
“近代的知と既存の歴史概念に落とさずに,当時の人びとの心性や社会関係を叙述できないであろうか。そこで悩む。それは,帰納の方法論であり,実証から得た具体像をいかに抽象化させるか,という問題である。個別の百姓一揆・打ちこわしの史料分析から得た実証成果を歴史学として普遍化させるためには概念化が必要になる。当然,既存の知の体系とのリンクを無視することはできない。しかしせっかくの実証成果は,手あかにまみれた概念にリンクさせると,とたんに色あせたものになり,人びとの生き生きとした姿はかすんでしまう。これが,わたしたち,民衆運動史・民衆思想史研究者がぶつかる二律背反の壁である。”
一太郎も同じこと言ってるよ
実家に謎のトートある
普通に欲しいな
原田泰造と有田哲平、たまにどっちがどっちか忘れる
【仏道のはっぴいえんど】

観世音あつめて

往生を遂げたいんです 往生を
「なんぼ森の洋館もオオカミ10頭連れてったら余裕じゃろ」

戦績:死亡5、全ロス1
思想史の先生が王陽明をめちゃくちゃ汪兆銘って呼んでる
“私は二〇〇二年から二年間、日韓両国政府が支援する日韓歴史共同研究に参加し、また二〇〇六年から三年間、日中両国政府が支援する日中歴史共同研究に日本側座長として参加して、韓国や中国から日本の近代がどう見られているか、いろいろ学ぶところがあった。多くの書物や研究よりも、こうした歴史対話から得るところは大きかったかもしれない。”

——北岡伸一『日本政治史:外交と権力』 増補版、有斐閣、2017年、ⅰ頁。
ないなら三人称は彼でもいいな
ボクっ娘だろうか
うそ探偵トマントはうそを見抜いてくれるものと思っていたが、実は彼が探偵であること自体がうそであると判り、これは大変なことになったと思った
Q. テレビにはさァ 消音といっしょに「消画」機能を搭載してくれよォ ラジオ感覚がいい時もあんのよォ

A. 最初からラジオを聴こう
“すべての未来に死があるという事実が、なぜ現在の生をむなしいものとするのか。時間関心がこのように抽象的に無限化されてゆくのはなぜか。生活の「意味」がいつでも時間のかなたへと送りこまれてゆくのはなぜか。ひとびとの生が、その生きられる時空のうちに完結して充足しうる構造を喪うのはなぜか。要するにこの〈虚無〉の存立の機制自体を、知の照明の対象として主題化し追求すること。われわれの「明晰」の罠を、「非明晰」へとのがれるのでなく、「明晰」をそのものとして対象化する〈明晰〉のほうへ、のりこえること。”

—— 真木悠介『時間の比較社会学』岩波現代文庫、2003年、324頁(単行本:1981年)。
「頭部を胴体から離さなくてはならない」 という趣旨のボケに対して「デュラハンか」と突っ込む機会が今までの人生で2度ほど訪れたが、2度とも碌に伝わらなかったように思う
デス誕生日プレゼントは、誕生日を迎えた人間が友人に贈る。
とたけけの「アーバンけけ」とウェザー・リポートのBirdlandの悪魔合体があった
K. K. Cruisin' (From "Animal Crossing")
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