一念が大事。
testpiano37.bsky.social
一念が大事。
@testpiano37.bsky.social
9 followers 0 following 14K posts
🇷🇴 末法の教主・御本仏・日蓮大聖人の御金言。 創価学会初代会長・牧口先生・2代目会長・戸田先生・3代目会長・池田先生の御指導。 (副教学部長・河合師範御指導/辻副会長御指導)
Posts Media Videos Starter Packs
Pinned
[BOT] 大聖人は、続けて金吾を励まされた。

📖「少しもへつらわずに振る舞い、語っていきなさい。へつらうようなことがあれば、かえって状況は悪くなるであろう。たとえ所領を没収され、(主君に)追い出されても、それは十羅刹女(諸天善神)の御計らいであろうと思って、深く信をとり、諸天にゆだねていきなさい」(新1583頁・全11頁、通解)

信心を貫いたゆえに起きた難に対しては、絶対に卑屈な態度をとってはならない。
不屈の信念で、毅然と振る舞うのだと教えられたのである。

その後、金吾は正義が証明され、信頼を回復。新たに領地が増すという功徳の実証を示した。
[BOT] 徹頭徹尾、“仏法は勝負”なのである。この基本が、皆なかなか、わからない。
私は常に、誰も気づかない内に「魔」という本質を見抜く。
悪に対しては厳しく戦い、打ち破る勇者でなければ、大切な仏子を守りゆく使命は果たせないからである。
その意味で、今、健康な時、また若いうちに、真剣に仏道修行に励みきっておくことだ。
人生と仏法を甘く考え、要領よく手を抜いて、将来悔いるようなことがあっては
あまりにも不幸である。
 
[BOT] また、四条金吾の夫人に対しても、勇気ある信心を貫いていきなさいと大聖人は指導しておられる。
金吾への御手紙📜に
“夫人の祈りが叶わないというのは、決して法華経のせいではない。信心が弱いからである。
『自分(金吾)は人に憎まれながらも、信心を持っている。そのように実践していこう』と夫人に話してあげなさい”(御書📖1138㌻、趣意)と記しておられる。
[BOT] 勇気を奮い起こし、疲れたら再び奮い起こして戦い続ける中に、仏界が涌現してくるのです。仏界の力でなければ強敵に勝利する事はできない。
不惜身命でなければ、民衆を守る事はできない。「身命をすてて強敵の科を顕せ」の一文を心に刻みたい。魔と闘い、強敵の科を責め出さなければ真の勝利は断じて無い。師子王が動く事で魔は退散する。仏法を守るべき時には、猛然と魔軍を駆り出していかなければならない。油断は絶対に禁物です。どんな敵も全力で戦う。それでこそ師子です。真剣勝負ゆえに、師子王は、周囲が“ここまで”と思うぐらいに一つ一つに全魂を込めて取り組むのです。“守り”でなく、“攻め”です。
[BOT] 「いそぎいそぎ御対冶あるべし」と。一日の生命の尊さが解れば打開を躊躇する理由は無し。前進を躊躇った事で後悔する事があっては絶対になりません。早く行動なさいと大聖人が仰せであられる。仏法はどこまでも道理
仏典に「善をなすのを急げ」「善をなすのにのろのろしたら心は悪事を楽しむ」とある。
[BOT] 苦難は、人間を強くします。
大難は、信心を鍛えます。
難に挑戦して信心を鍛え抜けば、我が己心に「仏界」を現していくことができる。
大難が襲ってきても「師子王の心」で戦い続ける人は、必ず「仏」になれる。
日蓮大聖人の仏法の真髄は「信」即「成仏」です。
その「信」は、自身と万人の仏性を信ずる「深き信」であることが肝要です。また、何があっても貫いていく「持続する信」でなければなりません。そして、いかなる魔性にも負けたくない「強靭な信」であることこそ成仏を決定づける。
この「信」即「成仏」の深義を説く「開目抄」の次の一節は、あまりにも有名です。
[BOT] 📖「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」

いかなる苦難に直面しても「疑う心」を起こしてはならない。諸天の加護がなく、現世の安穏がなくても、「嘆きの心」にとらわれてはならない。不退の心で信心を貫く人が真の勝利者である。信心の極意を示した根本中の根本の御指導であり、永遠の指針です。
[BOT] “我が弟子たちよ、師と同じように立ち上がれ!”
“まことの時に信心を忘れる愚者になってはならない!”

自分と同じく万人を「偉大な人間」にする。それが仏の本質です。ゆえに仏教は「師弟の宗教にほかならないのです。
「天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(0232:01)と仰せられている日蓮大聖人の赫々たる魂の炎が、全門下の胸中に灯されてこそ、「師弟不二の宗教」は完成するのです。

「我並びに我が弟子」との呼びかけに、「全門下よ、二陣、三陣と続きゆけ」との思いが込められていると拝することができます。
[BOT] ☀️

一日一日の充実には
朝の出発が肝心です。
「朝の勝利」が
一日の勝利です。
その積み重ねが
人生全体の勝利となる。
[BOT] 十界・三千における依報(環境)も正報(衆生の生命)も
色法も心法も、非情の草木も、大空も国土もどれ一つとして除かず、微塵も残さず
全てを自分の一念の心に収め入れ、この一念の心が宇宙の隅々にまで行き渡っていくのである。✏️P.383趣意
[BOT] もし、信力に一点でも不信の虫がつくならば、行力の効なく、その大木はくさって倒れてしまう。どこまでも戒心しなくてはならないのは、疑うという事である。少しばかりの疑いでも、大きな傷になることを考えなければならない。御本尊は、清浄なる法水であるから、その大敵たる汚水を厭うものである。
[BOT] 眼を開き真剣に題目をあげ、御書を拝読し、尊い有意義な一生を送っていただきたい。この妙法を離れて、もうどこにも幸福の根本を会得する道はないのです。絶対にありえないのです。ですから更に更に題目を声高らかにあげきって、今の何倍、何十倍、何億倍も幸福になって頂きたい。幸福になれるのです。
[BOT] 信心が強いが故に大福運を積めるのです。願いが叶う、これしかありません。
信心が強いとは何か、大聖人様の仰せ通りに題目をしっかりあげる事です。あとは自分の境遇、自分の立ち場で楽しく、慈悲をもって折伏する事です。折伏は創価学会が作ったものではなく、日蓮大聖人様が仰せになっているのです。
[BOT] 仏法は決して遠くにあるものではありません。近くにあります。一日一日、瞬間瞬間の中にあります。「一切法是れ仏法」です。どうか御本尊様を抱きしめて「幸福になる為に題目をあげよう」「人々の為に折伏をしよう」と、心豊かな信心をしていかれん事を心からお祈り申し上げ、私の激励とさせて頂きます。
[BOT] 「今まで」どうだったかではない。
大切なのは、「これから」どうかである。
今まで以上に、強盛な信心を奮い起こすことだ。
その人を、ありとあらゆる諸天善神が、必ず守っていく。
「三類の強敵」が現れるのも、「三障四魔」が競い起こるのも、ありとあらゆる苦難は、自分自身の信心を試しているのである。
すべて、仏界の生命を開いていくために必要なことなのだ。
ゆえに、一段と信心を強めていけば、絶対に乗り越えていける。勝っていける。
強盛な信心があるかぎり、乗り越えられない苦難はない。
[BOT] 御書本文

この功徳は父母祖父母乃至無辺の衆生にもをよぼしてん、ましてわがいとをしとをもふをとこは申すに及ばずと、おぼしめすべし、おぼしめすべし(さじき女房御返事p1231 n1705)

通解
法華経に供養する功徳は、あなたの父母、祖父母、さらに限りない多くの衆生にも及ぼされていくことでしょう。
まして、あなたがいとおしいと思う最愛のご主人に、功徳が及ぶことはいうまでもないと、思っていきなさい。思っていきなさい。
[BOT] 📖甲斐無き者なれども・たすくる者強ければたうれず

弱くふがいない者であっても、助ける者が強ければ倒れない
と述べられている。助け合い、励まし合う、うるわしい同志愛が大切なのである。
また「すこし健の者も独なれば悪しきみちには・たうれぬ」
少しくらい強い者でも一人きりであれば険しい道には倒れてしまう――と。
大聖人はそのように“良き友”との“良き絆”の大切さを教えておられる。誰も自分一人の力で大きくなった人はいない。
多くの人に守られ、支えられて生きている。良き環境は良き人間をつくる。みずから、そうした良き環境、“良き人間のつながり”を求めていく人は、限りなく伸びていける。
[BOT] 我らの題目の功力は三世十方に行き渡り、家族も友人も無量の福徳の光で包めるのだ。
妙法で結ばれた絆は生死を超えて永遠である。
[BOT] 法華経の行者の功徳とは何か。それは、根源悪である謗法と戦い続けるゆえに、その実践、その生命に具わる功徳なのです。
「御義口伝」には「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」(0762:第一法師功徳の事:03)と仰せです。内外の謗法と戦い、根源悪を滅するがゆえに、根本善である妙法の無限の力が生命に開かれ、無量の功徳が生ずるのです。
謗法を滅する深く強い信によって、妙法の無限の力が、わが生命に開花する。まさに南無妙法蓮華経という根源的な仏界の生命が涌現するのです。
[BOT] 疑い、不安、煩悩などの種々の形で無明は現れてくる。しかし、それを打ち破っていく力は「信」以外にない。大聖人も「無疑曰信」と仰せです。「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」とも言われている。鋭い剣です。魔と戦うという事も、根本的には無明と鋭く戦うのでなければならない。私たちは、広宣流布を妨げる魔の勢力と戦っています。
[BOT] この魔との戦いも、根本的には無明との戦いです。また、人生に起こってくる色々な困難と戦うのも、本質は無明との戦いです。妙法への「信」、言いかえれば「必ず成仏できる」「必ず幸せになれる」「必ず広宣流布を実現していく」という一念が失せたならば、人生の困難にも、公布の途上の困難にも、負けてしまいます。開目抄で「疑う心」に負けてはいけない「嘆きの心」にとらわれてはいけないといわれているが、その疑いや嘆きこそ、まさに無明の表れなのです。
[BOT] ☝🏻順調な時こそ油断大敵

順調なときこそ、「油断は大敵」である。
 
 日蓮大聖人は、主君の信頼を勝ち得て、苦境を脱しつつあった四条金吾に対して、「心に深く用心しなさい」(📖1176・通解)等と、このようなときこそ心を引き締めていくべきだと教えておられる。
[BOT] 怨嫉、憎悪、ムカつきの気持ちが起きたならば、御本尊に題目をあげて
「小さな心のわだかまりを消して下さい。もっともっと崇高なる広宣流布という目的にふさわしい前進をさせて下さい!」
こうお願いしていくべきです。

何でも御本尊に直結すればいいのです。
[BOT] あらゆる悪業の根源は、妙法に対する不信・謗法に帰着します。この重病によって悪から悪への生命の流転が起こり、続き、収まる事がないのです。この根源的な悪の影響力が残っている限り、悪業を重ねる事になり、結局、地獄の苦しみの報いを免れる事ができない。これが謗法罪障の恐ろしさに他なりません。本質を言えば、法華経に対する不信・謗法とは、元品の無明の発動です。
大聖人は、今世の苦難・不幸をもたらす過去世のあらゆる悪業の根本には、法華誹謗つまり妙法に背く謗法の重罪がある事を見抜かれていた。今世において謗法という根本悪を乗り越えれば、あらゆる悪業を乗り越える事ができる事も、明快に御存じであられ...
[BOT] さらに本質を言えば、法華経に対する不信・謗法とは、元品の無明の発動です。万人の中に仏の生命があり、それを開くことによって、その身のままで仏になれるという十界互具の仏性を信じきれず、それどころか、万人の仏性を開く行動を続ける法華経の行者を嫉み、憎み、敵視し、軽蔑するのが、無明の生命の本質です。
その意味で、最大の悪業である謗法を見つめることは、生命における悪の根源である無明の生命を深く捉え直すことに通じます。根源の悪を洞察し、その悪をもたらす元凶の因を断ち切ることによって、宿命転換の道を開いていくのが、日蓮仏法です。
[BOT] 苦悩を「ぱっ」と消す宿命転換を実現する力について、日蓮大聖人は般泥洹経の「護法の功徳力」という表現に注目されています。「護法」とは、文字通り「法」を護る事、即ち、仏法を実践することです。「謗法」が悪から悪への流転の根本の因であるが故に「護法」の実践によって、その流転をとどめる事ができるのです。
護法の目的は人間の幸福です。その意味で、人間の中にある成仏の法を守っていく事によって護法の功徳力が現れてくるのです。即ち、法華経の行者として戦い抜く中で、法に背く悪の生命が叩き出され、無明を破る事ができるのです。その具体的実践が「悪と戦う」事、すなわち折伏の実践に他なりません。