末法の教主・御本仏・日蓮大聖人の御金言。
創価学会初代会長・牧口先生・2代目会長・戸田先生・3代目会長・池田先生の御指導。
(副教学部長・河合師範御指導/辻副会長御指導)
見た目は、勝つかどうかわからない、不安定なようであっても、死に物狂いで戦えば、その方が強いのである。
いわんや、我々には、信心がある。
法華経に勝る兵法はない。
祈れば、智慧が出る。
勇気がわく。
もう一重、深い次元で勝っていけるのである。
悲観主義で生きるのか
悲観主義の人は何でも悲しい方向に、苦しく暗い方向に考えていく。
◯◯だったらどうしよう…😰等と、いつも悲観ばかりしていたら一念自体が悲観に染められてしまう。
それでは幸福になれる筈がない。これでは、生きる事自体が苦しい様な姿である。
悲観主義で生きるのか
悲観主義の人は何でも悲しい方向に、苦しく暗い方向に考えていく。
◯◯だったらどうしよう…😰等と、いつも悲観ばかりしていたら一念自体が悲観に染められてしまう。
それでは幸福になれる筈がない。これでは、生きる事自体が苦しい様な姿である。
徹して邪悪を、また極悪を責め続けるのだ。
逡巡も、甘えも、油断も、感傷も、一切を排して、完全勝利をめざす真剣勝負の中でこそ
自己自身を磨き鍛えることができるのだ。
徹して邪悪を、また極悪を責め続けるのだ。
逡巡も、甘えも、油断も、感傷も、一切を排して、完全勝利をめざす真剣勝負の中でこそ
自己自身を磨き鍛えることができるのだ。
困難が大きければ、それだけ、乗り越えた歓喜も大きい。
日蓮大聖人は
📖「大難来りなば強盛の信心弥弥いよいよ悦びをなすべし」と仰せです。
悩みがあるほど、いよいよ喜び勇んで進んでいく。それが、学会精神です。
「一心の妙用」とあるように、一念の力は不思議です。
一念の力は無限です。
信心の強き一念は、世界のいかなるものよりも優れた最高の力です。周りの人にも歓喜を分け与えていける。
一念の力は、全世界🌏、全宇宙🌌よりも大きい。
それが我が生命に厳然とそなわっているのです。
困難が大きければ、それだけ、乗り越えた歓喜も大きい。
日蓮大聖人は
📖「大難来りなば強盛の信心弥弥いよいよ悦びをなすべし」と仰せです。
悩みがあるほど、いよいよ喜び勇んで進んでいく。それが、学会精神です。
「一心の妙用」とあるように、一念の力は不思議です。
一念の力は無限です。
信心の強き一念は、世界のいかなるものよりも優れた最高の力です。周りの人にも歓喜を分け与えていける。
一念の力は、全世界🌏、全宇宙🌌よりも大きい。
それが我が生命に厳然とそなわっているのです。
こう歓喜に燃えていけば功徳はどんどん出てくる。
どこか他の世界にもっと素晴らしい所があるのではないか。
信心以上の何かいい方法があるのではないか。
そういう一念は仏界の涌現の力を弱めてしまうのだ。
こう歓喜に燃えていけば功徳はどんどん出てくる。
どこか他の世界にもっと素晴らしい所があるのではないか。
信心以上の何かいい方法があるのではないか。
そういう一念は仏界の涌現の力を弱めてしまうのだ。
(はちおくしせんのねんりょ)
『「八億四千の念」ともいう。凡夫衆生が起こす無数の思念のこと。八億四千は極めて多い、無数という意。
女人成仏抄に「されば経文には一人一日の中に八億四千念あり念念の中に作す所皆是れ三途の業なり等云云」(四七一)と述べられている。
一人が一日に起こす念は八億四千もの多きになるが、その念は少しもやすまず、悪念は苦果を招き、善念は楽果を招く。特に凡夫は悪念を多く起こしやすく三悪道への業となる。
(はちおくしせんのねんりょ)
『「八億四千の念」ともいう。凡夫衆生が起こす無数の思念のこと。八億四千は極めて多い、無数という意。
女人成仏抄に「されば経文には一人一日の中に八億四千念あり念念の中に作す所皆是れ三途の業なり等云云」(四七一)と述べられている。
一人が一日に起こす念は八億四千もの多きになるが、その念は少しもやすまず、悪念は苦果を招き、善念は楽果を招く。特に凡夫は悪念を多く起こしやすく三悪道への業となる。
不惜身命でなければ、民衆を守る事はできない。「身命をすてて強敵の科を顕せ」の一文を心に刻みたい。魔と闘い、強敵の科を責め出さなければ真の勝利は断じて無い。師子王が動く事で魔は退散する。仏法を守るべき時には、猛然と魔軍を駆り出していかなければならない。油断は絶対に禁物です。どんな敵も全力で戦う。それでこそ師子です。真剣勝負ゆえに、師子王は、周囲が“ここまで”と思うぐらいに一つ一つに全魂を込めて取り組むのです。“守り”でなく、“攻め”です。
不惜身命でなければ、民衆を守る事はできない。「身命をすてて強敵の科を顕せ」の一文を心に刻みたい。魔と闘い、強敵の科を責め出さなければ真の勝利は断じて無い。師子王が動く事で魔は退散する。仏法を守るべき時には、猛然と魔軍を駆り出していかなければならない。油断は絶対に禁物です。どんな敵も全力で戦う。それでこそ師子です。真剣勝負ゆえに、師子王は、周囲が“ここまで”と思うぐらいに一つ一つに全魂を込めて取り組むのです。“守り”でなく、“攻め”です。
御本仏の仰せだけは嘘がありません
「祈りとして 叶わざるなし」の妙法です。絶対勝利の信心です
一人一人が自分自身の抱いている願いを一つ一つ明確に掲げていよいよ強盛に祈りぬき新しい挑戦を開始する事
御本仏の仰せだけは嘘がありません
「祈りとして 叶わざるなし」の妙法です。絶対勝利の信心です
一人一人が自分自身の抱いている願いを一つ一つ明確に掲げていよいよ強盛に祈りぬき新しい挑戦を開始する事
「もう、これぐらいでいいだろう」という弱さがあってはならない。その弱さが魔の付け入る隙になる。
「まだ攻撃してくるのか」
「いい加減にしてくれ」
と、相手が身震いし、音を上げるまで責め続けることだ。
「もう、これぐらいでいいだろう」という弱さがあってはならない。その弱さが魔の付け入る隙になる。
「まだ攻撃してくるのか」
「いい加減にしてくれ」
と、相手が身震いし、音を上げるまで責め続けることだ。
📖「少しもへつらわずに振る舞い、語っていきなさい。へつらうようなことがあれば、かえって状況は悪くなるであろう。たとえ所領を没収され、(主君に)追い出されても、それは十羅刹女(諸天善神)の御計らいであろうと思って、深く信をとり、諸天にゆだねていきなさい」(新1583頁・全11頁、通解)
信心を貫いたゆえに起きた難に対しては、絶対に卑屈な態度をとってはならない。
不屈の信念で、毅然と振る舞うのだと教えられたのである。
その後、金吾は正義が証明され、信頼を回復。新たに領地が増すという功徳の実証を示した。
📖「少しもへつらわずに振る舞い、語っていきなさい。へつらうようなことがあれば、かえって状況は悪くなるであろう。たとえ所領を没収され、(主君に)追い出されても、それは十羅刹女(諸天善神)の御計らいであろうと思って、深く信をとり、諸天にゆだねていきなさい」(新1583頁・全11頁、通解)
信心を貫いたゆえに起きた難に対しては、絶対に卑屈な態度をとってはならない。
不屈の信念で、毅然と振る舞うのだと教えられたのである。
その後、金吾は正義が証明され、信頼を回復。新たに領地が増すという功徳の実証を示した。
愚痴はない。
悲観もない。
そんなものにとらわれたら
自分が損である。
わが胸中で全てを乗り越え
楽しく、朗らかに勝利しましょう!
🎙️本部幹部会 1999.3
愚痴はない。
悲観もない。
そんなものにとらわれたら
自分が損である。
わが胸中で全てを乗り越え
楽しく、朗らかに勝利しましょう!
🎙️本部幹部会 1999.3
一日一日の充実には
朝の出発が肝心です。
「朝の勝利」が
一日の勝利です。
その積み重ねが
人生全体の勝利となる。
一日一日の充実には
朝の出発が肝心です。
「朝の勝利」が
一日の勝利です。
その積み重ねが
人生全体の勝利となる。
これが第一の要諦です。
ただ、唱題して、祈りに祈っていけばよいかというと、それだけでは、どうにもなりません。第二の要諦は、最高の作戦、最高の行動です。これがなければ、勝機を掴むことは、絶対にできない
この二つの要諦が調和した時、不可能も可能となり、勝利を得ることができると確信いたします。
この調和をさせるものは何かというと、それが信心なんです
これが第一の要諦です。
ただ、唱題して、祈りに祈っていけばよいかというと、それだけでは、どうにもなりません。第二の要諦は、最高の作戦、最高の行動です。これがなければ、勝機を掴むことは、絶対にできない
この二つの要諦が調和した時、不可能も可能となり、勝利を得ることができると確信いたします。
この調和をさせるものは何かというと、それが信心なんです
皆、尊い使命の人だ。
皆、大切な仏である。
自分の感情で決めつけるのではなく
まず御本尊に祈り
大きな心で包容しながら、前進するのだ。
皆、尊い使命の人だ。
皆、大切な仏である。
自分の感情で決めつけるのではなく
まず御本尊に祈り
大きな心で包容しながら、前進するのだ。
大聖人のお手紙を拝する時、常に相手に応じたたとえを引かれ、何とか「心」を変えよう、「一念」を強めよう、
「確信」と「自信」を与えようとされている。
希望と励ましを太陽のように送っておられる。
「心」が変われば「一切」が変わることを熟知されていたからであろう。
大聖人のお手紙を拝する時、常に相手に応じたたとえを引かれ、何とか「心」を変えよう、「一念」を強めよう、
「確信」と「自信」を与えようとされている。
希望と励ましを太陽のように送っておられる。
「心」が変われば「一切」が変わることを熟知されていたからであろう。
功徳が増してくるのです。
ですから悪口を恐れてはいかんと日蓮大聖人様は仰っています。
僕などの悪口の言われ方を見てごらんなさい。
新聞、雑誌と、ずいぶん悪口を言っています。
けれども、そんなものは蚊が鳴いたみたいなものです。
刺されると痒いから、蚊の方がこわいです。
あんなもの痒くも痛くもありません。
向こうで書いたものですから。
ひどい目に遭う人たちもいるのですから、今に見ていなさい。
法華経の行者の悪口をいって、満足な死に方をしたら、お目にかかりましょう。
戸田先生
功徳が増してくるのです。
ですから悪口を恐れてはいかんと日蓮大聖人様は仰っています。
僕などの悪口の言われ方を見てごらんなさい。
新聞、雑誌と、ずいぶん悪口を言っています。
けれども、そんなものは蚊が鳴いたみたいなものです。
刺されると痒いから、蚊の方がこわいです。
あんなもの痒くも痛くもありません。
向こうで書いたものですから。
ひどい目に遭う人たちもいるのですから、今に見ていなさい。
法華経の行者の悪口をいって、満足な死に方をしたら、お目にかかりましょう。
戸田先生
どういう風にやったら南無妙法蓮華経が弘まるか、どのようにやったら南無妙法蓮華経が人によく教えられるか、そんな方法論は関係ありません。我、自らが南無妙法蓮華経だ! 南無妙法蓮華経以外に何もない!と決めきって、決めきるのです。
俺はそれ以外にない、それで悪ければ、こ◇ろさ◇れても、し◇んでも何でもしょうがないと、自分は南無妙法蓮華経だと決めきって、御本尊を流布することです。
どういう風にやったら南無妙法蓮華経が弘まるか、どのようにやったら南無妙法蓮華経が人によく教えられるか、そんな方法論は関係ありません。我、自らが南無妙法蓮華経だ! 南無妙法蓮華経以外に何もない!と決めきって、決めきるのです。
俺はそれ以外にない、それで悪ければ、こ◇ろさ◇れても、し◇んでも何でもしょうがないと、自分は南無妙法蓮華経だと決めきって、御本尊を流布することです。
ただ、御本尊様を信じて拝め!
それで終わり。
私にはそれ以上教えることはありません。
戸田先生
ただ、御本尊様を信じて拝め!
それで終わり。
私にはそれ以上教えることはありません。
戸田先生
妙法で結ばれた絆は生死を超えて永遠である。
妙法で結ばれた絆は生死を超えて永遠である。
この功徳は父母祖父母乃至無辺の衆生にもをよぼしてん、ましてわがいとをしとをもふをとこは申すに及ばずと、おぼしめすべし、おぼしめすべし(さじき女房御返事p1231 n1705)
通解
法華経に供養する功徳は、あなたの父母、祖父母、さらに限りない多くの衆生にも及ぼされていくことでしょう。
まして、あなたがいとおしいと思う最愛のご主人に、功徳が及ぶことはいうまでもないと、思っていきなさい。思っていきなさい。
この功徳は父母祖父母乃至無辺の衆生にもをよぼしてん、ましてわがいとをしとをもふをとこは申すに及ばずと、おぼしめすべし、おぼしめすべし(さじき女房御返事p1231 n1705)
通解
法華経に供養する功徳は、あなたの父母、祖父母、さらに限りない多くの衆生にも及ぼされていくことでしょう。
まして、あなたがいとおしいと思う最愛のご主人に、功徳が及ぶことはいうまでもないと、思っていきなさい。思っていきなさい。
ですから信心で自分の行動を左右していくという決意を持って貰いたいのです
ですから信心で自分の行動を左右していくという決意を持って貰いたいのです
弱くふがいない者であっても、助ける者が強ければ倒れない
と述べられている。助け合い、励まし合う、うるわしい同志愛が大切なのである。
また「すこし健の者も独なれば悪しきみちには・たうれぬ」
少しくらい強い者でも一人きりであれば険しい道には倒れてしまう――と。
大聖人はそのように“良き友”との“良き絆”の大切さを教えておられる。誰も自分一人の力で大きくなった人はいない。
多くの人に守られ、支えられて生きている。良き環境は良き人間をつくる。みずから、そうした良き環境、“良き人間のつながり”を求めていく人は、限りなく伸びていける。
弱くふがいない者であっても、助ける者が強ければ倒れない
と述べられている。助け合い、励まし合う、うるわしい同志愛が大切なのである。
また「すこし健の者も独なれば悪しきみちには・たうれぬ」
少しくらい強い者でも一人きりであれば険しい道には倒れてしまう――と。
大聖人はそのように“良き友”との“良き絆”の大切さを教えておられる。誰も自分一人の力で大きくなった人はいない。
多くの人に守られ、支えられて生きている。良き環境は良き人間をつくる。みずから、そうした良き環境、“良き人間のつながり”を求めていく人は、限りなく伸びていける。
大聖人は祈りの姿勢について「『釈迦仏・多宝仏・十方の仏よ、集い来って、わが身に入りかわり、我を助けたまえ』と祈念しなさい」1451㌻とも仰せである。大聖人御自身、竜の口の法難の折には「いかに八幡大菩薩はまことの神か」912㌻と、八幡大菩薩を諌められ、時に仏菩薩や諸天をも叱咤しな...
大聖人は祈りの姿勢について「『釈迦仏・多宝仏・十方の仏よ、集い来って、わが身に入りかわり、我を助けたまえ』と祈念しなさい」1451㌻とも仰せである。大聖人御自身、竜の口の法難の折には「いかに八幡大菩薩はまことの神か」912㌻と、八幡大菩薩を諌められ、時に仏菩薩や諸天をも叱咤しな...